寂しいアヒル1
** 『私の家族』 四年一組 黒川 瑞香 私にはパパとママと、お父さんとお母さんがいます。 パパとママは私を産んでくれました。お父さんとお母さんは私を育ててくれています。 パパとママは、私が四才の時天国へ行ってしまいました。そしてお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいなかった私を、お父さんとお母さんが育ててくれています。 だから私は、私を産んでくれたパパとママも、私の事を育ててくれているお父さんとお母さんも大好きです。 四人にとても感謝しています。 私とお父さんとお母さんは、本当は家族ではないそうです。 法律とか書類とか色々あるからなぁと、晴紀おじ様が教えてくれました。 難しくて、私にはおじ様の言っている事がよくわかりませんでしたが、でもそのあとおじ様がこう言ってくれました。 「でも、瑞香が家族だと思っている人。それが瑞香にとっての家族なんじゃないのか?」 お父さん達が私の家族じゃないという事を聞いた時私はショックでしたが、晴紀おじ様がそう言ってくれた時は、とてもうれしかったです。 でもそうすると、私にはいっぱい家族がいます。 お父さん、お母さん、晴紀おじ様、冬子おば様、正文おじ様、美央美おば様、ゆうかちゃん、高志兄様、とも子姉様、良子さん、美咲さん。 みんな私にとっては家族です。 みんな私のことを大好きだと言ってくれます。 私もみんなの事が大好きです。 だから私にはいっぱい家族がいます。 でも時々、パパとママがいてくれたら良いのになと思います。 パパとママの事はあんまりおぼえていません。でも、パパとママは時々夢に出てきます。 そういう時朝起きたら、私は泣いています。そうしたら私と一緒に寝ているお母さんは、私を抱きしめてくれます。 そういう時お母さんと違って、お父さんは寝ている部屋が違うので抱きしめてはくれませんが、朝ごはんを食べる時大きな手で頭を撫でてくれます。 ほかの人達も、みんな私を抱きしめたり、頭を撫でてくれたり、私の好きなものを出してくれたりします。 みんなにそうしてもらったら、さみしい気持ちはどこかに行ってしまいます。 それは私がみんなを大好きで、みんなも私のことを好きでいてくれるからだと思います。 だからパパとママがいてくれたらなと思うことはあっても、さみしいと思ったことはありません。 私はみんなが大好きです。 みんなも私が大好きだといってくれます。 それが私にとっての家族です。 ** なんとなく気になる彼女に、私が勝手につけたあだ名は「つむじの人」だった。 瀬川家の当主をお父さんと呼んでいる私には、彼女の事を教えてくれるような同級生の友人などいなかったし、でもだからと言ってわざわざ先生に尋ねるのも気が引けたので、彼女の事がなんとなく気になりだしてから随分と長い間、私は本人が聞いたら怒り出しそうなそんなあだ名を勝手につけて、心の中でそう呼んでいたのだ。 由来は簡単。 それは彼女がいつも俯いて歩いているから、遠目に私が彼女を見かけた時いつも頭の天辺が見えるのだ。 背の低い私にとって、同年代以上の人の頭が見えるなんてことがほとんどなかったから、珍しかったというのもあるかもしれない。 とは言っても、同年代の女の子としてはかなり背の高い部類に入る彼女と、極端に背の低い私との身長差はそれなりのもので、近づけば彼女の俯いている顔を見る事が出来る。 まるで自分で切っているかのような不揃いなショートの髪。女の子というよりは男の子に近い、どちらかといえば線の太い顔立ち。俯き精彩を欠いた表情の中で、(矛盾しているようだが)ただそこだけが生きているというようにギラギラと輝いている瞳。 着ている服も大体いつも決まっていた。 私と同じ中学校の制服か、私服なら夏は目が痛くなるような、飾り気の無い真っ白なシャツに、着古して元の色が分からなくなったようなジーンズ。冬なら灰色、煤けたような色のジャンパーを羽織っていて、とにかく女の子っぽい恰好をしているところは、見たことが無かった。 彼女が纏っている、さながら一匹狼のような雰囲気は、排他的だからこそ身内に対しては寛大で、住人同士の結束も固いこの村の人々にはないもので、だからこそ私は彼女に興味を抱いたのだと思う。 そんな「つむじの人」の名前を私が知ったのは、私の十三の誕生日の翌日。五月も終わりに差し掛かった日曜日のお昼の事だった。 そう言ったのは先ほどようやく起きて、今は居間のテーブルに頭を抱えるように突っ伏している美央美伯母様だった。 時計の針はもうすぐ正午を指そうとしている。 昨夜開かれた私の誕生パーティーの後、私や悠華ちゃん達子供が眠ってから大人達だけで、今ではこういった集まりの後恒例となった無礼講の酒宴が行なわれたらしい。 その席で伯母様はお父さんや正文伯父様。そしてこの村一番の酒豪と評される彼女の父・晴紀おじ様にまで飲み比べを挑んで、二日酔いでダウンしているとの事だった。 そしてその伯母様の両隣に座っている彼女の子供達。悠華ちゃんと悠紀君は、それぞれとても対照的な行動を取っていた。 悠華ちゃんは二日酔いで唸っている母親に悪戯を仕掛けるタイミングを、瞳を輝かせながら計っており、悠紀君は頭を抱えてテーブルに突っ伏している母親と、その母親に今にも悪戯を仕掛けようとしている姉、そ知らぬ顔でお父さんと縁側で将棋を打っている父親。その三人にオロオロと視線を彷徨わせている。 一昨日から出ている熱がまだ下がりきっていない私は、お母さんにまだ寝ているように言われたけれど、ずっと布団の中で寝ている事に飽きて退屈していたから、いい機会だと思って気になっている彼女の事を、お父さんなら知っているのではないかと、彼女の特徴などを事細かに話していたのだ。 そしてそれに答えてくれたのが、テーブルの上でダウンしていた美央美伯母様だった。 「美央美。その子、知っているの?」 伯母様の目の前に小さなビンに入った二日酔いのお薬を差し出して、私の隣の椅子に腰掛けながらのお母さんの言葉に、伯母様は「ん」とだけ答え、突然ムクリと起き上がって、今にも耳元で大声を上げようと息を大きく吸い込んでいた悠華ちゃんの口を掌で覆った。 絶妙なタイミングで口を押さえられたことに、驚き逃げ出そうとした悠華ちゃんの腕を掴んで、お母さんから受け取った薬を彼女はそのまま片手で口の中に流し込む。 「うっ、にがっ。・・・正文、悠華を捕まえててよ。この子私を殺す気だわ」 「お前にはいい薬だろ。大して飲めもしないくせに、俺や裕紀やましてお義父さんに飲み比べなんて挑むのが悪いんだ」 伯父様はお父さんから取った将棋の駒をもてあそびながら、将棋盤から視線を外すことなくその悲鳴にも似た訴えを却下する。 伯父様の言葉にガックリとうな垂れた伯母様は、腕を掴まれジタバタと暴れている悠華ちゃんを解放し、テーブルの上に上半身を投げうち「あいたたた」と顔をしかめながら呻いて、彼女の正面に座っていたお母さんの手をとった。 「沙夜子〜。正文と悠華が苛める〜」 「あー、はいはい」とテーブルの上で伸びきっている伯母様の頭を、苦笑いしながら撫でるお母さん。 「ところでその江里子ちゃんって子について、美央美は詳しいの?」 お母さんは伯母様の頭から手を離し、自身の柔らかく波うった背の中程まで覆う髪をゴムで括りながら、伯母様の顔を覗き込んだ。 「うん、詳しいって程じゃないけど。辰口の子だからね・・・」と、この村でそう呼ばれている伯母様の住んでいる集落の名を挙げながら、普段なら思ったことを迷わず口や行動に出す彼女にしては、珍しく何か躊躇っているように言葉を濁す。 「・・・辰口の木戸って言えば、昔此処のあまりの田舎っぷりに嫌気がさして家出か駆け落ちしたって娘が、二年ぐらい前に帰って来たって話だな。子供つれて」 それまで私の話しに全く興味を持っていないかのようにずっと無言だったお父さんが、記憶の奥底から無理やり引っ張り出すかのように空を仰ぎながら、伯母様の言葉に続けた。 「そういえば前、そんな話を朋子ちゃんから聞いたわね」 お父さんの言葉に頷くお母さん。 田舎の噂話というのは馬鹿には出来ない。狭い社会だから信憑性もそれなりに高いし、広まるのがとても早い。 そして情報源が、そういった噂話を集めるのが大好きという私やお父さんの又従妹に当たる朋子姉様であれば、真偽のほどは疑うまでもない。 お祖父さんが瀬川家の先代当主だったという事。彼女のお兄さんである将也おじ様と違いお父さんとそれなりに仲がいい事(本当に仲がいいのはお母さんや美央美伯母様、高志兄様なのだけれど)。そういった理由から、お父さんが将也おじ様とその家族を本家から追い出した現在でもちゃっかりと本家の離れに居座っている彼女のしてくれる話は、娯楽の少ないこの村にあって瀬川家の娘である事や病気がちな事もあり、特にそれが顕著な私の数少ない楽しみの一つだったりもする。 「そう、その子が江里子ちゃん。ただちょっとこの子が訳ありでね・・・」 「離婚した旦那と、その前妻との間の子で、今の母親と彼女の間に血の繋がりはないらしい。後はアレだ、この村特有の『身内に優しく、余所者に厳しく』。母親も十何年も家出していた手前、強く出れないんだろうな。母親以外の家族や親族の江里子ちゃんに対する風当たりは台風並らしい」 「正文!」 その話をする事にあまり気乗りしていなかったらしい伯母様は、相変わらず将棋盤に視線を落としこちらを見る事もなく伯母様の言葉を引き継いだ伯父様を、殺気すら含んでいるのではないかと思うほど鋭い目つきで睨みつける。 「おっと。ヤブヘビ、ヤブヘビ」 伯母様の激昂に肩をすくめ、おどけて見せる伯父様。その二人の様子にクスクスと笑いながら仲を取り持つお母さん。そんな三人など素知らぬ顔で、伯父様との勝負がよほど劣勢なのだろうか、腕組みをしていつも以上に難しい顔で将棋盤を睨んでいるお父さん。 こういう光景はこの四人のいつもの日常で、けして短いとは思わない年月を彼等に囲まれ過ごしてきた私にとって、それはごくありふれた「家族」という名の日常だった。 熱で学校をよく休んでいる事。瀬川家の娘である事。そんな事から友達と呼べるような存在がこの村どころか、村の外にある中学校においてもいない私が寂しいと思った事がないのも、お父さんを始めとする「家族」が私を愛してくれているからだと思う。 私にとって家族とは、子どもを無条件に愛してくれる存在。 それが当たり前の事じゃないなんて、私はそんな事を考えた事もなかった。 だから伯父様から聞かされた彼女の世界。 家族から愛されず嫌われるなんていう、そんな世界は私には想像も出来なかったのだ。 二人を散歩に連れ出したのはいいけれど、得体の知れないモヤモヤとした感情に取り付かれていた私の表情が優れない事に心配してくれたのだろう。私と手を繋いで歩いていた悠紀君が私の顔を覗き込んでいた。 「みずかちゃんだいじょうぶ? おねつでたの?」 「大丈夫だよ。ちょっと考え事していただけだから」 私の言葉に「うん」と頷きながらも、それでもなお心配そうに私の顔を覗き込んでいる悠紀君に笑いかける。 「本当に大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、悠紀君」 何かを見つける度に舗装されていない地面のむき出しになった道を、右に左にチョコチョコと動き回る落ち着きの無い悠華ちゃんに注意を向けながら、悠紀君の手を握っている右手に彼が痛がらない程度に力を込める。 外で遊ぶとこが大好きで、どんな時でもジッとしていられない活発的な悠華ちゃん。家の中で絵本が読むことが大好きな、大人しい悠紀君。 伯父様や伯母様はそんな二人の事を「たして二で割ればちょうどいいのにね」とよく笑う。 そんなふうに言いながらその目はとても優しくて、彼らが子供達を本当に愛しているのだという事がよくわかる。そして悠華ちゃんや悠紀君が「パパがね」「ママがね」と伯父様や伯母様の事を語ってくれる時の目はとても輝いていて、そんな四人が私にとって理想の家族だった。 勿論私とお父さんとお母さん、私達三人の関係だって私は大好きだ。 結婚しているわけでも、恋人というわけでもない(らしい)けれど、二人はよく視線で会話する。 それはお互いを分かり合い信頼し合い、それが出来るだけの過去を積み重ねてきたから。 そしてそんな彼らに愛され、育ててもらっている事を私はとても誇りに思う。 私の心の拠り所がそういった「家族」にあるからだろうか。私には江里子という名の「つむじの人」の世界が理解できなかったし、伯父様の話が本当なのだとしたらとても悲しい事だと思う。 そしてそれは、悠紀君の手を握りながらそんな風に再び思考の海に浸っている時の事だった。 |