(お知らせ)
前回、小澤征爾が逝去し、彼の事に少し触れた・・。
もう一つだけ触れないといけない事があるので続きです・・。
興味のない方はパスして下さい・・。
小澤が創立した
「サイトウ・キネン・オーケストラ」の事である。
小澤は14歳の頃、生涯の恩師とも言える斉藤秀雄に師事した。
斉藤秀雄は当時日本を代表する指揮者、音楽教育家だった。
斉藤は、クラシック音楽の理論、指揮法、感情の表現法など、音楽家として必要なものを
小澤征爾の血と肉に刻み込んだ。
その指導はものすごく厳しく、時には体罰などもあったそうである。
小澤は更なる勉学のために、23歳でフランスに渡り、カラヤンやバーンスタインに見そめられ
成功した事は前回紹介した。
小澤が渡欧してわずか2〜3年でカラヤンやバーンスタインに認められたのは
斉藤秀雄が小澤に指導した指揮者の精神、基礎があったからである。
小澤は生涯、事あるごとに斉藤秀雄への感謝の念を述べていた。
そして、1984年(昭和59)9月、小澤49歳の時、恩師・斉藤秀雄の没後10年を偲び、
小澤の呼びかけで、斉藤門下生が集まりコンサート行い、
「サイトウ・キネン・オーケストラ」(SKO)が誕生した。
SKOのメンバーは、ヨーロッパ、アメリカ、日本などの代表的なオーケストラの主要メンバーで
ソリスト、室内楽奏者、教育者など、世界中で活躍しているプロ中のプロ達である・・。
それぞれの音楽家が個性豊かな音楽性を持ちながらも、SKOへの参加を通じ、
「オザワ・スピリット」とも言える音楽に対する姿勢、精神が培われ、まるで一つの生き物の様になる。
その稀なる特色は次世代の若手音楽家たちにも受け継がれ、
このオーケストラは世界で際立った存在感を示している。
1992年(平成4)に長野県松本市をSKOの本拠地として
「セイジ・オザワ松本音楽フェスティバル」が開幕し、以降、毎年オペラ公演や
コンサート公演を開催している。
そして、斉藤秀雄が若き音楽家を育てた様に、小澤征爾も若手の指導に熱心で、
フェスティバル中は各部門で講習会を開いて、小澤だけでなく、SKOのメンバー達と共に指導に当たっている。
小澤の、生涯の恩師・斉藤秀雄に対する深い感謝の気持ちが伝わってくる・・。
小澤征爾の話はこれでお終いです・・
天才・小澤のついでに、天才の天才少女・・HIMARI(通称・ひまりちゃん)を紹介します。
とにかく凄いのでビックリしないで下さい(苦笑)
こちらをどうぞ・・。