言語ゲーム
2015.11.17
夕焼けの空が
赤いのが
けして不思議でないことは
いまでは
科学で証明できる
だが 「赤」という
言葉の受容は同じでも
誰もが「同じ赤」を見ているのかということに
なると
ことは容易でない
このいたって簡単な疑問にさえ
科学の限界が露呈している
ただ 誰もが疑わない
──わたしの見る夕焼けの色と
──あなたの見る夕焼けの色と
同じであることを
そして 同じ色でも
一日の終わりをあざやかに彩る夕焼けの
「赤」と
血の色の「赤」とが異なることも
俳諧
テロの日の落ち葉に快音のある日向
パリの同時多発テロの日に
口語俳句より 2015.11.14
一枚の影となって寄る爆心地の噴水
「原爆詩集」を読み終えて
口語俳句より 2015.12.5
凧
2015.12.24
冬晴れの空を
凧がのぼっていく
彼方に見えるは
豊後の富士
凧はしだいに浮力をつけながら
のぼっていく
凧はいよいよ高くのぼっていく
冬晴れの豊後の富士の
空高くに
勢いよくのぼっていく
凧には龍の字が見える
龍の字は
生きているようだ
岡井隆の短歌にヒントを得て
わたしの詩
2015.12.9
わたしの詩は
よい詩なのか?
はたしてそもそも詩であるのか?
とまれ
わたしは
束の間の楽しみのために
詩を作っている
珈琲を飲む束の間の楽しみ──
わたしの詩の多くは
そのような束の間の楽しみのときに作られる
──珈琲スプーンではかりつくされた人生*
と、T.S.エリオットはうたった
その 珈琲スプーンではかられるような人生を
楽しむために
わたしは詩を作る
珈琲の味に
人生を味わいながら
*I have measured out my life with coffee
spoons.
初時雨
2015.12.26
二三粒を手のひらに受けとめ
おどろいて
空を見上げる
──初時雨!
ふと 一つの俳句が
わたしの口をついて出る
──旅人とわが名呼ばれん初時雨*
それは俳聖芭蕉の
旅立ちの句
わたしは立ち止まり
杖を立てて
生涯を旅にささげた芭蕉の姿を
しずかに想い描く
旅に明け暮れた人の
その孤高の姿を
それから また
わたし自身の姿をーーー
そう わたしもまた
人生という名の旅をしている
旅人!
*笈の小文
時雨
2016.1.1
師走の街角の喫茶店で
わたしは静かにコーヒーを飲んでいる
銀のスプーンで思い出をかき混ぜながらーーー
思うに
わたしの人生の旅も終わりに近づいている
旅は楽しかったのか
苦しかったのか
それとも
苦あり樂ありだったのか
だが まだ少しあるゴールまで
その結論は残して
窓の外
時雨の降る風景を眺めながら
わたしはゆっくりコーヒーを飲んでいる
一杯のコーヒーに
人生を味わうように