詩116
雪
2016.1.26
わたしはぼんやり
雲を眺めている
春の雲ではなく
秋の雲でもなく
どんよりと空を覆いつくし
低く垂れ下がった
冬の雲を
コーヒーを飲みながら
ぼんやりと眺めている
この雲がこぼす雪を想いながら
ああ!雪
──しろくながい唄のむれ*
……とは、
ある西洋の詩人の発したことば
わたしはこの詩人にある子どもの心を思う
そして また
齢とともにますます子どもに戻る
わたし自身の心をーーー
反歌
雪降れば郷くにのことなど思い出で子どもに戻る
わが心かな
*トマス・フィッシモンズ
横山大観の絵を観て
2016.2.5
一幅の日本画がある
一人のあどけない童子が描かれている*
観るひとは
画家の卓越した筆のあとと
たった一人だけ描かれた
無邪気な童子の比類なき存在感に
圧倒されれるかも知れない
だが わたしには
その絵は少し違ってみえる
わたしには
幾千、幾万もの児童の姿が
そこに重なり合ってみえる
否、
時間と空間を超えた
数え切れない児童たちの姿がみえ
それは一つの姿に収れんしてくる
その時
描かれている童子の姿はかき消え
幼い日のわたし自身の姿が
そこに現れる
*「無我」
手袋
2016.1.28
土手の道を歩いていると
誰が落としたのか
手袋の片方が落ちている
──持ち主は誰?
わたしはふと古い記憶を呼び覚ます
手袋の片方を失くし
母にひどく叱られた
幼い日の記憶をーー
それは戦後も間もない時期
物資もひどく不足しているころの
ことであった
当時 手袋はたいてい家庭で
編んだものであった
わたしの手袋も母が編んでくれたもので
わたしはひそかに自慢にしてもいた
手袋はすぐには出て来なかったので
母はまた手袋を編んでくれた
その間 寒気に曝され続けた手には
新しい手袋の温かさは何にもまして
うれしかった
その後
急速に日本も発展し
手袋もたいてい買えるようになり
失くしてもすぐに購入するようになった
以後 手袋についての記憶もなくなったが
あの時の記憶だけは不思議に
鮮明に残っている
その母もすでに亡くなり
わたしは毎日欠かさずに仏前に
線香を手向けているが
わたしがこんな些細なことを覚えていることなどは
まるで知らぬげに
遺影の母は
とりすまして微かに笑んでいる
スケッチ
2016.3.8
菜の花の道を
少女が自転車を走らせてくる
少女はスカートに
風を孕ませて
健やかな脚で懸命にペダルを漕いで
自転車を走らせてくる
黒髪を風に靡かせ
菜の花の道を
まるで自身の少女期を抜け出すかのように
自転車を走らせてくる
菜の花畠の上に
ぽっかり浮かんだ白い雲が
やさしく
それをながめている
旧作改定