詩46
ひねり
07.12.23
フェルメールの絵に
「牛乳を注ぐ女」という絵がある
日常のごく平凡な
些細な出来事を描いているにすぎない
絵である
何の特徴もないような絵であるが
この絵の真の素晴らしさは
「その注がれるミルクにある」と
ある評論家が言うのを聞いたことがある
確かに
壺から注がれるミルクは
言われるように壺の出口のところで
ほんの少し括れている
この絶妙の括れ
単純なことだが
この僅かな「ひねり」の加工が
永遠のミルクの流れを演出している と
即ちこの絵の名画たるゆえんはこれにつきる と
評論家氏は言う
「ひねり」!
私はこのときふとあることを思った
俳句の世界では
句を作ることを
「ひねる」ということを
「ひねる」ことにより
日常性をはぎ取り
「存在」の本質をあらわにする
俳句を「ひねる」とは
つまり そのようなことであろうと
言い得て妙ではないか
そしてーーー
私は また思った
今では
俳句を
「つくる」俳人は非常に多くなっているが
「ひねる」俳人の少ないことを
室内を暖炉煙突大まがり 左右
鳩・窓・風景(その3)
07.12.25
窓の外の小枝に
一羽の鳩がとまっている
私は先からそれ眺めている
鳩は
じっと動かずに
ひとつ方向を見ている
鳩は何を見ているのであろうか?
思わず私は
その方向に目を移した が
そこに
見えたのは
ただ
廓寥とした冬空ばかり
鳥影さえもない
鳩は
いつまでも動かずにいる
不思議な静謐が支配している
そこだけ時間が止まっている
鳩は
本当は 何も見てはいないのだーーー
(鳩の姿には賢者の風貌がある)
鳩に見えているのは内なる世界
無限の広がりと
自由と
平和ーーー
やがて
鳩は白い翼を羽ばたかせて
大空に飛び立っていったが
鳩の翼が
天使の翼に見えるのは
二つの世界を飛翔する ため