靴の履歴書
                                狭間 渉



 私は道具に凝る性分のわりに買う時には衝動買いであったり、人の勧めを鵜呑みにしたりで、当たり外れが多くうまく使いこなせず買った後で後悔することもしばしばである。登山靴の場合もそれは例外ではなく、キャラバンシューズに始まり、兄貴のお下がりの初めての皮靴(メーカー不詳)、同級のワンゲル部員に勧められた、当時大学生に人気の高かった吉田屋登山靴を使っていた頃までは、相当ひどい靴ずれを我慢しながら歩いたような記憶がある。

何しろ当時は「靴を足に合わせるのではなく足を靴に合わせる」などと山岳部員やワンゲル部員に教わったし、その後門を敲いた大分登高会でも、サニーのおっさんなど半ば冗談とも本気ともつかない顔をしてまことしやかにそれに近いことは言っていたように記憶している。その後本格的に冬山や岩登りにのめり込んでいくなかで、登山靴を機能性、足との相性など初めて熟考の揚句思い切って買ったのが写真の靴である。

 氷の達人とも氷の魔術師とも呼ばれたシャモニーの名山岳ガイドアンドレ・コンタミヌ(Andre Contamine、1919-1985)の名を冠したノルディカのモデルコンタミヌ(1973年モデル)がそれで、当時一世を風靡した裏出し皮の代表格・・・何度も何度も毎日のようにサニースポーツを訪れ撫でまわすようにして、ついに思い切って買ったものだ。28000円くらいではなかったろうか。就職して2年目頃のことで月給が手取り4万あるかないか、相当な出費だった。ピッケル、アイゼン、羽毛服、羽毛シュラフ、登攀用具などいずれも数万単位の買い物が立て続けだっただけに、飲むことと登山道具と山行きに月給の大半をつぎ込むことになり、車を持つなど思いもよらなかった。

 で、当時就職しながらも年間60日くらいの入山日数で購入後ほとんど四季を通じた槍・穂高合宿など岩も冬山もこの靴オンリーであったから、靴自体の消耗も激しかった。コンタミヌ購入から1年くらいで、登山目的による使い分けなどとの名目で(本当は目移りしただけなのだが)、レタポアのガストンレビュファモデルを購入ししばらく併用したが結局このガストンレビュファモデル(3万円くらいはした)はついに最後まで足に馴染まず埃をかぶることになった。ブランドや見た目、聞こえの良さに目がくらんだ結果がこれだった。

 モデルコンタミヌはその後、剣岳での事故などにより靴自体にも深手を負ったりしたが40代の後半になって厳冬期石鎚山面河尾根からの入山・登頂や剣岳長次郎雪渓再訪などを意識して修繕し靴底も張り替えた。が、厳冬期面河からの石鎚は何度かのチャレンジののち挫折・中断、長次郎雪渓からの剣岳再訪も未だ実現できずじまいに終わっている。それでも、道具にこだわる主(あるじ)が手入れだけは怠らない。

 そんなわけで冒頭写真のノルディカのモデルコンタミヌは、その主がいつの日か再び厳冬期面河尾根からの石鎚山や長次郎雪渓からの剣岳に自分を重用してくれるものと、書斎の片隅で準備万端、その裏出し皮から鈍い光を放ちながら、静かに出番を待っている。

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