| 山野井泰史「日本最強のクライマー」
 3日くらい食べなくともなんてことはない。普通に行動できる。8000mを越えると頭がおかしくなる。名前は言えるが住所は云えないとか
 高度順化はその高度で走れるとか、尿の色など自分の感覚で適応しているか判断する。
 夜中に出発する。夜間の方が雪崩や落石が少ない。
 昼間寝た方が寝袋等装備が小さく(少なく)てすむ。軽量化できる。
 高所では寝ることは考えない。テントでもマッサージで乳酸を取り除いたり、水をたくさん飲むようにして休む。
 
 1994年チョー・オユー南西壁…・BCを出発して52時間後に頂上に立った。
 このとき3日間の登攀で10kg痩せた。大変な肉体的消耗で多分脳細胞も相当破壊されたかもしれない。
 
 2000年K2南南東稜…・BCを出発して48時間後に頂きに立つ。
 軽量化のため食糧はブドウ糖とビタミン剤くらいだった。
 最後は自分の身体を燃やして行くしかない。
 8000m以上に滞在できるのは50〜60時間が肉体的な限界だ。
 時間の感覚が失われ1時間が2〜3分に感じられる。
 このときは下山後興奮状態で降りてから4日間眠れず、3日間食事もできなかった。
 
 2002年ギャチュンカン北壁…・手の指:5本、右足の指:5本切断
 下降中何度も雪崩に襲われ視神経がやられて自分の手のひらすら見えない状態となった。
 岩のクラックも見えなく素手になって手探りでリスを探した。ハーケンを1本打つのに30分以上要した。このときに指を落とすことを覚悟した。
 行動中何度も幻覚を見る(いるはずのないパキスタン人と何度も会話をした)
 氷河に降りてBCまでは膝くらいのラッセル。1日でたどり着けず荷物をすべて捨てた。
 寝袋も食糧も何も無いビバークは内臓まで冷え切っている感じがした。
 これだけ限界まで力を出し切ったからこのまま死んでも悔いはないと思った。
 指が短くなったがそれほど悲しいと思わない。けっこういい思い出。いい登山だった。
 運がよくて生き残ったのではない。自分のテクニックで生き残った。
 
 10/6  BC(5300m)出発 テント使用10/7  7600m地点     テント使用
 10/8  登 頂7952m(13:30)下降開始ビバーク
 10/9  吹雪の中下降開始  ビバーク
 10/10  下降        ビバーク
 10/11  氷河着       ビバーク
 10/12  氷河        ビバーク
 10/13  BC帰着
 
 凄いクライマーがいるものだ。まるで昔の武芸者そのものである。武術に命を掛けて極限を追求する侍の姿が思い浮かぶ。
 オリンピックのアスリートならばそれなりの名声と報酬があるのに、クライマーには何もないに等しい。命をすり減らしてまでして困難なルートに挑み続ける。これを何と表現する。世俗を超越した崇高さ……。彼は「登る行為がすべて楽しい」と云う。″登る行為がすべて楽しい″純粋にこの想いがなければこのようなことはできないであろう。
 
 彼の力量からすればジャヌー南西面のルートなど物足りなくてまったく興味がないのが良く分かる(聞いた訳ではないが)。ノーマルルートであればおそらくBCを出発して30〜40時間で帰ってくるであろう。(吉賀信市)
 
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