島々宿〜徳本峠〜霞沢岳〜蝶ケ岳、新雪の山旅(’95秋) 
       構想7年、『あぁ、徳本峠』完結す!(中編)  
                 栗秋和彦


〇風雪の霞沢岳前衛峰(K1ピーク)
    

           

 一夜明けて小屋の前の広場で出発準備に勤しむ“おゆぴにすと”チームの面々の心中は複雑であった。早く気持ちを切り替えて霞沢岳を目指そうよ、とは現実派のボク。しかししかしと高瀬がしみじみと述懐する。「手前みそではあるが、古典的名(迷)著である“おゆぴにすと”第5号の『あぁ、徳本峠』で、この山行は『失われし山岳ロマンチシズムを求めて』と位置付けをした筈だ」

 「従って、オレたちはその格好の場として日本のアルピニズムの歴史を刻み眺めつづけた徳本峠への道を選び、山を歩くという基本的行為の中に自分自身を置き、余情溢るるランプの小屋にて一夜を明かし、失われつつある山岳ロマンチシズム希求の旅に出たんだったよね!」と追随派の挾間が息巻く。

 「これは山、あるいは岳なのであって、物見遊山な登山ではないぞ。もちろんスポーツでもない。何故ならそこに先人が営々として築いてきたロマンチシズムが存在するんだかんね。我々は、このロマンチシズムを求めて、徳本峠に来たのではないのか」と再びロマネスク高瀬。 「ところがどうだい、この小屋は。ロマンチシズムのひとかけらもない。ファシズムには満ち満ちているけどね」とすかさず挾間の合いの手が入る。アァ、このままではまだまだ恨み節は続きそうだったので、中間派の鈴木を取り込み、ともかく上高地を見下ろす孤高の峰・霞沢岳(2646m)への旅立ちを迫った。

 シナリオどおりにはいかずとも、もとより徳本峠や小屋の存在そのものには何の不服、邪義、謗法があろうか。それよりボクの関心事は穂高方面の天気だ。シナリオどおり『朝日に映ゆる明神、穂高に感嘆の声を上げ、深く頭(こうべ)を垂れ“合掌”』の手筈であったが、現実にはその方面は濃いガスの中、どのあたりに位置するのかイメージも湧かぬまま、峠を出発した。相変わらず風は強いが南東側の松本方面は晴れていて、いくらかは気が楽である。霞沢岳への登路は峠からいったん明神側へ少し下った分岐点にあり、しばらくはゆるやかな樹林帯がつづく。そして眺望もないジグザグ道を刻み終えると、ほどなくジャンクションピーク(2428m)だ。まさに樹林帯の中の鈍頂で、南面に開けた眺めは薄光に照らされ、名も知らぬ山嶺の連なりが映るだけで、北面(穂高方面)の眺望が目的のこの山旅にあっては、あくまでも通過点である。しかし峠での強風もここではふっくらと積もった雪と深い森のせいか、いたって穏やかであった。そしてお互いに減らず口をたたきつつ、写真を撮りビデオを回し、かつ南面を占める山々について自己流の講釈をたれる。まだまだ各々それなりに元気である。

         

         

         

 更にトウヒやダケカンバ、コメツガなどの樹林の小ピークの登降を繰り返し、主稜線上を高度を稼ぎ突き進む。ところが上高地側を見下ろす屏風の連なり、六百山(2450m)から霞沢岳に至る稜線上の顕著な岩峰・K1ピークに近づくと雪に埋もれたハイマツ帯の急峻な雪壁と変わり、新雪と相まって泳ぐようにズルズルと、つかみどころのない登りで遅々として進まないのだ。さしもの挾間もビデオカメラを回す余裕はなくなり、己の身を攀じり上げるのに精一杯の様子。奮闘の末、ようやくK1ピークに躍り出たが、そこは烈風吹きすさぶクラストした雪と岩稜の世界であった。

 上高地を挟んで真っ正面に望める筈の穂高連峰はもちろん、眼前に迫る筈の霞沢岳も風雪の中で、全員の疲労度や時間的余裕を考えると若干の悔いは残ったが、もはやこれまでと裁定し、ここで折り返すこととした。じっとしていると風で体がエビのように曲がり、どうも危なっかしいのだ。かろうじて写真を一枚撮るのが精一杯であったが、『わざわざ九州くんだりから穂高連峰の眺望はここが一番と、最大限の賛辞を送りつつやって来たのに、(山の神は)気が利かないんだからね、もぅ』と、お門違いの訴えを起こしそうなのは挾間の表情か(でも気持ちは分かるよ)。

         

         

 一方、穏健派の高瀬は『マァ、この雪でここまで足跡を残せたんだから、ヨシとしようではないか』と彼の会社経営哲学にも似た口調で諭す。そしてボクは現実的に、ガスの切れ間からほんの一瞬であったが1100mの落差で真下に上高地は大正池付近が見えたことに、せめてもの慰めを求めていたのかも知れない。まだ、明日の蝶ケ岳(からの槍・穂高の眺望)が残っているではないか。そうそう“山の神”も我々を見捨ててはおれまいて。

〇徳沢の愉しかり夜
 旅は宿である!と前項では、はばかりなく述べたものの、やはり山はテントでのキャンプが一番である。まして前夜は“収容所”生活を余儀なくされたのだから、どこでもただキャンプができれば本望であって、いっさいロケーションは問わない、というところが偽らざる心境である。そこへ我が日本、風光明媚な山岳・辺境・桃源郷は数あれど、『泊まってみたい幕営地ベスト10』なんてのがあれば、確実に上位にランクされてしかるべきところが今宵の泊地、ここ徳沢キャンプ場であり、まったくもって異存、異議、異論などあろう筈がない。そしてこの徳沢は上高地から梓川を溯ること約9k、回りを2500m〜3000m級の山々に挟まれた狭隘の地にあって、白樺の疎林に囲まれ、そこだけスポット状にのびやかな芝地が広がっている、このまこと不思議な仙境の地でボクは今おもむろに夕餉の支度をしている。いましがたまで、淡い残光の中で前穂高岳・下又白谷の新雪で覆われた急峻な岩稜がテントから仰ぎ見ることができたのだが、もう既にどっぷりと闇の中である。

 もちろん目下のところ、他に望むものは何もないシチュエーションであるからして、こんなときは安堵感と共に、今日一日を振り返ってみたくなるものなのだ。・・・・・・・風雪のK1ピークから曇天の徳本峠へ降り立つと、しだいに空模様も快方へ向かい、勢いづいて明神へ駆け下る。更に明神から徳沢までは梓川河畔の遊歩道をのんびりと穂高の初冬をかみしめるように。中でも徳本峠から明神へ下る森の小径は、明神岳の岩稜が木々の間から見え隠れして段々と大きくダイナミックにおおいかぶさってきて、その迫力のチラリズムが愉しき誘惑に満ちたひとときであった。なんてね・・・・・・・

         

 おっと、徳沢の愉しかり夜の話であった。「今日もバテた、キツかったなぁ。けど何かこう久し振りの充実感だわね」と控え目の鈴木の弁もうなづけるぞ。一方、「何ちゅうてん、“収容所”の呪縛から逃れたことと、天気の回復が大きいぜよ」と心理的な解放感が大きいと唱える高瀬の呟きは、これからの夕餉に名を借りた宴会のコーフン度をスケールアップさせるに充分な発言であったが、時として性急なふりを楽しむ挾間は「前置きや述べ口上はどうでもいいことであって、ホラ、はよう夕飯作りなはれ、クリさん。ワシャ、腹減って死にそうじゃ」と昨夜の“収容所々長”の迫力には遠く及ばないものの、リーダーの威厳でそれなりに下命する。ふだんは、前置きや述べ口上抜きには始まらないワタル兄の言葉とは思えぬところも、宴会への期待度の表れではなかろうか。

 で、宴席のとっておきの(でもないか)メニューは食材の質は吟味しつつも、材料(の種類)にはこだわらない栗秋特製、ミステリアスな地鷄鍋である。要はキャンドルライトの薄明かりの中で、何が入っているか分からないというミステリアスな期待を抱かせつつ、鍋をつつくシーンを思い浮かべていただきたい。そしてこれを核として『各自、軽量かつ豪華な珍品を最低一品はザックに忍ばせること!』とのリーダーの“おふれ”に従い、取り出したるは“豊後ガンジーファームの霜降りジャーキー”、“関門フグの一夜漬”や言わずと知れた“博多福さ屋の辛子めんたい”、はたまた“軽量”には背くものの、今となっては「よくやった鈴木」と頬ずり(缶に頬ずりする挾間をイメージしてみよう)の“特選越前蟹缶” 等々が回りを固め、徳沢園ロッジから調達したビールと九州から携帯した清酒“筑後鷹”一升が円陣を張ったのである。もうこんな状況下では成り行きに身をまかせるより他に手立てはなかろう。

 満天の星空の下、誰に気がねもなく青春讃歌を欲しいままにした青年諸氏のはしゃぎぶりは、たとえデジタルビデオカメラが回っていなくても、想像に難くない。少しセピア色がかっていようとも青春グラフティそのものであった、と思うのだ。しかし4人で3リットルにも充たぬビールは、何とか飲み干したものの、銘酒“筑後鷹”はさほど減らず、酒量(飲酒量)の多寡が、宴席の賑わい度に比例するという図式にはならなかった背景は、各々の頭の片隅にしっかりとインプットされている、蝶ケ岳への“早朝旅立ち”プログラムが気になったことにもよろうが、地鷄鍋のあまりの美味?に惑わされ、酒どころではなかったためか、あるいは徳沢の秀麗な環境に先に酔ってしまったのか、などなどと思い浮かべたりもする。

 しかしつらつら考えるに事の本質は、この充実した二日間のコースを消化した結果として、『ここ穂高をはじめとする北アルプスの岩と雪の世界に、血湧き肉踊った多感な青春期の残像』を未だ引きずり、精神的要素に絡めようとする思惑だけでは押し通すことのできない、肉体的疲労がおじさんたちには、キッチリと蓄積されていたことも事実であろう。そしてこのことは端的に『我々は、形而上の青春期にしか戻れないのか(そぅ若くはないのだ)!?』という現状を認識せざるを得ない、ということに突き当たるのだ。マァ、しかし愉しきほどに時の流れは速く、ここ徳沢の夜も例外ではない。「時間よ止まれ!」と念じながら、いつしか暖かな寝袋に包まれた柔和な寝顔に変わっていたに違いない。(つづく)

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