遥かなるアンデス Jirishanca 1973
・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
(第6回)
吉賀信市
8.試登及び荷上げ(C1へ)
 6月1日。晴れのち曇り  起床:5時。BCを6時出発。一昨日のトレールを重荷にあえぎながら追う。氷河には変化なし。ギラギラと皮膚を焼くように照りつける太陽。氷河に反射する光にゴーグルなしではとても眼は開けておれない。風はなく暑くて汗がとめどなく流れ眼にしみる。3時間でC1に着く。篠原、吉賀以外は荷物を降ろすとBCへと下る。空はにわかに曇り小雪が舞い始め天候の変化が激しい。一服しようとC1の天幕にもぐり込む。

         
                     氷河の登り始め

 午後より天候回復。さっそく行動を開始する。大垂壁を左に捲きながら雪壁を登り、大垂壁の左端から右上して登り、バンド状の取り付き地点に達する。篠原がトップに立ち、バンドを右上ぎみにトラバースを開始する。昨年の門司山岳会ルートの偵察である。

 雪の付き方は見た目よりも悪く、腐った雪をかき落としながらの登攀となりスピードは遅い。しかも、まだ高度順化が不充分で身体が重く何となくだるい。時間的にはまだ早いが3ピッチ延ばしたところでC1へ下降する。夕方より再び降雪。

         
                 セラック帯を登高する

 翌2日 曇り一時雪。手違いでラジウスが荷上げされておらず火が使えないため、水も無くなり満足な食事が出来ない。荷上げ隊の来るのを待って出発することにし、それまで待機となる。壁に陽が射し始めると同時に、落石がウナリをあげる。「キューンー、ブゥーン、キューンー」と天幕から2mほど離れた雪面に突き刺さり、落石による小さな穴が雪面に無数にできる。それは機関銃の一斉射撃を想わせるほどに凄ましい。

 遅い朝食を終え、10時30分。昨日と同じルートを延ばそうとしたが、「しかし、待てよ」と、今日はもっと左側で頭上の氷のチムニーに続くルートを試登することにする。今日も篠原トップに立ち、吉賀の確保にて雪の付いた壁に微妙なバランスでザイルを延ばす。35mで傾斜50度前後の雪壁となり、雪は堅く部分的には氷も現れ、氷壁と言った方が良い。5時間余り費やして5ピッチザイルを延ばした所で雪の降る中C1へと下降。このルートも可能性がありそうだが、門司隊のたどったルートがまず順当であろうと判断する。

          
                   セラック帯の上部

 6月3日  曇りのち雪。 起床:6時。小雪の舞う中8時、門司ルートにザイルを延ばし始める。このバンドは右へ傾斜がきつい上に雪の付きが少ないためにステップは不安定極まりない。ハーケンが打てなくビレイ・ピンは埋め込みボルトを必要とする。陽射しが強くなり気温の上昇とともに、左上から水を含んだ雪が「バシャ、バシャ」と落下して来る。全身ずぶ濡れとなり確保している時は、寒くて「カチ、カチ」と歯がリズムを奏でる。3ピッチ延ばして固定ロープを張る。空はすっかり雲に覆われ雪が強くなって来た。まだ13時すぎで時間は早いがC1へ下降する。

 ベースキャンプを設営して以来、雪、アラレの降らない日はない。アンデスは天候が安定すると聞いていたが、安定するにはまだ時期が早いのであろうか。C1への荷上げは順調に進んでいる。

 6月4日 曇り時々雪。起床:6時。昨日の到達地点まで固定ロープにユマールを噛ませて登高し、篠原トップ、吉賀ジッヘルにて登攀開始する。開始後まもなく吉賀、一瞬めまいがして転落し、ビレイ・ピンにぶら下がってしまった。鼻の下が生暖かいので手でこすると鼻血が流れていた。篠原の「どうした!」。の声に我に返り気を取り直す。

 トップを行く篠原は、雪の付きが少ない右上する壁に、アイゼンをきしませて微妙なバランスを強いられている。3ピッチで雪の詰まったルンゼに入る。ここに昨年の門司隊の固定ロープが見られC2予定地はもう近い。そこで長塚、佐藤に天幕を持って我々の後をすぐに追うようにトランシーバーで連絡をする。アイゼンのよく効く雪壁を3ピッチで天幕を張れそうな場所に達した。

          
                  セラック帯を抜けて休息

 まもなく天幕を担いだ2人が追いついて来た。さっそく、壁際の雪壁を切り取りにかかり2時間余りを費やして整地。この壁用に作ったアルミのアングルで補強した我々のオリジナル天幕をガッチリと張り終えた。日没間近かとなり直ちにC1へ向かう。岩の露出した箇所は固定ロープはあるが左傾した下りのため、アイゼンは甲高い音を出してきしみ、登りよりもはるかにイヤラシイ。1時間ほどでC1に帰着。今夜はC1の住人は4人でにぎやかとなる。夜はいつものごとく降雪。

          
               第1キャンプ4900m(岸壁の基部)

 6月5日 曇り(雨)。毎日同じような天候でまだ1日としてすっきりとした日はない。長塚、佐藤をC1に残し、篠原、吉賀は予定の仕事を終えたので休養のためBCに下る。岡田とアントニオに迎えられる。昨日にてC1への荷上げがほぼ完了したので、本日早朝モラレス兄弟を解雇。2人はすでにBCを後にしていた。やはりBCは良い。ジメジメしてなくて新鮮な食べ物はありで気持ちが休まる。今日は何も考えずに喰って休むとしよう。夕方、大粒のアラレが天幕を叩き夜は雪。

 6月6日 晴れ。ひさしぶりの快晴。偵察、試登のデータを基に、篠原、岡田、吉賀の3名で南東壁の研究、登はんルートを検討する。C1の長塚、佐藤の両名はC2への荷上げに動き始める。しかし、どうしたことか途中で1人引き返してくる。佐藤がBCに降りて来た。高度の影響なのか食べた物を吐き、なお吐き気がすると体調不良を訴える。BCにて体調を整えることにする。

 登攀ルートは検討の結果次のように決める。門司隊のルートは取らず6月2日に試登した氷のチムニーを抜けるルートとする。チムニーを抜けた右上の雪壁にC3を設ける。さらにその上部、白く雪を被った所'白い帽子'を越えて雪の付いてないスラブ帯を直登し、中央稜と大凹角が交わる辺りにC4を設ける。以後はリッジ沿いに登り、青白く輝く熊手のような形の巨大なツララの左から北東稜に抜ける。このルートに希望を託すことにする。

 次に、荷上げの問題。C2への右上がりにトラバースする箇所は意外と悪くあまり荷を背負って登れない。またロープで引き上げることも無理だ。そこで、C1から200m余りの垂壁に滑車を使用してC2に直接引き上げることを試みる。それはC3の目途がつき次第その作業に取り掛かる。

 午後、肉が不足しているのでカルワコーチャまでブタを1頭買いにアントニオを行かせる。その間、キャンプ訪問者とお茶を飲みながら交歓を楽しむ。互いに言葉で意志が通じる訳ではないが、身振り手振りでの交歓も時間の経つのを忘れる。

 まもなく、ブタを背に乗せた馬を引いてアントニオが帰って来た(1200SOL/1頭…7200円)。ブタは毛を焼き内臓は取ってあるが豚の姿のままである。こんなのを見るのは始めてであり、どうしたものかと皆大いに戸惑う。このままでは肉を食えない。アントニオに「できるか」と聞くと・・・「簡単だ」と返事が返る。そりゃーそうだろうコックを兼ねて雇っているのだ。

           
                       豚を解体する

 さっそく、アントニオの指導で豚を解体して肉をBC用と登はん用に分ける。また、登はん用はニンニク味と生姜味の2種類に焼いて加工した。'ゲップ'が出るくらい肉を食い明日からの行動に備える。夜には満天に星、南十字星(スールクルス)がひときわ大きく煌めいている。(つづく)

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