遥かなるアンデス Jirishanca 1973
・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
(第5回)
吉賀信市
6.ベースキャンプ
 ベースキャンプの設営を終えて、遅い昼食を摂り落ち着いたところで周囲を見渡す。キャンプは小さな氷河湖、プカコーチャの畔、天幕から5〜6mの所は湖である。湖水は薄い灰色に濁っている。氷河に近すぎるため、自然にまだろ過されてないのだろう。湖の左半分には、氷はなくモレーン状で岩、石がゴロゴロしている。右半分には懸垂氷河が張り出している。

         
                  ベースキャンプ全景

 さてと、正面に聳えるヒリシャンカ南東壁を仰ぎ見る。北東稜、中央稜の急峻なリッジに囲まれて、氷の鎧をまとった岩壁は氷河からもろに聳える。すごい迫力である。遠望した時の、穂先が白く尖った'鳥のくちばし'、と言ったイメージではない。正面に見据える姿は、まさに、コンドルが翼を広げ飛び立つ瞬間だ。息を呑むほどの迫力である。下部に雪も付けない大垂壁、その上に逆への字バンド、ここより壁の中ほどを直上する大凹角。その両側に広がる氷の付いた岩壁。そのはるか上部の中央稜と大凹角が交わるあたりには、光り輝く巨大なツララ。さらに頂上へと続く鋭い氷稜。

         
             BCに勢揃いした隊員、ポーター

 双眼鏡で壁に穴が開くほど追って見ても、弱点は見出せない。上部に移るに連れていっそう険悪さを増す。見上げるのに首が疲れ頭も痛くなりそうだ。それほどに、頭上に覆いかぶさるかのようにそそり立ち、私たちを威圧する。その圧力は登攀不可能を感じさせるほど凄まじい。篠原以外の者は日本の岩場しか知らない。その凄さに圧倒されて、自分たちがこれから登ると言う実感が湧かない。「篠原さんこんな壁、誰がのぼるんですかねぇ〜・・」「さあ、誰かなぁ〜・・・」と言った具合である。

 岩壁の基部から発する氷河はあまり大きくない。末端は直接プカコーチャ湖に突っ込んでいる。その右側、北東面には、アルパマヨによく似て三角錐形をしたヒリシャンカ・チコ(5617m)。山は小さいがヒマラヤヒダが美しい。ここの氷河は懸垂氷河の典型と言えるもので、湖に今にも落ちんばかりに張り出している。

          

 南面には、エルトロ、イエルパハー、シウラ、サラッポの6000m峰が連なり、午後の陽を受けて輝いている。確かにこの岩壁は、私たちの尺度では計りかねるほど規模、難度共に大きい。しかし、そう感心ばかりはしておれない。どこかに活路を切り開かなければならない。みんなの体調は、まだ高度順化が出来てないため軽いソローチの症状があるが、ほかは異常なく、行動には差し支えなし。ともかく明日から壁の基部、プラトーまで偵察を兼ねてのルート工作と決定。

 夜中に、突然『ドッドドーン、バチャーン、バチャーン』と、もの凄い音が暗闇の中に響き渡る。何事かとビックリして天幕の外に裸足で飛び出す。暗くて見えないがチコの氷河の張り出しが湖に落下したのだ。キャンプへの影響はなさそうである。天幕が水をかぶるような大きな氷河ではない。氷河が流れていると言うことを、氷河を始めた見た日に確認できた。(そのうち、この音にも慣れて気にならなくなった。)

7.氷河へ
 5月30日。山はガスに包まれており見えない。寝坊し、篠原、岡田がルート工作に出発したのは9時30分を回っていた。残りの3人とポーターは、そのトレールを追いプラトーまでの荷上げ。氷河はほとんど荒れてなく順調に登高する。昨年門司山岳会が苦労したと言われる大きなクレバスもない。氷河の中に2〜3箇所に固定ロープを設置したほかは、問題なくあっけないくらいスムースに進む。小さな氷河であるが、ルートの左右には大きなセラックもあり、氷河の中を登っている実感が湧く。15時ちょうど、全員がプラトーに達する。高度計は4900mを示している。ベースキャンプよりの高度差は450mである。さっそく雪面を均して、大垂壁基部にウインパー型の天幕を張る。第一キャンプ設営完了。出足は快調だ。トレールを追いベースキャンプに駆け下る。

 翌31日。本日は休養日とする。キャラバン等今までの疲れを癒す。また、気分転換をして今後の行動にそなえる。しかし、のんびりとばかりもしておれない。荷上げ用荷物の整理、登はん用食料のぺミカン作りと忙しい。

 昼頃、カルワコーチャの住人が5〜6人、キャンプに訪れ遠まきに眺めている。彼らも、ポンチョにソンブレロのいで立ちだ。話し掛けてみる。「ブエノス・タールデス」(こんにちは)。私たちは挨拶ぐらいしか、話せないので会話にならない。彼らはマス、卵、牛乳などを持って来ている。キャンプ見物を兼ねて商いに来たのだ。お茶(ココア)をみんなにごちそうして、お互いの警戒心、緊張が解けた所で商談に入る。私たちの持っている品物とすべて交換することで商いが成立した。

          
                 BCを訪れた住人たちと

 整理を済ませて作戦会議を行い、今後しばらくの行動を次のように決定。
6月1日〜6月5日 (1)篠原、吉賀:上部への偵察及び試登。(2)岡田、長塚、佐藤、ポーター、C1への荷上げ。(3)トランシーバーの交信時間は奇数時間とし、11時と17時は必ず行なうこと。(つづく)

                     back