遥かなるアンデス Jirishanca 1973
・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
(第4回)
吉賀信市
5.キャラバン
 5月26日 (晴れ) 起床:6時
 さあ、キャラバン出発の日だ。今までヒマラヤとかアンデスの遠征記を読んで、キャラバンに何となくロマンチックな憧れを抱いていた。目標の山まで雄大な大自然を楽しみ、また、そこに住む人々とふれあいながらキャラバン隊が進む。それが今日から始まるのだ。昨晩、8時出発と言い渡したのにアリエロ及びブーロが集まって来ない。

 8時30分頃、ベドン氏、馬にまたがりさっそうと現れる。我々が腕時計を示して「8時スタート」と言うと、「今すぐ集める。」、「エスペラ・モーメント」(ちょっと待て)、と言い残してどこかに消える。9時過ぎになってやっとアリエロたちがブーロを引いて集まって来だした。ブーロ(ろば)は日本では動物園でしか見ることが出来ないが、ここでは家畜として荷物の運搬に使っている。性格は非常におとなしく従順な動物で、特に顔は人なつこくやさしい眼をしている。これに40kgもの荷物を背負わせて山道を歩かせるのはかわいそうな気がする。子供ら大勢のヤジ馬の見守る中、子供たちにも手伝ってもらいながら嫌がるブーロの背に荷物を積み始める。おッと、荷物に番号を入れるのを忘れていた。積み終わった順に番号を書いて廻る。

 1時間ほどでどうにか出発準備を完了した。10時過ぎ2時間遅れにて、5人の隊員とポルタドール3人、アリエロ7人、それにブーロ40頭によるキャラバン隊が、子供ら多数の村の人々に見送られてチキアンを後にする。

         

 隊員はトレーニングを兼ねてサブザックを背負い、強い陽射しを避けるためつばの大きいソンブレロにサングラスのいでたちである。岡田、長塚、佐藤の3人は前でキャラバンをリードする。篠原、吉賀は写真を撮りながらどん尻を歩く。村からはすぐに急勾配の下りが続く。乾燥した道は土ぼこりを上げ、またブーロの'クソ'の臭いで夢に描いたキャラバンの雰囲気はない。しかし、3〜4時間歩くと両側に種々の草花が咲き乱れるうねった小道と変わる。ときおり、道を外れるブーロを集めに駆け回る。また、荷物が緩んでブーロの背から落ちそうになっているのを直すほかは、かろやかにキャラバンは進む。ちょっと気になるのは、生きたニワトリ5羽と、燃料であるガソリンの入ったポリタンクが直射日光を受けてパンパンに脹れあがっていることだ。

 時々行き交う人々とは「コモ・エスタ」(ご機嫌いかが)。・・・「ビエン・グラーシアス」(有り難う)。分かれ際に「チャオ」と言葉を交わす。

 アリエロは馬に乗ってブーロをリードしている。、みんな時々その馬に乗ったりして楽しそうだ。2〜3km毎に小さな集落があり、その度に立ち寄り棚に並んだ、ホコリでビンが白くなったジュースを飲む。これが奥地に入る毎に1SOL(6円)ずつ高くなる。どこでも考えることは同じだ。

 キャラバンは順調だがトレーニング不足のため足が重い。今日のキャンプ地、ポコパに着く頃にはすでに陽は落ちていた。ここはアリエロたちの村であるキャンプ地、これがすばらしい?ベドン氏による事前の説明では、場所は「ムイ・ブエノ」(大変良い)であった。だから私たちはてっきり緑の草原とばかり思っていたのだ。ところが、今着いた場所は家畜を集める所ではないか。牛馬、羊の糞が散乱、風が吹けば乾燥した糞の混じった土ぼこりが舞う。人が歩いただけでも舞い上がる最悪の場所である。

 もう、時間も遅い。今更文句を言っても仕方がない、あきらめるとしよう。ブーロの荷物を降ろして1個所に集め整理し、簡単な夕食を終えたのは21時近くになっていた。ベドン氏らアリエロには明朝8時出発を指示しそれぞれの家に帰らせる。これで本日の行動はすべて完了。寝るには天幕の必要なし。糞を避けてシートを敷き、満天の星を仰ぎながらシュラフに身体をのばす。

 5月27日 (晴れ) 起床:5時30分
 アンデスのキャラバンはヒマラヤのように「サーブ、ティー」(だんな、お茶をどうぞ)と言うような至れり尽くせりの感じではない。食事等も隊員も一緒に作ったりする。どちらが良いとか悪いとか言うことではないだろう。

 ポコパの村には教会もあり戸数は50〜60軒、いやもっとあるだろうか。生計は家畜の放牧とリマへの出稼ぎで立てているようだ。見るところ農耕地は少なく段々畑にジャガイモ、トウモロコシが植えられている。すでにほとんど収穫は終わっているようだ。出発は昨日と同じく遅くなりそうだ。「急げ」と急き立てる気はもうない。彼ら任せである。集まって来た子供らといっしょに写真を撮ったりして出発を待つ。

          
               ポコパの子供たちと

 9時15分出発。しばらく進むと道はパンパス地帯に入る。土ぼこりはなく気持ちが良い。これが想い描いていたアンデスのキャラバンだ。川沿いに2時間余り行くと広々とした草原に出る。ここで大休止。草原に寝そべる。緑の中に咲いた白、黄、紫の花が美しい。花模様の大きなジュウタンのようだ。一日中ねっころがっていたい気持ちを振り払い再びブーロの後を追う。

          

 標高も少しずつ上がってきた。4000m近くになると、やはりしんどい。軽い頭痛がして来た。時折、このような場所の、しかも急斜面に、家畜(羊、牛、馬)を放牧しているのが見られる。特に羊が多い。多い所で300頭、100〜200頭ほどの群れが多く、人が近くで番をしている場合はほとんどなく、その代わりに4〜5頭の犬が見張っているようだ。そろそろ谷の合間より雪をまとった山、ニナシャンカ、ロンドイが見え隠れして興味をそそる。

 14時すぎ、予定時間より早く本日のキャンプ地に到着する。場所はカカナン峠(4800m)の登りにかかる手前の広い草原の真っ只中である。ブーロの荷物を降ろし天幕を設営し食事の準備に取り掛かる。その間エウデスは一人鉄砲を担いで峠の奥へ出かける。1時間余り経った頃、ウサギを両手に下げて帰って来た。3匹の獲物である。さっそく料理を始める。

 まず、ウサギの腹にナイフを入れミカンの皮でも剥くように、いとも簡単に腹から背中へと2〜3分で剥いでしまう。ぶつ切りにして鍋で1時間ほど煮る。ウサギの肉を食べるのは初めてでありどんな味がするのかと楽しみに待っていた。煮えたと言うのでさっそく肉にかぶりついた。しかし、肉はゴムのように硬く、とても食べられる代物ではなかった。獲ったばかりでありウサギは筋肉が発達しているので硬いのであろう。しかし、ちょっとガッカリした。もっと大きな獲物がいれば鉄砲で獲って欲しいが、この草原にはウサギ程度しかいないらしい。陽が沈むと急に冷えて寒くなって来た。やはりここは4000mの高地だ。早々にシュラフに入る。

 5月28日 (曇り)起床:4時30分
 キャラバン3日目に入る。朝から空は雲に覆われ時折小雪が舞う。アリエロたちもこの天候にはノンビリとしておれないのか、いつもより素早く準備を終え7時30分出発。

 昨日までよりも早い歩きでキャラバンは進み、カカナン峠を登り始める急な登りは人も、動物も苦しい。馬は、人を乗せていてはゼイゼイと荒い息をして苦しがり足が前に出ない。アリエロは馬から下りて馬を引っ張っている。また、今にも崩れそうな狭い崖道ては臆病なブーロは後ずさりして前に行かない。尻を棒切れでひっぱ叩きながら前に進ませる。

 4時間ほどで4800mのカカナン峠を越す。その後は起伏の幾分ゆるやかな草原地帯をキャラバンは進む。岡田、吉賀は昨日より頭痛がする。軽いソローチ(高山病)だ。そのうち良くなるだろう。長塚は足にマメを作りしかめ顔で歩いている。これもそのうち良くなるであろう。時々道の近くに住家を見かけるが、その周りには、必ず200頭前後の羊が草を食んでいる。人はいないが数匹の番犬がいて近づくとギャンギャンと吠え立てる。良く訓練されている犬たちだ。

 やがて、前方にイエルパハー、シウラ、サラッポの白い峰が雲の切れ間から見え隠れし出した。まだヒリシャンカらしき峰は姿を現さない。眼下にカルワコーチャの青く澄んだ湖が見える。これを目がけて蛇行した小径を駆け下る。下り道でブーロも速い。

 右手に鋭い穂先のような峰がのぞいている。そばにいるべドン氏に「ヒリシャンカはどれだ」と尋ねる。昨年ポルタドールとして来ている彼はすかさず白い穂先を指差す。やっと目標の山ヒリシャンカを近くで見ることが出来た。しかし、山の上部のみで全容はまだ見えない。

 今日はカルワカーチャ湖畔より30分ほど登った台地にキャンプを張ることにする。まだ、15時過ぎだ。岡田はマルセリーノを連れてベースキャンプ予定地のプカコーチャに偵察に向かう。篠原は日本から持参した竿とルアーを持って、エウデスとカルワカーチャ湖にマス釣りに出かける。そのほかの者はこの周辺をぶらつく。近くの民家に立ち寄って見るが誰もいない。家の前に飛行機の残骸がぶらさがっている。その昔、ヒリシャンカに飛行機が激突した時の名残だ。ウヮラスの警察でそのように聞いた。

          

 キャンプ地に帰ると突然、空が暗くなりバリバリと音をたてて'みぞれ'の来襲。白い粒が一瞬にして緑の草原を塗り替えた。その'みぞれ'の中を篠原、エウデスは50cmほどもあるマスを5尾も下げて、意気揚々と帰って来た。一方、プカコーチャに行った岡田らは両手に白い大きな鳥を下げている、彼らは鉄砲を持って行かなかったはずなのにどうしたことか?。鳥が彼らの顔をみるなり腰を抜かして飛び立てなかったのだろうか?。偵察の結果、プカコーチャ湖畔は絶好のベースキャンプ地とのこと。今晩の夕食は魚に鳥、ごちそうだ。

 5月29日 (晴れ)  起床:5時30分。
 朝陽を浴びて輝く峰々の白さがまぶしく目にしみる。今日の行程は短い。7時30分出発。曲がりくねった急斜面の小径を右に左にとブーロの尻を棒で追いながら登高する。徐々にヒリシャンカが全容を現してくる。2時間余りにてプカコーチャ湖畔に到着。

 何と、ヒリシャンカ南東壁は真正面にある。ベースキャンプ地としては岡田の言う通り絶好の場所だ。ここまでチキアンから4日弱のキャラバンであった。荷物の整理を一応終えた所でアリエロたちに賃金を支払い、本日にて全員解雇する。帰るベドン氏には日本への便りを託す。残った8人で平らな所を探して天幕が張れるように整地をして天幕を張る。

 小さな日の丸を掲げて、標高4500mの湖畔にこれから長い間お世話になるベースキャンプの設営を完了した。キャンプは夏用天幕2張りと炊事場兼荷物置き場のシート一張りのみ、遠征隊と言うような晴れがましい雰囲気ではなく、ちょっとみすぼらしさが漂う。人の多い涸沢あたりであったら、もう少し体裁よくするのでは?。ここは他に誰もいない。我々の貸し切りだ。  (つづく)

                     back