遥かなるアンデス Jirishanca 1973
・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
(第3回)
吉賀信市
          

4.チキアン

 乗客と荷物を満載したバスは、南米大陸を縦断するアメリカン・ハイウエイを北上。舗装道路を走っているはずなのに、'ギイギイ'、'ガチャガチャ'とバスがきしみ、うるさくて隣と話も出来ない。チキアンへの道に入ると、ガタガタなんて生やさしいのもではない。頬はブルブルふるえ、歯をくいしばっていないと舌を噛みそうだ。車の四輪すべてがパンクしているのではないかと疑いたくなるほどだ。これではとても眠れないと観念したが、いつのまにかウトウトしていた。

 突然、「ガチャ〜ン」とバス全体を揺るがす音に目を覚ます。乗客みんな眼を覚まし車内がざわめく。ヒョイと窓の外を見ると谷、崖っぷちだ。あわててバスから飛び出す。バスの左前輪は路肩からはみ出している。しかも荷物で左に傾いている。路上の岩を避け損ねてぶっつけたようだ。乗客を降ろし、屋根の荷物も少し降ろしてバスを安全な所まで移動させるのを心配しながら見守る。もし、バスが谷底に落ちたら装備がすべてなくなり計画が水泡に帰す。40分程で出発。今度は車内がガソリン臭い。天井からポトポト落ちている。屋根の我々のポリタンクから漏っているかと心配したが、バスの予備ドラム缶から漏れている。いずれにしても車内にガソリンの臭いが充満して不愉快この上なく危険だ。それでも運転手は平然とタバコをふかしながらの運転だ。我々が注意しても「シィー、シィー」(ハイハイ)と言うだけで全く気にしない。

 地平線が白み始め、所々に白い物が見える。雪だ。もうコノコーチャ峠のあたりだ。アンデスの山々がそろそろ見えてくるはずだ。

 見えてきた。見えてきた。遥か彼方に白く輝き現れてきた。ワイワッシュ山群だ。イエルパハー、エルトロ、ロンドイなど、朝陽に輝いている。イエルパハーの右隣に鋭く空へ突き上げているのが、私たちの主目標の山・ヒリシャンカだ。その遠望する姿はケチュア語で「蜂鳥の嘴(くちばし)」と呼ばれている。尖った鳥のくちばしが空を突いているようである。ここからはイエルパハーに比べると小さく見えてかなり見劣りする。

         

 かなり冷え込んで来た。それに気分が悪く頭痛がして来た。ソローチ(高山病)だ。それもそのはずこの辺は4200mの高地である。所々に住家が見られ人が住んでいるようすだ。バスはチキアンへの細い道を蛇行しながら下っていく。まもなく村の全容が見えてきた。思っていたよりも大きな村落である。運転手に「この村で最高級のホテルに横付け!」と指示する。

 5月20日8時30分、チキアンに到着。14時間のガタガタバスの旅を無事に終えヤレヤレだ。私たちがバスから降りると子供たちが取り巻き、もの珍しそうなまなざしを向ける。滞在をこの村一番のホテルに決めると、女主人のおばあさん「ムーチャス・グラーシアス」と愛想の良い声で言う。子供たちにも手伝ってもらい荷物を運び込む。60SOL/1泊(1SOL/6円)。地方にしてはちょっと高い。

         
                    チキアンの子供たち

 荷物を片づけて、村の警察に通行許可証をもらいに行く、しかし今日は日曜日のため、責任者不在。「アスタ・マニアーナ」。村を見物して廻る。学校、市場、ホテル、レストラン、商店、郵便局もある。周辺には段々畑が続き草原には家畜が草を食んでいる空気の澄んだのどかな所だ。標高は3500mほどもあり走ったりすると息切れがする。

          

 しばらく動き廻り腹がすいた。時間的にはまだ早いがこの村一番のレストランに食事に行く。鼻ひげをたくわえたオヤジが「セニョール」と愛想よく迎えてくれる。メニューは特にないようで、まず、「セルベッサ・デ・エラーラ」(冷たいビール)。オヤジ:「シィー」(はい)と返事よくビールを持ってきて栓を抜けばアワの吹き出る生ぬるいビール。次にステーキを注文すると肉の塊を取り出しまな板の上で切り取りそれをしばらくバタバタと叩いて調理を始める。もちろんご飯も今から炊くのである。こんなことなら1時間前に注文しておくのだったとぼやくことしきり。しかしここは日本ではないのだ。しかもこの小さな村だ。考えて見ればあたりまえのことである。

 1時間半ほどしてやっと料理がテーブルに乗りステーキにナイフを入れるが簡単に切れない筋の多い肉だ。これも仕方ない。良く噛んで食べるとしよう。目玉焼きをたのんでも、牛乳でも、「シィー」と返事よく店の外に飛び出して行きしばらくして品物を抱えて帰ってくる。注文を受けてニワトリに卵を産ませることはないだろうが、牛乳はおそらく牛の乳房から搾ってくるのであろう。のんびりとしたものだ。これでいいではないか。我々も今は特に予定はない。

 レストランの窓から夕焼けの山が見える。イエルパハー、エルトロ、ヒリシャンカ、ロンドイ、いずれもワイワッシュ山群の山々だ。食事をしながら目指す山が見えるとはなかなかおつなものである。しかもこの窓、山がよく見えるようにとの計らいかガラスは入ってない。薄暗くなって来たので電灯のスイッチを入れる。しかし点灯しない。
 「セニョール、電気がつかない」
 「いま少し待て、6時まで」

 時計は6時ちょっと前である。オヤジが言った通り6時ちょうどにパッと裸電球が輝く。この村の電気はディーゼル発電機で夕方6時から翌朝6時までが電気を使用出来る時間帯なのだ。電灯は家庭に1個、多い家で2個とのことだ。そろそろ帰ろうと外に出ると外灯はなく真っ暗。ホテルまでよく覚えていない道を手探りで歩かなければならない。ところが所々の商店の前や道路の真ん中に眩しいくらい輝いているものがある。近づいて見るとランプであるランプの明かりで商売をしている。このランプの燃料は灯油。ポンプで圧縮してガスを燃やす。近くで光を見ると眼が眩むほど明るい。半径5mは充分明るい。そしてその廻りには7〜8人の人たちがたむろしている。言葉がしゃべれれば話して見たいのだが「やぁ、アミーゴ」くらいしか言えない。

 彼らのいでたちはこのあたりのユニホームとも言うべき、茶色のソンブレロとポンチョ。夜暗い所で見ると異様な雰囲気が漂う。ポンチョは羊毛の手織りで毛布ほどの大きさがあり結構重い。真ん中に穴が開けてありそこから頭を入れて使用する。夜、部屋のなかで膝を抱えて座ればそのまま眠れる。キャラバン及びベースキャンプでの明かりは先ほどの石油ランプが有効だ。使用することにしょう。

          

5月21日 (晴れ)
 陽が高くなる頃ゆっくり起きる。このホテルには風呂はなくお湯も出ない。出るのは冷たい水のみ。あたりまえのことだ。こんな所で風呂とかお湯などと思う方がおかしい。しかし、ついつい思ってしまう。標高が3500mとあって水は冷たく空気もひんやりしている。しかし直射日光は強く日なたは暖かい。まず通行許可証をもらいに出かける。昨日は警察官が2人だけであったが今日は6人もいる。署長室に案内され恰幅のいい署長にリマの日本領事館で作成してもらった書類を提出。これには私たちの目的及び趣旨が記されており私たちは特に喋る必要はない。署長は読みながら1,2度うなずきすぐにペンを執ってくれた。昨夜のレストランで朝食兼昼食を済ませると、また村のなかを見物して廻る。
 
 家はレンガや粘土を積み上げた物がほとんどで、地震が来たらひとたまりもないであろう。陽あたりの良いところで婦人が糸を紡いでいる。フワフワの羊毛からクルクルと器用に冶具をまわして糸を作っている。もう日本では見ることの出来ない光景で私たちも初めて見るものだ。その横ではコトンコトン、パタンパタンとポンチョを織っている。そんな光景を見ていると物心ついた頃、年寄りが納屋でむしろを作っていたのを思い出した。

5月23日 (夜)
 篠原、佐藤、ワラスよりポルタドールのエウデス・モラレスを連れてチキアンに入る。ポーターは3人雇う。後の2人は25日に来るとのこと、互いに別れていた時のことに話が弾む。さっそく最終的な打ち合わせを行い、キャラバンの出発は予定通り26日とする。まだ不足品がある。圧力釜1個では間に合わないので、もう1個追加。石油ランプ2個、それに野菜も不足。ここチキアンでは入手できないため翌日、再びウヮラスまで佐藤に走ってもらうことにする。

5月25日
 キャラバンの出発は明日だ。すべての荷物をブーロ(ロバ)に積めるように再点検、梱包をする。午後には佐藤もマルセリーノ・モラレス、アントニオ・バリガスの2名のポーターと共にウヮラスより帰る。アリエロたちも集まって来たようだ、全員で食事を共にして最終の打ち合わせを行う。アリエロの親分ベドン氏より契約にないブーロ1頭につき1日15S0L(90円)の餌代を要求される。エサはその辺に生えている草ではないか、しかし、心付けだ、まぁ〜いいだろうと要求をのむ。ベドン氏らアリエロには明朝8時出発を堅く約束させてお引き取りを願う。

 さて、わたしたちの仲間とも言うべきポルタドールを紹介しよう。まず、マルセリーノ・モラレス(39才)、これまで各国の数多くの登山隊に参加しておりアンデスでは第一級のポルタドールと言えよう。R・カシンやW・ボナッティーを知っているかと尋ねるとすかさず「ミィーアミーゴ」(友達だ)。「ツー」(お前も友達か?)と聞き返すので「シイー・ミィーアミーゴ」(俺も友達だ)。とやり返す。ここでは名前を知っていればみんなアミーゴなのだ。しかし、彼はR・カシンをヒリシャンカに、W・ボナッティーをロンドイに本当に案内したとのことである。

 次に、エウデス・モラレス(23才)、マルセリーノの弟でポルタドールのキャリアはまだ少ない大柄でがっしりしておりボッカは強そうだ。この兄弟は私たちが壁への登攀体勢が整うまでの短期の雇用とした。200SOL/1日(1200円)。もう一人はアントニオ・バリガス(24才)名前は強そうだが登山隊への参加はまだ少なくコックとテントキーパーを兼ねて登山期間中の雇用。100SOL/1日(600円)。また、彼らの登山装備は全て各人持ちとした。氷河の荷上げのみなのでシュラフ、ピッケル、アイゼンがあれば充分だ。

 明日から待望のキャラバンが始まる。ペルーに着いて準備に19日間を要したことになる。これから始まる未知のことに気持ちが高まる。今日は早めにベッドにもぐり込む。(つづく)

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