遥かなるアンデス Jirishanca 1973
・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
(第2回)
吉賀信市
2.計画の概要
 ペルーアンデスは南米大陸を北端から南端まで、7000kmに及ぶ長大なアンデス山脈の中ほどに位置し、古くから多数の登山隊を迎え入れている。それは気象的条件により氷河の発達と急峻な山々を数多く持つ魅力ある山域であるからにほかならない。
 
 私たちは、ペルー国の首都リマより北方200kmに位置する、ワイワッシュ山群のヒリシャンカ(6126m)並びにロンドイ(5883m)の2つのピークを目標とした。広大なアンデス山脈の中にあって難峰が集積された山群が、このワイワッシュ山群であり、その中のヒリシャンカ南峰、未踏の南東壁を登攀し、ロンドイまでの磨ぎすまされたカミソリの刃のような氷の尾根を縦走すると言う計画であった。

 隊の構成及びメンバー 東京露草登高会:隊長;篠原正行(27)、隊員:岡田義和(21)、長塚止郎(23)、佐藤芳夫(23)、吉賀信市(23)の5名である。
         

3.リマでの準備
 5月7日 羽田より地球の裏側までの約23時間に及ぶ空の旅を終え、朝霧の立ち込めるペルーの首都リマ空港着。時差ボケで身体は重くだるい。頭の中は霧がかかったようなすっきりしない気分だ。みんな飛行機に乗るのは初めての経験で、リマに着くまでバンクーバー等、3回の乗り継ぎがあり、言葉は日本語以外できないし、それぞれ時差もある。乗り間違えないように大変気を使った。やれやれやっと着いたと言う思いであった。靴は登山用の2重靴を履いており時差ボケに追い討ちをかけているように足が重い。

 登山装備ほか約500kgの荷物を持ち込んでいるため、通関の時トラブルを心配していたが、荷物の梱包は解くことなくほとんどノーチェックで、通関することが出来てひと安心する。

 飛行機を降りて空港の建物に入った途端に、「あっ臭い、空気のにおいが違う。外国だ。」と思う。日本の空気に比べてホコリっぽいと言うか、バターが混ざったような甘い空気の味がする。
        
 タクシーに分乗して宿舎の日秘文化会館に向かう。会館はこぎれいな高級住宅街にあった。荷物を部屋に運び込み、次に日本領事館へ挨拶に出向きペルーでの注意事項を伺う。ぺルーは今、夏の終わりに当たり残暑厳しく照りつける太陽がまぶしい。

 翌日はペルー文部省登山課に出向きモラレス課長に挨拶する。午後は市場、スーパーマーケットを見て回り買出しに必要な物をチェックする。品物は思っていたより豊富で、ほとんどの物はすぐに揃いそうだ。我々は、インスタントラーメン2箱以外の食糧は日本から持って来ていない。ここリマにて3ヶ月分の食糧、生活用具等全て買い揃えなければならない。リマでしなければならないことは次のことである。

 (1) 食糧の買出し。(2)ビザ延長手続き。(3)ポーター及びアリエロ(馬方)の雇用。
 
         

         

 次の日からさっそく買い出しに出かける。リマの中心街は、車、人通りは多く道にはゴミが散乱。歩道の両側には露店がずらりと立ち並びにぎやかなものだ。買う気はないのにひやかしで値段を聞いて歩く。カタコトの英語とスペイン語での会話は初めての経験で大変おもしろい。また、スペイン語の勉強にもなる。

 街を走っている車は変化に富んでいる。最新型のもの、車体がデコボコだらけのもの、マフラーがないもの等日本ではとても考えられないポンコツ車が「バリバリ、バタバタ」と騒音をまき散らして、にぎやかに走り回っている。動きさえすれば車なのである。
 
 ペルーでは鉄道が発達しておらず、人、物資の輸送は車に頼る。したがっていろいろな種類の車がある。市内タクシー、独特な言い回しで行き先を告げて客引きをする、長距離乗り合いタクシー。バスも市内を走るもの、長距離バス、国境を越えて走るバス等、それも大型の立派ものから小型トラックを改造したものまでと変化に富んでいる。

 買い物は、在留邦人の方々にアドバイスを受けながら、市場やスーパーマーケットを回って買い集める。市場での買い物は楽しく、値段はあってないようなもので交渉 次第である。片言のスペイン語を駆使しながら、「アミーゴ、アミーゴ、ミィーアミーゴ」を連発しての交渉、けっこうまけてくれておもしろい。また、スペイン語の単語を覚える。数のかぞえ方はおかげでスペイン語でも不自由しなくなった。

          

          

 しかし、市場内のいろんなにおいがミックスされた吐き気をもよおすようなにおいに初めは閉口したが、すぐに慣れて来た。市場には、多種類のくだものがありいろいろと味見をしてみる。その中でパパイヤがおいしい。

 買い集めた物は、日秘文化会館の屋上にて1個20kg毎に梱包する。キャラバンはヒマラヤでは人が背負って荷物を運ぶが、ここアンデスでは、ブーロ(ロバ)が運ぶ。1頭当たりが40kg,または20kg×2個が決まりである。

 ブーロを扱うアリエロの雇用は、アリエロの責任者と文部省に出向き、モラレス課長に立ち会っていただき、アリエロ、ブーロの契約を交わす(アリエロ、5人・80ソーレス/1日、ブーロ、30頭、60ソーレス/1日)。ポーター(ヒマラヤではシェルパ)はワラスにて雇用することにした。

 最後にビザ延長の件であるが、簡単に、すぐ終わると思っていたがこれがなかなか、手続きは簡単であるがスムースに進まなかった。

 ビザを延長するには、文部省登山課より登山隊であることの証明書を発行してもらい、それをパスポートに添えて外務省に提出、申請する。文部省から証明書がスムースにもらえた。さっそく朝一番、全員で外務省に出向く。担当官に「エスペラ・モーメント。」(ちょっと待て)と2時間余り待たされたが手続きは済んだ。その日のうちにビザ延長OKかと期待していたが、2日後に出来るとの返事。パスポートを提出したのでその代わりになる証明書を発行してくれるかと思ったが何もない。街で警察官にパスポートの提示を求められた時どうする?

 2日後、外務省が始業と同時に飛び込む。担当官の席に行くと澄ました顔で「アスタ・マニアーナ」(明日来い)である。「今日できる約束であった」と5人で文句を言ってねばったが、手を振って「アスタ・マニアーナ」。5人全員日本語以外は喋れないのでお手上げだ。この国は、「アスタ・マニアーナ」が多い。

 翌日、外務省へすっ飛んで行く。今度は、「エスプラ・モーメント」(ちょっと待て)、と来た。待っていて時々催促をするが、「エスプラ・モーメント」の繰り返し。昼近くになっても出来そうにない。役所は手続きが出来るのは午前中までである。このままでは今日も出来ないかもしれない。担当官の対応に、腹が立ちイライラする。言葉が喋れないとは何と不便なことか。近くに住んでおられる在留邦人の方に応援をお願いしてやっとビザ延長を済ますことが出来た。5月18日、到着以来10日間ほどを要してどうにかリマでの準備を終えることが出来た。

 今後の予定は次のように決定する。
1)5月18日(夜)、篠原、佐藤、ポーター雇用のためウヮラスへ出発。
2) 5月19日(夜)岡田、長塚、吉賀、荷物と共にキャラバン出発の村、チキアンに向かう。
3) 5月23日(夜)篠原、佐藤、ポーターと共にチキアンに入る。
4) 5月26日、キャラバン出発。

 交通手段は、バスを使用。篠原、佐藤はただちにウヮラスに向かう。チキアン組は翌日、予約したバスを会館で待つ。ほぼ予定時刻に、「えっ、このバスで大丈夫?」と言う代物が来た。さっそく、約2000kgの荷物をバスの屋根に積み込む。

          

 長距離バスは、車内が人間、屋根の上が荷物と動物になっている。座席は最前列が良いと聞いていたので、運転席の後ろを確保した。我々以外の乗客はペルーの人たちのみで、いかにもチキアン行きらしい。18時20分。バスは20分遅れにて一路チキアンへと出発した。(つづく)

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