飯豊連峰石転び沢〜北股岳〜丸森尾根

                                      期間:2014年6月16〜18日
                                       メンバー:挾間、鈴木

はじめに 飯豊のこと、石転び沢のこと

仕事の関係で大変お世話になった、新潟県出身のN先輩は「飯豊はいい山。是非登りなさい」が口癖であった。そういうこともあって最初の飯豊行は、今から約20年ほど前、胎内〜足の松尾根〜杁差岳(えぶりさしだけ、1,636.4m)〜飯豊本山の縦走だった。平成5年7月21〜24日のことだ。「残雪と生命の息吹を感じる別天地」という紀行をしたためた。

 その紀行のあとがきに「山は心をあとに残す方がいい」という深田久弥の書の中の一節を引用した。いっぺんに登りつくさず次の機会もある、という余韻を残しておくこと…そういう意味もあって、最初の飯豊行では大日岳などいくつか登り残しておいた。

 20数年経った今、大日岳のことも気になるが、その思いはいつしか石転び沢への気持ちに置き換わった。

 石転び沢は、梅花皮(かいらぎ)沢の上部、登山口となる梅花皮沢末端の天狗平(標高約400m)から稜線上の梅花皮小屋(標高1850m)まで高距1450mのうち上部1000mの大雪渓を成す大きな沢で、盛夏期までは大雪渓を保持している。白馬、針の木、剣沢など世間で言う日本三大雪渓に勝るとも劣らない、知る人ぞ知る大雪渓なのだ。しかも、いくつもの支沢が集まる沢の核心部は緩傾斜の広大な雪原となり、いったんガスが立ち込めようものならルートファインディングに困難を極めるし、多くの支沢からは融雪に伴いその名のとおりどこからともなく大小様々な岩石や石ころ、雪塊が音もなく転がり落ちてくる、危険極まりない沢なのである。…石転び沢の由縁でもある。雪の少ない時期に遡行したことがある、相棒の鈴木君はガスに巻かれればルートに自信がない、と言う。「大丈夫!そういうこともあろうかとスマホに強力な地図ソフトを入れてきた。GPSと組み合わせれば、現在地確認とルート修正は簡単だ」と私。

6月16日 飯豊連峰入り
 山形県のJR坂町駅で、仙台からマイカーの鈴木君に拾ってもらい、夜遅い入山初日は天狗平ロッジ泊。素泊まり2000円也。


6月17日 晴れ 石転び沢
 4時起床。食当は鈴木君。このところの彼との山行では、朝夕の食事当番を決め担当となった者が二人分用意する、というもの。サトウのごはん、揚げナスの味噌汁、味付け海苔、ウィンナー炒めの朝食を終え、天狗平ロッジを後にしたのが5時18分。


 温見平(ぬくみだいら)からは遥かな、残雪を抱えた稜線に小さな突起・梅花皮(かいらぎ)小屋が遠望されるが、この場所からでは標高差1400m、まだほんの緒についたところだ。砂利道は大きな砂防堤で行く手を阻まれ、そこから先は本格的登山道となる。14〜5kgの荷を担いでの登高の始まりだ。


40倍ズームが石転び沢の終点・梅花皮小屋をとらえた

 しばらくは梅花皮沢の左岸を、ブナ林を通り抜けたり河原近くのオオイタドリの間をぬって進んで行く。梶川の出合(標高700m)では雪渓下の水流を渡渉し、梶川尾根の支尾根を回り込んだ辺りから、本流が大雪渓下に隠れてしまい、いよいよ本格的な大雪渓の始まりとなる。石転び沢の登高に当たっての心構えとして「夏道が現れているところでは夏道を利用せよ」だ。この辺りでは夏道がすでに露出しているため左手下に雪渓を見ながらへつって行く。数人の登山者に遇うが、彼らは“石転びの出合”までで、次回の偵察とのこと。6月の平日、どうやら我々二人だけの静かな石転び沢になりそうだ。多少不安でもあるがその分、気合も入る。


梶川の出合 渡渉で雪解け水の冷たさを実感

ちょっとしたハプニング
 梅花皮沢の左岸・へつりは、梶川尾根側のいくつもの支沢を横切るため小さなアップダウンが続き、眼下にはシュルンドがぱっくりと大きな口を開けている。集中力を切らせないところだ。そんな矢先、名もないほんのちょっとした支沢の滑滝のトラバースで、前を行く鈴木君が足を滑らしそのまま3mほど滑落。一瞬のことで呆然とする私。幸いその直後にはちょっとした岩棚で身体は運良く止まった。その下は10mほどの崖、さらにシュルンドが大きな口を開けている、という状況だ。鈴木君は照れくさいのか、バツの悪そうな顔を隠して這い上がり、何事もなかったように登高を続ける。ヤレヤレ…、大事に至らずによかった。キスゲ、ヒメサユリの華麗さに見とれたわけではなかろうに。


梅花皮沢のへつり

石転び沢出合
 さて、6月のこの時期の石転び沢は稜線までまだまだ大量の残雪があるような状況だから、夏道を利用できるのは‘石転びの出合’の下部(標高約800m)まで。ここで梅花皮沢本流左岸の‘へつり’から広々とした大雪渓に降り立つ。8時15分。沢はここで石転び沢と門内沢に分れて行く。梅花皮沢の源流・本流とも言うべき、我々の目指す石転び沢は、ここから高度差約1000m、梅花皮小屋のある稜線まで広大な大雪渓を形成する。その起点ともなる出合は、緩傾斜の大雪原で、あまりにも広大なため距離感がつかめないほどだ。幸い今日は晴天で沢全体が見通せるが、ひとたびガスに覆われようものならルート選択に相当難儀することが予想される。


距離感がつかみにくいが、稜線までの高距は約1000m

石転び沢の石転び沢たる由縁
 石転びの出合から標高1230mの‘ほん石転びの出合’にかけての大雪渓表面は、沢の両側支沢からの、雪渓の崩壊、それに伴う落石がすべて集中するため、泥流によるどす黒い汚れと大小様々な岩石や石ころ、それに引きちぎられた樹木などで、まるで土石流の去ったあとのような様相だ。沢は登るほどに傾斜を増してくるのでアイゼンとピッケルによる登攀となる。

  
大小様々な岩や石ころが散在する…沢が広く大きいため大きさが実感しにくい

登るほどに急傾斜 崩落
 散在する石ころを見れば、その大きさと数からして相当頻繁に崩落があっているはずだから、一瞬たりとも上部の崩壊の気配を見逃してはならないところなのだが、15kgほどの荷を担いで照りつける太陽のもとでの直登に、次第に上部を気にする集中力が希薄になってくる。そんな時、北股岳方面の斜面で「ガラガラっ」と岩の崩落の音。その方向に眼をやると大きな雪塊がゆっくりと転がり落ち、途中のルンゼで止まり、元の静寂に戻った。ほんの一瞬のことで結局、幸いなことに崩落らしきものはこの1回だけに終わった。


稜線はすぐ近くのようでまだまだ先は長い

 気温はかなり高いはずだが大雪渓のど真ん中なのでそれほど暑さは感じない。ただ、なるべく付かず離れずの距離を保とうと思いながらも、マイペースの鈴木君をはるか後方に置き去りにしてしまいがちだ。時々振り返るが顔を雪面に向け、先程の崩落の時も無関心の様子が気になるところだ。

 マイペースだと距離が開くばかりなので、先行する私は時々GPSの現在地と地図上の夏道とのズレを頻繁に確認しながら進路を補正したり、雪渓を削ってカメラを置き登高する自分をセルフタイマーで撮ったりと、念願だった石転び沢の大雪渓に身を置く楽しさ・喜びを独り享受した。


ちょっとポーズをとる

最後の急登
 標高1470m北股沢出合付近。梅皮花小屋は見えず、見上げる頭上に見えるのは真っ白な雪面ばかり。この地点の右上部に7月上旬ならば通称・黒滝が現れるはずだがまだ雪の中に埋まっているようだ。持参した沢の見取り図をみても位置関係を明確に把握できないため、ルート選択に確信はあるもののやはり不安だ。そんな訳で、‘久しぶり’に鈴木君と合流し、大休止をとり、あらためてルート確認と意識確認を行う。

 最後の急登前のひととき。雪渓を伝い下りてくる冷風が気持良く、眼下の石転び沢〜梅花皮沢の圧倒的な景色を楽しむ。遥か下の出合付近に小さく蠢く黒点を一つ発見。どうやら今宵の梅花皮小屋は我々だけではなさそうだ。

 休みの後は、さあ!、いよいよ最後の急登だ。上部残りの約400mは上半分が平均斜度45度。「ジグザグ登高でトラバースの際滑落する人が多い。注意!」とガイド書にあった。なるほど、見上げる上部は首筋が痛くなるほどにせりあがっている。比較的固い雪面は滑落したらヤバそうなので、慎重かつ大胆に、多少軌道修正を加えて左斜上気味に上がって行く。


石転び沢上部…斜度45度の最後の急登

 途中、門内岳方向から飛んできたヘリにピッケルを振ったら、ホバーリングを始めた。「これはいかん!」慌てて非常事態ではないことをアピールする。

 いよいよ稜線間近。稜線手前の上部斜面は大きなクレバスがぽっかりと口を開けるが、わずかに割れ目を生じていない部分、その先が、本日目指す最終到達点・梅花皮小屋だ。飯豊本山方面から縦走してきた若い男女パーティが丁度小屋に入ろうとしていた。先程下方の出合で発見した、蠢く小黒点といい、この時期の平日だから、小屋を独占できる、との思惑は外れたかっこうだ。まあそれはそれでよいことなのだが・・・。

梅花沢小屋の夜
 梅花皮小屋の周囲は丁度、ハクサンイチゲが見頃で二王子岳方面を見遣ると小屋の前のお花畑の主役だ。前回この稜線を通過した時は7月下旬ころのことで、この稜線もやがてヒメサユリ、コバイケイソウ、ヨツバシオガマなど7月下旬の主役の花たちにとって代わることだろう。



 7時間あまりの行動とはいえ早朝からのことで、まだ午後1時前だが、今宵の宿はこの小屋と最初から決めていた。小屋番が居ればビールは買えるとの算段は外れたため、持ち上げたアルコール飲料はビール2缶、それに日本酒1.5合2パックのみ。少々さみしいが、今夜の食当・挾間の用意した豊後牛シチュー、つまみのじゃこ天、それに鈴木君の牛テールスープ、ベーコンなどをメインに小宴会の始まりとなる。小屋は先程の若い男女二人、石転び沢を我々より後から登ってきた高年の単独行者(下方で蠢いていた小黒点)、最後に入ってきたのは若い女性単独行者の計6名。

 それぞれ自分あるいは自分らの世界があり、それぞれの場所に陣取り、思い思いの時を過ごしたため、我々二人もそれにならい、山小屋では普通にありがちな雰囲気とは異なり、あまり話が弾むこともなく午後六時過ぎには、それぞれの床に就いた。

  

6月18日 曇り
確信犯
 すでに二人とも飯豊の主稜線は縦走済みだし、今回の主目的である石転び沢を終えた今、昨夜の就寝前に打ち合わせたようなこと、すなわち、飯豊の初夏の花を愛でながらのんびりと北股岳〜地神山〜大石山に至る稜線を漫歩し頼母木(たもぎ)小屋に泊まり、翌日丸森尾根を下るという話には、頼母木小屋の小屋番もまだ不在(つまりビールが買えない、ということ)と昨夜知ったこともあり、どこか真剣味、説得力に欠ける計画であることを、互いの胸に秘めていたような気がする。

 そう…、つまりはお互い今日の行動に対して昨日の日中・石転び沢にあってのような本気度が感じられない…いや、お互いと言うか少なくとも自分には、だ。大きな目的を遂げてしまった途端“里ごころ”がついてしまったのだ。ただ、この里ごころと言うのは「早く大分に帰りたくなった」というのではなく、どこか飯豊の山懐で山のいで湯や岩魚の刺身や美味しい地酒で、昨夜やや欲求不満になった山や身の上などをネタにした語らいへの願望に起因するところ大なのだ。

北股岳〜門内岳〜地神山〜丸森尾根下降
 さて、前述のとおりの内面の変化もあり、表向きはまだ頼母木小屋泊を前提とした稜線漫歩で前日苦労して上がってきた石転び沢を反芻し、その向こうの遥か彼方の連嶺、一昨年縦走した朝日連峰やさらにその向こうに垣間見る鳥海山、月山に思いを馳せ、イワカガミ、ヒナウスユキソウ、シラネアオイ、ショウジョウバカマなどを愛でる、のんびりとしたひとときであった。

  
        左:梅花皮小屋と梅花皮岳、右:今回登った一番高い山・北股岳(2024.9m)山頂にて

 地神山の頂上では20年ほど前、胎内ヒュッテから足の松尾根経由で登った杁差岳などを遠望しながら、今日のこれからの行動について「今夜は飯豊温泉に浸って岩魚を肴に一杯、というのも悪くないねえ」と婉曲に提案すると、「それじゃあ丸森尾根を下りましょう」といともあっさりと話がまとまった。

最後に 筆者の名誉のために
 前回の飯豊行紀行文では「この次のこの山は大日岳」と締めくくった。今回の飯豊行で大日岳は、石転び沢を優先させると、日程的にかなりの無理があると感じ、次の機会に譲ることにした。石転び沢を終えた後“里ごころ”がついたことはすでに述べた。梅花皮小屋の夜、我々の後から石転び沢を上がってきた高年の単独行者は、この小屋を起点に大日岳をピストンするという。その話を聴いた時「そういう選択肢もあるんだ」と素直に思った。一度ついた“里ごころ”ではあったが、気持ちを再び奮い立たせるきっかけにはなり得た。ただ、相棒のためらいと、これほどの山をこれで終わりたくないとの気持ちもあり次回に余韻を残すことにした。

 長い紀行文になった。前回20年ほど前の飯豊行紀行文の末尾を繰り返して、今回の山行紀行の締めくくりとしたい。

 深田久弥は、「山は心をあとに残す方がいい、と言った人がある。一ぺんで登ってしまうよりも、幾度か登り損ねたあげく、ようやくその山頂を得た方がはるかに味わい深い。」と記している。同じ様な意味で私は、山は一ぺんに登りつくさぬ方がいい。貧欲に頂を稼ぐよりも、余力を残しながらも、登るべき山の幾つかを残しておく方がいいと思う。私には幾人かの、この山のことを知らぬ山仲間がいる。彼らがこの私のつたない紀行文を読んで飯豊に是非ともと言った時、いつでもお付き合いできるように。そして、ただ単なるお付き合いではなく、その時こそは、私のわがままを聞いてもらおう。すなわち、この次のこの山は、たとえどこからのアプローチであろうが、最高峰大日岳の頂に立ち、できれば飯豊の最も山のいで湯らしい湯の平温泉を締めくくりとしよう。

(コースタイム)6/17 起床4:00 天狗平ロッジ5:18→温見平5:44→砂防堤5:56→梶川の出合7:32→石転びの出合8:30→ほん石転びの出合9:45→北股沢の出合10:54→梅花皮小屋12:38(小屋泊)6/18 起床4:14 梅花皮小屋6:02→北股岳6:41→門内岳7:53→胎内山8:38→地神山9:19→地神北峰(丸森尾根分岐)9:36→登山口駐車場14:20 かいらぎ山荘(泊)