みちのく名山紀行(その1) 
      秋田駒ヶ岳と早池峰山


                                        狭間 渉

 仙台勤務も今年限り、東北の山を案内できるのも今のうちですよ、という仙台支部・鈴木君のかねてからの誘いもあり、しかもお誂え向きに7月1日金曜日に東京出張の命が下った。会社も粋なことをしてくれる。この得難い機会を生かさない手はない。この時期、東北の山々では、生命の息吹が最も躍動する。予約・支払していた品川のホテルを権利放棄し、池袋発岩手県交通の夜行高速バス・イーハトーブ号に乗り込んだ。

7月2日曇り時々晴れ
 早朝の水沢駅で下車。鈴木君の出迎えを受け、鈴木車で一路秋田駒ヶ岳の、本日の登山口となる国見温泉へと向かった。

 東北はこの時期、梅雨真っただ中で当初、名だたる名山の山域はほとんど期待薄の天候であったが、日が近づくにつれて雨マーク→曇りマーク→一部に晴れマークと次第に好転。それにつられて目標の山も天候とにらみ合わせつつ二転三転した。

今回の相棒兼案内役の鈴木君からは
「おはようございます。東北は土曜日は、ウエザーニュースでは曇り時々晴れです。山形、秋田、岩手方面も同様の天気です。大朝日(山形) 早池峰(岩手)・・・・うまくいけばウスユキソウ、 和賀岳(岩手、秋田県境)・・・・うまくいけばニッコウキスゲ。ご希望いかがでしょうか?バスの手配もありますので、今日中の決定といたしたく。ご検討ください。」(6/29付メール)             
 といくつかのメニューが提示される。たとえ天候不良でも日本有数の巨木・古木を有する和賀山塊の深い森の中のプロムナードならば、‘雨でも全然オッケー’…のつもりであったが、あいにく数日来の集中豪雨でこの山域へのアプローチは完全に遮断され、急きょまず秋田駒に、翌日あわよくば早池峰山にということになった次第。

 今日の宿でもある、秋田駒ヶ岳登山口・国見温泉(標高850m)の森山荘主人の話だと、ここのところずーっと雨ばかり、今日は久々に日が差したとのこと。主人に見送られて7時58分登山開始。まずは横長根(1150m)という外輪山の尾根の頂まで直登すること45分、稜線に上がってくるといきなり眼前に大きな山塊が現れた。女岳(1512m)だ。

ここでちょっと秋田駒ヶ岳を学習しておこう。
「駒ヶ岳は、十和田八幡平国立公園の南端にある秋田県第一の高峰である(最高地点は鳥海山山腹)。本峰の男岳(おだけ、1,623m)や火口丘の女岳(めだけ、1,512m)、寄生火山の男女岳(おなめだけ、女目岳とも書く、1,637m)からなり、各地の駒ヶ岳と区別するために秋田駒ヶ岳と呼ばれている。近隣では愛称をこめた短縮形で「秋田駒(あきたこま)」とも呼ばれる。昔は女人禁制の信仰の山であった。火口丘の女岳は1970年(昭和45年)9月噴火し、山頂西部に溶岩流を堆積させた。」(以上Wikipediaより)。

 何しろ東北地方となると県の位置関係さえ恥ずかしながら不案内。それに加えて登る山域さえ鈴木君まかせだったから予備知識ゼロ。まったくひどい話だ。その分、次々と移りゆく光景は常に新鮮だ。既に何度か登っている鈴木君の解説に耳を傾けながら、横長根の緩い尾根を徐々に高度を上げ途中の男岳分岐から進路を小岳方面に採る。

ここのトラバースの上下左右の斜面がコマクサの大群落であり、この時期多くの登山者のお目当ての一つなのだが、あいにくまだ花の時期には少し早いらしく、無数のコロニーを注意深く観察してもわずか数輪やっと見つける程度であった。

 小岳の東斜面を上がりついたところで一面見渡す限りのお花畑が飛び込んできた。「どうだ!」と言わんばかりに鈴木君が歓声を上げる。この時期の東北の初夏の山々の花の素晴らしさを、はるばる九州からの‘客人’に自慢したかったであろうから、無理もない。うん、なるほど素晴らしい! 

 お花畑の中の木道を進むと男岳の残雪を抱いた荒々しい山容が立ちはだかる。この取り付きにはシラネアオイの群落がある。ここからは男岳の急斜面標高差200mほどをジグザグに上がっていくが、約ひと月近く不健康な日々を送っていた身には、東北の山を毎週のように歩き続ける鈴木君の軽い足取りとは対照的だ。約40分ほどのアルバイトで本日の最初のピーク男岳到着。

       

西方眼下にはまず、日本で一番深い(最大深度は423.4m)という田沢湖、なるほど見るからに深みのあるその湖面が、満々と水を湛えている様子が手に取るように分る。次にまだ活動期真っ最中の女岳の溶岩流のデブリが足下に生々しく、先程登ってきた横長根、それに眼下の金十郎尾根が女岳を取り囲むカルデラの外輪山に当たることがよく判る。さらに、阿弥陀湖という、湿地帯の中の小さな池を挟んで主峰・男女岳が迫るが、この光景はどことなく阿蘇の草千里を思わせ、この山域一体がまるでミニ阿蘇といった趣だ。

             

 少し早目の昼を済ませ、いったんコルまで戻り往路とは反対の阿弥陀湖側に下り阿弥陀湖の両側に設えられた木道の山頂側を進み小一時間ほどで秋田駒ヶ岳最高峰男女岳(おなめだけ、1637m)に立つ。

             

             

北東方向に岩手山の急斜面、南に和賀岳、北西に森吉山、東南東方向に早池峰山など山塊が雲間からかすかに望まれ、西方眼下には田沢湖、いずれも東北一帯を毎週のように駆け巡る鈴木君の解説あったればこそだ。正直、東北地方の全体像と著名な山々の位置関係が、解説者が多分イライラするであろうほどにとんと頭に入ってこない。とはいえ、当初雨中登山も辞さないつもりであったことを考えれば、幸運にも山頂から、おぼろげでも各著名山塊を垣間見たことで、いくらか東北の山の概念が描けてきた。今後のこの山域への、今日の登山は重要な取っ掛かりとなろう。

 さて、往路は避難小屋から横岳経由、外輪山を北端から東に弧を描くように足早に南下し、訳もなく飛ばす鈴木君に煽られながら、時間はたっぷりあるし、天気も持ちそうだし、本心もっとのんびり下りたかったが、あっという間に登山口の森山荘まで駆け下った。

 まあ、後でわかったことだが早く下って温泉でのんびりしたいということではなく、どうやら明日の早池峰の行程・作戦をじっくり練りたかったようだ。で、几帳面にぎっしりメモられた手帳を精査しつつ曰く「明日の狭間さんの羽田空港午後7:15発JAL最終便に余裕を持って間に合うために、しかもせっかくの機会だから宮沢賢治の関わりのある施設を一か所でも訪れる時間を余すべく逆算していくと、早池峰登山口へのシャトルバス第1便6時発に間に合うことがベスト。であるから、明日は早朝3時に宿を出ましょう。」と。

 今後の計画が決まれば早速温泉へ。ここの宿は、温泉は‘エメラルドグリーンの湯’、料理は‘素朴な山菜料理や清流育ちのイワナ料理’とか。少々熱めの湯に鈴木君はいつものようにカラスの行水、おゆぴにすととしてはまったくもって不謹慎極まりない入り方だ(そういえばもう一人、落ち着かない入り方をする人が大分にも居たな)。誰も居なくなった浴室で独り静かに国見温泉を味わう。

 夕食はこの山で豊富な根曲がり竹などをメインの山菜料理と岩魚の塩焼き、東北震災の生々しい様子など鈴木君の体験談を聴きつつ大瓶ビールとご当地地酒をたしなむ程度の飲み方で。それでも深夜バスと久しぶりのアルバイトの疲れか、部屋に戻るや暗くなる前に寝入ってしまった。

7月3日曇り時々小雨
 翌3日は午前2時前に起床。昨夜入り損ねた露天風呂に、と暗がりを探す。小さな露天の浴槽を見つけ早速辺りを気にせず脱ぎ散らかして足を突っ込みかけて慌てて引っ込める。何とこの浴槽はペット用なのだ。人間様よりも入浴料は高い。話には聞いていたが、こんな山奥の、お隣には日本秘湯を守る会にも属する「石塚旅館」もある、秘湯のはずだが…。人間様の露天風呂はすぐその上部にあり、記念のデジカメにおさまろうとしていると鈴木君も入ってきた。

        

 午前3時、車のエンジン音に気を使いながら静かに森山荘を後にして一路早池峰山の登山口へ。6月の第2日曜日から8月の第1日曜日の土日祝日は登山口付近の混雑を解消するために、岳集落から江繁地区まで車道はマイカー規制が行われ、かわりにシャトルバスが運行されている。途中ガストで朝食などゆっくりしながらも早朝6時のシャトルバスに間に合い、距離にして約8キロ、高度差700m余り登った小田越(標高約1240m)が本日の登山口。早池峰山(1917m)などに格別の想いを持つ高瀬からは「この時期ハヤチネウスユキソウの開花にうまく行きあうとよいですね。せっかくだから時間に余裕を持ち宮沢賢治記念館に是非立ち寄って」とアドバイスも受けていた。

 6時半前に登山開始。森林帯を20分ほど緩やかな登りで、明るい岩稜に出てゴロタ石の中の急登となる。国見温泉からの移動中雨が降りだしたりで心配したが、頂稜部はどんよりした雲に隠れてはいても、幸い雨はどうにか遭いそうにない。今日は周囲の風景よりも足元の高山植物に神経を注ぐ。何といっても今は、日本有数のハヤチネウスユキソウの見ごろといわれる時期なのだから、当然多くの登山者の目的もそれだ。

長年農業技術で禄を食んでいた身ながら植物の名前にはとんと疎い。それでも、厳しい環境に必至で耐えひっそりと可憐に咲く高根の花を観ると心が和むし、けなげな花たちにエールを送りたくなる。

 岩稜帯に入ってすぐに、ミヤマオダマキが、次いでミヤマシオガマ、ミヤマアズマギク、ベンケイソウと次々に花たちが出迎えてくれる。さらに登って行くとお目当てのハヤチネウスユキソウが目に入ってきた。ハヤチネウスユキソウはこの早池峰山では見頃は平年で7月20日頃とか。気がつくと辺り一面に意外に多く見つけられたが、まだ開花盛期には早いようで、登るにつれて生育が遅れやっと花梗が伸びつつある状態でちょっと残念。(なお、ウスユキソウの仲間はこの山域には数種類あるようなので、くだんのウスユキソウを含む、ここに挙げた花たちの名称は正真正銘のものかどうかについては正直皆目自信はない。)

  
 
              


              


 さて、延々と多分山頂までこの調子であろう、幅1〜2mの両側に張られたロープに導かれて次第に高度を上げていく。霧の流れで時おり対面の薬師岳などが顔を出すが、上空は相変わらず今一つの天気。さらに登ると霧の中から大きな壁が姿を現す。2段のフェースで落差30mほどか、中央に頑丈なハシゴが設えられている。ガスが晴れればこのフェースの登高は圧巻だろうに、残念。

            

この岩場を越えると頂上は近い。小田越からの標高差もだいぶ稼いだらしく、花々も趣を変えてきた。名も知らぬ可憐な花々を愛でながらゆっくり稜線漫歩を続け山頂小屋に着く。

       

 昨日来お腹の具合が今一つさえず、頂上避難小屋にはトイレがあると聞いていたので早速駆け込むが、「携帯用トイレ使用に限る」と書かれてある。そういえば小田越で携帯用トイレ1個350円でボランティア団体らしきテントで売っていたのを思い出した。これといい、登山道両脇のロープといい、行き過ぎた自然保護もどうか、との個人的な考えもなくはないが、ことほど左様にこの山域での自然保護問題は深刻なのだな、とも思う。

 職業柄土壌微生物などにもわずかばかり関わってきたが、九重や祖母など九州の山々の豊富な土層は微生物相にも富み、大勢の登山者の糞尿なども受け容れるに余りある緩衝作用があるだろう。毎年数万人の登山者に‘蹂躙’される九重山のミヤマキリシマも、この九重の山の持つ緩衝作用により登山者から守られている。その反面、過酷な自然条件の中、岩と岩のわずかの土層にしがみつくように必死に根を張るこの山の植物たちは、一面で九重のミヤマキリシマなどよりも逞しくもあるが、彼ら彼女らを育む土壌が、この地域の農耕地でさえかつて長いこと冷害とやませに泣いた‘すえた土地’(※)であったし、それ以上に微生物相貧困で野生動物の糞尿でさえ受け容れきれないであろうから、ましてや下界でストレプトマイシン耐性となった大腸菌にまみれた人間様の糞が加われば、極めて鋭敏に反応せざるを得ないであろう。かてて加えて、登山者の圧倒的多数からすればこの山の持つ浄化能力のキャパシテイをはるかに超えていると思う。携帯用トイレも「むべなるかな」というところか。霧の中、みちのくの山の頂に立ったという感慨は今一つで、むしろそんなことを思った。

          

 さて、充分な余裕を持っての登山だっただけに山頂着も午前8時を20分ほど過ぎたところ。しかし、案内人・鈴木君は先を急ぐ。せっかくの岩手だからせめて宮沢賢治の関わりのある施設一つくらいは観て行かないと、ということで羅須地人協会に立ち寄るべく足早に下山した。

            









早池峰山登山口の小田越
左の簡易テントでは、ボランティア団体が携帯用トイレの啓発活動を熱心にやっていた。近頃何かと自然保護団体の活動が喧しい九重の山も早晩、こんな風になるのだろうか…。
              

賢治先生について少しばかり
 羅須地人協会のことについては詳細は省くが、現在は岩手県立花巻農業高校の一角に移設されている。玄関横の黒板には、宮沢賢治の筆跡を模した『下ノ 畑ニ 居リマス 賢治』の文字(復元整備の際に弟の宮沢清六によって書かれたものが、消えないよう農業高校の生徒によって上書きされ続けている)が記されているのがまず目に飛び込んでくる。説明には賢治‘先生’との関わりが詳述されている。そういえば「岩手の人は宮沢賢治のことを‘賢治先生’と特別な尊敬と畏敬の念を込めて呼ぶんですよ」と高瀬が言ってたのを思い出す。その賢治先生と早池峰山とは格別の関係があることも高瀬から聴いた。それはつまり賢治先生が土壌肥料の専門家であるということによる。

「炭酸石灰のセールスマンをしていた。炭カルが最も安価で効果の高い土壌成分を可給態化する農業資材だったからである。」、「岩手県にとって早池峰の意味は、やませの防壁としての意味ばかりでなく、す(酸)えたる台地をなおす土壌改良資材の供給者としての意味もある」(※脚注参照)

…宮沢賢治と花巻と早池峰山の関わりを思った時、あらためて早池峰山の姿、この地からの位置関係を追おうとしたが、あいにくの曇雨天で早池峰山のこの地からの山容はわからずじまいであった。
            











羅須地人協会の一室
賢治先生はこの部屋でストーブを囲んで‘すえた’畑地の土壌改良を熱っぽく語ったかも

おわりに
 今回、東京出張に絡めた週末わずか二日間のみちのくの山旅であった。正直、東北の山に実質初めて臨むにあたって、何の下調べもせず、予備知識を持たず、ただ山道具一式を宅急便で送っただけで、行程は人任せ、自分でも不謹慎極まりないし相棒に対しても甚だ失礼であったと思う。深く考えれば、震災後の東北旅行そのものが構えたものになる。なぜなら、相棒・鈴木君は仙台の工場で罹災した一人だ。本人は一見淡々としているようにみえるが、車やそれに積んでいた山道具を失った。「命を失ったり、家屋を失ったりの大勢の罹災者から見れば私なんかはたいしたことはないですよ」と笑う。

北上駅まで送ってもらい、新幹線に乗り込んだ途端、寝入ってしまって気がつけば仙台を過ぎており、慌てて窓外に震災の爪痕を追う。海岸線と違い新幹線沿いには大きな損壊あとはあまり気付かなかったが、一つだけ、日本瓦の屋根がいたる所で青シートで覆われており、その光景は首都圏に入るまで次第に少なくなるものの延々と続き、震災がいかに広範囲に及んだかの一端を垣間観ることができた。

 何はともあれ、「みちのくの山旅 その1」を終え、あらためて地図とにらめっこしながら反芻するうち、東北の山々の概念が少しずつ頭に入ってきた。冒頭述べたように鈴木君の仙台勤務もそう長くないらしく、であれば今後とも貴重なチャンスを「その2」、「その3」に繋げていきたいと思った次第。今回の山行案内に対する感謝と今後の山行への期待を込め、いつになく早く立ち上げたこの報文に免じて、数々の失礼の段お許しあれ。(おわり)


〔コースタイム〕 7月2日 国見温泉登山口7:57→横長根8:45→男岳分岐9:23→男岳10:58→男女岳11:57→横岳分岐12:37→登山口14:19  7月3日 小田越登山口6:29→ハシゴ場7:55→早池峰山山頂8:19→小田越10:22

※酸(す)えたる土…賢治は、ふるさとが持つどうしようもないほどの酷薄な農業の風土的現実を知り、懸命に生徒たちを教えたが生徒たちの大半は農民として生きていく道を選ばなかった。盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)の助教授になれるチャンスを投げ打ったのは、そういった現実に直面した時で、自ら羅須地人協会の旗を掲げ農民を直接教育していく道しか残されていないと感じたからである(藤根研一「農民芸術概論の風」)

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