陽春の候、向霧立・国見岳周辺と霧立越をトレッキングするの巻

  
                                                         栗秋和彦

 GW前半の連休に念願の脊梁山地へ挟間兄と二人、初めて踏み入れた。彼の言葉を借りれば「取っておくべき山(※1)」として、敢えて未踏を許していた山域にようやく向かわせたのは、筆者の呼び掛けに人生の残り時間を逆算して呼応したのは想像に難くない。その意味でこのエポックは偶然ではなく、機が熟した結果であって、その歴史的山行を見届ける同行者として、重責に打ち震えながらのルポになる筈である(てな訳ないか)

 と大仰な心境はともか、初日は五家荘の樅木登山口(五勇谷橋ゲート)から烏帽子岳〜五勇山〜国見岳〜登山口とぐるっと一周11.7キロ、累積標高差1113m6時間余りの山旅を堪能。そして二日目は宮崎県側に転じ、霧立山地の北端、五ケ瀬ハイランドスキー場下の白岩登山口から向坂山〜杉越〜白岩山を縦走した。初日の国見岳周回は躍動感溢れるワインディングコース、二日目の縦走路は霧立越と言われ、かっての交易ルートであり、馬が歩き易いように起伏も少なくしっかりした尾根道がつづき、往時を偲びながら静かな山旅が味わえた。直線距離で10キロにも満たない山域であっても、ずいぶんと趣の異なる山歩きだったが、いずれのコースも主稜線に上がるとブナやヒメシャラ、ミズナラなど自然林の宝庫で、九州山地の懐の深さをいやがうえにも実感した山旅だったのだ。

   
 仮宿とした五勇谷橋ゲートの駐車スペース           しばし森を彷徨う                 稜線に出て烏帽子岳は目前

 さて初日の29日は未明に登山口の五家荘は樅木の五勇谷橋ゲートに到着。好天が約束されたGW前半の真っ只中、二本杉峠越えはとても国道とは思えぬ狭隘路を恐る恐る上り、五家荘の谷に下ったあとも登山口まで20キロの間、人っ子ひとり、対向車にまったく遇わずにじまいだったとは。まさに秘境の山域を物語って余りあるが、林道に入って2度ほど車の直前を「ドドッ」と横切る鹿の姿にちょっぴり驚き、ヘッドライトに照らされた躍動感溢れる肢体に一瞬、見とれてしまった一幕も。森の生き物の活動時刻に踏み込んだことを改めて思い知らされた訳だが、一方で仮宿とした五勇谷橋ゲートの駐車スペースを占有した人様は我々のみ。明け方になって一台現れたが、九州山地の最高峰かつ熊本県の最高峰たる国見岳の登山口は静寂漆黒の世界そのものであった。

 しかも今回の樅木登山口(五勇谷橋ゲート)から烏帽子岳へのルートは、この山域でも更に人気の少ないところとあって、急斜面の杉林に付けられた登山口の標識も小さく心許ない。のっけはジグザグの踏跡を見失わないように辿り、谷を抜け、広く伐採された尾根らしき地点まで達するも、ここから踏跡を見失いしばし彷徨う。そして地図・磁石頼りにやっと稜線に出て登山道を見つけたと思ったら、今度は背丈以上のスズタケが行く手を阻む。

 
    烏帽子岳山頂        五勇岳を目指して快適縦走路 途中の展望岩から市房・石堂山方面(左)と目指す五勇岳の鈍頂(右)

 そんなこんなの道中であったが、何とか赤テープを頼りに2時間20分の所要で灌木に覆われた烏帽子岳(1692m)に到着。「迷わんかったら2時間はかからんよなぁ」とコースタイムにこだわる挾間兄の気持ちも分からんでもないが、二人ともルート探索に長けているとはお世辞でも言えないので、ヨシとしなければなるまい。それより南側の露岩から遠望する上福根山や白鳥山の稜線、奥に控える市房・石堂山方面の山稜は快晴の下、くっきりと見て取れて登りの難儀さも帳消しになったのは言うまでもない。

 さてここからは脊梁の一角に足を踏み入れての稜線漫歩だ。先ずは五勇山(1662m)への快適な稜線をずんずんと進んだ。峰越峠への分岐まではわずかだが、一帯は石楠花の大群落を成し、開花期は圧巻であろうや。これを掻き分けブナの巨木群を仰ぎ見つつ、ところどころに現れる石灰岩質の露岩がこのコースのアクセントか。しっかりとした縦走路が気持ちいい。眺望こそあまり望めないが、烏帽子岳への藪漕ぎ登路とはうって変わって山歩きの楽しさが満喫できるコースなのだ。気分も上々となったところで五勇山は近いが、到着してみるとピークと言うには何ともあやふやで、展望も今一つ。国見岳への一通過点として捉えるだけと割り切ろう。その意味で「五勇」とは名前負けの感なきにしもあらずだが、またまた好天に優るものなし。快適縦走路の中間点として記憶に留めておきたい。

    
 五勇岳山頂は縦走路の分岐                  五勇〜国見岳縦走路二題           小国見岳山頂から派生する西尾根を

 でいよいよ九州脊梁の背骨とも言うべき国見岳までの縦走コースである。ここまで他の登山者には誰一人会うこともなく、陽春・静寂の稜線漫歩を欲しいままにしてきたのだが、この環境に嵌まってしまうと、逆に感性が鈍化してしまうのではないか。そんな思いを抱くほど蒼空順光の縦走路を辿る歩きは愉しいひとときであって、ブナの大木の存在感に圧倒され、朽ちかけて半ば倒れ掛かった古木に輪廻転生を思い、開けた林床に繁茂するバイケイソウの若芽に春の息吹を感じるは至極まっとうなこと。そんなシーンについつい立ち止まって見いってしまうのも道理だ。

 めくるめく森の小径のような縦走路もじわじわと高みへ詰め始めると、時間的にもそろそろ小国見岳(1708m)は近い筈だ。と思ったところで縦走路からT字に誘う道標を認めた。なるほどこの頂は縦走路からちょっと外れた小高い丘のてっぺんにあったのだ。不勉強を恥じるばかりだが、この山域では二つしかない1700m超ピークの一つなので外す訳にはいかない。一気呵成に丘を駆け疎林の中、西に開けた山頂まではわずかな距離であったが、北にどっしりと構えた主峰・国見岳から延びる西尾根が眼前に迫り、南には五勇山から烏帽子岳への稜線が手に取るように近い。そして足元から派生している小ぶりな西尾根も、途中からは五勇谷めがけて一気に高度を落とし、深山ゆえの豪快な地勢を形造っている。ふむふむ、やっと名板で山頂と認めたなだらかな頂からの眺めにしてはなかなかの見応えだったのだ。

   
   小国見岳の下りで国見岳を仰ぐ                    国見岳山頂二題・東方の眺め(左)と山頂広場(右)

 さて一旦ゆるやかに下った後は、ブナ、ツゲ、ヒメシャラなどの疎林を縫い、ひと登りで主峰・国見岳(1739m)である。麓は春真っ盛りだが、この付近の木々が萌えだすにはまだちょっと早く、まさに季節の変わり目の感。若葉のみずみずしさを味わうにはあと半月は待たねばなるまいが、春の息吹を待ちわびるような気配が、森全体に満ちている。と静寂を打ち破るような甲高い鳴き声とともに、にわかに森がざわめき、目の前を大鹿が横切った。そして次の瞬間には何事もなかったかのように再びの静寂が訪れ、己の心拍数のみが高止まりのままである。白昼堂々、あっぱれというよりもよんどころない事情で、人様の前を駆け抜けたに違いない一瞬の出来事は快晴微風の下、生気に満ちた森の営みの真っただ中を今、登っているという実感を思い起こさせてくれたのだ。やがて密集した石楠花の群落に入り込み、慎重に踏跡を辿ると、直後の高みが国見岳の頂であった。

 ここに来て登山者グループの賑わいに驚かされたが、けっこう北面の広河原・杉の木谷コースからの登山者が多く、ちょっと訝った。と言うのも当初我々は大分からの最短ルートとして、このコースから国見岳往復を目指していたからである。であれば必然的に山都町の内大臣林道を経て入山しなければならず、前日(28日)、役場に林道通行の可否を確認したところ、「途中、路肩崩壊で広河原方面は通行止め」の返答を得て、断念せざるを得なかった、という事情があった。

 そこで登山者の一人に聞けば、「路肩注意の標識はあったけどねぇ、(車の)通行に全く支障はなかですたい」と返ってきた。まぁ役所のことなかれ主義に今更憤ることもないが、やれやれの感は否めなかった。しかしものは考えようである。山都町役場のご注進によって、やむなく樅木登山口へ転進したことで、脊梁の核心部である烏帽子〜五勇〜国見岳をグルっと廻る秀麗コースを選択できたのだから。なるほど感謝こそすれ、非難中傷などお門違いだよね、と結果オーライを申し述べて度量の広いところを示しておきたい(しかし不信の念はなかなか潰えないぞ)。

  説明: http://yamahitosuji.sakura.ne.jp/sankourepo/sankou/kyusyu/sekiryou/danmen.jpg
下山途中、烏帽子岳方面の展望 

 閑話休題、九州山地最高峰からの眺望に触れずして山頂描写はおぼつかない。おもむろに祠の側の露岩に立つと、360度のパノラマが広がり、地図上の山名と視界に浮かぶ峰々の照合がまた愉しである。先ずは北西に平家山〜京丈山はほど近く、北方遠方に阿蘇の山嶺、東へ移動するとその奥に九重連山から祖母・傾の連なりと馴染みの山々が広がる。そして至近距離に霧立の峰々が横たわり、山懐の深さを印象づけるのだ。一方、南方間近には足跡を残したばかりの五勇山〜烏帽子岳の稜線が愛おしいが、背後に控える石堂山、市房山、白鳥山など脊梁の主だった山々は、25.6年前登った市房山しか知らず何とも心許ない。それゆえ漠然として取っ付きにくいのが難点だ。ついついよそ者を見るようなかしこまった形相が、一方で可笑しくも有りかな。

 さて賑わいの中、軽く昼食を取ったあとは樅木登山口に向け下山開始だ。分岐は山頂から五勇山への縦走路を戻ることわずかで、石楠花群落の真っ只中にあるが、迷うことはない。明瞭かつ緩やかな踏跡はクマザサとブナの巨木の森を抜けるプロムナードの趣であり、気分は上々足取りも軽い。一旦、急降下して少し緩やかな尾根道を下ると、一ヶ所だけ南面の展望が開け烏帽子岳や上福根山方面の稜線を仰ぎ見ることができる。ちょっとした休憩ポイントだ。しかし総じてこの尾根からの展望は期待できないので、ひたすら下るのみである。ほどなく新旧登山口の分岐に達し、迷わず左の新道急坂ルートを取ったが、聞きしに勝る急坂は身体全体を目一杯使って、ころがり落ちるような30分余りの急降下エクササイズであった。林道に出くわすと五勇谷橋ゲートまではわずか。しばし涼風と若葉のそよぎ、沢音に包まれてグルっと一周縦走の余韻に浸る。挾間兄が作ってくれたキツネうどんのコシのある食感とともに脊梁の一角に足跡を残した思いは、充実感に満ち足りて五臓六腑に染み渡った。

 30日は午前中を霧立越のトレッキングに費やし、午後は家路への移動時間とした。あくまでものんびりゆるゆるを旨とした計画だったので、宿(向坂山の麓、波帰集落の民宿)の出立ものんびりゆるゆるの体であって、致し方なかろう。

 でそもそも霧立越(きったちごし)の響きに歴史とロマンを感じるのは筆者のみならず、マジョリティーの域であろう。正確には九州脊梁山地の向坂山〜扇山にかけて尾根づたいに辿る縦走路を指すが、その昔には「駄賃付け」の道と言われ、肥後の国・馬見原から日向国・椎葉村間に馬による物資の輸送ルートとして開かれたので、比較的起伏が少なくよく整備され、今に至っている。また鎌倉幕府から平家追討に赴いた那須大八朗が平家落人の娘と恋におちた伝説や、ぐっと下がって西南戦争で西郷軍が人吉まで敗走した道としても知られている。おっと西郷軍敗走の話になると、にわかに挾間兄も気色ばんで蘊蓄を傾けてくるので(※2)油断ならない(と言うか話が長くなるので身構えてしまう?)。

   
   向坂山〜白岩山概念図         アットホームな雰囲気だった民宿森のくまさんにて     歩き始めてすぐ杉越への登山口

 さて波帰集落からのアプローチは、うねうねと曲がりくねった車道を上ること123分で標高1308mのカシバル峠着。すなわち五ヶ瀬ハイランドスキー場の駐車場入口である。シーズン中、スキー客はここから専用のリフトで標高1600mのゲレンデまで上がることになるが、この時期はここからダート道となった林道をさらに詰めることが可能だ。1kmほど上ると北面のスキー場と南面の山腹を巻く林道の分岐に出くわし、ここに車を置く。実はすぐ近くに杉越(白岩峠)へ至る登山口が整備され、7〜8台分の駐車スペースもあったのだが、ろくに地図も見ていないので知る由もなく、スキー場へと歩き始めて気が付いたというお粗末さ。まぁ苦笑するしかない。とそれはともかくここの標高はおよそ1400m、本日の計画はスキー場経由で向坂山1684m)に登り、南下して最初のピークの白岩山1647mまでを往復する2時間余りの行動予定だったので、のんびりゆるゆるトレッキングと称する所以なのだ。

 薄雲はあるもののまずまずの日和に誘われて、先ずはスキー場への作業道を詰める。途中の日陰にはまだ残雪がわずかに残り、なるほど標高の高さを物語っているのだ。視界は東面に開け、北東方向には谷一つ挟んで祇園山(1307)と揺岳(1335m)が競い合うが如く存在感を示している。するとすかさずこの両山を分ける大石越(峠)は、西南戦争のおり、西郷軍が布陣した古戦場だったと挾間解説員の弁が割り込む。ムム・・ならば事の顛末まで聞き役に廻るしかないのかと覚悟したものの、さわりの部分で話はとぎれて、ちょっと拍子抜けの感。少しぐらい聞く耳は持っているのに、おやおやどうしことかい?(苦笑)

 で辿り着いたスキー場は尾根上の台地を広範に切り開いたもの。無人のロッジと取り外したリフト座席が冬枯れのゲレンデの方々に置かれており、シーズンオフの侘びしさが漂っていた。北面へ延びたゲレンデの先には小川岳(1542m)が隆起し、西は尾根つづきで真近に向坂山の鈍頂を仰ぐといったあんばい。道標に導かれリフト最高点から丸木階段の山道へ入る。冬枯れのイチイやオオヤマレンゲ、ナナカマドなどの樹木に囲まれ、林床にはバイケイソウの若芽がポツポツと顔を覗かせている。スキー場の茫漠さから一転して植生豊かな遊歩道の趣へ。逆に言えばこんな森本来の植生であった尾根筋に切り開いた人工物の方が、地球時間の中では特異なのだということを示している。

   
    この時期に残雪有り              スキー場への作業道を詰める           北面に広がるゲレンデ(右奥は小川岳)

 そしてその延長線上にある (と思われる) 鹿の増殖が、植生を食い散らすという結果を招き、登山道に沿って累々と張り巡らされた防護ネットがその対症法的な現実を物語っている。その意味でここまでの道のりは自然と開発の折り合いを考えさせられるコースと言えるのではないかねぇ、挟間さん!西郷軍の足取り研究も大事だけどね。でちょっとした急坂を登りきるとほどなく向坂山の山頂だ。遠くは霞んでいるものの枯木立から九州脊梁の山並が望める。西への踏跡は三方山方面への縦走コース。

 つまり椎矢峠を経て向霧立は国見岳方面への縦走路へ繋がっており、食指が動くルートなのだ。おっとしかし今回はのんびりゆるゆるトレッキングなので南へと向かおう。南面へ分け入ると森も深くなり、ブナやミズナラ、ヒメシャラなどの大木が佇む世界へ。新緑を身にまとえばまさに癒しの森へと様変わりする筈だ。そんな中、丸木階段をじわじわと下ること15.分ほどで最低鞍部の杉越(白岩峠)1558mへ降りつく。ここからは道幅が広く緩やかな上りの稜線通しをまっすぐ白岩山へと向かう。柔らかな落ち葉を踏み締めながらの歩きが心地いい。
   
      向坂山の頂にて                  杉越(白岩峠)1558m        縦走路を振り返ると向坂山が鎮座していた

 と向こうから静寂を破る足音がにわかに近づき、早駆けスタイルの青年が息せき切って走ってくるではないか。本日初めて会った登山者がトレールランナーとは恐れ入ったが、なるほど交易ルートだった霧立越全体がトレールランにうってつけなのは容易に想定される訳だ。聞けば南の起点、扇山登山口(松木林道)7時過ぎにスタートして、既に10キロほどの地点である。この後、向坂山から西へ向霧立への縦走コースを辿り、三方山〜椎矢峠〜高岳〜国見岳まで行ければ大満足と話していたが、額面どおりだとゆうに40キロを超える長丁場である。しかし昔取った杵柄的私見を申せば、荒唐無稽な行程ではなかろう。もっとも青年の走力が分からぬでは何とも言いようがないのだけど。

 一方、今も (トレールランは) 現役だと言うに決まっている我が相棒殿は「うんうん、おじさんも一緒に走りたいぐらいじゃ、頑張れよ!」と、したり顔で青年を送り出していたが、脳裡は「祖母・傾連峰日帰り完全縦走を思えば何ちゅうことはないわね」と齢も顧みず夢想したことは想像に難くなかろう。その後彼の歩きは幾分速くなったが、感情移入しやすい性質(たち)だもんなぁ、さもありなんかな。:

 で目的地の白岩山はあっけないほどの近さであった。鹿除けのネットゲートを開けて石灰岩の岩稜で構成する山頂部へ入る。ここは「白岩山石灰岩峰植物群落地(※3」という宮崎県特別記念物に指定されているエリアで、希少植物群を鹿の被害から守るために設けられている。ならば間違ってもコースを外れて踏み付けることのないように気を遣いつつ、岩稜をひと登りで頂に上がり着く。遠くは少し霞んでいるが、360度の眺望を楽しめる格好の展望台だ。先ずは昨日登った九州山地最高峰の国見岳を西方に確認するのが、自然な成り行きでしょう。

 しかし鈍頂ゆえ主稜線上のわずかな高みと認識するぐらいで、見栄えしないのが難点である。もちろん霧立越の山々もこれに劣らず鈍頂の連なりで、南手前にもっこりとした水呑の頭(1628m)も例に漏れずである。その背後彼方は扇山までおだやかに連なり、山深さは認めるにしても、山容はあくまでも地味に徹している。それゆえブナの森を愛で、動植物の息遣いに耳を澄ませて、昔からの交易ルートの名残りもしっかりと味わいながら歩くことこそ霧立越の真髄ではないのか、と遅ればせながら悟った次第。

   
白岩山の頂から西方、国見岳方面を望む 心洗われるようなおだやかな縦走路を歩く 下山後のランチタイム、キツネうどん第二弾

 その意味で脊梁初見参の我々にとっての次の課題は、扇山まで霧立越全コースの踏破と言っていいだろう。おっとすっかりその気になった相棒殿は、まさかクロカンシューズに履き替えて赴くんじゃないよね。う〜ん、その表情を盗み見ると充分現実味のある話だと思わぬでもないが、まだ見ぬ霧立越南部の縦走路に思いを馳せ、後ろ髪を引かれながら引き返したのだった。

(※1) おゆぴにすとHP 「山岳随想」の欄、「脊梁への思い」・・・挾間渉 1994年 参照
(※2) 司馬遼太郎著の「翔ぶが如く」に嵌り込んでおり、地域研究に熱心である。
(※3) 白岩山は九州で最も高い石灰岩峰で、温度変化が激しく、乾燥し易い地形とカルシウムを多く含むアルカリ性の土壌のため植物にとって生存条件の厳しい環境だが、森の中では生息出来ない光を好む草原性の植物達が逃げ込みイワギク(大陸系植物)、ホタルサイコ(北方系植物)などのような氷河期の生き残り植物(遺存植物)たちが長い年月その種を維持しており独特の植物群落を形成している。

(参加者) 挟間、栗秋

(コースタイム)

42829  大分()2105⇒(車・R10R57〜熊本空港〜R218〜二本杉峠〜R445〜林道経由)⇒樅木登山口(五勇谷橋ゲート)140(仮眠)650→烏帽子登山口653→杉林の伐採した台地730 (小憩) 42(迷う)→ルート発見817→本谷分岐905→烏帽子岳913 23→峰越分岐928 30→展望岩945 47→五勇山1010 29→小国見岳1114 18→国見岳1139 55(樅木コース)→新旧登山口への分岐1239 41→新登山口1314→五勇谷橋ゲート1319 1403⇒(車・林道〜R445〜二本杉峠〜R218R265経由)⇒五ヶ瀬・波帰集落1638  民宿森のくまさん 泊

430     宿758⇒(車)⇒白岩山登山口816 28→五ヶ瀬ハイランドスキー場856 902→向坂山920 26→杉越941 46→白岩山1003 12→杉越1029→登山口1043 1137⇒(車・R265〜波野から県道〜R442経由)⇒長湯温泉(天満湯入湯)1355 1430⇒(車)⇒大分()1528    総走行` 430`

(平成2342830日)
(後記)
我々にとって脊梁は初めての山域であったことは既に書いた。それゆえ未知の風景に接し、新鮮な山旅を経験することができたものと思っているが、相変わらず物見遊山なルポになってしまった感が強い。それでもずっと気になっていたことがあった。霧立越で見た鹿除けネットの徹底ぶりにである。鹿は今、個体数が全国的に増え続けており、九州の中山間地でも例外ではない。農作物や植林木の被害が増え、また場所によっては生態系に悪影響を与えていることも知っている。しかしそれは人間との境界線、つまり里山や山麓の農作物や植林地に被害を及ぼすという意味でしか思い浮かばなかった。

 ところが今回の山行で、鹿の個体数の多さを連想させる事象に2.3遭遇し、霧立越では累々とつづく厳重な鹿除けネットを見るにつけ、図らずもわずかに残された奥山の天然林などで事態はより深刻なものになっていることが分かった。脊梁のすばらしいブナやミズナラの森も例外ではなかったのだ。それでも一介の登山者 (自分のことですね) にとってはこの山域の自然林の多様性は、豊潤な自然の営みが途切れなく続いている結果だと思い込みがちである。しかし最近になって食害によるスズタケやブナの立ち枯れが目立ってきており、鹿除けネットの威力も、メンテナンスの大変さや自然災害等による破損などにより、効果は年々薄れてきているという(※4)

      
 089月撮影 五ヶ瀬ハイランドスキー場を闊歩する鹿の群れ (※5)  白岩山の稀少植物を守る鹿除けネットに関心を持とう

鹿の被害は今に始まったものではなく、天敵のオオカミが人の手よって明治期に絶滅し、山地住民の高齢化で狩猟人口が減少するなどの要素が加わって数が増えてきた。一方で人工林の増加で人里近くや、深山の天然林に捕食の場を求めてきたことも自明である。つまり過去から現在の人間の営みに対する自然のしっぺ返しの面は否めず、早急に結論の出る問題ではなさそうである。その意味で少なくとも我々、一介の登山者にできることは殆ど何もないことが分かる。

 強いて言えば惚れ込んだ山域が鹿の被害で苦しんでいて、被害防除作業等のボランティアを求めているなら、率先して参加することぐらいではなかろうか。自然の恵みを享受しながらの山歩きも、際どい自然のバランスに晒されているという事実を常に思い描くことが肝要である。その意味で今回、念願の脊梁山地を歩き、見えた課題の大きさ、重さを思えば、浮かれた山旅ルポだけで締めくくる訳にはいかなかった。いくばくかの危機感を表明し、この種課題に関心を持ちつづけることが、脊梁を歩いた者の責務と心得たい。

(※4) 平成22年4月 「緊急リポート 白岩山石灰岩峰植物群落の保全とカモシカの保護について」 秋本治 参照
(※5) 同上の「緊急リポート」から転載

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