おじさん二人、晩秋・快晴の釜山アルプス・金井山を歩く   栗秋和彦

 9月中旬 一泊二日の釜山旅行の二日目、カミさんと釜山アルプスは金井山(クムジョンサン)の縦走を企てた。しかし行程上 南門から東門を経てこの山塊の最高峰・姑堂峰(コダンボン802m)を仰ぎ見る展望ポイントまで辿り着くのがやっとで、当然のことながら全山縦走は時間切れで断念と相成った。となるとこの宿題は早い時期に果たさなければどうも落ち着かないし、あわよくば天気晴朗、紅葉真っ盛りの時期を選び歩くことができれば文句なしであって、旅程も最低二泊三日は確保して中日を登山に充てるのが、現実的な選択肢であった。そこでパートナーとして、おゆぴにすとの挟間兄を誘い、スケジュールが合致した霜月は下旬に決行とした。全山縦走となれば歩行だけでも7時間程度はかかるので、カミさんは離脱の意思をあらわにするし、一人ではちと心細い。下山後の東莱(ドンネ)温泉は虚心庁ホシンチョン1)入湯も組み込めば、(彼の)おゆぴにすととしての大儀も立つ。更にはぎりぎり紅葉を愛でることも可能じゃないか、と口説き落としたのだった、フーフー。

    
 冬柏公園から広安大橋と高層マンション群を        海東竜宮寺全景           龍頭山公園のタワー展望台から港方面を臨む

 さて初日(21日)は昼過ぎに釜山港着。釜山の街は34年ぶり(※2)の挾間兄のために、市内屈指のリゾート地・海雲台(ヘウンデ)のヌリマルAPECハウス見学や郊外の機張(キジャン)・海東竜宮寺(ヘドンヨングンサ)見物、更には慌しく市街地へ舞い戻って、夕焼け染まる市内全体を俯瞰し、街の概念を掴んでもらおうと、龍頭山(ヨンドンサン)公園のタワー展望台へ案内するなど、まったくの観光旅行の体だったが、狭い平地に高層ビルが建ち並び、不況真っ只中の彼の地にあってもエネルギッシュかつ喧噪絶えない街の様子は、(彼には)いささかのカルチャーショックをもたらしたに違いなかろう。まぁそれでも方々の名所案内から夕食宴会を共にしてホテルへの引率まで、お世話していただいたユン((※3)のキュートで親身な案内がなければ、ノリノリの半日観光には至らなかった筈だ。その意味で彼女と某高速船会社釜山支店の取り計らいに感謝するのみである。

   金井山絵地図、イメージだけは掴めるけどね

 さぁそして本番日(22日)、まだ薄暗い中、ホテルを7時過ぎに出立して地下鉄・南浦洞(ナムポドン)駅まではわずかだったが、自動券売機の扱いに手間取り、5.6分のロス。おっとこれは織り込み済みであって、あとは40分余りの電車の旅で異国情緒に浸るのも一興だ。つまりは電車内での物売りおじさんの述べ口上の巧みさや、車内そちこちでしゃべりまくる携帯電話の騒々しさはマナーというより、国民性の違いと悟った方が妙に納得してしまう。おかげで梵魚寺(ポモサ)駅到着まで退屈することはなかったが、長丁場?の行程ゆえ、金井山塊の中腹に位置する名刹、梵魚寺まで先を急いだ。と言うのもこの寺そのものは曾遊の地、境内は隅々まで周知済みだが、この一角にあるべき登山口のありかまでは分からぬまま、来てしまったのだから(※4)

 おっとしかしめぼしを付けていたとおり広大な寺の上部、南側を流れる枯れ沢に登路を見出して、まずは安堵したのであります。登山口さえ分かれば最高峰・姑堂峰攻略なんぞ何のその、一番の気懸かりが払拭された訳で、あとは大船に乗って行こうぞ!と鼻息も荒くなろうというもの。してその要因は案内板の英語併記にあった。ハングルだけではまったく分からぬ我々にとって、理解できる表記は異国の地にあって、文字通り道しるべとして機能する有難さを再認識したのだった。

    
   梵魚寺境内を歩く。この先が登山口     登山口から疎林と露岩の枯れ沢を登る      広大な稜線上に北門が現れる

 さぁならば枯れ沢の大きな岩塊を縫うように遡れば迷うことはない。雲ひとつない快晴の下、まだわずかに赤や黄色の葉を残した落葉樹が紅葉の名残りを示し、山稜から吹き降ろす乾いた風がカサカサと落ち葉を鳴らす。そこはかとなく漂う雰囲気は寒々と侘しげな初冬の趣そのものであろうが、葉を落としたとはいえ、自然林に抱かれたコースは風情があって、ただ脇目もふらずに登るのはもったいない気がしないでもない。いやむしろ物珍しさゆえのゆるゆる登山の体とあって稜線の一角、北門までに数人(組)の登山者から交されたが、その元気印諸兄は決まって年配者のおじさんたちであった。ならば彼らの挑発?に乗って「おっちゃん、ニッポン(のおじさん)代表もピッチを上げようぞ!」などと無粋な言は控えたものの、隣国のおじさんパワーは闊達であったぞな。

 とまぁそんなこんなで枯れ沢を離れ、傾斜も緩くなってくるとだんだんと幅広の林道にも似た登路へと変わり、ほどなく広大な稜線に出て、朝日に輝く北門が視界に入ってくる。と同時に右手北方を見遣ると盛り上がった丘陵帯の中央がせりあがって岩峰群が形成されているといったあんばい。まさに2ケ月前に遠望した最高峰の姑堂峰が至近の距離にあったのだ。

      
 姑堂峰の頂へ木製階段をトントン拍子に登る  頂から見下ろす悠々たる洛東川の眺め       姑堂峰の頂点に立つ挟間兄

 うんうん、ならばしばし休憩して念願の岩峰をしげしげと見上げよう。率直なところ奇っ怪な岩峰群を攻めるルートへの興味は尽きないが、北門からは圧倒的高度差を誇るでもなし、登路はいたって単純明瞭の様子。潅木帯の緩斜面を10分も登ると簡単に岩峰基部に辿り着いたのだ。そして「さぁいよいよ花崗岩の岩登りだぜ!」と半ば警戒気味に気勢を上げようとした矢先、目の前には頂へと直上する頑丈無比な木製階段に誘われたのだ。つまり岩登りの気遣いなどまったくなく、まさにトントン拍子の登路とはこのことであって、ものの数分で奇岩の頂点、姑堂峰の山頂にあっけなく到着。少なからず頂上登攀に身構えていた我々に何とも拍子抜けの感は否めなかったが、それを差っ引いても、頂からの眺望を貶めるものではなかった。

 頂点の岩峰によじ登って先ず視界を捉えたのが西方眼下の秀景。遥か下方に洛東川(ラクトンガン)が南北にゆったり流れ、広大な流域の左岸は高層ビル群や工場地帯の趣。右岸一帯は農地やビニールハウスが点在する近郊野菜の一大生産地とも見てとれる。一方、東方は東莱(ドンネ)の街並みを挟んで重厚な丘陵地帯がつづき、その先は海原こそ遠望できなかったが、東海(日本海)に達している筈だし、北方視界は累々と山なみが重なり隙間がない。そして陽光きらめく南方は金井山塊の主稜線上の山々を見下ろし、更には釜山の繁華街、西面(ソミョン)方面の高層ビル群がわずかに確認できるのだ。つまり四方八方視界を遮るものはなく潔い。さすがにこの山塊の最高峰としての眺望抜群、恐れ入って感服いたした、と結論付けたい。

    
   一旦下った北門から仰ぎ見る姑堂峰         第4望楼付近から振り返る     第3望楼付近から南方へとつづく稜線を臨む

 さて念願のピークを踏んだ後はいよいよ南門目指して縦走開始だ。先ずは一旦北門へ下り、城壁に沿って主稜線を南下するものだが、ルートは至って簡単明瞭。北門からはだらだら上りを経て、姑堂峰や東莱の街並み、はたまた東門へと至る主稜線を眺める絶好の展望ポイントの第4望楼(と思われる)を経て、これまた格好の展望ポイントである第3望楼(と思われる)、更には前回、北進コースの到達点であった姑堂峰を遠望する露岩と草地の展望ポイントまでが、この主稜線上でもっとも華やかかつ格好の稜線漫歩を体感できるエリアだと言っていいだろう。それほどこの区間が秀逸なのは、顕著な城壁に沿ってコースが整備され、歴史の重みを感じ取れることと、アップダウンを織り交ぜながら奇岩、岩峰がそちこちに配分?され、眺望に優れ変化に富んだコースとなっていることに尽きる。なぜなら前回歩いた南門〜東門〜露岩と草地の展望ポイントまではその殆どが、林間ウォーキングの趣であって、稜線漫歩とは縁がなかった。その意味だけを問えばただ歩いたという行為だけを刻んだと言えるからだ。

 で、このハイライトコースに足を踏み入れた時刻は10時を過ぎたころ。このころになるとすれ違うハイカーの多さは九州の(著名な山の)比ではなく、東門方面からひっきりなしにやってくる。それもシニア世代が席巻するニッポン国とは大きく異なり、家族連れや若者が多いのも大きな違いと言っていいだろう。つまりコース全体が賑やかかつ華やかであって、普段から口角泡を飛ばす彼等の会話特性や言語からくる騒々しさ?だけではなく、山歩きが世代を超え健全なレクレーションとして隆盛を誇っていると見てとれるのだ。その意味では慶ばしいかぎりだが、すれ違う際に等しく道を譲らないのは国民性と割り切ってしまおう。そうでも思わないとある意味、文化の衝突になりかねないもの。特にこっちは登りでも必要に迫られて(下ってくる輩に)しょっちゅう道を譲らなければならない理不尽さも。郷入れば郷に従えか。

     
      第4望楼から姑堂峰をバックに        東門を過ぎ山城峠へ向かう     縦走路は突然車道が横切る山城峠へ出くわす

 閑話休題、軽い昼食を取った露岩と草地の展望ポイントから、相変わらずの人の波に揉まれながら(ちょっと大袈裟?)南下すること20分で東門、更に車の行き交う山城峠を横切って、松林の中、ずんずんと林道を南下すること1時間弱で一応の目的地とした南門へ到着。しかし時刻はまだ12時を少し回ったばかり、予想外の早着とあってまっすぐ下るのはもったいないし、挟間兄の表情にも見てとれたので、今度は稜線直下の林道を西方へ取った。大勢のハイカーがぞろぞろとその方面へ蠢いていたのも動機のひとつで、最初は物見遊山に追随しただけだったかもしれぬ。と言うのもこの先、南西方面の山々(金井山塊の一部ではあるが)はまったくの不勉強で、稜線上に第1望楼と称する展望台があるぐらいの認識だもの。しかしこの林道も途中からは急斜面の登山道と化し、稜線鞍部へと導かれたのだ。ホッと一息付きつつ視界に飛び込んできたのは南面一帯の秀景、つまり釜山中心街の街並みから洛東川下流域へと広がる比類なき眺望。振り返ればはるか北方に主峰・姑堂峰が鎮座し、今しがた足跡を残したばかりの北門〜東門へと至る主稜線がはっきりと見て取れて、なかなかの展望ポイントだったのだ。

 しかしここは通過点。鞍部右手(西方)の急斜面へと登路は続いており、地理不案内でも取り敢えず高みを目指すのは自然な成り行きでしょう。で最初の急坂を登りきると、ゆるやかな支稜へと変わり、ほどなく主稜線上の避難所らしき広場に踊り出たのだ。もしかしたら、いやきっと第1望楼に違いなく、ここでも大勢のハイカーがたむろし、例によって喧騒の渦を作っていた。ならば長居は無用だし、またまた人の流れに追随して稜線を北方へと取った。もちろんこの先に何があるのか知る由もなかったが、未知への期待が行動力の源とあらば適度なアップダウンがつづく潅木帯の縦走路をずんずんと突き進むしかなかった。そしてこの縦走路の両側はともに切れ落ち、高度感を覚えるところが今までとは違い、胸躍った。

    
      第1望楼?広場で小憩      目の前に行止まりの岩峰・玻璃峰が現る     玻璃峰北端から遠望する主稜線

 つまり北門から南門へ至るだだっ広い主稜線縦走では殆ど味わうことのなかった頂稜漫歩が図らずも体験でき、ほくそ笑むおじさん二人の勢いはおのずと増した訳だが、20分ほどで辿り着いた行き止まりのピークが皆の目的地であり、頂に設えた真新しい山名碑で玻璃峰(パリボン615m)と判明したのだ。もちろん行き止まりゆえ頂は東、北、西の三方が切れ落ち、大勢のハイカーがたむろするには狭くいかにも窮屈そうだ。それでも下降ルートを確かめに北端の岩峰まで行き、覗き込むと5mほど下のテラスから古びたロープが垂れ下がっている様子。その先が分からず、もとより下降するつもりもない我々には興味もそこまでだったが、ザイル持参のアップザイレンなら可能かもしれぬぞ(※5)、と呟いた(遠吠えかも?)ことは記しておきたい。一方で頂から眼下に臨む洛東川流域の眺めは最高峰・姑堂峰からのそれより、より近くリアルに広がっていて、これにも胸躍ったことを付け加えておかなければね。

    
   南西稜線上の最高点、上鶏峰の頂にて 下山途中、南門へと下る稜線から上峰を   金剛公園まで谷沿いの遊歩道を一気に下る

 さて図らずも西側稜線上の北端ピークは踏んだ。ならば引き返した先、第1望楼?を素通りして南端のピークも踏まねば片手落ちと言うものだろう。と理屈は付けたものの、これまた先行するハイカーの群れに付いて行っただけだが、くだんの第1望楼?からはあまりアップダウンもなく、途中までは木々に遮られ眺望も望めなかった。が南下するにつれ次第に岩峰、岩塔が現れてきてこれらを巻いたり、攀じたりしながら頂稜はだんだんと先細りしていき、東西両側の視界が開けていくのが分かった。しかし顕著なピークはなく、「お〜い、山頂はどこだぃ!」てなノリで歩を進めたのだった。そして南端、行き止まりの小ピークに上鶏峰(サンゲボン640.2m)の山名碑を認めて、山頂を確認したのだが、玻璃峰と比べると木々が遮り、西側(洛東川側)の眺めはイマイチだったか。しかしこの岩峰では品のいい穏やかな中年夫婦と二言三言言葉を交し、写真を撮り撮られ、ささやかな国際交流を果たしたが、やっぱりこんなに見た目穏やかなご夫婦でも道は譲らないのかしらん。おっと人物評定は余計だったが、一つ付け加えるならこの上鶏峰の凛々しさは東へ延びる(南門へと至る)稜線上から見上げるのが一番。南門への帰途、振り返ると隆々としたその岩峰群の迫力に少しばかり驚嘆の声を上げたのだから。

 とまぁ帰途は忠実に稜線を辿り、南門へ。更に鬱蒼とした松林を抜け、ケーブル山上駅前からは谷沿いの遊歩道を一気に下って麓の金剛公園までひとっ飛び。およそ7時間弱であらかた金井山塊の主な峰々を踏破し、東莱の一角、温泉場(オンチョンジャン・)の街へ舞い降りたのだった。となれば心地いい疲労感とともに虚心庁の湯に浸りながら、今日一日の山歩きを反芻するのもよし、スッポンポンの韓国温泉事情に組するのもよし。その意味でエクササイズモードから遊興モードへの切り替わりはすばやかったが、まだ湯から上っても午後5時前とあっては、秋の夜長に備えて筆者の役目は市街地への案内モードを優先させることにあったね。釜山再訪34年ぶりの御仁のご機嫌を取っておかねば、(貴重なパートナーとして)次なる目当ての韓国本土最高峰の智異山(チリサン・1915m)遠征に支障をきたすかもしれないものね。

(※1)いわゆる韓国版スーパー銭湯(もちろん温泉)。東莱温泉街の中で最もメジャーな施設と言っていいだろう。薬草湯や塩湯などさまざまな温泉が楽しめるほか、韓国式混浴サウナ「チムジルバン」やアカスリからマッサージ等何でもござれ。拙著「久々の釜山一泊、温泉&グルメ&トレッキング欲張りツアー(08年9月12〜13日)」参照。
(※2)1974年8月、大分登高会の韓国合宿(ソウル近郊のロックゲレンデ、北韓山&道峰山登はん)メンバーの一員として帰途、釜山に立ち寄ったが、記憶はあやふや(挟間 談)。
(※3)今春、某高速船会社釜山支店に入社した24歳のフレッシュウーマン。在学中に東京の大学に1年留学しただけあって、日本語ペラペラ。意思の疎通はまったく問題がなかった。(本社から命じられた)業務とはいえ丁寧親身な接客態度は大いに好感が持てた。
(※4)それにしてもこの山塊を歩くのに正確な地図がなくて困った。(日本の国土地理院作成の)2万5千や5万分の1縮尺の地図と同様なものがないのだろうか(知らないだけかもしれないが...)。まさか絵地図で事足りている訳ではあるまいしね。
(※5)後日、福岡山の会の矢田康史氏のホームページ(KOREAN.JOYFUL.MOUNTAIN.CULB)上で、慎重を期しながらもフリーで下降した記録を得た。(山行記録・・・金井山 PartV もうひとつの縦走路)参照。
(行程)
11/21 博多港国際ターミナル10:15⇒(ビートル109便)⇒釜山港国際ターミナル13:10 25⇒(ガイドのユン嬢の案内でマイクロバスで移動)⇒海雲台(ヘウンデ)冬柏公園(ヌリマルAPECハウス他)14:00 40⇒(マイクロバス)⇒機張(キジャン)・海東竜宮寺(ヘドンヨングンサ)15:15 16:00⇒(マイクロバス)⇒南浦洞(ナムポドン)・宿17:15 龍頭山(ヨンドンサン)公園の展望台へ昇り、夕景を眺めた後、宿近くの海鮮料理のゲミジプにてナッチポクム(海鮮鍋)で小宴。ここまでユン()嬢も同席。
11/22 (金井山全山縦走)南浦洞(宿)7:05→南浦洞駅7:10 23⇒(地下鉄)⇒梵魚寺(ポモサ)8:06→バスターミナル8:10 16⇒(タクシー)⇒梵魚寺8:22→登山口8:37→北門9:10 20→姑堂峰(コダンボン801m)9:38 48→北門10:07 09→第4望楼10:22 28→第3望楼10:36 43→展望ポイント(前回到達点)10:55 11:08→東門11:28 30→山城峠11:37 40→南門12:02 06→第1望楼12:20→玻璃峰(パリボン615m)12:42 56→上鶏峰(サンゲボン645m)13:20 25→稜線上のピーク(ヘリポートらしき台地)13:42 53→南門14:07 08→ケーブル山上駅前14:27 28→金剛(クムガン)公園下15:07 16⇒(タクシー)⇒温泉場(オンチョンジャン)の虚心庁(ホシンチョン)入湯15:25 16:35→温泉場駅16:42 45⇒(地下鉄)⇒南浦洞駅17:17→宿17:25  夕食宴会は富平(ブピョン)市場のセプピョンハンウカルビにて 夜食は宿近くの屋台でエビ、カニを肴にマッコリ宴会
11/23 10:00〜12:45 国際(クッツェ)市場〜富平市場〜ジャガルチ市場で買物&飲食 宿12:55⇒(タクシー)⇒釜山港国際ターミナル13:05 14:25⇒(ビートル230便)⇒博多港国際ターミナル17:25

(参加者)挾間、栗秋                                  
(平成
20112123日)

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