初秋 信州、33年目の念願成就 戸隠山縦走の巻 とそれはともかく、この戸隠山への思い入れはひとかたならぬものがあった。それは東京で研修中の身であった青春期、同期で地元のY君の案内で戸隠山の奥社まで足を延ばしたことによる。当時は穂高や剣、谷川岳など著名な山々に憧れ、少しづつピークハントして悦に入っていた頃でもあり、限られた研修期間内(在京中)にどれだけ足跡を残せるかに腐心していて、まるで北信のなだらかな山には興味がなかった。そぅ、妙高や火打、黒姫などたおやか、なだらか、おだやかの三拍子揃った山容が北信の山々のイメージだったので、戸隠山もその類であろうと勝手に類推していたのだ。しかし一目見てこの山は違った。屏風のような急峻な岩稜が眼前に迫り、他の山々とは明らかに様相を異にしてボクを誘うかのように威風堂々と待ち構えていたのだ。もちろんこのときは時間的余裕もなく、奥社詣でが最終目的でもあり、山登りとは正反対、インドア派のY君に連れられては登山などまったく思惑の外。しかしいつかは必ずとの思いは連綿とボクの記憶の片隅に残ってきたのだった。 さて奥社入口でバスを降りると、そこから森を一直線に突っ切って奥社へ参道が延びる様は清々しい。鬱蒼としたブナの森とゴミ一つ落ちていない清楚な参道。玉ジャリを踏みしめながら山へ分け入るシチュエーションは高ぶる心を静めさせ、厳粛な気持にさせてくれる。確かに周りの森はそれを助長させる「気」に満たされており、なるほど古くから修験道の霊場としての歴史がそうさせるのか、霊験新たかに、また心洗われるひとときでもあった。そして相変わらず会話はボソボソ、お互いに仕事や家庭のことなど過ぎ去りし年輪を反芻すると、密度の濃淡(の時期や経緯)も似通っており、面白くも何かしら寂しげなおじさん二人の行状は、この深い森に晒されると淡く、風化してセピア色と化すのだった。 おっと現実に戻ると、15分ほどで鏡池から戸隠牧場へ通じる遊歩道と交差し、すぐ先に萱ぶきの随神門が現れて小休止。このあたりから参道脇は樹齢4〜500年の杉並木が続き、先にも増して荘厳な雰囲気に呑まれてしまいそう。ところが平坦な参道も傾斜が増して石段を登るようになると、ほどなく奥社に辿り着いたが、こっちの方は急峻な山腹にへばり付くように、こじんまりと漆喰の如き白壁をさらけ出して、厳粛かつ荘厳なイメージとは趣が異なり、心中は少なからず意外であったね。もちろん今となっては、昔の記憶は呼び戻せず、現実とのすり合わせは適わなかったが、四半世紀以上の時の隔たりが、かくも記憶を閉ざさせてしまうのか、ある意味納得せざるを得ないところが、ちょっぴり辛かったなぁ。 一方、振り返るとこれも木々の合間から戸隠高原が眼下に広がり、効率よく高度を稼いだことがよく分かって、登山の醍醐味を味わうひとときでもあった。ならば上へ上へと突き進むしかないんであります。 で尾根筋で最初に出くわした大きな岩峰が五十間長屋。水平にえぐられた岩壁は先着グループの格好の休憩所となっていておしゃべりがかまびすしい。我々は先を急ぎ、次の目標の百間長屋を目指したが、「さぁてどこじゃい?」と構える必要もなかった。五十間長屋とは岩壁が隣り合わせの至近距離にあって、若干の拍子抜け。ここもずんずんと進み、天狗の露地から始まる岩尾根を右に左に幾重も攀じると、その果てに両側がスパッと切れ落ちた凸凹の水平岩稜が現れ、このルートの核心部、「蟻ノ戸渡り」とそれにつづく「剣の刃渡り」だと分かった。なるほど前評判どおりの難所とおぼしき岩場だが、乾いた岩稜はけっこうフリクションが効いたので、慎重に行動すれば、特に問題になることはなかろう。 しかし強風時や雨の場合などは、率先して通りたくはないというのが正直なところ。ならば強行突破?の背景は劇的に回復した天候にもあったのだ。五十間長屋付近では今にも泣きそうな空模様が、登るにつれ明るくなり、ここに来て晴れ渡ってきたのだから、我々の日頃の行いの良さを証明したのも同然。緊張の中にも笑みの浮かんだ筒井君の表情が難所に映えていたのであります。 そして辿り着いた最初のピークが1900mちょうどの八方睨(はっぽうにらみ)。その名のとおり西岳、飯綱山、高妻山など周囲の山々がグルッと一望できてロケーションは秀逸だ。急峻でスリリングなルートを登り詰めた御褒美として、格好の眺望が得られるのも登山者を引き付けてやまない理由かも知れぬが、そう言った意味で存在感の大きな頂であった。 ![]() ![]() ![]() ダイモンジソウはわらわらと踊る? ミヤマリンドウの憂い 懸崖に咲ヤマハハコの潔さ ブト(淡い紫の花弁がアブナイぞ!)そしてヤマハハコ(平凡だが背筋を伸ばしてまっとうに生きる姿勢が清々しい)の類。それぞれは決して大仰さも艶やかさもないが、厳しい環境下、精一杯花びらを開いて客人を待つその姿勢が健気でよろしゅうおますなぁ。その意味では逆に、「人間奢り高ぶってはいかんぜよ!」、とも訴えているようで、この山に登るには謙虚さを持ち合わせた人でないと、適わずと言いたいのだ。おっと、さすがに修験道の山だと結論付けたいばっかりなのをお見通しだったか。 そして戸隠山頂でのひととき、くだんの植物図鑑先生の手ほどきで、シラタマノキの実を啄ばむと、サロメチールに似た甘酸っぱくてクールな香りが口いっぱいに広がり、ボクは瞬時に初恋の味に例えたのであります(何故かって言われても咄嗟のインスピレーションだから困るけど...)。ただ周りの者は「ただ単にサロメチールの匂いよねぇ」と直感的コメントを述べるのみで、おしなべて皆さんはいくばくかのロマンも感性もなかった、と小声で申し上げておきたいが、これは奢り高ぶりではありませんぞ、念のため。いずれにしても初秋の爽快な香りに、しばしまどろみ、稜線上の最高点を実感したのでした。 さてこれから九頭竜山までの稜線は、鋭く東側が切れ落ちており、なかなかの圧巻だ。ときどきに身を乗り出して谷底を眺めつつの縦走は、小ピークをいくつも越えて行くことになったが、この奈落の底を俯瞰するにスケールこそ違え、谷川岳稜線から一ノ倉沢や二の倉沢を覗き見る構図に似ていて、登路で見たスケールの大きい胸壁を上から見るとこんなものだな、と妙に納得した次第。 さてそれもしばらく行くと懸崖から離れ、一不動までの下りが始まったが、今まで見え隠れしていた高妻山(2353m)がその端正な山容を真正面、指呼の距離に見せつけて、登高意欲を大いにかき立ててくれたのだ。うんうん、こうやって見渡すと北信の山々もなかなかあっぱれで食指が動くし、目移りもするぜ、と思いは馳せるが、おっと我が実情は急降下に備えて簡易ギブスのマジックテープを締め直すことが先決であった。有り体に言えば、まだ完治せずの右足首をおもんばかることは、必要不可欠であって、格好など気にすまい。試練は下りにあって、某ガブリエル氏のような華麗なる下りのパフォーマンスなど望むべくもなく、ただただ慎重さを求められて然るべきであった。 それでも一不動の避難小屋まで辿り着けば後は、大洞沢を下るのみである。慎重さは持ち合わせつつも気持は一気に戸隠牧場を目指したかったが、それも一杯清水の水場まで。後はずっと沢の中、ごろた石伝いに、バランスを取って、浮き石は踏まぬように気を遣いつつの下りだったので、なおさら右足への注意を払い、スピードは上がらず気を揉むばかり。予想していたとはいえ、不整地の下りは、まだまだ恐々とストレスの残る時間帯であった。その意味ではむしろ不動滝の落ち口からの一枚岩や滑滝の下りなど難所と喧伝された鎖場の方が足場がしっかりしていて楽だったのは、リハビリ途上の己のみの感慨だったかも知れぬ。足元のグラグラや思いがけぬ段差、草に隠れた窪みなどが目下のところ、我が天敵なんであります。 (※1)会社の水泳部の全国大会が長野市アクアウィングであり、その打上げは本番よりも盛り上がった(※2)初秋、久しぶりの邂逅、唐突な奥白根山(日光白根山)その行状記(02年9月)参照 (平成17年9月10日) |