霊山登山日記
2017

4月12日(水)   霊山山麓おしどり池
 
緑山岳会の掲示板に平日だけれども「おしどり渓谷からの霊山登山」の呼びかけがあったので急きょ参加した。

 今年の大分市での桜の開花は大幅に下がり、この日がまさにベストタイミング。前日までの降雨で増水したおしどり谷とうふ岩付近では思わぬ渡渉を強いられた。靴を脱いで裸足になれば良いものを、強がりから結局、バランスを崩し“こだわり”1人が、両足をずぶぬれにしてしまった。

それはともかくとして、渓谷沿いに咲き乱れる数種類の桜花を楽しんだのち、上りついたところが、写真のおしどり池。静寂な佇まいの中、湖面に映える桜が印象的であった(2017.4.14)

おしどり渓谷とうふ岩

前々日来の降雨で谷は増水し、思わぬ渡渉を強いられた。

 
おしどり池

詳しくは → こちら

2016

 9月某日
出張移動中の電車にて
  輝いていたころ
 先週の木曜日(9月1日)、久しぶりに霊山に登った。
 クライミング仲間からのお誘いだが、我がホームグラウンドの霊山だから、こだわりが当然ガイド役だった。

 老若男女4名と、この書き込みの主役の老犬1匹、塚野鉱泉から山頂を目指した。
写真中央の老犬は御年13歳となにがしかで、すでに目も鼻も耳も衰え認知症に加え徘徊癖もあるそうだから、現状認識もできず、ただただおびえきっているような最近の日常だ。

名前を「おいさん」という。
歩き始めの急坂で、おいさんはいきなりよたよたしたかと思っていたらしゃがみこんで拒否反応。先が思いやられる始末であった。そんなわけで標高差50~100mほど登っては大休止。その繰り返し。

飼い主は「こりゃ皆に迷惑かけるから早めにUターンせんといかんな」と思ったそうな。

ところがである、てっきりギブアップするのかと思いきや、登るほどに元気が出てきて、とうとう山頂付近の第二展望台まで"完登"したのだ。

    

飼い主の説明によると、「普段は街の中でアスファルトやコンクリートに囲まれた環境だけれども、霊山の山道を歩いているうちに五感が大いに刺激を受け、古い記憶が呼び戻されんではなかろうか。人間でも犬でも、若くて輝いていた時代はある。"おいさん"も霊山の山道で束の間、輝いていた古い時代の記憶の中にあったのだろうね」とのこと。

いえね、なんということはない。ただそれだけのことなんですけどね。博多から大分へ帰路の電車の中で、湯っ栗さんの書き込みを読み、せっかくだから何か反応せんといかんなあ、と来し方行く末のことなどに言及するうちに、この老犬"おいさん"のことを思い出しましてね。

因みに、写真のクライミング仲間は皆、もうお付き合いを始めて3年少々になる。ほぼ同じころにクライミングを始めたのに、しかもこちらも結構頑張っているつもりなのに、いつも背中を追っかけてばかりなのだ。若いころの岩登りも含め、こだわりは岩登りやクライミングのセンスがあまりない、ってことを最近になって漸く受け容れる気持ちになっている。

そろそろ大分か……。

 5月28日(日)  気持ちを持ち続けること
 午後から小雨の中を山頂まで往復した。昨日に続いて不快害虫にまとわりつかれたが、備えあれば憂いなしだ。

 ネットラジオでは大阪音楽大学教授晴 雅彦さんのトークをやっていた。「上手くなりたい。上手くなりたい。」という気持ちをずーっと持ち続けることが大事だ、とか言っていた。

 ボルダリングやクライミングで伸び悩んでいる時だけに、少しだけ心に響いた。

 5月27日(土)   四季 不快害虫
 今年前半の登山としては重点を置いた石鎚山北面を終えた途端、急に霊山から遠ざかった。そして今日、約3か月ぶりに社交場まで登った。

 日本には四季があるというが、春と秋というのはあるようでないようで、暑いか寒いかの間にほんのちょっとだけ過ごしやすい時があるのはあるが、夏と冬を行きつ戻りつしながらだから、本当の意味の春は短い。

 久しぶりの霊山は、森林公園に入って少しだけ涼を覚えたのも束の間、うるさい(五月蠅い)ブユなどの襲来に、その備えをしていなかったこともあり、閉口してしまい、社交場(標高410m)でのエゴノキでの筋トレをそそくさと終え、足早に退散した。
 2月29日(月)   足早に飛来山まで クアドラプル
 先週末、久々に我が家の総勢6名がそろった。そんな時だけに「ちょっと霊山まで」とは、週末を逃すと前回24日のハードトレーニングから開きすぎるのが気にはなったが結局、言い出せなかった。

 で、週明けは何かと気ぜわしい。飛来山までの手短なトレーニングでお茶を濁した感じになったが、軽量負荷のトレラン的な登山となった。

 ところで前回、1日4回の霊山往復をフォース霊山と表現したが、何か変?という感じがした。3度の往復がトリプルならばその次はクアドラプルとならないとおかしい。フォース霊山ではなくクアドラプル霊山としておこう。
 2月24日(水)   ネットラジオ フォース霊山 いろいろ
 今冬、ここまで持久力とボッカ力を少しずつ伸ばしてきた。今日はその仕上げにしようと、19kgの負荷で蕨野(標高85m)9:00に始まり、山頂(610m)から内稙田(110m)、再び山頂への登り返し、次に霊山森林公園入口(標高135m)まで下り、三たび山頂、さらに南登山口(標高465m)をピストンしてこの日4度目の山頂に立ち、下山途中いつものようにエゴノキにぶら下がっての上半身の筋トレは欠かさず、蕨野の駐車場に下山した時は16時20分だった。19kgのボッカ(といえるかどうか?)で累積標高差1730mを7時間20分の所要・・・我ながらよくやるよ。

 徒然なる道中の友はネットラジオ・らじるらじるだ。これまではソニーの山専ラジオだったが、携帯電話をスマホに変えてからは、ネットラジオの高音質に感心して手放せなくなった。今日は午前中はずっと「すっぴん」を聴きながらの登山だった。ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」は好きな歌の一つだが、制作当時(1968年)この歌は「イムジン河」が発売自粛になったため、それに代わる曲として加藤和彦が、イムジン河のコードを反対にからつなげて作ったんだとか。

 番組では、この「悲しくてやりきれない」をおおたか静流奥田民生坂本真綾の3人のカバー曲を、それぞれ流した。歌い手によって歌の感じも随分と変わるものだと感心させられた。

 そんなとりとめもない道中だが、内稙田登山道を下山中はウメキ、ミズハラ…共に10日後には伯耆大山大ノ沢右岸稜にアタックする仲間とすれ違った。彼女らも、いつもより重いザックを背負って蕨野を登り返すんだとか。こちらも内稙田を登り返して標高500m付近に達したとき、この山域では比較的若いご夫婦に「平野と内稙田の間に下りる尾根があるようだが?」と下山路を尋ねられた。藪漕ぎをも辞さない低山徘徊派がマニアックな登り方をしてこそ霊山の本当の良さが判る、というもの。いろいろ説明をしているうちに、この霊山登山日記を時々訪れてくれていることを知り、嬉しくなった。

 さて、第二展望台を過ぎて三角点を通り過ぎようというところで、登山道整備の真っ最中のアサカワさんご夫妻とエモトさんに遇った。2/19付大分合同新聞記事(掲載済み)に紹介されたボランティアグループの方々だ。山桜シーズンを間近に控え、展望を良くする作業に汗を流していた。作業は15時半ころまで続いたようだ。

 今日は少し足が重かったので途中、2往復までで止めようかと思ったが、結局4往復7時間以上頑張ってしまった。お陰で多くの常連さんに会えたし、それ以外に前述したような出遭いとか知識の吸収とかあり充実した一日であった。
 2月21日(日)   春めく トリプル霊山
 今日は手短ながらも、実質的なトレーニング効果を期待して、これまでより少し負荷を上げて18kgで、蕨野12:34→山頂13:47→青年の家跡地登山口→山頂14:49→南登山口→山頂15:23→蕨野16:21(累積標高差ほぼ1000m)と、ただ黙々と歩いた。風は冷たかったが、一昨日同様春の訪れを実感した(所要3時間47分)。

 
 2月19日(金)   霊山に関わる新聞記事
 
(2016.2.19付大分合同新聞朝刊)
 2月16日(火)   日差しが高く明るくなった
 11日に引き続き二度目のトリプル霊山。11時過ぎに蕨野をスタートして山頂2往復プラス南登山口1往復(累積標高差約1200m)。負荷は前回と同じだったが、所要4時間38分で20分ほど短縮。気温はまだまだ低かったが、春の気配は間違いなく実感できた。
 
第二展望台より
 2月14日(日)  春一番 夜来の雨
 昼前からボッカ(といっても16.5kg)で蕨野~山頂間をピストンした。中四国以東は春一番が吹いたようだが、霊山は少し風はあったとはいえ、この時期としては異様に気温が高く、かなり汗ばんだ。

 昨夜は家の近くの姉夫婦宅で深酒をしたこともあり、泥酔してしまい夜半に雨が降ったことなどまったく気づかなかった。

 そのせいで昨秋から登山道に堆積していた落ち葉が、登山道中央部分だけすっかり流されてしまっていた。
 
 2月11日(㈭)  春霞の中、トリプル霊山
 3月の伯耆大山まであと20日余りとなった。トレースの期待できない南面の稜線、テント泊も視野に入れた1泊2日の行程、女性が半数というメンバー構成、装備が膨らみそうな登山計画書・・・いろいろ考えると、相当な荷を割り当てられそうで戦々恐々だ。

 そんなこともあり、いつもより負荷(16kg)をかけて臨んだ。

 蕨野の集落はすっかり春の装いとなっており、山頂からは春霞の中、九重連峰がぼんやりと遠望された。



 久しぶりの内稙田方面へのピストンでは、こっち側からの常連・マサカドさんやサカイさんに、登り返しも含め2度の立ち話。
 サカイさんは2/7に石鎚山に成就社から登ったとのこと。今年は雪が少なかろうと思っていたが、そこそこあり雪山が楽しめたようだ。同日私は大平山から内山、ここも期待に反してそれなりに冬山の装いだった。

 蕨野(標高85m)から山頂(標高610m)、内稙田の車道が切れたところ(標高125m)を登り返して再び山頂、南登山口(標高460m)を登り返し、三度山頂に立ったのは午後3時頃、春の陽気に誘われうたた寝をする登山者の惰眠を破り少しご機嫌を損ねてしまった。

 天気は終日の快晴・無風だったが、3度目の山頂では九重連峰は、春霞にすっぽりと覆われてしまっていた。

 蕨野駐車場10:50→霊山山頂12:04→内稙田12:54→山頂14:16→南登山口14:30→山頂14:55→蕨野15:49



 
1月23日(金)  ダブル霊山
 今日は少しきつめの負荷をかけたトレーニングということで、蕨野から山頂経由で内稙田にいったん下り、登り返した後南登山口に下り、再び登り返すつもりの、トリプル霊山を計画したが、道中いろいろな人に遇い立ち話をするうちに、時間切れとなり南登山口登り返しは省略してしまった。
 
今日ぐらいの、標高差1000m負荷10kg、速足歩き、立ち木を利用した懸垂上がり等の筋トレを、何とか週2回くらいは継続したい、と思うのだが・・・。4 
1月20日(水)   霊山~障子岳~本宮山24kmロングトレイル
 緑山岳会の仲間と鶴見岳北谷に行くことにしていたが、積雪が少ないとの情報に急きょ取りやめ、トレーニング山行に切り替えた。この背景には、やっとのことで完成・発行にこぎ着けた「大分市近郊の山々とっておきのルート案内」のことがある。せっかく苦労して作成した地図だから、早速活用しようとなったわけだ。

 それにしても24kmのロングトレイル、同行した山岳会の若手S君について行くのが大変だった。6時間以上を要したが、新年初めての霊山は、今までのこの山への不義理を埋め合わせるような山行になった。

 
 Aさん 
 霊山を四季を通じて登り、山道の整備を行っているボランティアグループの代表世話人がAさんだ。かつて2年間仕事の先輩としてご一緒したこともある、この御仁とは霊山山中で何度か偶然にもお会いした。その際いただいた霊山の地図が、このほど緑山岳会が作成したくだんの地図のベースになった。もちろん、筆者・こだわりが中心となって霊山には何度も足繁く通いつめ、GPS軌跡ログなどで確認・修正するとともに、新たな登山道を追加するなどして完成にこぎ着けた。

 当然のことながら、Aさんとそのグループに進呈すべく、串焼き「むく」で旧交を温めた。Aさんやそのグループの霊山に対する熱い思い入れや無償の行為に、まっこと頭の下がる思いだ。 


2015

7月~10月初め   霊山地図
 緑山岳会創立25周年記念事業として大分市近郊三山の地図を作製中で、その中の霊山を筆者が担当することになり、一昨年の入会早々から足繁く通い詰めたのはそのためだ。沢山の登山コースがあり、それらに加えて藪こぎ派向けのコースも選定し、GPSでの確認作業などで担当の霊山についてはそれなりのものが粗方できた。完成を前に非公式なものを山仲間に配布したところ、いつの間にか霊山の常連さんに広まってしまっていた。

 さてところで、今夏は北アルプス等の遠征計画がなかったこと、緑山岳会のクライミング強化トレーニングを企画したことなどから、霊山の機会が激減した。

 
  いったん遠ざかると、気持ちを元に戻すのが結構大変だ。そんな時、クライミング仲間のOさんから霊山のことで尋ねられた。なんでも「片足立ちが、こだわりさんができて自分にできないのはクライミングに偏り過ぎるからだ。で、霊山で足腰の鍛錬ができるのであればのぼってみたい。」というようなことで、くだんの霊山の暫定コースマップを献上し、早速案内した。 

 2回目の案内では大洲クライミング仲間のA女史とDONさんが、新たに加わった。前半の、標高差300mの登りは皆さん、「これなら脚力強化になる」と得心した様子。

 その時の様子はこちら→“クライマーDONの汗物語”
7月14日(火)  ダブル霊山、トリプル霊山 日誌から日記へ
 このところの霊山詣では、思索を巡らせながらなどというよりも、純粋にトレーニングの場としての対象でしかなくなっている。仕事の合間、わずかな時間に、夜討ち朝駆け的な登山では、登りながらゆっくり思索を巡らすなどということには、なかなかならない。

 一方、時間がない時のトレーニングの場と考えれば、山頂を2往復や3往復すれば、時間を節約しつつトレーニング効果が上がるというものだ。3往復すれば、標高差にして1700m稼いだことになるのだ。時間にして5時間とちょっとでよいのだ。

 我が家から九重山まで足を延ばしても、せいぜい800m程度の標高差に、往復だけでも3時間弱の時間を費やすことになる。↗
 ↘なんとも味気ない話ではある。登山の本質に関わるところで、時間を気にすることなどナンセンスと言えばナンセンス。

 しかし、現実問題として、剱岳など行きたい山のトレーニングと、仕事との狭間では、こんな考えも成り立つ。実際、近頃でも霊山には足を運んではいるが、こんな具合だから最低限の日誌としての役割も遥かに遠のいた。

 せめて、気まぐれでも“日記”として…つまりメモではなく印象深かったことの記述など最低限のことは残していきたいと考えるこの頃だ。

 まあ、あれこれと思索を巡らしながらの霊山登山を日課とする日々も、そう遠くはないことだけは確かなのだが。
 
 5月23日(土)   碁盤ヶ岳方面遠望
 とうとう3カ月以上も空けてしまった。登る気力がなくなったわけでも書く気力がなくなったわけでもない。この間、週一程度の霊山詣ではあったから、それなりに書くことはあった。それよりも優先する他の山行報告に注力を奪われていたことは否めない。それだからこその継続性の欠如、ということだろう。

 さて、勝手に社交場と呼んでいる標高400m付近、エゴノキの枝にぶら下がっての上腕と腹筋のトレーニング。雨上がりPM2.5が薄れたせいか、一息ついて、わりと澄み切った山並みを遠望する。
この付近からは、普段あまり意識したことはないが、彦岳、姫岳、碁盤ヶ岳、元越山が遠望できる。

 碁盤ヶ岳方面は筆者にとって大分県内で数少ない空白地帯だ。今日は何故か、この山に登ってみたい、という気持ちが湧いてきた。(写真:中央の平たい山が碁盤ヶ岳)

 2月14日(土)  日記じゃなくて月記 相変わらずの気まぐれさ
 田尻から少し重めの15kgを担いで…ボッカというほどではないけど…今の自分にはやっぱり十分、ボッカと言っていいかな。

 門司の岳友は最近、北九州マラソンを4時間ちょいで完走だ。スーパーおじさん、スーパーおじいさんは幾らでも居るから、ことさらに驚嘆するほどのことはない、という人も居るかもしれないけれど、ハーフを1時間半ほどで走れていた頃の自分が、宮崎の青島マラソンを4時間切れなかった苦い思い出があるから、還暦すぎての4時間そこそこ、というのはやっぱり凄い、と謙虚に思う。日ごろの地道な努力の積み重ねの賜物だろう。

 「継続は力なり」というが、相変わらずの継続性のなさ、というか気まぐれな性格を恨めしく思いつつ、「最近更新してないですね」と声をかけてくれる人の存在を励みに、ちびちびでも続けよう。↗
↘今年に入って細々ながら霊山詣でを続けているが、日記に向かうのは初めてのことだ。

 「春遠からじ」を実感する一日、山頂からは陽光の中、九重連山がきれいだった。何かと話題の阿蘇の噴煙も、穏やかだった。


霊山山頂からの九重連峰
 

2014

 12月1日(水)   はなたれ小僧 九重冠雪 串田孫一 ヒメシャラ
 寒気が入ってきて冬らしくなってきた。今日は、常連さんはじめいろんな人とすれ違った。

 まずカワノさんからは「石鎚をガイドしたそうですね」…先月末の石鎚のことがどう伝わったのか…別にガイド料をもらっているわけでもないし、一緒に登山しただけなのに。

 次に幼稚園の園児たち15人ほど。かわいらしい声で一人一人が挨拶して話しかけてくるものだから、結構時間を食ってしまった。我々の子供の頃と違い、みんな小ぎれいなのだけれども、上の方はよっぽど寒かったのか、下りてくる顔は鼻水でくしゃくしゃだ。青ばな垂らしている子も居て、幼少時を思い出してしまった。

 さらに名前は思い出せないが女性二人連れ、三人連れには「最近みかけなかったですね」と。そのほかアザガミさん、シモノさんらからは「相変わらず重い荷を背負って・・・またどこか遠出をするんですか」と。

 そんなこんなでいつもより時間を要して山頂に到着。山頂からは上部が霧氷と雪に覆われた九重連峰が望まれた。別段九重に登りたい、というわけではないが、冠雪の山を眺めると、血が騒ぐというのか、いても立ってもいられない気分になる。そういうシーズンに入ったということだろう。
薄っすらと冠雪の九重
  足早に下って、いつものエゴノキでのぶら下がりと懸垂上がりの筋トレの場所でアザガミさんらに追いつく。

 丁度女性二人にエゴノキをはじめ、樹の見分け方についての講釈の最中だった。聞けば、樹の多くは樹肌でかなり判別がつくのだとか。流れでヒメシャラに話が及んだ時、「串田孫一のエッセイの中に、『夜間に月光に照らされたヒメシャラの樹肌を見た時、その屈曲具合と色合いが、まるで裸婦を見るようで妙に妖艶さを漂わせていた』というような下りがある」と。

 それを聞いた傍らの女性二人、口を揃えて「串田孫一って、そんな話を聞いたら、今まで持っていた彼へのイメージが変わるわ!」と不快そうに。

 男性と女性で感じ方にかくも開きがあろうとは。串田孫一のヒメシャラについての譬は、決して卑猥なものではなく、ヒメシャラへの最大限の形容と思えるのだが…。

 ところでその下りについて実際には「…街を歩いている時に、布地を売る店のウィンドウなどに、裸の人形が立っているのを見て、びっくりすることがあるけれど、そんな感じさえした…」という記述らしいのだが…、確証はないが。

 
 11月28日(金)   落ち葉  トレランシューズ
 このところ更新が滞りがちで、数少ない愛読者(?)の先輩からも「『日記』じゃなくて『月記』になってますね」と“お叱り”を受けている。それでも、久しくご無沙汰していた福岡の古い山仲間からは、珍しく便りをいただいた中で「日々の淡々とした山登りでも、よく書けるなあと感心です」とのコメント。

 もともと仕事の関係から11月、12月は県外に出ることが多いが、だからとっいってパソコンに向かう暇がないわけではない。反応があろうがなかろうが、マイペースで、というよりは、滞ることに対する反応がある方がモチベーションも上がるというものだ。

 さて、今日は久しぶりに、それこそ久しぶりの霊山詣でだった。昨晩の残留アルコール(いやアセトアルデヒドかな)を、今宵の宴席のためにいったんリセットするためにデイパック程度で蕨野から山頂を1時間半程度で素早くピストンした。

 良い汗をかいた。前回の時は、木の葉の色づきはまだ先のことと思っていたのに、中腹のハゼは落葉が始まっていた。それでも色鮮やかさは格別だ。足元には多くの落葉が堆積し、イノシシがそれをかき分け蹴散らした跡が随所に観られる。地中の小動物を、来るべき冬に備えて、必死に捕らえようとする光景が浮ぶ。
 
 足元といえば、長年この霊山詣でに付き合ってくれた登山靴(トレランシューズ)も、靴底がすり減り、小指のところに穴があきいよいよ見苦しくなった。今年の誕生日プレゼントに「穴があいては見苦しいから」と新しいトレランシューズを家内からプレゼントされていたが、履きなれたシューズに対する愛着(霊山往復250回程度)もさることながら、新しい靴を“現場”におろすのがもったいなくて、まだ性懲りもなく履いている、というわけだ。

 会社の出張の帰り神戸のIBS石井スポーツで買ったイタリアテクニクスのトレランシューズで、クッション性が極めて良く、靴底はぬかるみでのグリップ力がめっぽう強い、その一方で濡れた岩場で予想外に滑る、という難点もあった。霊山ではこの3年間、活躍したが、いよいよ今年限りにしよう。
 10月31日(金)  日本百名山
 NHKのBSなどで深田久弥の百名山に関わる番組は、紀行的なものからグレートトラバースなどシリアス&ストイックなものまで華やかだ。霊山でも、行き交う人とのほんの少しの間の会話でも、「今度はどこへ行くのですか」、その次には「百名山ですか」と決まっての問い。

 ここで詳しいおさらいはしないが、深田久弥の日本百名山のあとがきに、深田の名山への想いが凝縮されている。それを大事にしたい。
  名山はそれぞれの心の内にある、とも言えようか。日本百名山以外は見向きもしないような山行は、いかがなものか?

 今月も今日で最後となった。気がつけば、年の瀬が忍び寄ってくる、って感じだ。

 今月は頑張って8回ほど霊山に足を運んだが、季節の移ろいを感じ取るような登り方ではなかった。これから年末までこんな感じの日々なのかな。このままでは“日誌”というタイトルは返上しなければならなくなるなあ
 9月12日(金)   霊山年間登山100回に黄信号 ゴーキョピーク
 ほぼひと月近くの長いお休みだった。8月は北海道日高山系カムイエクウチカウシ山に始まり、北ア剱岳長次郎雪渓~八ッ峰~三ノ窓、みちのく名山紀行第4弾和賀岳~森吉山と、“遠征”続きだった。いずれも悪天候と、それに加え目まぐるしく変わる気象予報に翻弄され、計画の8割かたの成果だったと言えようか。

 いくら在宅勤務であることを精一杯享受する、と豪語してはみたものの、ここまで家を留守にしてしまうと、じっくりパソコンに向かい日誌をまめに書く余裕がない。もちろん、霊山詣でもほとんどお休み状態になってしまった。

 一昨日(10日)久しぶりの霊山詣で。そして今日が今月2度目。これでは年間目標への到達が遠ざかってしまいそうだ。

 さて、久しぶりとはいえ、少し負荷をかけようと10kgの荷を背負ってかなり早足で飛来山付近まで標高差400mを一気に駆け上がった。心肺機能と足の筋力はまあまあであることを実感する。↗
 ↘ と、そんな時に、上から下りてくる“おゆぴにすと”の塩月さんにバッタリ。そういえば、先日のおゆぴにすとの集いの近況報告で、近々ネパールに行くとか言ってたが、それにしてはザックが小さい。聞けば、鉄アレイが入っているとか。最近、ヘルスチェックを受け、身体をリフレッシュ、加えて市内の低酸素室を利用して高所順応などやっているとのこと。

 これからゴーキョピーク遠征に向けた本格的なトレーニングに入るらしい。そういえば、これまでより精悍さが増したような気がしないでもない。武運を祈ろう。


還暦過ぎてからの登山ではあるが、その精神的エネルギーは見習うべし
 8月11日(日)   山の日の制定  来し方行く末
 7月21日以降8月5~16日の北海道日高山系カムイエクウチカウシ山と北アルプス剱岳、立て続けの遠征を前に霊山トレーニングはわりと頻繁にやったが、日記は、なかなかパソコンを前にすることがなく、滞った。

 北海道は天気に翻弄され、剱岳はやはり天気の影響で出発を3日延ばした。結局いったん帰分ということになった。

 11日は剱岳のパートナーの1人・Iさんとボッカトレーニングを行った。

 蕨野の集落はずれの駐車場に車を停め、いざ出発という時に霊山寺方面から下りてくる車が急停車。中から大声で「おい!なーんしよんのかあ」と発する御仁あり。何と!加藤さんだ。聞けば再来年から始まる「山の日」に関連してTOSの取材を受けたらしい。
 ↘山の日関連の取材ということでインタビューの場所に霊山を選んだのだそうだ。「今晩6時から放送があるぞ」と言い残して慌ただしく立ち去った。日本山岳会東九州支部長は相変わらず多忙のようだ。

 さてそのTV放送の一場面を以下に。

「元気の元になる。山に登れば。そういうことを感じ取ってもらえば、一つの意義があると思う。1人でも多くの立派な山登りの方が増えれば、と願っています。」

 さて、本題に戻そう。Iさんとの初めての霊山登山は、それぞれの人生模様の吐露だったような。
 7月21日(月)   年間登山目標100回
 年の初めに立てた目標は霊山100回。今月は出張なども多く今日で4回目、今年45回目。霊山の常連さんは年間300回を超える人が何人も居る。もっとも、仕事はリタイアした人たちだから単純に比較はできないが…。

 年間目標100回の計画を立てて3年目。一昨年が77回、昨年が84回だから、このままだと過去2年を下回りかねないペースだ。↗

  
連休の昨日(20日)今日と、18kgの荷で一応“ボッカ”のつもりになった。何故、18kgかというと、これ以上担ぐと腰の負担が大きいし、第一これ以上の荷を担ぐ必然性がどう考えてもない。軽量化、食糧の簡素化、山小屋との折衷・併用など腐心の結果だ。

 そんなに頑張る歳でもなかろう。

 あぁ、それにしても梅雨明け間近の高温多湿下の“ボッカ”は、この程度の荷でも堪えるぜ。
 6月25日(木)   登山道を掃くという行為
 蕨野~山頂への遊歩道は、やや急こう配の階段が多く鍛錬に格好なため一番良く利用している。最近は途中から一般登山道を逸れ、より勾配の強い脇道を利用している。

 そんな道を利用している人は自分だけかと思ったら、他にも居るらしく、いつも落ち葉をきれいに掃いている。しかも、足場の悪いところには階段を設えたりで、なかなか奇特な御仁のようだ。

 霊山の良さは、落ち葉を踏みしみての散策にあると思うので、掃かれて地面がむき出しになった様は、果たしてこれで良いのだろうかと思わぬでもない。
 一般的に言えば、登山道はだいたい凹んでいるのが普通だから、今のような梅雨時、降った雨は踏み跡伝いに流れて行くので落ち葉のない地表面はまともにエロージョン(土壌浸蝕)を受ける。落ち葉はそれを緩衝する役割を持つと思うのだが…。


人知れず登山道を整備…ただ感謝
 6月9日(月)   飛来山 在宅勤務
 霊山の中腹にある霊山寺の山号は飛来山という。『飛来山霊山寺』が正式な呼び名だ。このお寺のすぐ上、国土地理院地図485m独立標高点が飛来山であり、ほんのわずかなピークで、どことなく裏寂しさの漂う平坦な山頂の一角に祠がポツンとある。

 少しの時間を見つけては霊山詣でができるのも、在宅勤務のいいところで、仕事の合間に与えられた時間の範囲内で足早な山頂往復は、自宅からドアツウドア車の移動も含め標高差約600mを約2時間半の所要。

 時間が足りなさそうな時は山頂はあきらめ、飛来山までで引き返す。そうすると標高差約400m、時間にして1時間40分程で済む。

 
  今朝は早朝5時から昼過ぎまで慌ただしかった…もちろん仕事でのこと。そして夕方からはビワの収穫作業があるから、その合間に18kgのボッカ(このくらいの荷でボッカとは!)・飛来山往復で、大量の汗をかいた。


飛来山山頂
 6月8日(日)  忘れ物 
 9日ぶりの霊山。麓の蕨野集落駐車場付近の村道脇に真竹だろうか、タケノコが顔を出している。このタケノコは田植えのころに顔を出し、あく抜きが不要で、みそ汁などに入れると美味い。帰りに忘れないようにしようと言い聞かせ、ボッカトレーニング開始。山頂まで1時間と5分。

 気付かなかったが、山頂にはツツジや他の花が、キンランに取って代わっていた。しばし花を鑑賞したのち帰路につく。車に戻る頃には、タケノコのことなどすっかり忘れてしまっていた。  
 
5月30日(金)   負荷18kg 黄砂
 29日17kg、30日18kgと負荷を上げた。7, 8年ほど前、後立山や南アルプスのテント泊縦走の頃の日記をひも解いてみると、縦走2か月ほど前20kgほどからスタートして30kgまで負荷を上げている。さすがに30kgは相当堪えているが、それでもその荷重をかけながらも上まで上がっている。

 今はどうだ? 飯豊石転び沢~大日岳を前に最大荷重は18kgくらいのものだ。だいいち、“充実した装備”ゆえにそれ以上の負荷をかける必要もないし、それ以上負荷をかけたら腰が参ってしまう。

 月末は黄砂の襲来だ。晴天にもかかわらず山頂からは阿蘇・九重の展望はまったく利かない。目の前の障子岳でさえおぼろげだ。
 
 5月27日(火)   ボッカ 汗 根子岳 
 仙台在住の岳友から先日、「東北の山も雪解け。長い冬眠から覚め、いよいよシーズンが到来しました。飯豊、朝日などいかが? 休みはいかようにも合わせますよ」との便りが届いた。一昨年の5月末、朝日連峰縦走では、彼ががせネタのお陰で大変な雪中行軍を強いられたものだ。

 それはともかく、それより20年ほど前の7月、“残雪と生命の息吹を感じる別天地”である飯豊連峰を縦走し、もう一度この山に来る機会があるなら石転び沢から大日岳と決めていた。

 そんな経緯があり、懲りもせず、多量の残雪をも覚悟の上の飯豊石転び沢の話はいとも簡単にまとまった。 
 そうとなればボッカだ。通常霊山詣ででは、8~10kgの荷を背負っている。空身よりもこれくらいの負荷が、腰の調子が良いからそうしているのだが、霊山に不釣り合いな大きめのザックに、行き交う人から「どこか遠征ですか?」とよく問いかけられる。

 負荷重を今日から少し増やそうと、とりあえず14kgに上げた。4,5kg違うだけで随分と負担が増すし、歩き方も違った来るのだろう…「今日はいつもより重そうですね。」と常連さんから。このところの真夏並みの気温の上昇もあり、発汗量が急増した。

 蕨野集落の駐車場が満杯だったが、山頂までに多くの人と(といっても5,6人だが)と挨拶を交わした。山頂では珍しく阿蘇の根子岳の岩峰がくっきり遠望できた。
 5月23日(金)  日記と日誌
 二つの用語の解釈を曖昧にしたまま使用してきた。あらためて広辞苑をみてみると、「日誌は 団体・組織のなかで、毎日の出来事や行動などをしるした記録」、一方、「日記は日々の出来事や感想などの記録。一般に日誌よりは私的・個人的」ということになる。

 振り返って、この霊山登山日誌は現状ではどちらかというと日記に近い。目指すところは単なる業務日誌にとどまらず主観もまじえたい、という強い気持ちからだ。
 しかし、日誌という意味では最低限のこととして、霊山に登った事実そのものを漏らすことがあってはならない。

 5月11日以降、17~18日の石鎚登山を挟んで、13、20、22日に蕨野から社交場、山頂、飛来山と、その日その日の仕事の合間をみて短時間、足早に往復した。いずれの日も、毎回じっとりと汗をかくようになった、ということくらいのほかに特筆すべきことはなかった。

 来月以降に少し大きな山行をひかえているので、当然ながら負荷はだんだん増してくる。
 
 5月11日(日)   キンラン エゴノキ
 昨日(5/10)は蕨野から霊山を往復した。午後の遅い時間だったこともあり、少年2人に遇っただけで静かな、足早な山登りだった。

 今朝は蕨野の駐車場は満杯。昨日同様、山頂往復。往路、旧職場の同僚に遇った。再就職後3年でいったん区切りをつけ充電期間に入るつもりが、別口から声がかかり再再就職したんだとか。「働ける(声がかかる)うちはお互い働いた方がいいかな…元気でやろうよ」としばしエールを交換した。

 山頂のキンラン(?)の花は丁度見頃となった。帰路、いつものように社交場(標高400m付近の展望所)の樹にぶら下がって懸垂上がりなどしてると、後方から御婦人に声をかけられた。「エゴノキも蕾がいっぱい!」と。「そうかあ…いつもぶら下がっているこの樹はエゴノキという名前なんだ」
 
     
キンラン…山頂の傍らにひっそりと

 
いつもぶら下がっている樹はエゴノキだった…蕾がびっしりと
 5月7日(水)   大日本霊山会
 先週の水曜日(4/30)と本日、山の先輩が主宰する“ひこさんクラブ”のメンバーに遇った。塩月さん、渡辺さん、中島さん…このメンバーの皆さんとは古くからのお付き合いだ。てっきりひこさんクラブの山行かと思った。ところが今日は別のクラブでの山行とか。聞けば、表題のような会の名称で、霊山を対象にしていることはもちろんだが、毎週水曜日に例会登山をやるのだそうだ。

 それにしても“大日本○○”とは、こう言っては何だが何とも大時代的というか前時代的というか・・・おっとそういうふうに捉えてしまえば身も蓋もない。ここは大東亜戦争の時期に生を受けた皆さんの精一杯のユーモアと受け止めよう。

 毎週水曜日、できるだけ時間をとるようにしよう。霊山登山でまた新しい仲間が増えた。

 ところで、右の地図は、4/15記事の補足。森林公園入口から最初の階段(50段)を上がりついたところから左に小道があり、竹林を抜け「植樹大会記念」の石碑のある、霊山寺への車道に出られる。
 
 
 5月2日(金)   霊山寺古道
 高瀬の石仏付近からの古道については、秋岡からの下山途中に道を見失ってしまったことを4/9の本日誌では記した。

 そこで今日は逆に、高瀬石仏から秋岡方面に辿ってみたが、石仏を過ぎ明治用水路を過ぎ杉林に入ったところで行き詰った。

 実は秋岡方面への古道は高瀬石仏からではなく、入り口が分りにくいが、GPS地図で示した通り、岡の集落からはっきりした道があり、竹林を過ぎると広々とした畑に出て、その傍らには4/9日誌の掲載した「従是霊山寺近道十八丁」の石像(文化六年というから1809年にできたものらしい)が確認できた。

 今では鉄塔管理道としての用途が主体であろうが、江戸時代から霊山寺詣でに使用されたもののようである、この道は。

 いにしえの道を辿ったのちは秋岡から秋岡隧道を下り各念寺や日枝神社を回って元の道に戻った。なお、日枝神社というのは、霊山森林公園入口だけかと思ったら高城から岡地区に通じる道路の山腹に鎮座する神らしい。一か所ではないようだ。
 
 
4月30日(水)    ハエ、アブ、カ、ブユ
 …と言えば、昆虫に詳しい古い人なら“双翅目(そうしもく)”、若い人なら“ハエ目(はえもく)”という専門用語がピンと来る。ちなみに“目(もく)”とは分類学上の単位で大まかな括りだ。この目の仲間には筆者の専門の農業害虫も沢山居るが、それよりも衛生害虫としての方が重要度は、より高い。けれども一般登山者にとっては“不快害虫”として馴染みがさらに深いだろう。

 良い季節になったと思ったのはほんの一時で、すっかり気温が高くなってきたと思ったら早速、これらの不快害虫が顔の周りに纏わりつく、…「五月蠅い」と書いて「うるさい」とはよく言ったものだ…霊山登山もそんな季節になった。
 
 4月15日(火)   新緑 またまた一つの発見
 わさだタウン付近からみる今日の霊山は、PM2.5のせいか少しは霞んでいるものの、それでも新緑が映える。



 蕨野の集落を抜け霊山森林公園遊歩道に一歩踏み出し、最初の50段の階段を上がり終えて、ふと気がついた。

 「大分西大分線40号←」の標柱は今まで気がつかなかった。調査登山も一区切りしたので久しぶりにいつものトレーニング道に戻ってみて、「そうかあ・・・、ここにもなあ」、今まで気にも留めなかったのにね。新たな道の発見だ。毎回毎回、新たな発見がある。

 この鉄塔管理道はよく整備され、というかよく踏みならされていると言うべきか、遊歩道から逸れて急坂を少し上がると鉄塔があり、その脇を尾根伝いに登って行くと、「植樹大会記念」の石碑のある、霊山寺への車道に出た。ここからは植樹大会の際設えた階段もあるが、階段と車道の間の尾根を忠実に辿って行くと、再び車道に出た。この間、植樹大会の際植えられたモミジの新緑を通して降り注ぐ光が、とても新鮮に思えた。良い季節になった、と感じた。今日はただのトレーニングのつもりが、思わぬ収穫となった。

モミジの新緑の中を行く

 4月11日(金)   霊山調査登山一応の区切り
 所属する山岳会の創立25周年記念事業の一環として関わらせたもらったこの調査登山のお陰で、霊山をいろいろな山麓から、時に藪こぎをも辞さずに悪戦苦闘、時に歴史書を紐解くなどで、単なるトレーニングとしての対象の山から、近頃では随分と深みにはまってしまったものだ。しまいには個人的好奇心を募らせての個人プレーの誹りを免れないほどになってしまった感さえある。

 いわゆる一般道のほか、北面の頂稜から派生する尾根筋に展開する鉄塔管理道やそこから上部の藪こぎ道、材木切り出し道などをひと通りトレースし終えてみると最後の仕上げに霊山東面~東北面…つまり高瀬集落や上石川集落方面からの登路のうち、一部残された部分がどうしても気になる。

 そこで4月8日の続き…つまり上石川トンネルの真上から霊山頂稜の南の肩に突き上げる尾根にトレースをつけることが今日の、というか最後のひと仕事だ。

 4月8日に上石川集落からトンネル真上に道があるのは確認済みだが、その時は倒木などで前に進めなかった。県道41号線上石川トンネルの豊後大野市側の出口の少し先からも明瞭な踏み跡があり、今日はそこから稜線に上がり、倒木などで荒れてはいるが明瞭な材木切り出し道に導かれて尾根筋を小一時間ほど上がると、標高420m地点でこの尾根は霊山寺と地吉を結ぶ“林道地吉線”により掘り割りとなって寸断されていた。いったん道路に出たのち急な則面を攀じ上り再び切り出し道痕跡を見つけ、それに導かれて小一時間で、南登山口からの登路・標高580m付近に出た。この道は国土地理院1/25000地図にも、登路として記されているが、かなり荒れており、そのため途中標高550m付近で登路を少し逸れてしまっていた。

 九合目からは一般登山道を下り、霊山寺の鐘突堂、山頭火歌碑、鐘突堂から岡川方面に下る尾根などを経て、蕨野集落を経て上石川トンネルに戻り、今日の調査登山を終えた。

 今日をもって、調査登山を終わり、今後はトレーニングとして、また、季節の移ろいや花鳥風月を愛で、森羅万象を感じるような、いつもの霊山登山に戻ることにしよう。



 
 4月9日(水)   霊山北面最長尾根
 霊山の道を探っているうちに、いろんなことに気づいてきた。山頂から主に北面に派生する尾根には、下部に鉄塔があり麓の集落からそこまでは管理道がある。鉄塔から尾根の上部には藪こぎをも辞さないマニアによってトレースされている。その証拠に、赤、青、黄、黒などのテープなどが散見される。

 それよりも何よりも顕著な尾根には、伐採樹木の切り出し道らしき道の名残がある。つまりは、霊山の山頂へはいずれの尾根からも、それほど苦労することなく登れるということだ。

 であるならば、まだトレースをつけていない、北面で最も顕著で長い尾根(下の写真の黄線で示した2本)にも当然、同じことが言えるだろう。そこで、このところ霊山を共にしてもらっている幡手さんとこの尾根に足を踏み入れた。ちなみに、写真の赤線は二人で3月28日にトレースした時の軌跡だ。

 写真2本の黄線右側の尾根には鉄塔はないが、その両側の尾根の鉄塔から送電線が張られている関係で黄線右側の尾根は送電線の真下は、樹木との接触回避のため常に伐採されて見通しがよい。今日は平野の集落から、この伐採して展望の利く送電線の真下までまず辿った。そして、そこからいったん尾根を下降したところ“高瀬字岡”の七瀬公園向かいのそば屋付近に下りた。

 そこから少し場所を違えて八鉾(やほこ)社裏手の踏み分けから、再び同じ尾根を登り返したのち、そのまま頂上めがけて、道を整備しながら登って行った。予想していたとおり、尾根伝いに切り出し道らしき道があり、またテープも処々に散見され、山頂から少し西側の小ピークを第二展望台側に下ったところに出た。稜線の一般道からは気がつきにくいが一般道から少し入った樹木に目印のテープもあった。



 そこから同じ尾根を再び下り標高400m辺りで、往路と分れ尾根の分岐を右に採った。この支尾根(写真左の黄線)の分岐はわかりにくい。分岐付近に青テープが巻かれていた。「大分幹線35号」鉄塔、「大分西大分線41号」鉄塔を経て、先の大雪により折れ曲がった竹林に悪戦苦闘したのち、谷に下りつき、谷伝いに大友霊苑からの登山口に合流した。

 なお、ここから高瀬石仏への古道を辿るつもりであったが、「従是霊山寺近道十八丁」の石像(文化六年というから1809年にできたものらしい)を通り過ぎた辺りで道を間違えた。高瀬石仏から霊山寺に至る古道も、ちゃんと確認しておかねばならない・・・嗚呼)

霊山古道から石像とともに往路を振り返る

 4月8日(火)  霊山古道 父の誕生日
 上石川にはこじんまりとした集落がある。この集落から霊山寺へのお参り、あるいは霊山山頂への登山道は、既にトレースした。しかし、地図の上で山頂と集落の位置関係をつぶさに眺めていて、県道41号線の上石川トンネルの真上に集落と山頂を結ぶ登山道があるのでは、との思いが強くなった。そこで、出張帰りの本日午後、上石川に足を運んだ。

 県道41号線上石川集落の手前で、上石川集落から蕨野集落へ通じる連絡道があることが分かった。県道41号線の拡幅工事の際、わざわざ階段まで取り付けていることから霊山寺参道への近道として地元の要望があったのではないかと推察される。14,5段ほどの階段を上がると、はっきりした踏み分けがあり、いったん下り小沢を渡ったのち丸木橋を渡り竹林を通り過ぎると、蕨野集落の霊山寺参道に出た。


上石川集落から蕨野集落(霊山寺参道)への連絡路

 さて、いったん元の位置まで引き返し上石川トンネルを通り抜け、トンネル脇の県道41号線旧道を上石川集落方面に戻ると、果たして、想像していたとおり、上石川集落からトンネル上部に登山道らしき道があった。道は尾根を避け大野町側の側面を上がって行くものだったが、途中残念ながら先の大雪で竹や雑木が倒れ行く手を阻まれた。土地の年配の方数人に話をうかがったところ、「上石川から霊山寺や霊山へは、田尻や蕨野集落から上がって行く」とのこと。車だと田尻経由ということになるが、歩いてということになるとかなり遠回りになることから、近道として何本かの道ができたものだろう。上石川トンネル上部の登山道らしきものについて尋ねると「荒れていてとても山頂へは行けない。」ということだった。


県道41号上石川トンネル…この上部から霊山山頂へ道が続いているはずだ

 しかし、これに納得したわけではない。半世紀も前の元気の良い子どもたちなら霊山山頂や霊山寺への最短距離となる上石川トンネル上部の尾根伝いを利用しないことはなかったろう。そこで、トンネル出口から大野町側に少し歩いた、拡幅工事後の道路と旧道の丁度切れ目の辺りの竹やぶに、踏み分けがあり、そこを上がって行くとすぐにトンネル上部の尾根と合流し、道は少し荒れていたが、はっきりと踏み分けが上に続いていることが確認できた。なお、そこから上部は地図上でも点線で記されている。次回の愉しみができた。

 午後の遅い時間に田舎道や寒村の廃道のような道を歩きながら、ふと父の育った山奥の寒村を思い、そう言えば今日は父の誕生日だ、ということに気がついた。「相変わらずやのうお前は!何を考えとんのか、もっとほかにすることがあるやろが」との苦笑いが聞えてきそうだった。父の「しょうもないやっちゃのう」と苦笑いをする時の顔は好きだった。
 
 4月1日(火)   新年度のスタート
 大晦日から新年を迎える時の、心改まる気分ほどではないにしても、年度の改まりというのは、一つの大きな節目であることに間違いない。仕事では今後の仕事のあり方に少なからず影響するかもしれない組織替えがあった。それはともかく、一年一年、一シーズン、一シーズンを大切にしようとする気持ちに変わりはない、と自分に言い聞かせよう。

 3/28霊山調査登山のことは、詳しくは → こちら
 3月30日(日)   昇り桜
 大分市松が丘団地の南はずれから遠望する霊山は、このところの汗ばむ陽気に山桜が麓から一気に中腹へ、さらに上へと駆け上がってきた。土地の古老はこれを昔から“霊山の昇り桜”と呼んでいる。

 一昨日、山仲間の幡手さんと霊山のマニアックな登路を探して北面の山中を8時間余り上がったり下がったりして、主に尾根道と鉄塔管理道をトレースした。

 霊山に拓かれた登路には、大きく分けて①標識の設置された一般登山道、②鉄塔管理道、③その他の道…以上三通りある。山頂付近から主として北面に大きな支尾根も含めると8本の尾根が放射状に下っている。②の鉄塔管理道は各尾根の三合目付近までに整備された麓集落からの道であり、鉄塔と鉄塔間には横に結ぶ管理道が走っている。③その他の道というのは、各鉄塔のある辺りから山頂まで、“藪こぎマニア”が道を切り拓き目印のテープを枝に付けている道だ。

 霊山南面なども含め登山道調査登山も一昨日をもって最終段階が近くなったが、北面・写真中央から左2本の尾根はまだトレースしていないことが気になりだした。木々が生い茂る前に是非トレースしたい。

 なお、霊山の山桜というのは、主に北面の山腹に写真のように沢山あるが、一般登山道から登っても雑木に邪魔されて、桜そのものを楽しむことはなかなかできにくい。麓から遠望するか、各尾根に入って行き、わずかに開けた場所からしか、間近に観賞することはできない。この時期、汗をかきかき尾根に分け行った者のみが、その幸福にありつけるだろう。


霊山北面の昇り桜(2014.3.30)
  
 3月18日(火)   汗 山桜
 仕事帰り、蕨野から山頂まで往復した。この日は最高気温が20℃近くまで上がるほどの陽気だったこともあり、午後の遅い時間帯であったがじっとりと汗ばんだ。いつも登るコースは霊山の北面にあたるが、それでも日当たりの比較的良さそうな山腹下部では山桜の開花が遠望された。大分市街地に面した霊山北面一帯はこれから“昇り桜”となる。良い季節になった。
 
 3月16日(日)  ケイタイ(スマホ) 在宅勤務
 3月14日、蕨野集落から登り始めてすぐにケイタイが鳴った。仕事だ。電話の向こうに困惑した表情が浮かぶ。「次年度試験の受諾先が見つからない。何とかならないか」というものだ。こちらは10kgほどの荷を背負っての急登の途中だから少しばかり息せき切りながらの会話だった。早速その場から何か所かに発信し一件落着だ。
 
 霊山の良さ(時に不都合だが)はケイタイがどこでも通じるところだ。在宅勤務だから出張時以外は自宅での仕事になる。そんな時はケイタイ(スマホ)とパソコンさえあれば、自宅に限らなくてもよいところが、在宅の良さと言えようか。これは以前ネット検索で辿りついた“在宅勤務を成功させるための8つのルール”を、我が意を得たりと、忠実に守っていてのことだ。すなわち、1. スケジュールを守ること、2. 仕事着に着替える3. オフィスのドアを閉めて立ち入り禁止にする、4. すべての用事を任される“頼りになる”人になってはいけない、5. 外出する、6. 時間管理能力を磨く、7. 家の財産を使うな8. もっとも大事なこと…在宅勤務の特典を享受することを恐れてはいけない。

 そんなわけだから予定の山頂往復を断念したことだけは致しかたないか。

 3月16日 快晴。予想最高気温は18℃とか。11時からは家内とウォーキングをする約束をしたから、与えられた時間はドアツードアで2時間。蕨野から山頂手前標高530m付近でUターンした。今日の暖かさで山桜の開花も間近だろう。
 
 3月11日(火)  ヒョウモン蝶見つけた
 午後の遅い時間帯からの蕨野~山頂往復。すっすり春らしくなり日が長くなったせいか、この時間帯でも数人の登山者と行き交った。

 山頂ではヒョウモン蝶の仲間…ミドリヒョウモン?それともツマグロヒョウモン?…が、ほんのひと時辺りを飛び交った。「そうか…もう啓蟄を過ぎたんだなあ」と実感した。
 
 
 3月3日(月)  阿蘇遠望 霊山の春
 少し風が強かったが陽射しが高くなりすっかり春らしくなった一日。多くは常連さんだが、初めての方も含め霊山登山者が急に多くなったような気がする。

 三瓶山や伯耆大山などの春山行をひかえ新規に購入したザックに早く慣れるべく、今日も50リットルザックにあらん限りの荷を詰め込んでいたから、「重そうですね」「どこか遠征ですか」などといろいろ尋ねられた。総じて高年登山者は話好きだ。おかげで余計な時間を食った。ただこの雰囲気は嫌いではないからの霊山通いではある。

 山頂では、雨あがり、それに昨日の強めの風が黄砂やPM2.5を吹き飛ばしてくれたようで、障子岳や九重連峰の眺望がよくきく。特に今日は思いもよらず阿蘇五岳が遠望できた。山頂からの阿蘇の眺望はこれまで記憶がない。根子岳の岩峰や高岳、それに中岳の噴煙がはっきりと視認できた。

 帰路、蕨野の集落の梅が満開で、由布鶴見の遠景とマッチしていた。霊山に春到来だ。


宇曾山の向うに阿蘇中岳の噴煙がかすかに 


蕨野集落から由布鶴見遠望
 2月28日(金)   蕨野集落の春
 先日の大雪とは打って変わって、今日はやけに暖かい。新しく購入したザックの慣らし運転その2だ。霊山登山道や参道をできるだけGPSデータとして蓄積しておきたいとの思いもあり、GPS未記録の参道を主体にコースを採った。

 蕨野集落の梅の花はこの暖かさで急に動き始めた。気がつけば、道端のオオイヌノフグリやナズナも満開だ。参道脇の立ち木に名も知れぬ鮮やかなキノコが眼に入った。霊山一帯に一斉に春の訪れだ。

 参道は田尻付近の一丁目に始まり霊山寺駐車場まで十七(十八?)丁まで一丁ごとに標識がある。この参道と、それに続く南登山口(標高465m)までの1.7km計3.5kmの歩程をGPSに記録した。

 なお、途中、参道十四丁目付近に合流する上石川集落からのコースをGPSデータ化すべく、参道からコースに入った。道中の雪害の凄さから、案じていたとおり折れ曲がった竹がコースに覆いかぶさり、前に進めなくなり、諦めて引き返し南登山口を目指した。

 霊山寺駐車場から1kmほど上がったところに、古い地図では上石川集落方面から霊山寺を経由せずに南登山口コース途中の尾根に合流して直接山頂に至るコースが記されているので、その確認も今日の目的だった。そのコースは林道を横切る箇所がある。GPSで確定したその地点を、つぶさに観察したところ黄色いビニールが枝にくくりつけられてはいたが、踏み跡らしきものやテープなどは確認できなかった。この点は次回の課題としよう。

 南登山口(標高465m)を経て山頂に至り、青年の家コースで下山した。新規購入ザックに違和感はまったく感じなかった。

霊山の春



 上石川コースは竹林倒伏のため通行不可
 2月24日(月)  大雪 霊山無残 グレゴリーアルピニスト50インプレ
 今月は雪がよく降った。そして積もった。おそらく10年に一度、いやそれ以上の積雪量かもしれない。今月の13日から15日にかけてがそのピークだったろう。それ以前の積雪に累積されたから、鶴見岳などでは雪崩さえ起きるほどであった。

 そんな大雪から10日後、久しぶりに霊山の社交場まで足を伸ばした。中腹でもまだそこここに残雪がある。そんなことよりも、雪害のすごさというか、悲惨さに驚いた。登山道傍らの竹林や杉林が雪の重みで折れ曲がっている。登山道を覆ったことだろうが、幸いすでに市当局などにより、登山道をふさいだ、折れ曲がった樹木等は、片付けられていたから、登山に差し支えはなかったが、台風以上の雪の凄まじさを目の当たりにした。

ちょっと派手かな?

 話は変わるが、長年山登りをやっていると、山道具も妻が呆れ返るほどの数量になる。それでも、必ずしも充分とはいえない。例えばザック(バックパックと最近では呼ぶらしい)だ。すでにデイパックから70リットルクラスまで各種取り揃えられ、ほとんどの山行きに選択に迷うほどである。そんな中で唯一の空白は50リットル前後のアルパインクライミング用だ。ピッケル、バイル、アイゼン、ワカンなど登攀用具の装着なども考慮に入れると手持ちの40リットルでは厳しく65リットルでは大きすぎる。軽量化も考え、しかも機能性とデザイン性と耐久性など考え今回、思い切って買ったのがグレゴリーアルピニスト50だ。

 あらん限り?の荷物を詰め込んで早速出かけたのが今回の霊山だ。ヘルメットが干渉しないように設計された雨蓋、ウエストハーネスとチェストベルトの位置と担ぎやすさなど、14kgほどの荷重でチェックした。縦長のため総じてバランスはやや重心高は否めないが許容範囲。腰に若干の違和感があったが30分ほどの急登でいつの間にか解消していたから問題にすることもないだろう。黄金色が目立つが、山道具は目立つに越したことはない。要はいかに活用するかだ。目的の山が道具を選ぶ。が、道具が山を選ぶということもある。自分の場合はむしろ後者だ。このザックに相応しい山行きを今後考え、道具倒れにならないようにしよう。

 杉は雪の重みで根元から倒伏


 竹は折れ曲がり登山道を覆う


 幸い、既に整備も進んで 

 2月11日(火)   鉄塔管理道
 霊山北面には、山頂から第二展望台に至る頂稜から幾筋もの尾根が北方に派生し、各々の尾根の中腹とその下部に高圧線が東西に2本走っている。従って主だった各尾根の中腹には大きな鉄塔が2か所に立つことになる。

 当然のことながら、鉄塔と高圧線の保守・点検のために各鉄塔までには管理道がある。そして、その管理道から上部は、藪こぎをも辞さないマニアックな低山徘徊派が必ずと言っていいほど足跡を残している。

 霊山調査登山も、ここに来て、そのような鉄塔管理道から山頂に至る踏み分けをも対象範囲として広げてきている。

 今日は平野集落からの鉄塔管理道を「九電大分西大分線45 1963.10」と記載のある鉄塔を経由して「大分幹線37号」鉄塔まで、まず上がった。そこから上部は、第二展望台に至ることは確認済みだ。

 さらにいったん少し下り「大分幹線44号」「大分幹線36号」方面へ、東にしっかりした管理道があるので、管理道の標識に沿って歩を進め、まず「九電大分西大分線44」と書かれた鉄塔基部に出て、そこから上部に尾根を上がると「大分幹線36号」鉄塔に出た。

 そこから上部は尾根伝いに、おそらく第一展望台付近の頂稜に出るはずだが、幾つかテープも発見したが踏み分けがはっきりせず、次回の課題とした。

 下りは44号鉄塔から下部にはしっかりした管理道があり、平野橋付近の平野集落に下りた。

 数日来の降雪で霊山上部は雪を被り、よく刈り払われ広々と開放的な鉄塔基部からは、大分としては珍しく大雪をまとった由布・鶴見・高崎の山並みが遠望できた。
 

鉄塔管理道GPSデータ・・・鬱蒼とした杉林が多いため衛星電波捕捉が不十分で軌跡がところどころ途切れている。これくらいなら支障はない。


    平野集落からの鉄塔管理道 


  大分幹線44号鉄塔付近からの由布・鶴見
 2月4日(火)   塚野コースから山頂へ 観察力 また一つ新しい道の発見
 このコースは初めてだ。国道442号線塚野交差点から塚野鉱泉に入りしばらく行くと右手に「森林セラピー霊山コース 約3km約2時間」という看板が見えてきた。4台程度の駐車スペースがあり、ここに車を停め登山開始。

 登山口が分りにくく、最初は塚野霊泉の左わきの階段を上り踏み分けを勘を頼りに登って行くと、本来の、よく整備された塚野登山道に合流した。それをいったん下って行くと「霊山登山道塚野登山口」と立派な標識が立った登山口に出た。先程の森林セラピー霊山コースからこの登山口にどうやったら行きつくのか、分りにくい。

 塚野鉱泉には「山水荘」と「福来屋」という2軒の旅館があり、登山口までは、この2軒の旅館の間の道を通り、福来屋の裏手を上がって行くとすぐに見つかる。初めての人には非常に分りづらいだろう。

 それはさておき、登山口は塚野鉱泉から一心寺に至る道沿いなのだが、登山口の少し手前に看板があり「これより先は寺の所有地だから通り抜けする場合でも拝観料500円を支払うこと。良識ある行動をとらぬ通行人がいる場合は道を封鎖する」という趣旨のことが書かれてある。登山口はその看板からわずか数十メートルの距離だ。塚野登山道の整備に当たっては、きっとそれなりに了解済みなのだろうが、なんとなくいやな気分になる。

 さてあらためて塚野登山口から足を一歩踏み入れると杉林の小道を5~6分ほどで鉄塔敷地に出て、そこからは雑木の尾根伝いの急登となり約10分の所要で、万灯籠からおしどり渓谷に至る登山道と合流した。

 内稙田コースと合流後、標高500mの標識を過ぎた辺りで、内稙田コース常連のコダマさん出遭う。「おひさしぶりです」、「このところは田尻蕨野コースばかりみたいやね」などと言葉を交わした後、前から気になっていた、まだ知らない道の存在について尋ねた。「この辺りから平野集落方面に大きな尾根があるけど、登山道はないのですかね?」と私。すぐさま「丁度この辺り、ほら黒いビニルテープが巻いてあるでしょ」とコダマさん。見れば丁度二人が出遭ったところに、かすかな踏み分けがあり、目印のテープもある。迂闊だった。観察力がなかったことを恥じ入る心境ながら、コダマさんに丁重にお礼を言いその場を辞した。

 次回の目標が定まり少しうれしい気分で山頂を目指した。結局この日は山頂往復、内稙田にいったん下り、内稙田集落と塚野を結ぶ廃道(?)を通って車に戻った。もちろん、歩程の大半はGPS軌跡として記録したことは言うまでもない。 
 
塚野鉱泉 登山口は突き当たりを右手に


霊山塚野登山道


霊山各登山道のGPSデータも揃ってきた
 1月19日(日)   森林ボランティアりょうぜん会の登山道整備に初参加
 内稙田コースの412m独立標高点の周囲の雑木を伐採し、特に大分市街地の展望を良好にした。何本かの山桜が雑木に邪魔されずに鑑賞できるようになったので、春のシーズンが楽しみになった。22名の参加。
 
 1月18日(土) 大分緑山岳会創立25周年記念事業関係霊山調査登山第3回

 詳細は ⇒ こちら
 
踏査軌跡はGPSで記録
 1月13日(月)  第3回調査登山下見 
 調査登山も第3回目ともなると、小さな山のことだから、新しい登山道でも発見しない限り面白みに欠ける。これまで、あまり一般的ではないが、一般登山者が知りそうにもない踏み分け道を二つ発見した。そこで、、第3回目はその二つのルートに入ってみようと思った。とはいえ、何人かを従えて登るのだから、当然下見くらいは必要だろう。

 で、その知らない道の一つは、県道大分大野線の地吉付近から南登山口方面に登山道があるらしいことを、県民の森のガイドマップで偶然見つけた。地図上の登り口と思しきあたりを探すと、赤いテープが見つかった。以後、途切れ途切れではあったが、古い赤テープに導かれるように辿ること40分で南登山口手前の林道に出た。その間、現在地確認はスマートフォンアプリの地図ロイドで、GPSと国土地理院地図から現在地確認をしながら進んだ。

 もう一つは山頂第二展望台から北に踏み分けがあるのを前回確認している。少々藪こぎを強いられるかもしれないが、冬枯れ時期の低山徘徊、いや冬枯れ時期だからこその低山徘徊、悪くはなかろう。 

 山頂ではシモカワ夫妻と賀詞交歓。
 
要所に赤テープが…地吉から南登山口
 1月11日(土)   蕨野~社交場(標高400m)往復  
 1月10日(金)   今年初めての霊山 蕨野~山頂
 一昨年が77回、昨年が84回の霊山登山。この2年間ランニングはほとんどまったくと言っていいくらい遠ざかってしまった。霊山詣では体力維持のためのランニングの代替だ。10kg程度の負荷をかけても、ランニングによりかかる膝への負担に比べれば、膝にはやさしいし、登山のための体力づくりを考えれば、霊山の方がいい。今年も年間100回登山を目指そう。

 仕事の合間をぬってということになるので、山頂にはこだわらない。許された時間の範囲内で、田尻~山頂、蕨野~山頂、蕨野~飛来山、内稙田~第二展望台等々、いろんな選択をすればいい。ただし、クライミングのこともあるので、土のコースをえらぶにしても、必ず木の枝ぶらさがり、懸垂上がりだけはやろう。
 

2013

 12月31日 (火)  今年の納めの登山
 年間100回を目指したけれど、数えてみると今日で84回、昨年が77回、仕事の合間の平日登山主体で昨年に続きよく登ったと思うが、目標には到達せず。一応まだ会社勤めの身の上だからいたしかたないか。霊山登山のお陰で随分と足腰は強くなったし、適度のボッカで腰の調子も以前よりずっといい。来年は100回の目標を達成しよう!
 
 12月21日 (土)   調査登山第2回
 内稙田~おしどり渓谷~県民の森~南登山口~山頂~485m独立標高点~大友霊園~田尻を歩いた。メンバー5名と、いつになく“大人数”なので、楽しい低山徘徊ができた。
 
 12月7日 (土)   調査登山第1回
 所属する山岳会の記念事業 霊山調査班第1回登山は、田尻~霊山山頂~内稙田~高瀬~485m独立標高点ピーク~大友墓地~田尻とノーマルな行程を約6時間ほど歩き、コースと地図確認、デジカメ撮影などを行った。初めて足を踏み入れるコースもあり、それなりにわくわく感があった。
 
 11月30日 (土)   九重 初冠雪か
 山頂から今日は九重が近くに感じられる。山頂付近はうっすらと雪化粧か、霧氷か。そう言えば、しばらく九重もご無沙汰だな。
 
 11月29日 (金)   ふくらはぎ
 冬山シーズンに入り、このところの霊山には15kgほどの荷を背負っての山頂往復だ。例のカワノ氏いわく「いつも重荷を背負って、ハザマさんは本格的アルピニストだねえ」と、ついで足をストックの先で指して「いったいどんなふくらはぎしてるの?」と。山ヤのはしくれでいながら、生まれついてふくらはぎが細く、人前にさらしたくない部分だから、気恥ずかしくなる。
 
 11月27日 (水)  加藤文太郎、芳野満彦
 午前中8時~10時前後にこの山に入ると、必ずと言っていいくらいカワノさんに出遭う。氷壁の次は加藤文太郎、芳野満彦と立て続けに読んでいるという。高年から山を始めた人には珍しい。定年退職後次の仕事も辞めて今では自由の身とか。午前中は霊山、午後は県立図書館に通うらしい。文太郎ゆかりの北鎌尾根や、芳野満彦ゆかりの八ヶ岳の話をひとしきりすると熱心に聞き入っていた。「山靴の音」…遭難し相棒を失い自らもひどい凍傷を負い、兄の背中に担がれて下山する様が思い起こされ少し熱くなった。
 
 11月9日 (土)   氷壁再び
  昨日と同じコースを今日は山頂まで。カワノ氏に遇う。昨日に続いて氷壁の話で盛り上がった。前穂東壁と、実際に自分が登攀した前穂四峰正面壁について説明した。

 霊山に新しい登山道を見つけたとのこと。所属する山岳会の創立25周年記念事業として大分市近郊の山のコースマップを作るということで、このところなるべくいろいろな情報を集めているところだ。折を見てゆっくり話を拝聴しよう。
 
 11月8日 (金)
 井上靖 氷壁
 しばらく日記が途絶えていた。登る回数が少なくなったことはあるが、それよりも特段これと言って書くことがなかったからだ。体調不良気味だったので社交場までの往復とした。深まりゆく秋を感じた。常連のカワノさんに遇った。「氷壁」を読んでいる、と言う。「前穂の東壁は登ったことある?」との問いについ頷いてしまった。小説の舞台は前穂東壁だが、自分が登ったのは前穂四峰正面壁だから、嘘をついたことになる。頷きながら一瞬訂正しようかと思ったが、ご本人はほとんど両壁の区別がつかないみたいだから、まっ、いいか。
 
 9月23日(月)  

 ダブル霊山(標高差1200m)

 今日は、月末の穂高縦走の最後の仕上げとして、14kgの負荷での霊山2往復とした。蕨野集落を過ぎ登山道に入ると、ここの常連の一人、穂高へ向けてトレーニング中のカワノさんに追いつく。加藤文太郎、山野井康史、サバイバル登山家・服部文祥などで話が弾んだ。なかなか読書家のようだ、この人は。ただ余りのスローペースに、先を急ぐことにした。下ってくる、‘社交場’の常連さん3人としばらく立ち話、次に珍しくも山ガール二人…なかなか愛想の良い娘さんたちでここでも立ち話、いつもより少し時間を要して山頂着。そのまま第二展望台まで足を伸ばすと若者二人を引き連れた、ひこさんクラブのワタナベさんに遭う。「会長に孫ができたので後立山の爺ヶ岳に登った」とか、ひこさんクラブの近況もうかがった。内稙田への下りでは、内稙田コースの‘管理人’・コダマさんと擦れ違う。「このところ(蕨野コースに)浮気してまして」などと釈明。

 

 9月も下旬に入ったというのに、今日はかなりの暑さで、顔の周りを飛び回るコバエやアブに閉口した。それ以上に大量の汗をかき、体重が今日の山頂2往復4時間のアルバイトにより、いっぺんに2.3kgも減った。暑い一日だった。
 
 9月7日(土)  

 久しぶり、内稙田からの霊山

 15kgほどの荷を背負っての往復。普段は第二展望台までのだが久しぶりなので山頂まで足を伸ばす。結局、昨日の蕨野~霊山の賑わいと打って変わった静寂の中の登山であった。役目を終えようとしているミンミンゼミ、ツクツクホウシの鳴き声にこころなしか寂しさを覚えた。

 

 
 9月6日(金)   蕨野~霊山  
8月16日(金)   

 霊山3日連続の山頂往復 心地よい疲労

 昨日は、意欲が停滞するような少しいやな感じの疲れ方だった。水を忘れたことも原因しているだろう。今朝は登りの道中スポーツドリンクを小まめに摂取した。そのせいかどうか、気分のすぐれないような疲れ方にはならなかった。

 
 8月15日(木)  

 蕨野~霊山山頂 悪い疲れ

 昨日に続き早朝の山頂往復。鉄アレイ2.5kgを追加して荷は15kg弱と、少し増やした。というのも、月末に迫った北アルプス方面テント縦走を意識してのことだ。社交場から先は汗でお尻までびしょ濡れになってきた。今日はボトルをまたまた忘れてきて水分補給はない。そのせいか、連日の猛暑による蓄積疲労か、疲れて山頂への意欲が低下してきた。

 疲れには、心地よい疲れと悪い疲れと二通りある。今朝のそれは後者だ。が、無理してとにかく山頂までは往復した、熱中症になる時というのはこんな時かなあ、などと思いながらも…。

 
 8月14日(水)  

 蕨野~霊山山頂 日照り、汗、ミンミンゼミ

 連日の記録的な猛暑、雨らしい雨もこのところほとんどない。霊山森林公園登山道脇の沢もこのところの日照り続きでめっきり水量が少なくなった。というか、よくもこれだけの日照りに耐え、この小さな沢が一筋の流れを維持し一服の清涼感を与えてくれるものだと、感心しなくもない。それでもさすがに登山道上部では沢が枯れてしまっている。

 歩き始めの午前6時前の気温が28℃で、12,3kgの荷を軽って30分少々で標高差にして300m余り上がってくると社交場、上半身は汗でびしょびしょになる。今日は時間的にゆっくりしているので山頂を目指す。汗はさらに吹き出し山頂を往復して社交場に戻るころにはズボンもくるぶし辺りまでびしょびしょになっている。いつものように樹にぶら下がって懸垂上がりを13,4回。人間幾つになっても鍛錬すればそれなりに筋力は向上するものだ。

 帰路、ミンミンゼミの鳴き声に気付く。クマゼミ、アブラゼミからいつの間にかミンミンゼミの鳴き声に置き換わっている。まだ当分猛暑が続くらしいが、そんな中でもツクツクホウシが秘かに出番を確実に待っているのだろうか。

 
 8月12日(月)  

 霊山社交場~大友頼泰公の墓

早朝、いつものように蕨野の集落はずれ(標高80m)に車を停め、霊山社交場を目指す。お盆前ということもあり、蕨野集落の畑や土手はどこもきれいに草刈りされており、気持ち良い。お盆前に小奇麗にしてお先祖様の霊を迎える…これが農村、というか日本の、古来からの文化なのだなあと実感するひととき。

ところで、所属する山岳会が今年で創立25周年を迎える。その記念として大分市近郊のいくつかの山の登山コース図をつくろうということになった。そのこともあり帰路は旧少年自然の家展望所から大友頼泰墓方面に下ってみた。以前から気になっていた未体験のコースだ。道は、イノシシに路面を荒らされていることを除けば、‘森林ボランティア りょうぜん会’により道標も整備されており人工色のない歩きやすいもので、大友頼泰の墓が登山口となる。

居合わせた土地の人によると、この墓所はNHK大河ドラマ黒田官兵衛の次をねらった大友宗麟のこともあり、近く駐車場なども含め大掛かりな整備が予定されているとか。

今回新しいコースを体験したが、まだまだいくつか未体験コースがあるので、創立25周年記念をきっかけにこの山のことをもっともっと知りたいと思う。

 
8月11日(日)   

 霊山社交場往復 蜘蛛のえば

今日も早朝発ち。誰にも遭うことなく社交場に到着。いつもと違ったのは登山道に蜘蛛の‘えば’(=糸)が多かったこと。いつもは、早発ちのつもりでも実は、先行して‘露払い’をしてくれる者が誰か彼か居るのであろう。そういう意味では今朝はまったくの一番乗りということか。社交場からは佐賀関、四国方面の眺めが良いが、あいにくこの時期の6時過ぎという時間は丁度、豊後水道佐賀関方面から朝日が上がり、その直撃を受け暑いのだ。長居は無用といったところか。

 
 8月8日(木)  

 霊山社交場往復

 午前6時に家を出た。気温はすでに28℃を指していた。霊山遊歩道入口から中腹にかけて数か所に50~80段くらいの階段があり合計すると350段あまりになる。この階段登りの時だけは、大腿筋の鍛錬と岩場でのつま先立ちを意識して一気に登りあがるから、折からの高温で汗がどどーっと吹き出す。折り返し点の社交場まで来てザックに入れたはずの真空ボトルがないことに気付く。ヤレヤレだ。年寄りが熱中症になるのはこんな理由にもよるのだ。いつもの枝で懸垂上がりをやって帰路に着く。

 
 8月7日(水)  

 カムエク遠征延期

 今夏、一緒にカムイエクウチカウシに‘遠征’することになっていた会社の山仲間から昨日、悪い知らせが入った。以下、

「残念なお知らせを。。北海道の友人(カムエクのガイド)より、カムエクへの林道が閉鎖され、来年5月まで入山出来ないとの知らせが届きました。。

http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/kk/okk/obihirodogen/10oshirase/oshirase09_03.htm 完全通行止めになるようで、山岳ツアーも中止されているようです。取り急ぎ一報まで。。」

この夏早朝の霊山往復に、わざわざ重荷を担いだのもカムエクという身近な差し迫った目標があったからだ。今朝は少々拍子抜けながらも、霊山社交場までの往復。帰路、蕨野の集落で茄と苦瓜を頂戴した。立秋を過ぎたが、当分‘猛烈な暑さ’が続くとか。

 

 
 7月29日(月)  

霊山飛来山往復 老いてなお

早朝、霊山中腹の飛来山まで往復。社交場で一服していると、時々お見かけする、年のころ70歳代後半~80歳のご老体が上がってきた。普段は軽く会釈を交わす程度なのだが、珍しく

ご老体:「いつも荷を担いでますが、どこか遠方にお出かけか?」

私:「いえいえ、10キロ程度の荷を担いだ方が腰の調子が良いので。勤めがあるのでいつも中腹までですよ」

ご老体:「私はここに登りに来ると必ず山頂まで行くようにしてるんですよ。途中までだと、何だか自分に甘えているような気がしてね。」

うーん、いやはや、いつも自分に厳しくありたいと願っているのだが…。

 
 7月25日(木)  

 霊山社交場

社交場にある、横に枝が張り出した樹でいつものように懸垂上がりのトレーニングをしているとご老体が上がってくる。しばらく世間話を交わす。このご老体は山頂までの登山道の草刈りや整備をまめにやってくれている奇特なお方だ。このような方は、内稙田コースにも一人居られる。お二人は対照的な性格らしく、片方は逢って会話を交わす人ごとに作業を逐一話し、もう一方(ひとかた)はただ黙々と人知れず整備しているから、地道にやっているわりにおそらくあまり知られていないだろう。対照的なお二人だ。言わずもがな、好みは分かれるがお二方とも霊山にはなくてはならぬ貴重な御仁だ。

 
 7月23日(火)  

 霊山一番乗り クライミング棒

 お世話になっていた叔母が亡くなったため、昨日の出張は一日延ばした。今日は午後からの移動ということで、今朝は5時起きで14kgの荷で霊山中腹まで。中腹の社交場まででも標高差300mの上り下りはそれなりにトレーニング効果がある。いつもより早かったせいか霊山一番乗りだった。帰りに小学校でクライミング棒にチャレンジしてみた。身軽な子供なら足を使わずともまるでサルのように軽々と上まで上がっていく。足を水平に(したつもり)して腕力だけで3mほどを難なく上れた。上腕の筋力強化プラス握力強化にクライミング棒は有効だ。

 
 7月20日(土)  

 霊山 ラジオの音

 先行者に近づくとラジオのガナリ音が聞こえてきた。必要以上のボリュームだ。しかも、同一方向だから追い越して間隔が開きかけても音はなかなか遠ざからない。ここの山では目的はトレーニングの一環と位置付けていることのほかに静寂さを楽しむことにもある。もちろん、自分自身もラジオを聴くことはあるが、ボリュームは最低限にしているし前後に登山者の気配を感じたらラジオを消すことにしている。静寂さを破られ興ざめしているであろう登山者を想像したくないからだ。

 さて、今日は飛来山までとし下りですれ違う女性登山者二人と立ち話。「いつも重そうな荷を担いでますがどこの山に登るんですか」「いえ、これは日課です」「何キロくらい」「さあ、14,5キロかな」「私たち今度北岳に登るので今日は7キロ担いできついわー。三伏峠から塩見岳経由小屋泊まりなんですよ」「あの付近じゃ熊ノ平小屋が水が豊富でしたねえ。天気が良いといいですねえ」などと会話が弾んだ。

 
 7月19日  

 霊山 再び「ご自由にどうぞ」

 早朝社交場までの往復。時間が早かったせいか蕨野の集落まで下ってくると、例の‘む無料野菜配布箱’にオクラ、キュウリ、ナスなどがビニール袋に入れられて置かれている。先日はキュウリを頂戴したので今日はナスにした。私の背中のザックには、もしこの箱の主に逢えば渡そうとペットボトルのジュースを忍ばせていたが逢えなかった。

 

 
 7月15日  

 霊山 社交場、「ご自由にどうぞ」

 道中あまり展望が利かない霊山ではあるが、中腹に1か所だけ展望所がある。奇特な方が下刈りをしベンチをこしらえ、毎日大方決まった時間に示し合わせたように集まって世間話をする。近くにぶら下がるのに手ごろな樹があり、ひと世代若い私は、この‘社交場’の常連者達とは少し時間をずらしてここで休憩、上腕筋トレをする。

今日は霊山社交場までとし、樹木ぶら下がり筋トレを済ませ下山。蕨野の集落では傍らに立札あり。「ご自由にどうぞ」と書かれ箱の中に少し完熟気味のキュウリがある。「『ご自由に』といわれてもねえ」と多少戸惑いながらも、せっかくだからキュウリ2本を頂戴することにした。

 
 7月13日  霊山  
 7月5日(金)  

 霊山 川は海を肥やす

 来週に迫った北アルプス剱沢~立山三山に向けての早朝トレーニング。ここ数日の雷を伴った大雨により、登山道の、この冬の間にせっかく積もった落ち葉…半ば腐葉土化して我々中高年登山者の膝を守ってくれている…もすっかり流され、あとには小岩の露出したゴツゴツの歩きづらい道に様変わりしていた。まあしかし、川は海を肥やすというではないか。流された腐葉土は海岸周辺のプランクトンの餌になり豊かな漁業資源を我々に提供する。

 10kg余りの荷を担いで約1時間、途中の手ごろな枝で懸垂上がりのトレーニングをする。この手ごろな木の辺りからはビッグアイや佐賀関の大煙突がよく見えるが、今日は大雨の後のせいか、めずらしくはるか四国の佐田岬までが、はっきりと遠望された。

 
6月25日(火)   

 蕨野~霊山 

 ここのコースは300段以上の階段がある。この階段を10kg程度の荷を背負って、なるべ松井が左足でのそれができないから…クライミングでは微妙なスタンスに身体を預けたり、片足立ちなど左右バランス良い脚力が要求されるからだ。

雨の合間ではあったが数人の常連さんに逢う。登山口ではハナイカダなる珍しい名前の植物を教えてもらった。

 
6月19日(水)   

 田尻からの霊山

夕方、蕨野集落手前からスタート。田尻方面からのコースは早朝~午後早い時間帯まで登山者が多いが、3時を過ぎてからのスタートだけに人っ子一人逢わなかった。下部は傾斜が急で階段も400段近くあり、鍛錬ならば内稙田よりもこちらの方がベター。

 
 6月16日(日)  

 久しぶりに霊山

 このところトレーニング法が変わったため、霊山内稙田コースが疎遠になってきた。「クライミングをやりだすと、登山の体力は落ちる」…それではいけない。久しぶりの内稙田コースは夏草が生い茂るが、常連さんにより登山道はちゃんと維持されている。いつもの展望台から山頂まで足を延ばしてみる。高年3人組と霊山の標高についての話題に加わる。帰路出逢った常連のマサカドさんに「最近痩せましたね」と。2か月前62kgあった体重は今58kg台だ。

 
 6月5日(水)   早朝、内稙田~412m独立標高点までで時間切れ  
 5月31日   
 夏草
 内稙田登山口駐車場をいつになく早い8時6分のスタート。駐車場周囲はいつの間にか夏草が生い茂るようになり、霊山森林ボランティアグループによりせっかく建てられた道標が草に覆われ見えづらくなってきた。そんな季節になったがPM2.5による視界不良は相変わらずで、山頂からは靄の中、山頂付近がわずかに見え隠れする由布鶴見の遠望も悪くない。

内稙田8:06→第二展望台9:19

 
 5月27日  

 バックパック
 ルックザックまたは単にザック、あるいはキスリング、というのが我々古い世代の山屋の呼び方だった。今ではザックのことをバックパックというらしい。‘肩に食い込む重いキスリング’…ザックは肩で担ぐものと思い込んでいた、何十年もの間。マムートのザックを担いでみて、まさに‘目からうろこ’の心境だ。もちろん、この世代とはいえ、ミレー65L、55L、40Lなど比較的最近のザックを持ち合わせていないわけではない。けれども最近使っているマムート30Lは、胸バンドと合わせ肩にかかるはずの重量を分散、というか30Lレベルには似つかわしくないほどに大きなウエストベルトがちょうど骨盤上部にフィットして重量を腰で受け止め、肩と背骨への負担を大幅に軽減してくれる。

 近頃の霊山詣ではこのマムートの30Lに幕営、炊事用具一式、軽食糧、燃料、寝具、水など一応どこででも寝泊り可能の準備と、加えて2.5kgの鉄アレイ1個を入れて、総重量10kg少々を担いでいる。別にカッコウつけてるわけでもないし、この山とはいえ単独行なので非常時を考えてというほど大げさに考えているわけでない。このくらいの荷をかついている方が腰の調子がいいのだ。

 
 5月18日(土)  

 大キジ撃ち

 すでに申し込みを済ませた、来月8日開催予定のクライミング講習会(正確には大分県立総合体育館クライミングウォール第49回利用者認定講習会)に向けてのトレーニングにこのところ余念がない。阿蘇内牧‘クランプ’でのわずか一度の体験から学んだ、クライミング技術習得&向上のためのトレーニング法としては、まず何よりも体重を軽くすること、そのためにはランニングが最も近道。ということで、10日約ほど前からランニングを始めた。2年ぶりのことだ。その分今後当分の間霊山登山の頻度は低下するのは仕方がない。といっても週最低1回くらいは登らないとね。

 今日は昼過ぎから人と会うことになっているので、とにかく手短に山頂往復するつもりだったが、中間点の手前・標高300m位のところで便意をもよおし、早々にリタイアしてしまった。こんな時我慢して登山を続けると大キジ撃ちと称する(女性の場合は‘お花摘み’などと言ってたな)行為に及ばざるを得なくなる。ということで早々に退散…本日は内稙田コース中間点・標高320mまでとする。

内稙田~中間点・標高320m往復(9:30~11:00)

 

 
 5月8日(水)  

 霊山

 内稙田10:45~412m独立標高点往復

 
5月2日(木)   

膝の故障、四国赤石山系と別子銅山、つれあいの体調

 昨日の阿蘇内牧‘クランプ’でのボルダリングの際、強打した膝の状態が思わしくなく階段の上り下りがまともにできない状態だ。おまけに家内が昨夜から体調を崩してしまっている。家内は「体調が悪いといってもじっとしておけば大丈夫。それよりもこんな時に亭主のお世話をすることを考えれば、どこぞ好きなところに行ってくれてた方が楽だから」と。ならば予定通り四国方面に出かけるしかない。あとはこの膝の状態でとにかくちゃんと歩けるかどうかだ。そこで、10kg程度の荷を持って霊山へ。歩き始めこそ痛かったがウォーミングアップ完了とともに痛みは気にならなくなった。これで四国の山旅は予定通りとした。

 ところで独立標高点までの道中、ラジオでは老化現象と疑似体験について誰かが話していた。「歳とってから読んだ本のことは、若い時と比べ、記憶に残りにくい。それは若い時は読んだ本の内容についての疑似体験ができるが、年寄りにはそれが乏しいからだ。読んだ本の印象・記憶を維持したかったら冒険に出ることだ。」という主旨のことだったように思う。なるほど、…今日は夕方から四国に渡る。ガイドブックを読んだだけではなかなか頭に入らないが、実際の登山(冒険)によって記憶回路により強く印象づけられるということか。合間に流れた‘イマジン’…RCサクセッションのカバー曲で、ジョン・レノンの原曲とは一味違い、これはこれで霊山のこのコースで聴くには申し分なかった。先年亡くなった忌野清志郎に似ているなと思ったら、ご本人の声であることが‘RCサクセッション’を調べてみて後で判った(恥?)。
内稙田8:57~412m独立標高点9:44~内稙田10:26


412m独立標高点からの障子岳方面


ボルダリング(阿蘇内牧‘クランプ’にて5/1…この後少し離れた上のホールドを掴もうとスタンスを蹴ったところ何故か突起に膝が激突)
 4月29日(月)  

90歳の登山者、平均年齢70歳超のGW立山縦走

 歩き始めてすぐに山菜採りに余念のない4~5名に出逢う。このコースを最初に教えてくれたシモカワさん夫妻とそのご両親ほかだ。サドガラの軟らかいところは茹でるとおいしいとか。聞けばご両親は御年90歳とか。標高差600m近い山頂を往復するのだから、大したものだ。自分もそうありたいと思ったものだ。

 一方、シモカワ氏はGW後半は、82歳のホシコさんをリーダーに70代以上の12,3名で立山を縦走する、ついては、今日山頂付近にメンバーが集まりザイルワーク等のトレーニングを行ったとのこと。春の立山と言えば、自分の若い時の苦い経験と室堂周辺の豪雪の山並みが甦ってきた。エネルギッシュな高年登山隊にエールを送ろう!! 

内稙田14:21~第二展望台15:29~内稙田16:13

 
春霞の山頂から
 4月28日(日)
 キンラン開花間近、 「今 丹沢山です」

内和稙田コースの中間点、標高300m付近の登山道傍らで黄色い可憐な蕾が眼に入る。この山の最初の開花かな。

 第二展望台で折り返してすぐにメールが入る。中味は冒頭の一言だけ。スズキ君だ。この人はいつもこんな調子だ。思い出したように、味もそっけもないショートコメントを送りつけてくる。しかしこの時期のメールを深読みすると「東北の山ももうじき雪解け、昨年の朝日連峰の次は、飯豊かな、時期は?」というような誘いが込められている。さて、今年はどうしたものか…。

内稙田9:23~第二展望台10:29~内稙田11:17

 
開花間近のキンラン
 4月26日(金) 
ジジババ
 
 第二展望台付近でジジババの開花を見た。おっとジジババなどと…正式名称シュンランのことだ。子供の頃はジジババと呼んでいたが、東洋蘭の一種でバリエーションが多様でマニアの世界では相当奥が深いらしい。

内稙田14:42~第二展望台15:51~内稙田16:43

ジジババ
 4月25日 (木)
 過ぎたるは…、何事も‘てげてげ’に

 10日ぶりの霊山は、山全体に新緑が映え、1年で一番良い季節を迎えた。季節の移ろいはダイナミックであることをあらためて感じさせられる。

 このところ上半身の筋トレも欠かさないが、前回(4/15)の時、懸垂上がりを少し張り切って頑張りすぎたのか、以来頭の芯でジーンというような音とともに軽い片頭痛が起こった。知り合いによるとそういうのはどうも危ないらしい。歳を考え何事もほど良い程度にしとかないとね。時間が遅いので途中までとする。

内稙田15:07~412m独立標高点15:46~内稙田16:15


412m独立標高点付近
 4月15日(月)  
物忘れ、ヘビも活動開始

 朝イチで90分の講義。準備も含め早朝から目いっぱい集中したから、終わると頭の芯がかなり疲れて痛い。こんな時は霊山にでも登って血流を活発にしてやると治る。帰宅してレーザーポインターを返却し忘れていたことに気づく。一方、短大から「大事な手帳をあずかってますよ」との電話だ。講義の際、スクリーンの投影角度微調整のため液晶プロジェクターの下に敷いて、そのまま忘れてしまっていた。やれやれだ。

 気が削がれるが思い直していつものように内稙田から登りはじめる。15分ほど、標高にして200mを過ぎた辺りで職場から電話がかかり、長電話となる。すっかり気が削がれて、今日は412m独立標高点までとする。

 霊山は新緑真っ盛りとなった。往路出逢ったサカイさんによると「今日はヘビにびっくりさせられました」とか。

内稙田12:44~412m独立標高点13:41

 4月14日(日)  

トレールラン

 風の強い日だ。NHK歌の散歩道を聴きながら、今日はゆっくりした登山を心がけようと決めた。プレスリーの‘ラブミーテンダー’は久しぶりだ。七合目付近から上は強風になったが気温は高く汗ばんだ体には心地よく感じたが、‘パリの空の下’は強風にかき消されてほとんど聴き取れなかった。

 往路は中年のトレールランナー1人と擦れ違うだけ、日曜だというのに静かなものと思っていたら、第二展望台では10人ほどの中高年グループが楽しそうに昼食の真っ最中で、快活な挨拶を受けた。熊本から霊山麓の一心寺のボタン桜を観に来たそうだ。

 復路、内稙田を登り返してきたという、先ほどのトレールランナーに再び逢う。県内でもいくつかトレールランのレースがあり、そのトレーニングだとか。我々の若いころは、ランニング登山と呼んでいたこと、下嶋渓<ランニング登山>がバイブルであったこと、福智山や祖母傾のロングトレイルのことなど興味深く聴いてもらった。内稙田コースは登山道が整備され、ほど良い傾斜でトレールランに適しているせいか、週末トレールランナーをよく見かけるようになった。

 帰路、山の恵み(ウド)に与った。

内稙田10:41~第二展望台11:49~内稙田12:45


 
第二展望台では10人ほどの中高年グループが
 4月12日(金)  

 霊山の標高、マダニに注意?

春の陽気を期待したいところだがいつまでも寒い。400m道標付近で、下ってきたサカイさんに逢う。「いつまでも寒いね」などとありきたりの言葉を交わして先へ進む。通常、内稙田からの常連登山者は第二展望台で折り返す。今日は第二展望台を過ぎ、久しぶりに山頂まで向かう。

ところで、霊山は、国土地理院25,000分の1地図では標高596m三角点のあるところが山頂ということにこれまでなっており、田尻登山口方面からの登山者は「霊山山頂596m」の標識を見て、霊山の高さを596mと信じ込んでいる人が多いものと思う。実際には最高点の標高が「610m」で、596m三角点は西へ200m、第二展望台近くに設置されている。今回久しぶりに足を延ばした三角点の脇にはそのこと「地図上の山頂 596m 三角点設置」を明記した道標が、また、これまで596mの道標があった最高点山頂には新たに「霊山山頂 610m」の道標が設置されていた。

下りはいつものように標高350m付近の登山道脇に水平に張り出た、手ごろな枝にぶら下がり、頑張って懸垂上がりを10回ほど…その間、樹全体がゆさゆさと大きな音を立てる。そういえばこのところ山や畑、草むらに入ってマダニが媒介するウイルス※に感染して亡くなった人さえいる。樹にぶら下がって揺さぶったりしたら、もしかしたら頭からマダニを浴び、噛みつかれるかもしれないな。※ウイルス感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」 

内稙田12:48~第二展望台13:47~山頂13:53~内稙田14:49



三角点と「地図上の山頂 596m 三角点設置」と書かれた道標

 
霊山山頂に新たに設置された標識
 4月11日(木)  

 トレールランニングで43分 

 内稙田~第二展望台往復ドアツードアを2時間以内のつもりで出発。平地と緩傾斜の上りを軽いランニングで登って行く。若いときなら心臓がバクバク状態でもかまわず上がっていったが、さすがに還暦過ぎたこの歳では心拍数と相談しながらの登高だ。

412mピークを過ぎた辺りでしっかりした足取りで下ってくる女性あり。思い出した。先月(3月10日)、内稙田登山道のことを知り田尻登山口から第二展望台経由で内稙田コースを登り返した体力のある女性だ。今日は内稙田からだと言う。仲間が一人増えたと感じた。

八合目辺りの平地では、上から同じくランニングで下りてくる人あり。コダマさんだ。「やれやれ、お互いいい歳をして」と思わず苦笑いしたのは私だけではなかろうね。第二展望台までの所要時間が前回より3分ほど短縮された。

我が家10:10→(5km車で約15分)内稙田10:27~第二展望台11:10~内稙田11:37→我が家11:58

 
霊山内和稙田登山口の標柱
 4月9日(火)  

 新緑、イノシシ狩り

出張先の福岡の宿を早朝に発って大分に早めの帰還。そのまま内稙田まで。かかりつけの耳鼻科が13時まで受け付けなので、逆算すると与えられた登山時間は1時間と少し。7kgほどの負荷で412m独立標高点まで一気に登り、下りはいつものように樹にぶら下がっての懸垂上がりの筋トレ後、トレランの真似事で内稙田まで下る。

途中、イノシシ猟のグループに出遭う。谷の上部へ「登山者発見、注意!」の合図を笛で送っている。狩猟の皆さんは「駆除や!」と。…あくまでやむにやまれずやっていることを強調したいのだろう。「いつまで?」と私のそっけない問いに5月6日までと言う。折角、トレーニングを兼ねた静かな山登りができると気に入っていたコースなのに、と思うと少し不快な気分になる。しかし、大分県中山間地の鳥獣害の深刻さと狩猟の後継者不足を思えば、「ご苦労さん」の一言くらいかけなきゃいけなかったのに…。

 桜はほとんど終わり新緑の季節となった。

内稙田9:30~412m独立標高点12:10

 
412mの独立標高点付近
 4月7日(日)  

 花冷え、儀礼的あいさつ

  冬に逆戻りしたかと思うような寒さと強風の中、アンダーシャツ1枚で終始通したため身体が冷え切ってしまった。桜は春の嵐が昨夜吹き荒れたせいか、山頂付近までほとんど花が飛ばされてしまった。桜も今日で見納めとしよう。

 途中コダマさんと並び言葉を交わす。「GWはどこか行きますか?」「夏に遠出を」「ああそうですか。…お先に」。追い抜いたのち考えるに、こちらが質問した以上「どこに登るんですか」とまで聞くべきだったろう。ただの愛想替わりの言葉なので、目的の山を引き出すほどに考えてかけた言葉ではない。不思議なものだ。

内稙田9:52→第二展望台10:58→内稙田12:00


第二展望台から
 4月3日(水)  

タラノメ事件、トカゲ初見、葉桜

 家内の友人がお茶を飲みに午後から来訪するという。それならば要らざる気遣いをさせるよりも亭主が霊山にでも出かけて居ぬ間にゆっくりしてもらおうとの心遣いから、急きょ出かける。

内稙田で今しがた下ってきた登山者二人、開けているトランクの中にタラノメが2個。もしやと思い駐車場脇のタラノキを見るが、丈2.5mほどのタラノキ2本が無残にも幹の中ほどからへし折られている。この2本のタラノキは先日まで、先端だけに芽があり日に日に生長している様子だった。別段こちらが前から狙っていたものではなく、季節の移ろいの指標としてここへ来るたびに観察していたものだ。明らかに、わずか2個の小さな芽を採る目的のために無残にもへし折ったのは間違いない。…いや、手元に寄せようとしてうっかり折ってしまった…そう考えることにしよう。そう考えないと少しいやな気分になる。

さて、山麓の山桜はほとんど葉桜になり、登るほどに登山道を覆っている花弁が鮮やかになる。途中、トカゲを初見。であればやがて足下のヘビに驚かされる日も近かろう。爽やかな春日和で鳥の鳴き声も、繁殖シーズン到来で活発だ。まさに待望久しい春到来と言ったところか。

内稙田14:02→第二展望台15:13→内稙田16:15


無残にへし折られたタラの木


登山道に散った桜の花弁
 4月1日(月)  

 月間目標設定、上腕の筋トレ

 今日は午後から出かけなきゃいけないが、月初めということもあり、今月の目標である日(にち)体重最大値60kg以下と月間目標14回の霊山詣でのため、張り切る。たまにはトレールランの真似事でもと、麓から空身で飛ばしたので46分で到着。空身にしては遅いね。朝が早かっただけに誰にも遭わず。桜は山頂付近で三分咲き、登山口ではすでに葉桜。眼下の大分市街地は相変わらず薄ぼんやりした春霞の中。このところこのコースでは日課となった枝のぶら下がりと懸垂上がりで、持久力と筋力ともに向上を実感、樹上での身体のコントロールが容易で身が軽くなったと感じた。

内稙田8:16→第二展望台9:02→内稙田9:35


第二展望台
 3月31日(日)  

 霊山登山コース地図入手

 休日の登山は、普段と違った出逢いがある。

 少し早足で第二展望台まで56分の所要。ここのコースを7~8kgの荷を担いで1時間以内で第二展望台まで上がるのは、‘脇目も振らず’って感じで結構目いっぱいの歩きだ。その間、単独行の中年、高年夫婦、高年単独者、トレールランの若者、そして最後に地元稙田地区子供会の団体登山者約15名。その中にかつての職場の同僚アサカワさんを見つけた。今日は引率者らしい。

 氏から霊山登山会と霊山森林ボランティアの作成による‘霊山登山コース地図’を頂戴する。なかなか貴重なもので、これまで知らなかった新たな登山コースを地図中に発見して嬉しくなった。近々のうちに未踏コースから登ってみよう。

内稙田9:13→第二展望台10:09→内稙田11:04

 
 3月29日(金)  

 八合目付近が見ごろ、春霞…正体はPM2.5?

 このコースでは平日午後から登る人をこれまでほとんど見かけたことがない。今日は午後からの登山で、当然のごとく駐車場には車はない。付近のタラノメがやっと芽を吹き始めた。412m独立標高点手前の植物に念入りな垣根が施されている。昨日コダマ氏が木の小枝を切っていたのは、この囲いをつくるためだったのだな。山頂展望台着が14時40分。大分市街地は相変わらず春霞で焦点が定まりにくい。往路復路の道中、義弟との何度かのメール往復のため、いつもより時間がかかった。

内稙田13:35~第二展望台14:42~内稙田15:30

 

貴重植物種を保護する囲い
 3月26日(火)  

 山桜は八合目まで

 いつもより早く9時前から登り始める。いつものように何か所かの手ごろな樹に登ったりぶら下がったり、懸垂上がりをしたりの筋トレののち1時間で山頂展望台着。下りの412m独立標高点の手前でコダマ氏に逢う。このところ急傾斜に新たな階段が設えられたが、いつもこの御仁には感謝。今日も新たな階段を設置するためか、枝切りに精を出していた。さらに下ったところで早駆けの中学生に驚かされる。そういえば、今秋から学校は春休みだ。10時50分登山口着。

内稙田8:55~第二展望台10:00~内稙田10:50

 3月24日 (日)  

 ‘昇り桜’、登山道標柱整備

 伯耆大山や石鎚山への‘遠征’が間に入ったため、久しぶりの霊山詣でだ。内稙田集落から見上げる霊山は六合目ほどまでが山桜一色だ。日に日に山頂まで上がっていくらしいこの様を、土地の人は昇り桜という。駐車場には既に車3台が雑然とある。

 このところ日に日に道標が整備され、今回の道中も登山道入り口駐車場手前に「霊山登山道 内稙田登山口」と書かれた立派な標柱や、一部標柱の変更なども含め、どうやらこの内稙田コースの登山案内整備関係もほぼ終了したようだ。これからはこのコースを訪れる人が急増することだろう。楽しみでもあり、少々有難迷惑でもある。

 いつものように途中数か所の手ごろな木で、木登りと懸垂上がりで上半身の鍛錬もしながら1時間で展望台を折り返す。以前に、「標高400m」の標柱が建てられ「少々アバウト」とだなと思った412m独立標高点のピークは、その後「標高420m」に修正されたのち今回、「標高412m」に再修正された標柱が建てられていた。

登山口近くで常連の一人マサカドさんに逢う。彼女によると、粗雑に置かれた3台の車は、イノシシ猟の関係者らしい。

内稙田10:10~第二展望台11:10~内稙田12:10 


霊山の‘昇り桜’
 3月10日(日)  

 マウンテンバイクとのデュアスロン

 暖かくなったので登山口までの往復をMTBにした。我が家からの片道6kmほどだが、山と合わせると、ほど良いアルバイトになる。登山の方は空身なので山頂までいつもより10分くらい早く到着。

 最近ここ2か月くらい前から、道中の手ごろな木を見つけ地上2mくらいまで登ったり、枝にぶら下がって懸垂上がりをしたりで腕力もそれなりに鍛えている。そのせいか身が軽くなったような気がする。体重を落とせばもっと身が軽くなるだろう。

 412mピーク手前で下ってくる、愛想のよい女性と情報交換。聞けば、田尻から登ってきて初めて内稙田コースがあるのを展望台付近の道標で知って、とりあえず下り、再び登り返すという。そういえば、その後さらに道標が追加され、登りだけではなく下山道としても道標が整備されてきたのが、随所に見受けられる。トレールランで山頂を往復し、再び同じ場所で彼女に出逢う。それも予想していたよう随分上の方でだ。なかなか体力のある女性だ。

我が家9:40→(MTB)内稙田10:15~第二展望台11:07 我が家12:15


第二展望台付近の内稙田方面の案内
 3月9日(土)  

春の気配

 気温が上昇し、木の芽が膨らみ始め、春の気配が実感されるようになった。第二展望台に近づくと子供たちのはしゃぎ声が聞えてきた。

内稙田~第二展望台往復(9:20~11:10)

 
 3月7日(木)  

荒らす獣あれば、治す人あり

 イノシシに荒らされた登山道は、善良な登山者により少しずつ踏み均されているが、その一方でまた別な個所が穿り返されている。この時期はその繰り返しだろうか。下りの3合目付近で、この山の‘管理人’・コダマ氏と擦れ違う。今日出逢ったのはこの1人だけ。

内稙田~第二展望台往復(10:30~12:30)

 
 3月3日(日)  

 イノシシの必死の命技

 日曜日だというのに午前10時半の登山口駐車場には車は一台もなし。このコースは一般にはこれまであまり知られておらず常連さん5~6人のほかは登山者はまれ。それでも、一部の熱心な愛好家により次第に登山道や道標も整備されつつあり、そのせいかこのところ、特に土日の午前中は、普段見かけぬ人も次第に多くなりつつあった。

 今月は中旬後半に伯耆大山と石鎚山の残雪期登山をひかえ、少し気合が入ってきている。8kgほどのザックを担いで、少し足早に登っていく。ここの登山道は腐植土の敷き詰められた、緩傾斜の道が続くが、このような土壌にはミミズなど小動物も多いのか、標高400mのピークまではイノシシが穿(ほじく)り返して、処々方々が凸凹に荒らされ、せっかくのこのコース自慢の登山道が台無しだが、イノシシも必死で命技をしているのだろうから文句も言えまい。

 今日は途中休憩も、このところこのコースの登山では日課の木登りもなく、専ら登ることに集中したので53分ほどで折り返し点の第二展望台に着く。

 ところでこのコースの真新しく設えられた道標は、ひたすら山頂を目指すための道案内としてはいいが、下り用としてはガイド役をほとんど用を満たしてない。田尻方面から山頂経由で第二展望台まで来た登山者は、内稙田方面への立派な踏み跡を、これが内稙田コースの登山道と認識することができずにいる。何を隠そう、筆者もつい1年ほど前、シモカワ夫妻に教わるまでは知らなかったのだから。

 下山はクロカンを混ぜながら30分ほどで下った。途中昼前、登山口近くになって常連のサカイさんと擦れ違う。「今日はいつもよりおそいですね」「いやそんなことはないですよ、いつもこんなもんですよ」と一言ずつ言葉を交わした。

内稙田10:30~第二展望台11:25~内稙田12:05

 
 2月10日(日)  

 NHK歌の日曜散歩、マナー

 日曜日にこのコースを登るときは、日曜討論の後半から歌の日曜散歩を聴きながら、というのが定番だ。とくに日曜散歩では、懐かしい名曲が流れ静かな山歩きにマッチするし心が和むひとときを提供してくれる。しかし、下りてくる登山者にとっては擦れ違いの一瞬のことだが、並行して歩く登山者には、ラジオの音は心地よいばかりではあるまいから、後方から近づく者、前を行く登山者があるときはスイッチを切る。当たり前のことだけど今後ともそういう心配りを忘れないようにしよう。

内稙田9:10~第二展望台往復~内稙田11:10

 
 2月2日(土)  

 内稙田コースをGPS計測

大分100山コースガイドにも載っていない内稙田コースのことを少し正確に知りたいと考えた。GPSは樹木に覆われると衛星電波の捕捉が困難になるので春以降深緑に覆われてしまうこのコースは、冬枯れの時期の今、ということになった。ハンディGPS(eTREX REGEND)で地点標高、起点からの距離などを記録。そのせいか内稙田11:30~第二展望台往復~内稙田14:00と、いつもより往復に時間を要した。

以下内稙田登山口駐車場を起点とした距離と、各地点の標高。

内稙田登山口(0km,標高46m)

一心寺分岐(0.24km, 標高57m)

山の神(0.42km, 標高114m)

万燈篭場(0.78km, 標高207m)

中間点の尾根(1.24km, 標高323m)

中道(1.33km,  標高334m)

P1・412m独立標高点(1.67km,  標高410m)

P2(1.90km,  標高456m)

P3(1.95km,  標高473m)

頂上まで900mの標識(2.29km,  標高548m)

第二展望台(2.51km,  標高594m)

三角点(2.60km,  標高604m)

第一展望台(2.68km,  標高606m)

山頂(2.89km,  標高611m)

 
 1月29日(火)  

 再びゴーキョピークの話、それに90歳までの登山

 内稙田からの往路に再びシモカワ夫妻に出逢う。奥さん:「こないだの話、考えといてくれました?」と開口一番に。「う~ん、熟慮の末ですが、一応これでもまだ奉職の身の上ですので3週間はちょっとねえ」といかにも丁重なお断りのしかた。「そもそもが安っぽい誘われ方だもんなあ」と内心思わなかったわけではない。山仲間に不自由しているわけではないがヒマラヤとなると、周りにそんな声が起こる気配すらないのだから、きっかけは安っぽかろうが‘瓢箪から駒’ということもあるではないか。最近は一流のクライマーからトレッカーまでネット公募のにわか遠征隊などあちらでは普通という。なんぼか心が揺れ動いたことを吐露しておこう。

第二展望台で折り返しての下山路で、シャツ1枚で登ってくるコダマ氏に挨拶。「あのーコダマさんはお歳のわりになかなか筋肉質で胴回りも引き締まっているけど、もしかしたらアスリート?」と尋ねると、登山のほか今でもマラソンやっているとのこと。道理でと納得の私。「(ここを拠点に)90歳まで山を登りましょうよ、お互い」とコダマ氏。

内稙田~霊山往復(9:40~12:00)

 
 1月23日(水)  

 ゴーキョピークのトレッキング

 午後から予定が入っているが2時間ほど時間ができたので、急に思い立って霊山へ。許された時間はドアツードアで2時間のみ。逆算して412m独立標高点ピークまでとする。途中、下ってくるひこさんクラブのシモカワ夫妻にバッタリ。二言三言の言葉を交わした。別れ際に奥さん曰く「ゴーキョに行きません?」「熊本のメンバーと3月に出かけるようにしているのだけど大分からはワタシ1人なので…」と。どうやら出逢ったった瞬間から、切り出そうかどうか迷ったふしがある。私「えっ、ご主人は行かないの?…なかなか魅力的なお話ですなあ。いくら気ままな在宅勤務とはいえ3週間ですかあ、ヤバいなあ。折角のお誘い真摯に受け止めますよ。考えさせて」と大阪商人風に婉曲かつ慇懃な‘お断り’をする。さらに上るともう一人ひこさんクラブのメンバー・ワタナベさんに遭う。先ほどの夫妻とは、別行動らしい。

内稙田~412ピーク往復(9:30~11:00)

 
 1月20日(日)  

 霊山森林ボランティアの存在、NHK日曜散歩道

内稙田登山口の駐車場は行儀良く停めれば10台以上は車が入るほどのスペースで、平日は1,2台あるかないか、週末でもせいぜい多くて3,4台といったところなのに、今朝はどうしたことか、満杯に近くどうにかやっと1台分のスペースを確保する。中腹の412mの独立標高点ピークまで来て、大勢が登山道整備と雑木刈りを行っている。霊山森林ボランティアの皆さんだ。こういう裏方さんが居て、安全登山ができていることに感謝。

NHKラジオ日曜散歩道ではアイジョージの「城ケ島の雨」、欧陽菲菲の「ラブ・イズ・オーバー」、それに先ごろ亡くなった小沢昭一の「ハーモニカ・ブルース」など味わい深い歌を聴きながら山頂を目指した。

内稙田~第二展望台往復(10:15~12:30) 

 
 1月12日(土)  

 仕事に遊びに大忙しの一日

 土曜日、休日だというのに朝イチで短大の補講が入っている。毎月曜日1限目ということで引き受けている副業だが、本業との調整がつかない時は土曜日に行うことにしている。あいにく前日は仕事がらみの豊後大野市泊まりで炭焼き「小五郎」→スナック「ピットイン」と、お付き合いが深夜に及んだ。もちろん、講義をひかえ、いつになく自重し、早朝起床で講義内容をチェックして早々にホテルをチェックアウト。二コマ180分の講義を無難に終えたのが12時、アタフタとした昼食ののち霊山に向かう。

 慌てふためいての霊山詣でには訳がある。何しろ正月三が日と仕事始め以後も連日不健康な日々が続き、心の健康はともかく体の健康には黄信号が点滅し始めたような気配を何となく感じ始めていたので、一刻も早く血流を浄化しなければ、との思いがあったからだ。元旦以来11日ぶりの霊山詣でだった。この日は、仕事で正月に帰省できなかった次男坊が帰ってくるということもあり、酒の肴調達のため夕方には別府亀川港でのアジ釣りもあり、早朝から大忙しの一日だった。ちなみに釣果は23cmクラスのアジ14尾。この時期としてはまあまあかな。

内稙田~ピーク3往復(13:30~15:00)

 
 1月1日(火)  

 新春霊山初詣

 元旦の朝はどこかに初日の出を拝みに行こうとの‘固い約束’を相棒から反古にされ、「今年の新春は朝から酒三昧だあ!」のつもりだったが「一年の計は元旦にあり」ということで思い直し、このところ足繁く通っている霊山に独り新春登山ということになる。霊山頂稜から初日の出が拝めるのかは定かでないのだが…。

年の初めの霊山は、昨年、数えてみると都合77回の霊山詣での大半お世話になり、今年ももちろん頻繁にお世話になるであろう内稙田登山口からとした。

霊山のお正月は、内稙田の反対側にあたる田尻地区から霊山寺へのお参りが一般的だけど、このところ登山道が充実してきた内稙田コースだから、それなりに登山者もいるだろうと思ったが、結局お目当ての初日の出は、曇天などもあり拝めなかったが、行き交う人もなく、静かな冬枯れの歩きとなった。