◆白口岳に登ってきました(2012.1.8,狭間会員) 「前日6日のおゆぴにすと新年会は、盛り上がったわりには酒量はさほどでもなかった。1月7日朝、二日酔いもなかったので、九重行と決定。穏やかな日よりの中、長者原から雨ヶ池コースで坊がつるに着いたのが午後3時前。積雪は日陰で10〜15cm。気温零度。林の中に天幕設営。陽が傾きかけた午後3時半過ぎにはテントの中に潜り込み、翌午前8時過ぎまで、ずーっとテントの中で過ごす。

 一人用ゴアライトテントの前で

 そんなに長い時間何をしていたか?って。晩飯(カレー)と朝飯(雑煮)の時間以外はほとんど寝袋の中でラジオを聴く。手製の湯たんぽ、それにホッカイロなど寒さ対策はばっちりだし、気温は最低でもせいぜいマイナス7〜8℃くらいだったろうから、寒くはなかったが、寝つけず長い夜だった。それでも、最近テレビを止めラジオだけの生活を始めたという加藤会長から評判を聞いた‘NHKラジオ深夜便’の頃には不覚にも寝てしまった。

 翌8日、天気は良さそうだ。雑煮を食らいながらこのまま下りたい自分を打ち負かし、白口岳に登ることにする。白口岳は鉾立峠から標高差300mほどの急登があり、雪があると滑って難儀するので躊躇したのだが、新年の初九重行だから一つ位はピークを踏まなきゃ、と自分に鞭打った次第。急登の途中で軽アイゼンをつけたが、肝心の身体が今一つ。いつもながら“想い(精神)”と“実際(肉体)”のかい離が激しいのだ。坊がつるのテント場から2時間もかかってしまった。それでも、この時期の白口岳を登ったことで、あのまま下山しなくてよかったと実感。

  
        白口岳山頂                         氷結した御池

 このころから風が急に強くなり視界も悪くなり気温が急速に低下。疲れた、かつ冷えた身体に御池避難小屋の有難さを初めて味わった。御池遭難碑から見下ろす御池はこのところの寒さで完全に氷結し、氷上では数十人の登山者が行き交い、はしゃいだりしていた。

 久住分れから北千里浜を通過する際、もう一つの遭難碑に立ち寄った。というのも、今日1月8日は実質的な成人の日だ。二十歳の青年ばかりの大量遭難が起こったのは昭和37年(1962年)1月のことだから、今年は丁度50周忌というか51回忌、いずれにしても事故から丁度50年ということになる。昨日九重行出発前に頭にあったわけではないが、すがもり越への下山の道中、奇しくも今日は大量遭難から50年目ということに思い当り、せめてもの供養に手を合わせねばとの思いからだ。遭難碑は登山道の傍らにひっそりと建つ。以前加藤さんに教えてもらうまでそれまで何度か通ったのに気がつかなかった。今日も、解けかけた雪の中、足跡が一すじのみ。碑には比較的新しい、小さな供花が一つ。合掌 すがもり越経由で長者原に14時31分着。」

 
北千里浜1962年の遭難碑

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