大分の山を行く(3)国東半島の山(その3) 
                           挾間 渉
黒木山
 冬の到来とともに、低山徘徊の季節がまたやって来た。国東の山については、大分 100山に選定されているものはすべて登り終えたわけだが、まだまだ100山以外にも沢山の味わい深い山がある。登路もはっきりしないこれらの山々は、冬枯れの季節がお似合いである。今回は、千燈岳の頂稜から樹々の間に垣間見ながら「次ぎはあれを」と考えた(おゆぴにすと第5号)黒木岳に登ることにした。

 12月10日(土)夕刻、栗秋と二人、住吉浜温泉入湯の後、武蔵町の矢野君宅をねぐらとする。矢野君は我々のもう一つのクラブである大分CTCのメンバーであるが、最近おゆぴにすとに感化されたのか、地元国東半島のふるさとの山くらいは網羅したいと、様子伺いの気分での参加となった。国東半島の山をこよなく愛する筆者としては、この東国東の住人矢野君を、西国東のもう一人のCTC仲間である野上氏とともに、同地域におけるおゆぴにすと活動の拠点として大事にしたいところである。                            

        
               黒木山(千灯岳中腹より)

 さて、矢野君のおふくろさんの作ってくれたおにぎり弁当をザックに詰め込んで出発。伊美谷から赤根の部落を目指す。

 黒木山は、伊美谷の一の瀬ダムを挟んで、千燈岳と対峙する。峻険な千燈岳とは対照的な鈍頂の山である。しかし、中腹には切り立った断崖を擁し千燈岳に勝るとも劣らない。赤根温泉の「溪泉」にて地元の古老に道を訊ねると一の瀬ダムの道路を挟んだ対岸から谷伝いに道があるという。県道から一の瀬ダムを挟んで仰ぎ見る黒木山は中腹に断崖を擁すことは前述したが、その左側は谷となって頂上に突き上げている。

 古老の話のとおり、一の瀬ダムの湖岸を進むと、頂上直下からの涸谷に出合う。薮漕ぎを強いられるよりは、スリルのある谷の方が面白い。断崖の付近の上部までは涸谷をつめ、岩屋のある付近からは谷は杉の植林となり踏み跡も見られる。この杉林を直登すれば黒木の山頂となるのだが、右手の稜線にルートを取る。前述の断崖の上部、所々に岩の露出した尾根伝い小ピークに三角点を発見。円柱状の四等三角点である。地図上では独立標高点のマークとなっている箇所である。ここからは千燈岳、不動山、姫島の眺めが良い。

       
               黒木山山頂にて(後方は千灯岳)

 このピークからは稜線伝いに程なくで山頂である。先程の小ピークに比べ山頂からの眺望はあまりきかない。頂上は閑散としており、黒木の頂きであることを示す何ものもない。国東半島の山々にしては珍しく、ほこらなど何もない。恒例により、今西式により万歳の山頂儀式を行い、熱いコーヒーをすすったのち下山となる。下りは、頂上から杉の植林の谷を真っすぐ駆け下り、途中からは登りでは気づかなかったが古老の言うようなしっかりした踏み跡と合流できた。

 下山後は「溪泉」に直行。出掛けに大体の下山時刻を告げておいたので、管理人がその時刻に合わせて湯を準備してくれていた。ほのかに硫黄の香りの漂う赤根の湯、いつもは男湯だが、今日は女湯だ。窓の外からの逆光に伊美山の中腹が眩しい。湯をあがると和室の大広間にこたつと熱い湯茶を用意してくれている。この地方ならではの心配りだ。缶ビールで乾杯しカップラーメンとおにぎりの昼食が、程よい疲労と空腹を満たしてくれた。「ウン、赤根はやっぱりいい湯だ」と誰からともなく思わず独り言がこぼれた。

       
                 赤根温泉「渓泉」


津波戸山
 3連休初日の午前10時30分、大分駅近くの栗秋の私邸のブザーを押すと、奥方曰く
「あら!!、挾間さん、今朝はどうしたんですか?(山のかっこうなんかして)」
「 むむ!、ヤバイ!、またまた悪者にされかけている!?」と小生。

 前回の国東半島シリーズ第1弾の時は、年末の多忙時に栗秋のたっての願いということでしぶしぶ同行したのだが、その時は奥方は9度5分の高熱にうなされながら(うらめしそうに)見送ったのだった。今回も天皇崩御の喪が明けぬうちから、あれほどの(栗秋の)やおらの催促にもかかわらず、(彼は)奥方には何も話していないようなのだ。まして、今日は(家族がどれほどにか楽しみにしていたであろう)3連休の初日ではないか。

 大体双方がそれぞれの奥方に対して悪者役になるのは、互いの暗黙の了解事項であるはずだが、今度ばかりは如何にもバツが悪い。
「あれ、奥さんは何も聞いてないの?ひどいなー、こっちも心臓の不整脈で、本当は山どころではないのにネー」などと弁解ともつかぬ独り言をはくバツの悪さよ。

 今日の目的の山、津波戸山は、山香町向野の国道から至近距離に仰ぎ見る標高  mの峻険な山である。宇佐の職場からも毎日眺めている山だ。この山には山香町向野の瑞松寺(山号は津波戸山、今では・ペンションにしき'などと世俗化しているが)方面から登路があると聞いていた。また、この山は岩峰群をぬうようにして登っていくわけであるが、途中88体の観音像が崖の随所に置かれ、それを一つ一つ確認するのがこの山の楽しみの一つとも聞いた。昭和から平成に改まった最初の山行は、栗秋との、この冬国東半島低山徘徊シリーズの第2弾として、この山が選ばれた訳である。真玉町在住のトライアスロン仲間野上さんを誘って3人、土曜日の午後からの登山となった。
                                     
       
           国道10号線(山香町向野付近)からの津和戸山 

 津波戸山の登路はかなりはっきりしている。杉林や雑木林の中の良く整備された道を進むと程なく瑞松寺の旧跡があるこけむした階段が往時を偲ばせてくれる。溜め池を過ぎると津波戸山の頂稜から派生した幾つもの岩峰群や岩稜の間の暗い谷に入っていく。 登路の両側は岩松の這う切り立った岸壁であるが、注視すると、いろんな風貌をした観音様が、時には高い岩棚に、時には登路の傍らにさり気なく置かれている。

 道はだんだん険しくなり、急なルンゼ状の所をロープを頼って攀じ登ると岩屋の下のお堂に着く。ここで岩峰群は終わる。このお堂の裏手の崖には「硯水」が湧いているらしく、言い伝えによると仁聞菩薩がこの岩屋にて写経中に水が無くなり筆にて岩を掃いたところ水が出てきたとのことで、この水を習字に使うと上達が早いらしい。

 さて、岩屋のお堂から少し登ると草原状の鞍部に出る。深いカヤが西方向にのみ良く切り開かれており、それに導かれるように稜線伝いに5分少々で頂上に着く。

 津波戸山は東西にほぼ同じくらいの高さの4つのピークがあり、道は東から2番目のピークで終わっている。ここに国土地理院の朽ちた標識があるが、三角点はどこにも見当らない。ここから特に南方の眺めが良い。南面の明るい露岩の上に立つと、今朝方の大分出立の際のわだかまりや後ろめたさは、もうきれいさっぱり忘れ去ってしまった。眼下は50m程も切り立ち、岩峰群となったリッジが何本も派生している様子が良く分かる。しばし華ケ岳、雲ケ岳、御許山をはじめ、経塚山、高崎山などの遠望を楽しんだのち、今宵のねぐら真玉町有寺の野上別荘へ急いだ。
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