九重、硫黄山噴火に伴う学術調査班(?)一行が泥酔した真実の訳は、
などなどの顛末記
  栗秋和彦 

 青天の霹靂か、257年ぶりに我が“おゆぴにすと”のホームグランドである九重・硫黄山が突然噴火をした。雲仙大噴火は未だ完全には収束せず、火砕流の迫力と怖さは記憶に新しいところだが、今年は阪神大震災に始まり、最近では伊豆南東沖地震が群発的に起こり、目下のところ、日本国の地殻変動ポテンシャルが年々高まっているぞと思っていた矢先のこととて、何か地震列島ニッポンがおかしくなりつつあるのではないかと我々素人は恐れ、心中穏やかではないのだ。とにかくこの目で生の噴火状況を確認し、今後の山湯行の善後策を考えなければなるまい、と大分行きの口実を模索していたところに加藤の母上・美喜子さん(84才)の訃報に接した。聞けば硫黄山の噴火とほぼ時を同じくして、静かに召されたという。かっては九重に住み、こよなく九重を愛し、この山がおりなす、自然の辛苦悦楽全てを知り尽くした母上の御霊が、天空高く噴き上げる硫黄山の噴煙に生まれ変わったのでないかなどと、勝手に想像してしまう。それほどこの両事件はドラスティックでかつ相関した出来事であったと思えるのである。

 で大勢の参列者が故人を偲び、しめやかに葬儀が執り行われた後、久しぶりに顔を合わせた挾間、高瀬と面子を揃えると、誰とはなくこの因縁(?)の九重の現場をこの目で見ようではないかということになった。時は週末でもあり、こういう時の決断は帰巣本能を発露するのか、挾間や高瀬をもってしてもすこぶる早いのだ。

 そして夕闇迫る『やまなみ道』を一路長者原へ。途中、飯田高原のうねうねとした丘陵地をつめ、〇〇ラベンダー園を見下ろし、九重山系を一望のもとに望む高台に身を置くと、眼前の硫黄山はまるで地熱発電所の排煙タワーから垂直に立ち昇る大輪の蒸気煙のような一種異様な噴煙で覆われていたのだ。「これは、思っていたより、深刻でエキサイティングであるわな」とつぶやいた高瀬の言葉に我々の感受したままの印象が凝縮されていたように思う。既に新聞、テレビで幾度となく見たのと、じかにこの目で確認した差は、はるかに想像を越えていたのが偽らざるところであろう。わずかな残照に映し出された長者原の駐車場は車で溢れ、この時刻にしては異様な程の人の群れである。しかも三脚を携えた、にわか(?)カメラマンが結構多いのは、物見遊山的心理を覗かせながらも、特種(だね)シーンをあわよくば撮ろうというミーハー的魂胆かも知れぬ。我々のような純粋な気持ちで、今後の九重における“山のいで湯”の行く末を憂いつつ、噴火活動動向調査(?)を旨とする一団とは相い入れぬ輩たちであると、挾間の目は訴えていた模様である。それはマァともかく、少しでも現場に近づこうと、ヘルスセンター裏の登山口に近づくと入口はしっかりとロープが張り巡らされ、そしてやっぱり居ました、見張り役の消防車とその方面の団員さんが。

         
                     久住高原にて

 せっかくのアカデミックな探求心も、気勢をそがれた感は否めぬが、あたりは既に真っ暗の世界ではいたしかたなかろう。取り敢えず野営地を探すこととして、噴火動向調査方法の打ち合わせを兼ねた小宴会を早く催そう、と高瀬・挾間の小宴会指向軍団の声が荒い。そしてかなりウロウロしたあげく、やまなみ道と県道中村線に挟まれた三角地を一夜の宿地と決め、テントを張る。車の騒音は気になるし、道端に張ることの抵抗は残るが、硫黄山をはるか南西方角に見上げるこの地をおいて他に適地はなかろう。(同じ国立公園内でも久住高原側はおおらかさが残っているが、ここ飯田高原は観光地化が進み、どこでも好き勝手には張れない。従ってどうしても久住高原びいきになってしまう事情がある)

 さて、調査方法の検討前(宴会前)に山のいで湯に我が身を浸すことは必須条件であると、筌の口温泉方面へ車を回す素振りは高瀬。「エーイ、待て待て早まるな、おっちゃんよ。この地にあっては、取って置きの星生温泉・〇〇倶楽部(“おゆぴにすと”誌の広い読者層を考慮すると、敢えて名は伏せねばならぬ)のプライベートスプリングへ案内するぞ」と、先ずは相手の迷惑も省みず、新興の別荘(コンドミニアム)の支配人である友人のS氏へ連絡を取ることにした。この湯は今年の正月に寿彦と矢野青年を伴っての『白銀の九重・坊ケ鶴キャンプで’95年の“山のいで湯”は始まったの巻(拙著)』に登場する、知る人ぞ知るくつろぎの湯なのである。もちろん基本的には、オーナー(メンバー)しか利用できないのは日本国のジョーシキなので、忍びで浸ることになるが、挾間あたりから「ワーッ、なかなか洒落たいい湯だ。何せ只だもんな・」とか「欲を言えば、混浴にせなあかんぜよ」の類いの日頃想定される発言が、湯浴み中に飛び出さないとも限らず、心配の種は尽きない。が、このリスクを負ってでも、やはり魅力ある湯なのだ。

 ところが電話の先のS氏は「栗ちゃん、たまたま部屋も一つだけ空いとるし、泊まりに来んか」とこちらの垂涎の意を察してのお誘いなのである。これには質素・清貧を旨とする我が身でも、少なからず心が動いたねぇ。早速、懐古趣味的野営指向の両名に打診すると、唐突の申し出に若干躊躇しつつも、さしものこだわりも好奇心には勝てなかったようで、「ウン、わしら意を決して行くけんね・」とまるで人質になったような意味不明な言葉を発しながらも、アッという間にテント撤収を終えた行動は日頃になく素早い。まさに期待の表れであろう。騒音喧びすしい道端の清貧キャンプが、一変して高原上の清閑かつゴージャスな2LDK(ベッドルームも付いとる)、バス・トイレ、テラス付きのコンドミニアムに居を移したのだから、この落差ははかりしれない。先ずは硫黄泉の湯にどっぷりと浸り、同じ湯脈に通じるかも知れぬ九州本土最高所に湧く、“硫黄山の湯”の行く末などを案じたりと、瞑想しつつ推敲するは、もちろん栗秋をおいて他にはあるまい。幸い我々以外には先客は誰もいなかったので、物珍しさも手伝ってか、おっちゃん二人は湯を嘗めたり、窓を開けたり(閉めたり)潜ったり、更には桧の風呂桶を弄んだりと、落ち着かぬ素振りがはたから見るとコミカルであるぞ。社長とか博士とかいった人種の実態はここにあるのだ。

 でシチュエーションが全く変わった反動か、あるいはただ単にゴージャスな雰囲気に心はうわずり、身は夢うつつの結果か、噴火動向調査検討打ち合わせの大義名分をかなぐり捨てた小宴会は、例えて言えばいにしえの修学旅行先の旅籠の夜のように、テンションは高まり気分は“操”の状態で、酔宴になるであろう怪しい予感を抱きつつ、夜会は進行したように思う。そして更に途中からはS氏夫妻も、さしいれのスコッチウイスキーを携えて現れ、これがまた我々にとっては火に油を注ぐ結果になってしまったのだ。あの噴火活動の今後を占う、アカデミックな探求心は何処に行ったんだ?と、単発的にはボクの脳裏を揺さぶったりもしたが、もうこの頃にはその方面の思考力があるはずはなく、ずるずると深淵にはまるがごとく記憶が薄れ、突然幕となったような気もするが、もとより定かではない。

 さてさてそして時は丑三時、ベッドルームにしのびよる生ぬるい気配は、エクソシストの魔の手か(?)、いやいや現実は暗闇に高瀬の顔がヌーッと現れて、「頭が痛い、脈が勝手に上昇しよる、まだ酔いがまわりよる」と訴えるのである。齢を忘れてうつつを抜かした結果の、その虚ろな瞳に軽い急性アルコール中毒の症状を見たが、これに付ける薬は過ぎ行く時の流れであろう。もちろんこれに至るはるか前に、挾間は例のごとく早々と前後不覚に陥っていたのは言わずもがな。いつもなら(テント)、そのままシュラフに放り込んでおしまいのところを、ベッドルームまで搬送作業が加わり難儀だったわね。いずれにしても手を焼かせる“おっちゃん”たちなのである、ヤレヤレ。

 そしてその後はしばし静寂が訪れたが、今度は挾間が明け方(5時ぐらいであったろうか)になって、唐突に「ウーッ、酔いが抜けん、頭が痛い、もう寝れん」等々喧びすしい。「寝れんのはオレだよ」と言いたい気持ちを押さえてボクはひたすら本当の“朝”を待ったのである。どうも潜在的にはロートル・痴呆化症状が進行していることに疑いの余地はないが、こういうふうに顕著に現象が露呈された遠因は、全く予期せず、慣れない豪華リゾートコンドミニアムでの泊体験に拠るものであろうことは想像に難くない。
 
 さて明けて眼前に迫る硫黄山の噴煙は、音もなくサラサラとコンドミニアムを襲って、イマサラながら二世紀半ぶりの噴火が白日下にサラされた、との高瀬のダジャレも現実を言い得ている。朝湯を使い昨夜の悪寒を洗い去ったのか、彼の体調は万全とは言えずとも、さえずりは衰えずの感もしてちょっとはホッとしたのである。とりあえずのんびりとした朝をまどろみに費やし、仕事で帰る挾間を見送った後、久住高原へ回り大野川源流を探す、さすらいの(?)の旅に出ようということになった。予想どおり長者原界隈は昨夕にも増して大勢の観光客で賑わい、警察や消防の警戒車が異様に目立つ。こんなところに長居は無用と、たまらず『やまなみ道』を南下。途中の牧ノ戸峠も人と車でごった返していたが、久住山への登山口はやはり消防車(どうやって上げたのか分からないが、石段の上に陣取っていた)と団員で固められていたね。至るところにこんなにたくさんの公務員を配置させねばならんのかねぇ。まさかボランティアではあるまいし、我々の税金がこういう使われ方をしているのはどうも腑に落ちないのだ。そしてこのわだかまりを久住高原沢水で源流探訪の際に、警備の若い警察官に向けたところ、「もしここを通して事故でも起こされたら、警察は何をしよるんかと真っ先に問われる。それがこわいんですよ」と退屈そうな表情で本音を漏らしたのだ。まことに日本的な発想の発言であったが、もとより現場の者を責めるつもりは毛頭ない。登山を始めスポーツ全般についても自己の責任において行動し、その結果の事故も当然自己に帰結する。行政は基本的にはこれに介在すべきではないのだ。もちろん災害等が真近に想定されれば、このかぎりではないが日本の行政はこの想定の輪をあまりにも広く取り過ぎるきらいがあるのだ。これは何か事が起こった場合のマスコミの無責任な放置論批判(警察等への)と、対する行政側の事なかれ主義が癒着した結果であると、常々思っているところであるが、この稿の主旨ではないので割愛する。がしかし目の前の現実を百歩譲って黙認したとしても、この若者達(警察官)を見るにつけもっと創造的職務に励んでもらいたいと思う.....のは我々ぐらいなもんだろうねぇ。 ただぼんやりと座り込んでいるのが、警備と思っているのかしらん。ここに流れるのはただ無為な時間のみだ。どうせなら自分の好きな本でも携えて、風光明媚な草原の読書としゃれこむのも一考、あるいは雄大な高原、山々の連なり、草花の彩などを絵筆に託すとか、はたまたMTB持参で自分のテリトリーを見回りつつ、エクササイズに勤しむなどなど....、ガハハ自分の好きなことばかりではあるわな。マァしかしいろんな楽しみや啓発すべきことがあるのになぁ。おっとこんなことをしていたらまたマスコミは騒ぎ、署長は平謝りするだろうね。

 でその源流探訪であるが、警備の目を盗んで鉾立峠へ至る(であろう)沢筋に入ってみたが、久住高原全体から言えば中流域にあたり、沢に降りるまではイバラの薮漕ぎを強いられて、あっさり断念することとした。もっと源流域までは登山道などを積極的に使い、取り付くのが得策であろうし、下から見上げると稲星山直下から派生する急峻なルンゼが、登高意欲を湧かせるもっとも魅力あるルートで、これが次回のテーマであるなと改めて思い知らされたのである。

 さてそろそろ久住高原側に久し振りに回った証に、このあたりのいで湯に浸らねばならんと欲するのは当然の成り行きでしょう。清貧の山旅が思いがけぬ週末のリゾートライフになってしまったが、脈々と流れる“おゆぴにすと”の潮流はやはりひなびた山のいで湯探訪なのである。そこで車を操る高瀬は終始無言のまま、最寄りのレゾネイト久住の『紅殻の湯』(高級リゾート型ホテルの高そうな露天風呂である)なんぞは見向きもせず、長湯方面へまっしぐらに走らせつつ、こっちの表情をチラチラと伺う。彼のドングリ眼(まなこ)は長湯温泉のひなびた村の共同湯あたりを指向していると見て間違いなかろう。

         
                      榎田温泉

 「うーんなかなかおっちゃんも、やるときはやるんだな・」とそれなりに彼を称えつつ高原を後にする。そこで目指す長湯で我々が暗黙の内にイメージしたのは、榎田集落に湧く榎田温泉共同湯であった。集落12軒が維持管理するコンパクトで質素な湯小屋は、当然組合員以外入湯禁止であるが、この制約をクリアする愉しみを味わい、土類泉の堆積物でゴツゴツしたコンクリートの湯舟に身を沈めると、適温の赤茶けた炭酸泉がまつわりついて、いかにも長湯らしい風情である。そして固渋した窓をガタビシと音を立てながら開けると、前面にのどかな田園風景が広がり、まわり全てがゆったりと時を刻むかのようだ。当然身も心もリラックスして、頭は急激にカラッポになるわね。もちろんこの面で高瀬と競っても仕方ないが、山里のいで湯はかくありなんとこの湯は立派に主張しているように思えるのだ。ボクはハイレベルな“おゆぴにずむ”実践の場に快哉を唱えつつ、硫黄山噴火の早期沈静を願い、静かに瞑想の世界に浸った。
                           (平成7年10月14〜15日) 
          
         

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