親子三代で登った新春の渡神岳の巻
   栗秋和彦

 かねてから父は津江の鋭峰・渡神岳にこだわってきた。青年期、日田の材木会社に勤めていた頃、建材の買い付けや立ち木の調査に津江の山々を歩いたという。この時、この峰の鋭き頂とその険しさを村人から聞きおよんで(もちろん登山道が整備されていた訳ではなかろうし、林道が山頂近くまで巡らされている今の状況と比べると、何人も近寄りがたい峰であったことは容易に想像できる)、いつかはそのピークに立ちたいと思い続けてきたというのだ。いわゆる登山を趣味としてではなく、山の中腹の杉材を生業の中心として診てきた中で、頂へのこだわりはどこからくるのであろうか、ボクは内心、父の心の奥底の謎に迫りたいと思ったのだ。.....とこの話にミステリーが介在する余地はなかろうが、思うに父の生家、西大山の背後に高く孤高を保ち、ついぞ里を離れるまで深山ゆえにその存在すらおぼろげだったことに淡い郷愁を感じているのではなかろうか。

 そして、なるべく早い時期に登ってみたい。ついてはボクにガイドを命ずると宣ってきた。しかしながら、我が身とて浮世の徒にあらずなかなか機会をつくることが出来ずにいたが、あまりこの申し出に対し答えを返さない訳にもいくまいと思っていた。8年前、当時、医者の卵であった長谷島、それに“おゆぴにすと”別府の荒金ちゃんとこのピークを踏んだときは、あいにくの曇天で視界もきかず、心のこりだったこともあってもう一度登らぬばの気持も強かったのだ。そしてボクはその日を縁起も担いで、'93年の元旦に定め夕闇迫る大晦日の高速道を日田へ向けてひた走った。

 元旦早朝(とはいっても7時半過ぎ)、「お〜い、和彦起きろ!」で強制的な目覚めとなる。寿彦にも昨日から言い含めていたものの、いつものとおりしぶとくかなりの抵抗の末、ようやく渡神岳登頂隊の一員となった。幸運にも日田は底霧に覆われ今日の好天が約束されたようなもの。中川原から前津江線に入り、仙頭屋敷経由で渡神岳への登山口・石建峠を目指す。途中、村道に入ると車には一台も会わず、通り過ぎる小さな集落はまだ朝寝を楽しんでいるのだろうか、ひっそりと静まりかえる村道をひた走る。暖冬とはいえ、高度を上げるにしたがって路肩にはびっしりと霜柱がたち、沢水が道路をなめる箇所には薄氷が張り、ハンドルに思わず力がいる場面もあった。そして所要35分で杉林から木漏れ陽さす石建峠に着く。

          

 8年前、峠の脇の杉林にテントを張り、杉の葉の堆積した重厚なクッションに感動した記憶がはっきりと甦ってきた。ボク自身の持つ日田杉で覆われた津江山系のイメージはこの豊かな森のクッション性に始まっている。ところが峠から登山道へ踏み出してすぐの、杉木立の中のルートではかなり状況は変わっていた。言うまでもなく、一昨年の台風19号の影響だろうが、修復のままならない現状を見せつけられてしまうと、山全体のエネルギーが萎えていくようで淋しい。まして日田杉と関わってきた父の目には林産業の衰退に追い討ちをかけた台風禍による惨状を特別な思いで感慨しているのかもしれない。

 特に津江の山々は麓から中腹にかけて杉林の元気さの上に峰々が存在するのであって、そんじゃそこらの裏山のにわか造りの杉林とは年季も格も違うのだ!という歴史的重みも加わり、復興策についてはこの国の林野行政のみならず、三K対策や通産、運輸、環境政策まで関わる大問題までなってしまいとても登山どころではなくなってしまうので、とりあえずこの問題は棚上げにしたい。そしてほどなく原生林の中の登山道となり、木々に巻かれた赤いテープを目印に進むこととなる。急登して小さなピークを登りつめるとオオバザサの中にツゲやカエデ、シャクナゲが現れる。平坦な稜線を進み一旦、少しだけ下ると、最後の急な登りが待ち受けている。

 父上はここでおもむろに「和彦、ちょっと休憩。○○こ!」ときた。“おゆぴにすと”の世界では『大キジをうつ』あるいは『野崎参り』といったギョーカイ用語を用いることとなるが、両側は切れ落ちた谷を挟む稜線で、しかもケヤキやミズナラの疎林とあっては身を隠す場所もなく、形而上的表現のつけいる隙間のないこの空間では、『○○こ!』といった直接表現の方が合っているのかもしれない。垣間見る寿彦も「なんか、こぅ、妙なもんじゃネェ」と感想をひとくさり。『新春のかほり漂う渡神岳』かな?である。 

 さて、文字どおり身も心も軽くなった父は、この急坂をトップで登りきる頑張りを見せたのだった。そしてケヤキの大木で守られた小さな肩で一本立て、頂への最後の登りへとかかる。傾斜は急ではないが、滑りやすい潅木帯の草地をつめると数分でフッと天が抜け、渡神岳山頂に踊り出た。畳8枚ほどの狭い頂の中央に三等三角点、傍らに小さな石嗣とここらあたりは8年前の記憶が甦るが、今日は新たに360度の眺望が加わった。雲海から頭を覗かせた九重、由布・鶴見、間近に万年山、そして津江の山々と、新春のおだやかな陽を浴びて、ポツンと3人たたずんで絶景をみわたす贅沢なひとときを楽しむ。父の瞳も念願かなって一層の輝きを増したようで、ガイド役としてまずはホッとしたところ。

 寿彦はといえば、ザックの中のお菓子と、カメラいじりに興味津々の様子で、カステラを口にほおばり、しきりにカメラマン希望を申し出る始末。もう少しまわりの風景を愛でる趣味はないものか、とマァ親の欲は尽きないものの、頂を踏めた喜びでよしとするか。帰路は露岩の下りに少し手間取ったものの、30分余で峠に降り立ち、車上の人となる。そして秘そかに練り上げた今年最初のランニングプランを実行に移す。麓の桑木集落でハンドルを父に預け、日田まで15kmを稼ごうというもの。これで自分自身少々物足りない今日のメニューを充実させ、午後からの天ケ瀬温泉露天風呂初詣とからめて、元旦からきっちりと三種目(登山、RUN、いで湯)をこなすことになるのだ。静かな山間の曲がりくねった道路をひた走りながら、平凡だが思いどおりの愉しみを満喫しつつ、ごく自然に笑みが浮かんだ。(コースタイム 日田8:06→車→石建峠8:40〜8:46→渡神岳9:45〜10:00→石建峠10:32〜10:45→車→前津江村・桑木集落10:55〜10:58RUN15km→日田12:10(平成5年1月元旦)

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