英彦山山頂にて

18年ぶりの英彦山登山 with Toshi の巻
    栗秋和彦

 1月3日の天山スキー以来、休みなしの宮仕えに嘆きつつも、本日はようやく3週間ぶりの休日に突入! ヨロコビ勇んで深夜テレビの誘惑断ちがたく、昨夜の就寝は丑三時。にもかかわらず、自由人の性なのかやはり休日は早く目が覚めるのだ。朝のまどろみの中で、子供達も第二土曜のゆとりを寝床で感じとっているはずであろう。うん、まてよ久し振りの父子の休日に惰眠を貪る手はなかろう。奥方からの報告では、Toshiはこのところの寒さにかまけて部屋の中で『ゲームボーイ』や漫画『クレヨンしんちゃん』などの得体のしれないものにうつつを抜かしているという。これは精神衛生上も好ましいことではない、自然のフィールドへ誘う必要性がここにあるのだ。身近かなところで、かつ雪も期待できる英彦山あたりはどうだろう。一昨年の台風禍で伝え聞く山頂一帯の状況をこの目で確かめたいとの思惑もあり、1200mの山頂では積雪と戯れることもできよう。とToshiに対する理論武装を施し、最初は甘く誘ってみた。.....が予想どおりの「寒くて、眠くて、それに山きついし、俺行かん!」と布団の中で、『ゲームボーイ』を握りしめたまま答えが返ってくる。

 仕方ない、父親のすごみで迫ってみるか。と案じていたところ、母上の「トシヒコ!たまには外で体を鍛えなさい。運動不足よこのごろ!」というヒステリックな口調に圧倒されたのかしぶしぶ承諾と相成った。(まだ、小3に対しては母親の影響力も捨てたものではないな、としばし感心.....だが待てよ、小うるさい男どもを送り出しておけば、のんびりと一日過ごせるというたくらみかも知れぬぞ) そしてついでに日田まで足を伸ばし、山のいで湯も稼がねば.......。 

 ともあれ朝食もそこそこに、如月のこの地では珍しく眩しいくらいの陽光からも見送られ、AM.9:50出発。多少強引にToshiを誘ったものの、こうやって気持ちよく山へ向かえることに感謝しなければなるまい。小倉から通いなれたR322を南下、香原経由で添田、彦山と田園地帯を抜ける。草花の彩は認められないが、彦山川の瀬音は陽光に輝いて軽やか。まるで“春の調べ”を奏でているようだ。しかし、英彦山スカイラインに乗り高度を稼ぐと全体にセピア色の冬枯れ模様に変化し、春まだ遠しを実感する。約1時間半で標高660mの英彦山神社下に着き、ここから山頂の上宮まで表参道が今日のコースである。土産品店のおばちゃんたちの掛け声の方に気を取られ、登高意欲の涌かないToshiに『はなぐり』を通しつつ、一歩一歩石段をつめて行く。下山の途につく参拝者とおぼしき団体さんたちが、お神酒の勢いを借りてか?けっこう甲高い話し声が飛び交いつつ近づいてくる。すぐ上の泰幣殿までの“お客さんたち”であろうが、「森のセイジャクが破られるのよネェ」といつものひとくさりを忘れないToshiであった(だんだん、登るつもりになってきたな)。

 杉の大木に覆われていた泰幣殿周辺の劇的環境の変化は昨年1月の会社の安全祈願で訪れ、知っていたので驚くにあたらないが、ここからの急な石段をつめ、一の岳展望所にいたるまでは風の塊が幸にも通らなかったのか、多少の倒木に迂回ルートを辿りつつも、大木銀座は健在であった。そしてこの状況がつづくことを期待しながら、中宮前の鎖場ではToshiへクサリに頼らず登るべく“三点支持”の教示に費やす。しかし、通称千本杉の尾根道に出ると、やっぱりというか、こんなにも、これでもかといった風倒木の墓場と化していたのだ。このルートは小学校6年の林間学校でこの地にキャンプして集団登山して以来、30年ぶりのこととて道すがらの記憶は定かでないが、鬱蒼とした森の中を喘ぎあえぎ登ったことだけは、今でもはっきりと甦ってくる。

 そしてこの中で特に、木漏れ日さえ通らぬ森の黒いかたまりの深さが妙に頭から離れなかったのは、今日の印象と対比してのことだろうか。関銭跡(いわゆる通行料金所跡)あたりから参道の脇にチラホラと積雪が見られ、さっそくToshiは雪玉づくりにいそしむ。ボクは無言で「ホラ、もう手袋が濡れるじゃないか。後から冷たいと言っても知らんぞ!」と訴えても、表情いきいき、行動キビキビ(雪玉づくりの)の真っ只中では、馬の耳に念仏であろう。

 とにかく登山に専念させるべく、先を急がせることにする。行者堂跡まで上がると、緩やかな台地に熊ザサやブナの疎林、それに倒木(杉)の取り合わせで日向ぼっこをしながら弁当を開く家族連れも見受けられ、Toshiの視線の矯正が必要となる。「さぁ、Toshiもう少しで頂上だぞ」 そしてお社だけが寂しく、ポツンと寒風にさらされていた中岳山頂へ。18年前、いにしえの山の会、大分登高会の10周年記念行事として行った、大分県境踏破北まわりルート隊の一員として県境を大平山(耶馬渓町)から日田の岳滅鬼峠まで縦走の際、3日目にこのコースの銀座通りでもある英彦山北岳〜中岳〜南岳を踏んだ。この時、中岳山頂のイメージは杉木立ちの中で威風堂々とした重厚な社(上宮)のたたずまいが脳裏に残っており、またしても大きな現実との落差を味わうこととなる。

 陽はあくまでも高く輝いているものの、1200mの冷気はさすがに一級品で、お水取りの石をくりぬいた水槽は、分厚い氷で覆われ(これがまたToshiの恰好の遊び道具と化していたこともあり)、ジッとしていると軽装備のボクにはシンシンと迫ってきて、早々と一等三角点のある南岳を目指す。一旦50m程下り、びっしりと雪の張り付いた北斜面の登りにかかる。所どころに氷化した部分も現れて、Toshiを連れている心配半分、久し振りにキックステップを駆使する面白さ半分の雪山の醍醐味をつかの間ではあるが満喫した。そしてようやく雑木林に囲まれ、日だまりの南岳の頂に到着。一組の登山家然とした中年カップルの先客に目礼をして、コンクリートづくりの展望台へ登り、360度のパノラマを欲しいままにする。宇佐・安心院方面の山々(三角錐の峰は鹿嵐山か?)、犬ケ岳・経読・雁股の連山、津江の山々、そして目を西へ転ずれば、福智から皿倉へいたる筑豊の連山と18年ぶりの英彦山は台風禍にもめげず、期待を裏切ることなく、いとおしく足元につかえてくれたのだった。

         
                      南岳の頂

 下山はくだんの雪(氷)道にかなりの時間を要したものの、後は一気に泰幣殿まで下り、Toshiもそれなりに登山を意識してきたかもしれないという親の淡い期待を込めつつ、心地よい山の愉しみに浸ることができた幸せを思い浮かべながら、改めて神(なにしろこの社は国指定の重要文化財だもの)へ崇め奉り、早春の日田を目指した。(コースタイム門司9:50→車→英彦山神社下11:20〜11:32→奉幣殿11:40〜11:42→上宮(中岳山頂)13:02〜13:06→南岳山頂13:16〜13:30→中岳13:46奉幣殿14:30〜14:40→英彦山神社下14:46〜15:20→車→野峠〜山国町経由→日田16:20       (平成5年2月13日)

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