伽藍岳〜雛戸山(別府アルプス縦走顛末記)
                                挾間 渉

 倉木山から雨乞岳までの縦走を考えていた小生に、栗さんより別府アルプスを縦走し塚原温泉で猪鍋をと話が舞い込み、倉木から雨乞の縦走に後髪を引かれつつも、塚原温泉と猪鍋の魅力には勝てず主体性の無さを恥つつ同行を決意した。

 2月16日、早朝小生の車で大分を発つ。メンバーは加藤、栗秋、栗秋の職場の上司の伊東さん、それに別府よりは堀田の住人紅一点の荒きん(荒金通子)ちゃん・・・・果たしてこのメンバーで鶴見連山の全山縦走を本気でヤル気なのか半信半疑ながら、塚原に車を一台デポする為に雪道をチェーンも無しで上がり塚原温泉入り口まで着いたところで、早くも当初の計画は挫折。

 それでもその時点では塚原越を拠点に、内山と伽藍岳の往復登山をということで塚原温泉手前の駐車場より歩きはじめる。積雪は10cm程度。塚原温泉の旅館の中を素通りし工事用の道を約20分程で塚原越。

 途中道端に中央が真っ二つに割れた特徴のある大石を指差し、「あの岩を滝谷のクラック尾根に見立ててボルダーリングはどうだい。栗さんよ。」と小生が示した岩・・・・何を隠そう、この岩こそが塚原に古くから伝わる伝説、為朝の刀割り岩そのものであったのだ。為朝が力試しに太刀で切ったものだという。登山を終えて帰宅後「大分の伝説」に目を通していて気がついた。まだまだ末熱だ。塚原温泉も鳥の湯浴みを見て為朝が発見したものだとも同誌に書かれてあった。

 さて、見上げる内山は標高1200mから上は濃霧と霧氷と積雪とこのメンバーには長大過ぎる尾根・・・この時点で内山への計画は完全にメンバーの頭の中から消え去った感じ・・・アーオソロシ。

 塚原越よりは20分で伽藍岳山頂着。何とも呆気ない。二等三角点の山頂で伊東氏と荒きんちゃんの準備した遅い朝食にありつくことができた。山頂よりは周囲の低山の全てを望むことができる。塚原北部の雛戸山と立石山の位置を巡って、小生と加藤さんがちょつとした論争を展開。伽藍岳だけでは物足りず、さりとて内山はちょつとしんどいし、結局この論争は雛戸山に登ろうと言うことに発展することとなった。

 雛戸山は塚原開拓部落の北部にあり標高831mと低い山だが開拓部落からは象徴的に感じられる。行き合わせた土地の人に尋ねてもはっきりした登路は不明。やむなく山麓よりスギとヒノキの植林の中を山頂とおぼしき所を目指して直登する。間伐や下刈りの枝などが堆積し加えて急傾斜で歩きづらく、伊東さんなどはこの斜面が60度にも感じるらしい。約20分の直登て稜線に出て更に西へ数分で二等三角点のある山頂。眺望はまずまず。鹿嵐山や和尚山など県北の山並みが遠望でき、また由布岳がこれまでにない新鮮さで眺められる。このような低い薮山多分もう一度来ることもなかろうなどと思いながらもと来た道を駆け下る。

 下山後は例によって由布院温泉亀の井別荘湯の岳庵で汗を流した後、玉の湯にて地鳥の炭火焼きを堪能。諦めくくりは別府神丘温泉の泥湯に浸り、まだまだ飲み足りぬといった感じの4人を別府のネオン街に送り届けた後帰路に着く。厳冬期別府アルプス全山縦走と塚原温泉猪鍋は、全く行き当たりばったりの計画倒れに終わったが、深く考えないことにしよう。(昭和61年2月16日の記録)

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