遭難碑修復なる・・・八月八日慰霊祭を挙行
   
        

7月24日、大峰山から戻った加藤会長一行7名・・・おゆぴにすと4名(加藤、塩月、狭間、高瀬)プラスひこさんクラブ3名(下川、久保、加藤夫人)、プラスあとからもう1名(加藤家長男)で牧ノ戸峠から、池の小屋に上がりました。

法華院山荘の皆さんの協力もあり、石板は80年前の元の位置におさまっていました。私としては7月10日本山登山道から、この遭難碑のことを初めて意識して池の小屋を目指して4度目の山行にして80年前の姿に甦った遭難碑に接し、自分が少しでもそれに関われたこともあり感慨深いものがありました。

先週、我々3名(高瀬、狭間、狭間義弟)が残して帰った機器材一式のことも気になっておりましたが、碑の傍らに丁寧に置かれており、その前日の‘苦闘’に対する労いの気持ちが伝わってきました。

まだ最終的な作業として接着作業などが残っておりますが、1トン近い石板なので持たせかけただけでもかなりの安定感があり、とりあえずはこのままにして近いうちに関係者による最終的な作業になりそうです。

いずれにしても本日は、この遭難碑に対する理解を参加者で共有することができ、加藤会長夫人が担ぎあげたソーメンのごちそうにもあずかり、また先週の‘大分市のO夫婦’さんはじめ、新聞等で経過を知っているらしい様々な皆さんが取り囲み、池の小屋付近の小さな台地は、ちょっとした賑わいでした。下山時、加藤会長の長男(三代目)も遅ればせながら馳せ参じ、8本のパイプサポートはじめ小道具を皆で分担して担いだことにより、荷上げの苦労も分かち合えました。


   
   
   
◆昭和5年・九重初の遭難者2名の80回忌慰霊祭が厳粛に執り行われた。8月8日午前11時過ぎ、九重山池の小屋遭難碑には事前連絡もあってか、多数の登山者が訪れた。あいにくの冷たい風雨で急遽場所を池の小屋に移して、まず加藤会長の経過説明のあと白水寺法華院第二十六代院主弘藏岳久氏(写真左中段)の読経と続き、その後碑文解説、渡邊氏遺族弔辞(狭間会員代読)、全員による焼香で滞りなく慰霊祭を終えることができた。

◆写真(左下)急遽場所を移した池の小屋は60名近い参列者で溢れかえった。(右下)悪天候をついての慰霊祭であったが、無事に終えて下山し、安堵の表情で写真におさまる。冷たい雨と風は式の間など数時間のこと、下山にかかる頃には不思議に晴れ、先ほどまでが嘘のようにいつもの強い日射しとどこまでも高く伸び上がる積乱雲の夏空に戻っていました。誰とはなしに、「石室を探しきれずに息絶えた遭難者の思いが、こういうかたちになったのかなあ」と。
 なお、塩月会員はひこさんクラブの精鋭部隊とともに80年前に思いを致し、沢水の本山登山道からの入下山となった。
(以上、2010.8.8、狭間記)。

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