高瀬正人氏から(私信)・・・2010.7.21(法華院山荘関係者による遭難碑石板復旧の報のあと)
 大変お疲れのところ早々の中間報告ご苦労様です。少々残念な、心残りのある結果となったようですが、この顛末、経緯は加藤会長よりご説明があるでしょう。碑の概要(文様、碑文等)が明らかになるにつれてその建立時の経緯の詳細を知りたくなり、昨日は数功氏遺稿集「九重山」、「九州の岳人たち」、「法華院物語」の3冊を読み、関係個所をコピー致しました。

 今回の遭難碑修復はおゆぴにすとの原点であるロマンチシズムをおおいに刺激するものであると考えます。狭間兄が気になって仕事に影響をきたすのも、私のやる気に火を注いだのも、このことではないでしょうか。80年前に前途洋々たる青年がこの地で荒れ狂う暴風の中に、命尽きたる無念さに思いを馳せる時、彼ら2人と私達の思いは結ばれます。筑紫山岳会「遭難1周忌にさいして」の追悼文集の中に、渡邊家の遺族からの手紙があり、紹介いたします。加藤数功氏、工藤元平氏宛です。

 「....末筆ながらご貴殿におわび申し上げるのは、せっかく多年、ご貴殿方が全力もて紹介せられし久住山が、倅今回の遭難により、世の人々より危険視せられ、ひいては九州各地の山岳愛好家の登山熱を阻止し、それが貴殿各位に打撃を与えるにあらずやとの懸念に御座候。されば、今回の遭難の責任につきて私ども、または倅に何程の鞭うたれようとも、いささかの無念もこれなく候えば、何とぞ、ご貴殿方より完全な登山準備あらば、久住決して恐怖視すべきものにあらずと、くれぐれも御宣伝下されたく候。」

 悲嘆にくれる渡邊家にあって、この文面は思わず、落涙いたしました。
 また、中央にある図案化された梵字は私の推測ではah,アク、ア、遠離を表すのではないか???
 碑文は宮崎来城翁(九州帝大教授、久留米出身の漢詩の大家)で内容は???
 まだまだ思いは続きますが、来週に迫った笠〜立山の準備もあり、これくらいで、24日荷下げに頑張りましょう。

               トップページへ