アラ還おじさん二人、行く年を厳寒の坊ケ鶴で考えるの巻

   
                                                栗秋和彦
 
 くじゅう坊ケ鶴で忘年雪中キャンプをやろうと挟間兄からの誘いに心は激しく反応した。凍てつく山上台地で寒さと不便さを甘受しながらも、外気と布一枚隔てただけの空間(テント)で一晩過ごすことが尊いのだ。加えてこの週末は大分道も終日通行止めになるほどの寒波到来とあっては、アプローチから厳冬の趣を味わうことができよう。ならば吉部からの雪中行軍と坊ケ鶴の雪上露営は保証されたようなもの。まさに忘年雪中キャンプに相応しいシチュエーションを一人占め(二人だった)しながら、九重の山懐に抱かれた我が身を思い浮かべれば、自ずと笑みがこぼれること必定だ。その意味で多感な?アラ還コンビとしては、登る前から感情移入はなはだしく酔いしれてしまったが、ただ非日常的忘年会をやりたかっただけじゃないの、とのそしりは受けましょうぞ。

   
  湯平温泉街を過ぎるとこのありさま            暮雨の滝コース、序盤の急坂にけっこう手こずる

さて大分で挟間車に拾われて、国道210号を西進すると、すでに庄内あたりで日陰に雪影が現れ始めた。想定どおりの変化に期待は膨らみ表情は緩む。そして湯平温泉街を抜けると、いきなり雪道と化し、途端に行き交う車も激減。やまなみ道に合するとさすがにポツンポツンとすれ違いはしたが、慣れぬ雪道に恐る恐るハンドルを握り締めるドライバーの神妙な表情は想像に難くなかろう。それでも(南国)九州にあっては、しっかりと足ごしらえした車は稀有なので、雪道をほぼ占有することに少しばかりの優越感がもたげてくる。つまりシーズン中の物見遊山な車に遇わないだけ、静かなドライブを楽しむには格好の日和じゃないかとうそぶきたいのだ。

 

で雪深く、ひっそりと静まりかえった吉部の登山口からは森へ分け入り、暮雨の滝コースを取ったが、土曜の午後なのにまるっきり先人の踏み跡はなく、新雪を踏み締めながらの登りは神妙さと新鮮な面持ちが混ざり悪くはなかった。いやもっと言えば久し振りの雪の九重の端緒について、はやる心を抑えきれなかったのかもしれない。しかしほどなく現われたいつもの急坂で現実に引き戻されたのも早かったか。どこが登路ともつかぬ積雪に、隠れた足下が不安定で、何回もズルズルと滑るに至ってはけっこう時間を費やしたし、意外に手強かったのだ。この間2人の息遣いと、ときおり林間に響く小鳥のさえずりだけがあたりの静寂を破るといったあんばい。まさに厳冬の九重に分け入った臨場感が、ひとときアラ還おじさんコンビを支配したのだった、フーフー。

   
 水平道に上がると平治岳の山腹が見えはじめる     おだやかでとした九重の一角、気持ちのよい雪面を辿る

そして少なからず汗をかいたところで杉林を抜け、ゆるゆるの登りになると水平道へと趣は変った。植生は自然林へと移り、気持ちのよい雪面を一歩一歩捉えては進むのがまた愉しである。ほどなく鳴子川の源流を挟んで対岸の平治岳の面長の山腹が、残光に映えセピア色を残しながらも白く浮かぶ。それも進むにつれ白銀の世界へ変化し、まるでシャッタースピードを極端に遅くしてとらえた時空のごとき時の流れに身を任せた。たおやかで凛とした冬の午後、九重の真っ只中、無垢の地へと誘われるのに、こんな場面の連なりがいとおしいのだ(ここはひとまずアラ還世代に達せんとするおじさんたち共通の感性とでも言っておこう)。

で現実に戻れば、陽も傾きかけてきた午後4時過ぎ、2時間近くを要して辿り着いた坊ケ鶴盆地は寒風吹きすさぶ極寒の地に相応しかった。

    
   大船林道からの合流点に達する    坊ケ鶴の北端に上がると三俣山が迫る  厳冬・坊ケ鶴盆地から白口岳を仰ぐ

週末というのに天幕は一つも見当たらず(それでも暗くなって近くに一張り増え、都合二張りのテントが山上盆地の全てだったが...)、残念というかやっぱりと言うべきか、好んでこんな時期にキャンプを張ろうとする奇特な御仁はいなかったのだ。ならばますます希少かつクラシカルな雪上テント宴会を喧伝せねばなるまい、と使命感にも似た思いに突き動かされたんですね。とまぁ表向きの理屈をあたためながらも、気持ちは辺りが暗くなる前に設営を終え、小宴の準備もあらかた済ませたところで法華院温泉まで足を延ばしたかった。季節を問わず坊ケ鶴までキャンプに来て法華院の湯を割愛するなど、過去には有得ず、山のいで湯を信奉する身としては由々しき事態、或いは行為そのものだったのだ。

 

しかしテントの張り綱ひとつを操るのにも手はかじかみ、路傍の石を掘り起こし重しに携えるひとときも、寒風は等しく体温を奪う。となれば行きはよいよい、帰りは湯冷め完ぺきシーンが増幅されて脳裏に浮かぶわな。どちらからともなく「今日は特別、温泉抜きで今から宴会だぃ!」と発したのは自明であったのだ。

となると生活道具一式を詰め込み、身動きもままならず一畳にも満たぬ空間であっても、ストーブの暖かさに包まれると、にわかにパラダイスと化し、緊張も解け心は和むんですね。ここのところはこの場に身を置いた者ではないと分かるまいが、それでも下界(世俗)とは一線を画し、孤高を保ちつつの宴会を志向せねばならぬところが、厳冬の坊ケ鶴で行うことの意義、或いは礼儀というものだろう。多少のやせ我慢は行きがかり上必要なのである。

   
  忘年雪中キャンプ三態(ほろ酔い気分の筆者、外気はマイナス10℃まで下がった、朝食後のお茶をいただく)

その意味で枯淡・質素を絡めた宴をよしとしたかったが、挾間兄の表情を盗み見ると、屈託なく正直に宴会命と書いている。年長者には逆らえないし、ほどほどの峻厳を保ちつつも宴は進行し、時を経るほどに世俗化に向かうはいたしかたなかった。一方で漆黒の闇とともに風雪は勢いを増し、天幕を揺さぶるし、ストーブの火を弱めると冷気はスキあらばテント内へ侵入せんと伺う。まったくもって非日常の極みに身を預け、外気と隔絶した小世界を舞台に、お互い酒の力借りてはいろんな話を紡ぎ出し、また聞き役にまわったが、その殆どが脈絡のないものばかりで後日思い出そうとしてもままならず。すべては齢のせいにして、粛々と忘年山上宴会は過ぎゆくのだった、嗚呼。 

 

さて翌20日、心地よい小宴の果ては、早々と荷造りに励み、退散するのみである。まぁそれでも降雪に埋もれた鍋を掘り起こし火をかけ、ぐずぐずの体で朝飯を作れば、けっこうな時を要する。9時も半ばを過ぎてようやく下山の途についたが、しんしんと冷える大船林道を下りつつ、想いを馳せるは温かな里のいで湯にどっぷりと浸ることである。

      
   いざ出立!三俣よ、さらば      わだちの跡がかすかに残る大船林道を下る 下湯平共同温泉・幸せの湯にまどろむ

で目指したのは挟間兄推奨の由布院温泉・川西共同湯。ところが湯の神の悪戯か、機嫌を損ねたか、湯量少なくけっこう温い。いや浸ってしまうと上がる時期を躊躇してしまうほどホントに温いのだ。高温かつ湯量豊富なこの湯を知る者とって、この異変はどうしたことかと訝るのみ。期待していただけに、おじさん二人の表情は冴えなかったね。ところがまだ湯の神は我々を見捨ててはいなかった。庄内町との境界付近に差し掛かって、下湯平共同温泉・幸せの湯方面を見遣った。かってはおゆぴにすと御用達の湯だったのが、3年ほど前に湯が出なくなり閉鎖されて久しい湯である。当然、素通りの筈だったが、異変に気づいたの挟間兄。国道210号に設えた入口のノボリがやけに新しかったのを目ざとく見つけて反応したのだ。ならば調査は必須であって、甦った温泉に感嘆の声を上げたのは言うまでもない。まだまだ新しい湯屋はそのままだが、懐かしさが込み上げてきたのは風情も泉質も以前のままだったから。

 

浴槽のふちに頭をのせてボンヤリしてみた。窓外から冬枯れの木漏れ日が差し込んでくる。まわりは褐色の湯の海。久しぶりに復活した共同湯の感触を探りながらも、表情は和みゆらゆらとまどろむ。そして芯から温まってくる。なるほどこのひとときで忘年雪中キャンプは完結を見たんだ、と改めて思った次第。これで悔いなく年が越せそうである。

 

(参加者)挟間、栗秋

(コースタイム)

12/19 大分(松ケ丘)1230⇒(車・湯平温泉経由)⇒吉部登山口1355 1407→暮雨の滝分岐1510→林道合流点1539→坊ケ鶴1605

12/20 坊ケ鶴928→林道合流点951→(大船林道経由)→吉部登山口1100 1110⇒(車・やまなみ道経由 由布院温泉・川西共同湯&下湯平温泉・幸せの湯入湯)⇒大分1415

(平成21121920日)

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