加藤御大、大分100山達成目前!
県南・場照山へ支援山行の巻   栗秋和彦

 加藤さんの大分100山完登まで秒読み段階になってきた。残すところ県南の桑原山、場照山、それに日田の大将陣山の三山のみである。ならばせめて一つぐらいはお供しなければなるまいと思っていたところ、標題の場照山行がにわかに取り沙汰されてきて、時は如月、建国記念日の決行となったのだ。「う〜ん、単身赴任の徒としては帰巣本能がもたげないでもないが、そのしがらみを除けば、我がスケジュールはポッカリと空白だ。ならば断る手はなかろう」と、すばやく決断した次第。

早速、加藤夫妻、挟間とともに“山のいで湯愛好会”ご用達の高床四駆“こだわりハサマ号”を駆って登山口の佐伯・青山の黒沢ダムを目指したが、思い浮かべるに県南の山を登るのは久しぶりである。しかも記憶を辿ると豊後水道沿岸では臼杵の鎮南山、津久見の尺間山、それに蒲江の仙崎山(※1)ぐらいしか登っていない。この山域はボクにとっては、ほとんど手付かずの未開拓ゾーンであったのだ。その意味では思惑ともピッタリと合い、これから県南の山々を攻める足掛かりとしても是非登っておかなければならない、橋頭堡(きょうとうほ)としての山と位置付けた訳である。ちょっと大袈裟だけど....。

 
       ひっそりした佇まいの黒沢ダム          ここにも番匠川源流の碑が

さて県道37号(佐伯蒲江線)を青山から右折、田園地帯を縦断して山峡をせめぎ、奥まったところで黒沢ダムの堰堤に出る。ここまで来ると佐伯市とはいえ全くの静寂境で、眼前に屏風のように連なる山脈を透視すれば、蒲江の海岸と荒波泡立つ日向灘が遠望できる筈だ。つまり太平洋の潮風を真っ先に受ける山嶺を北面から登り、稜線からは大海原を我が物顔に見ようという魂胆であったが、天は今にも泣きそうだし、加藤御大の話では樹木に遮られて頂からの眺望は期待できないらしい。まぁ天候は織り込み済みなので、ダムで一休みした後は高床四駆の力量を生かして林道をグイグイ詰めるのみである。

 ところがダムから左折した播磨谷
(はりまだに)林道で突然小鹿と遭遇。新芽を食みつつじっとこっちを見ているのだ。車を10mぐらいまで近づけても、凝視したままだ。そろりそろりと窓を開けてシャッターを切るも動ぜず。よく見ると短い角は左が折れてない。争いの結果か、はたまた何らかの事故によるものか、野生たる証かも知れぬが、これが現実の一端であろう。そして更に近づくと瞬時に背を向けて垂直に飛び立ち杉林へ駆け上がったが、その時の綿毛のようなお尻の白い斑点が、妙に躍動感溢れて脳裏に焼き付いたのだ。

           
                   猟師に撃たれるなよ・・・

 ムムム..、小鹿とはいえ野に生きる術は知っていよう。しかし警戒心に欠けるような気もして先々をおもんばかってしまうのだ。一方で県南の山々では鹿、猪が繁殖し過ぎて農作物の被害も多いと聞く。その影響かも知れぬが人の気配が残る林道まで白昼堂々?と姿を現わすとは、ショージキ驚きは隠せなかったぞ、うんうん。(彼らからみれば自分たちのテリトリーに、我々の方が無断で足を踏み入れたことになろうが...)。

閑話休題、600m級の山塊にしては、なかなか山が深い。谷が大きく二つに分かれるところで林道を左へ、鳴水谷(なるみだに)林道へと入る。途端に谷筋から離れて山腹を巻くように、うねうねとした上りに変わり、まさに深山幽谷の趣だ。一方で切り取り部分からの落石(跡)も多くなり、凸凹度合も大きくなって高床車の本領発揮である。

                  
                   道標を見逃さぬよう注意深く

 こんなときハンドルを握る挾間の横顔は薄ら笑いを呈して、こだわり四駆のオーナーとしての存在感を見せつけているつもりであろうが、後部座席の加藤夫妻はと云えば周りの景色を見遣るのと登山口を探すことに専念しており、頓着はない。そして筆者は「うんうん、(この車)会の共同装備としてはなかなか優れもんじゃな!」との感想を抱きつつ、あめ玉を頬張るといったあんばいで、三者三様の思惑を滲ませながら確実に高度を稼いでいったのだ。う〜ん、余談だけどこの人間関係は不思議ですね、普段はどうなんでしょうねぇ。

                  
                  うっかり見過ごしそうな登山口

 さて幾重にも尾根を回り込んだ末、ありました!登山口が。20
センチ四方の道標がポツンと立っているだけで、物見遊山に(車で)通るだけなら見落とし易いポイントだ。そしてのっけの登路は切り通しの崖を這い上がる式なので、足場は悪く滑りやすい。しかしすぐにしっかりとした登山道となり、ほっと一息つきたいところだ。しかし稜線に出るまでは杉林の中を登るので、曇天も加わってか暗くて湿っぽく、かつ眺望は全く望めない。ありていに云えばこの登路に愉しみを求めてはいけないのだ。頂を踏むためには選択肢のないひとときを費やすこともたまには必要かもしれないが、悟り顔の挾間なら「おっと栗ちゃんよ、人生にもよくあることではないかな!」と言われそうな気がしないでもない。しかしこのひととき彼はカメラマンの職務をまっとうすべく、前に後ろにせわしく立ち働いていたので筆者の思惑なんぞ知る由もなかろう。うん、それでいいんです。

                
                     最初は薄暗い雑木林の小径を行く


       稜線に出て場照山らしき頂が

 さてさて尾根筋に出ても眺望は全く利かなかったが、自然林が現れてくると明るさは増して気分は上向く。そして全体的に緩やかだった登路も山頂直下だけは急登をこしらえており、100山(の一つとして)の意地を見せてくれたものと思っているが、頂はガスで視界は全く効かなかった。残念。

しかし一帯はヤブツバキやカシ、タブノキなどの常緑樹に覆われており、快晴の日でもおそらく視界は効くまい。ただ木々の切れ間から南側(蒲江町)急斜面を覗き込むと直下まで伐採は進んでおり、頂稜部のみ自然林を残して後は広範に人の手が入っていることは明瞭であった。なるほどこの山域に限らず林野庁行政の“成果”はどこでも見られるところだが、林道を幾重にも巡らせて足場を確保し、自然林を伐採しては杉を植えていくという循環は今の時代、とっくに合わなくなっているのではないか。

 しかし一方で止めるとなると、この官庁の存在そのものが問われようし、もっと身近に現実を捉えれば奥深くまで張り巡らされた林道のおかげで我々は頂まで安直に登ることができるのだ。ここは「あぁハムレットの心境たるや」などと気取ってみても始まらぬ。「あるものは積極的に利用しよう!」という今回のアプローチ方式が現実的な選択ではないかと思うのだ。

  

 ところで寒々としたこの天候では長居は無用である。おまけにポツリポツリと雨粒も落ちてきては、昼食もままならず、けじめの「万歳!」を合唱して、そそくさと下山するのみであった。そして「あぁ、寒々の小雨に煙る野辺を彷徨い、ようやくの春を知る!」などと叙情めいたセリフを吐きつつ、再び車上の人となったが、専らの関心事は山頂で取り逃がした昼食小宴会を、どこで取り仕切るかであった。もちろん山里のいで湯をからませれば、もっとよろしい。となれば帰路多少の回り道にはなるが、加藤の勧めもあって、本匠村の“牧山の湯”へと足を延ばした。純然たる民間の経営ではあるが、山間の渓流沿いに湧く簡素な造りの湯屋は、湯上がりの休憩室も自由に使えて小宴会には願ったりのシチュエーションなのだ。

                     
                      締めくくりは本匠村牧山の湯

 早速、入浴を後回しにしたぐらい気力充実の昼食小宴会へと移行した訳だが、「遠慮がちに振る舞えば飲食持ち込みでも大目に見てくれるところがうれしいねぇ。これで入浴料500円は安い!」と加藤御大の仰せにはなるほど説得力があった。しかしその言葉とは裏腹に持参のビール、弁当、サンドイッチなどをテーブルいっぱいに広げると、すぐさま自然体で宴会モードに突入できるのも、御大をおいて他にはいないんであります。改めて元気印のみなもとを垣間見た思いがしたが、筆者としては思いがけず初見参の湯に浸り、久しぶりに伸び伸びリラックスしたひとときを過ごせただけで何も申すことはありません、ホント。


    
       おつきあいとは言え、まだ明るいうちから・・・やれやれ

(※1)日本山岳会東九州支部監修「大分100山」の改訂版では仙崎山は100山から外れている。
(コースタイム)2/11 大分8:10⇒(車・松ケ丘発東大道〜上野ケ丘〜R10〜佐伯経由)⇒黒沢ダム9:35 40⇒(車・播磨谷林道〜鳴水谷林道経由)⇒場照山登山口10:10 24→場照山11:05 23→登山口11:52 12:00⇒(車・佐伯まで往路を引返す)⇒本匠村・牧山の湯13:00 14:50⇒(車)⇒佩楯山15:24 30⇒(車・野津〜R10経由)⇒大分16:50
参加者 加藤夫妻、挾間、栗秋               
 (平成15年2月11日)
                                   Photo by Hasama          

                        back