小表山と酒利岳 冬枯れの山道散策  挾間 渉

 当‘山のいで湯愛好会’の永世会長である加藤先輩の大分100山全山完登が昨秋あたりからいよいよカウントダウンに入った。先般、前障子〜大障子縦走の後、市内での宴席で秒読みに入ったことが本人から示された。100山完登を3月中旬とし、11月以降月に1〜2山のペースで稼いでいくという計画だ。

 それから先の言葉を本人に出させるまでもなく「今後は一山一山同行し100山を公認するとともに完登の暁にはそれなりのセレモニーを用意しよう」との一同の暗黙の了解がそこにあった(酒の席でのこと、筆者の記憶は定かでないが、吉賀、高瀬、栗秋、西は異口同音、積極的であった模様)。

 で、11月に予定された97山目の烏岳は、年末が近づきなかなか皆のペースが合わない。98,99にあたる本日の山行も先日盛り上がったわりには敵前逃亡よろしくおゆぴにすと仲間の参加が少なく、やや盛り上がりに欠ける趣と勝手に感じていた。しかし、他のおゆぴにすととひと世代違う加藤さんには独自の山の繋がりがあり、余計な心配は無用だった。

 この日は上野の加藤邸で加藤夫妻と中島先生を、戸次のクックで塩月さん(そうだ・・・・この人もおゆぴにすとだった)をそれぞれ拾い、宇目町小野市で高山さん父娘と合流、総勢7名、一応の格好はついた。

          

 さて、目指す本日最初の山へは国道326号線(別名日向街道)宇目町小野市から右に折れ、大規模林道宇目小国線を上がって行く。6,7km程上がった辺り、切り通しの向こうに突然現れた山塊が目的の小表山(711.7m)だ。頂上を岩壁に囲まれ、東西に長く伸びた頂稜付近に赤松を配した山容は、いかにも鷲の巣あるいは鷹ノ巣などと言った名前が相応しそうで、山名の小表(こおもて)からは、その由来を想像できにくい。 国土地理院の二万五千分の一地図・中津留に山名の記載もないことから、里人との触れ合いの希薄さを勝手に想像していた。しかし、その特異な山容を目の当たりにして100山差し替えの妥当性に得心した次第。大規模林道の開発が世に送り出したものであろう。

 登山口はこの山塊の西端を回り込んだ辺りにある。林道左手の駐車場に車を停め少し下ったところ右手の踏み分けに「大平はつらつ山岳会」による黄色の道しるべにすぐに気づく。あまり人が踏み入った形跡はなく、もっぱら目印の赤いテープを頼りに忠実に辿りながら登って行く。冬枯れの静かな谷筋を世間話をしながら最奥まで詰めて行く。登山というより散策という雰囲気だが、谷のどん詰まりの急登にはさすがに呼吸が乱れる。

 稜線に出たところで一呼吸整える。ここまでが登山口から約20分少々の歩程だ。そこから右手、主に尾根の北側を捲くように10分少々で明るい頂稜に出る。そこが小表山の山頂である。何ともあっけないほどの所要のため、やや有り難みが薄い感じだが、ピークを踏むことだけではこの山を充分に味わったことにはならない。この山は別名・赤松峰と言い、なるほど、その山の謂われとなる赤松が岩稜とマッチし、自然の造形美を醸し出してくれる。

           

 その岩稜づたいに西進すると格好の展望所があり、傾山は山陰になって拝めなかったが、杉ヶ越〜新百姓山〜夏木山〜木山内山〜桑原山へと連なる尾根、さらにその向こうに大崩山までもが一望できた。

           

 さて、次に目指すは酒利岳だ。この山は標高753.2mの山頂まで林道が伸びている。以前マウンテンバイクで佩楯山に登ったとき、次なる山として食指を動かされた山だ。大規模林道を出発点まで戻り国道326号線を横切り、宇目町柿木から県道53号野津宇目線に入ってすぐ左手奥に大きな山塊が横たわる。先程の小表山と高さこそ大して変わらないが、どっしりと山容は、佩楯山頂から見た印象と同じだ。酒利の集落を抜けた辺りから勾配が急になり、砂防堤の工事現場から上は4WDの世界となる。ここで乗用車1台を捨て、2km先まで4WD車・Foresterでピストンする。

   そのまま山頂まで車で登れそうだが、それでは意味がない。最初の分岐付近から歩き始めることにする。その前に日当たりの良い場所を選んで腹ごしらえだ。めいめい持参の弁当を広げる。

           

 林道は上部で何回かに渡り分岐しており、分岐の都度、地図と睨めっこしながら登路を選択する。日もまだ高いし、小表山同様のんびりとした散策だ。正月前ということで加藤さんの奥さんはウラジロ、サカキ、マツなどに目ざとい。上がるほどに林道を覆うカヤの背丈も高くなり、これをかき分けながら進んでいくといった具合だ。

 約1時間ほどで辿り着いた鈍頂からの眺望はほとんど利かず、カヤに埋もれた三角点と酒利岳山頂の標示板が、そこが山頂であることをかろうじて示している。これで加藤さんの大分100山は99山となる。地図の裏側に各々が署名し、今西式の万歳を三唱する。

   

 大分100山には選定当初から関わっている加藤さんによると、日本山岳会東九州支部が創立20年を記念して100山を選定したのが1980年、途中2度の見直し作業ののち、新大分100山を昨年(2002年)に「登山ガイド 大分百山 改訂版」として著した。従って100山の完登には、最初の選定時の山を含め合計110山登ることになるという。それで行くとこの山は104山めとなり、残りあと6山を月に2山ずつ稼ぎ、3月中旬完登という計画のようだ。

 帰路は前述した正月用の飾りを採取しながら往路を小一時間で引き返し、最近オープンした、道の駅弥生のやよいの湯で汗を流し家路を急いだ。(平成14年12月29日の山日記)

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