たったひとりのアラスカ66日間 −フォレイカー5304m単独登頂−  
          

頂は、そこに見え、遙かなり

 2001年3月31日、待望のフォレイカー(5304m)へのアタックの機会に恵まれた。2月上旬、カヒルトナ・南西フォーク氷河のBC(1980m)に降り立って、すでに53日目。嵐や雪崩で動けない日が続き、登山の日程はかなり遅れていた。

 午前7時35分、アタックキャンプ(AC・4080m)の雪洞を出発。天気は快晴、微風、零下33度C。そこから南東稜の大スロープまで、雪庇とナイフリッジを慎重に進む。南東壁で起きた大きな雪崩が、轟音とともに疾走していく。午前8時36分、ほぼ1時間で4260mの平坦地に到着。順調なペースである。アタックは今日で2回目。前回と違い周囲の山々はとても穏やかで、雪煙も上がっていない。これはラッキーだ。しかし、1時間ほどで、フオレイカーの頂上に雪煙が上がり、風はしだいに強まった。マッキンリー(6194m)やハンチントン(3731m)にも、強風による雪煙が頂上からのびている。
「この前とまた同じか?」

      

               

 なんとなく不吉な予感がする。興奮している私と、冷静なもうひとりの私がそこにいた。やがてブリザードとなるが、ガスの向こうには山頂が見えていた。飛ばされるほどの風ではないので、アタックを続ける。ブリザードにラッセルで、なかなか高度が稼げない。午前11時すぎ、標高4500mに達したが、山頂の雪煙がおさまる気配はなかった。
 今冬のアラスカは、おかしな天候が続いた。1月中旬のアンカレジは福岡よりも暖かく、町は大雨、山は大雪に見舞われた。登山基地タルキートナでもセスナ機が飛べず、入山は3週間近くも遅れてしまった。2月7日、快晴のなか、ダグ・ギーティングさんの操縦するセスナ機でカヒルトナ・南西フォーク氷河に入山。氷河上では、写真家の松本紀生さんが出迎えて下さった。まさか冬のカヒルトナ氷河で人に、それも日本人に会えるとは・・・・・。

 今回選んだルートは、初回と同じ南東稜。頂上から南東に派生するこの稜線は、3500m地点で南東支稜と南西支稜に分かれている。カヒルトナ・南西フォーク氷河のBCから、同氷河を約3`下って南東支稜の末端部にCl(1950m)を設置。ここから、標高差3350m、全長7.2`の南東稜がフォレイカー山頂へとのびている。BCには75日分145`を超す装備・食糧を用意した。

 入山前の予想どおり荒天続きであった。入山から2回目のアタックに至るまで合わせて26日間、悪天候で停滞日となる。なかでも南西支稜に設けたC3では、連続11日間、雪洞に閉じ込められた。アンカレジでは、時速100マイル(およそ45m/秒)もの風が吹き荒れ被害が出ていた。しかし、雪洞は快適そのもの。外がどんなに激しい嵐でも、静かな空間が確保できる。停滞が長引くときには、下手な句作やハーモニカでの作曲など、有意義なときを過ごした。たとえば、雪洞にじっとこもつている姿をヒントに「アナグマ」を、また、氷河の動く青から雪の旅をイメージして「終わりのない旅」を心ゆくままにハーモニカで奏でて、日々送った。

               

 午後1時50分、5030m地点に達した。気温、零下34度C。山頂までの標高差は、残り300bを切る。北西風による雪煙とブリザードは、フオレイカーの項上付近だけでなく、南東稜の広範囲にまで及んでいる。今後の進退について葛藤が始まった。ACからここまで6時同15分、まずまずのペースだ。頂上まではおよそ1時間半、さらに下山に約3時間半が必要だが、まだ時間の余裕がある。

 山頂に上がる雪煙は、少しずつだが大きくなってきている。冷静にルートと気象の変化を計算し、ACまで戻れるかどうかを推測する。項上での長居は禁物だが、どうにか往復できると判断。「GO!」と腹を決める。

 カチカチの斜面にザックを置き、身体ひとつで山頂へと向かう。胸ポケットのなかには、私の名前にちなんだ「栗」のお守りと「写ルンです」を入れている。尾根の風下側に赤旗を立てて進んでいく。やがて、99年に登った北東稜ルートと合流、見覚えのある雪稜に出た。頂上までの標高差、あと40m。そこには、山頂を目前に高揚している私と、はやる気持ちを抑えているもうひとりの醒めた私がいた。項上へのスロープを1歩1歩、確実に踏みしめる。残り20m・・・・・・。

 午後3時34分、雪煙が舞う北峰に登頂。ブリザード、北西からの強風、零下29度C。ガスの切れ間に、フオレイカー南西峰が現れる。南峰の姿は、雪煙で遮られて見えない。北東の方角には、マッキンリーが雪煙の彼方に堂々とそびえていた。激しい気象とは裏腹に、心は穏やかだ。
 「フオレイカーさん、どうもありがとう」
 

 過酷な自然と優しい自然が繰り返されるアラスカ山脈。この大自然を旅することで、私がいかにちっぽけな存在であるかを痛感。そして、この世界によって、私自身が深く感動しながら生かされていることを実感する。「いつも自分を守ってくれてありがとう」。私の山旅を支えてくれているすべての人に心から感謝した。

 風はさらに強まっていた。これからアタックキャンプまで、1200m以上も高度を下げなければならない。入山から53日かけて達した頂にも、わずか7分で別れを告げる。

 足跡や旗、岩稜をたよりに下り始めるが、往路よりも明らかに風が強い。やがて暴風となり、何度もあおられてしまう。風の音を聴きながら、ダブルアックスで氷雪面にしがみつき、風が弱まった隙に行動する。突風が吹き荒れるなか、雪庇とナイフリッジを慎重に下降する。午後7時10分、どうにか無事、ACに帰着。トータルで11時間35分、長丁場のアタックとなった。

 南東稜を下り終え、4月13日、ヒドンクレバスに注意を払いながらBCを目指す。65日前に立てた赤旗が見えた時には、正直ほっとした。雪面からほんのわずかしか出ていないBCの赤旗に、2カ月余りの時間の流れを感じていた。
(本稿は、平成13年7月1日発行の「岳人」649号に寄せられたもの)

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