再び唐突に石見銀山&三瓶山登山一泊旅の巻             
                                                    栗秋和彦

島根県の中央部、温泉津温泉から山中に分け入った片田舎の石見銀山が平成19年7月に世界遺産(文化遺産)に登録され、個人的にもにわかに関心が高まった。とは言っても世界遺産オタクとか、ユネスコのお墨付きに対して無条件に阿(おもね)た結果ではなく、未踏でかねてから気になっていた三瓶山に近いという地理的条件がそれをもたらした、と言ってしまおう。前置きが長くなるが、山陰で著名な山を三つ挙げるなら、先ずは日本百名山で横綱格の伯耆大山、これは言わずもがな。それに大関格で二百名山に名を連ねた東の氷ノ山、西の三瓶山がおおかたの人の認めるところだろう。その一つの三瓶山登山は食指の動くアクティビティではあるが、この山だけでは延々350`以上もの距離と時間を費やして行くまでのインパクトはなかった。そこに登場したのが、急に脚光を浴びメジャーになった石見銀山だったのだ。

つまりセットなら知的探求心(物見遊山的心ともいう)をくすぐり、名山踏破も達成できるという二兎獲得作戦が現実味を帯びてくるし、何と言ってもカミさんの同意が得やすかったという事情が大きかった。誘い文句は「今日は天気もいいし石見銀山までドライブしようか。もし時間が下がれば近くに温泉もあるし一泊たぃ。そぅ、三瓶温泉やったかなぁ」であって、もちろん「三瓶山に登る」とはおくびにも出さなかった。こうして先週の神戸につづき、唐突に二週連続、行き当たりばったり旅が動き出したのだ。



で道中はいたって単調だったが、印象に残ったのは以下の二点。広島県に入り中国道の吉和S.Aで一休みした際に、西方に突起物のように聳える鋭峰・安芸冠山(1339m) を鮮明に捉えたことと、浜田道を江津で降り海岸沿いに9号線を東進する途中、ゆるやかな峠を越えると視界いっぱいに飛び込んできた大風車群(江津市浅利町)のスケールに圧倒されたこと。特に後者の大風車群は白砂青松の浜に林立するさまが新鮮だったが、裏を返せば今まで山のてっぺんに立ち並ぶ景しか知らず、砂浜で見たのは始めてだったという個人的事情による。後日、ネットで調べて見ると全国的にはけっこう海岸に風車は建っていることが分かった。まぁ筆者が知らなかったと言うだけで、世間一般には驚くにあたらないか。

 

さて途中、昼食を挟み5時間のドライブで石見銀山である。もちろん殆ど事前勉強なしなので、標識に導かれて辿り着いた駐車場(世界遺産センター)が銀山坑道の入り口ぐらいと思って、せわしげに付近を探索してしまったが、これが大きな間違いだった。聞けばここから山一つ隔てた銀山川沿いに、間歩(まぶ)と言う坑道が点在する銀山地区と、これに繋がる町並み地区が広がり、この二つを合わせて世界文化遺産の石見銀山地区と称するそうな。そして一般の車は乗り入れ禁止なので、観光客は路線バスで往復することになるが、自慢

じゃないが(そんな訳ないか)、そんなことな〜んにも知らないんだからね。

   
         龍源寺間歩めざして銀山地区を遡るの図二態

としばし待ってバスに揺られるも5分ほどで、あっけなく最寄りの大森バス停に到着。距離にして2q足らずではランニングでも12.3分の近さだし、自転車持参ならもっと柔軟に行動できたぞ、とは後で分かったこと。そんなこんなで唯一、坑道を公開している龍源寺間歩めざして銀山地区のウォーキングから物見遊山的探索を開始した。先ずは銀山地区と、町並み地区の結節点となる銀山公園をスタートし、谷沿いにゆるやかな車道を溯って行く。とはいえ地元民の車以外は通行不可なので、ほぼ歩行者&自転車天国といったあんばいで、狭い谷筋に番所跡や西本寺、豊栄神社、極楽寺と往時を忍ぶ社寺を見遣りながら、ずんずんと進んだ。そしてその道中は新緑にウグイスやホトトギスのさえずりが溶け込んで、何とも言えぬ山里の雰囲気を醸し出している。こりゃ真剣学習まなこで文化遺産群を検分するより、自然環境を愛でながら森林浴ウォーキングのノリで歩く方が似合っているわね、と思わぬでもない。で銀山公園から谷を詰めること2.3q、集落も途絶えかけ、狭くなった谷沿いにせり出した山腹に、目当ての龍源寺間歩坑道入口が森に同化してたたずんでありました。

   
森に同化してたたずむ龍源寺間歩(入口)                当時のノミの跡がそのまま残っている坑道内部 

案内文によるとこの坑道は、江戸時代の中頃に開発された代官所直営のもので、その総延長は600mに達するとある。しかし一般に公開されているのは273mのみで、中に入るとひんやりと湿っぽく(当たり前か)、壁面には当時のノミの跡がそのままリアルに残っており、手掘りで穿ちつづけた先人の労苦が忍ばれるのだ。もっとも今や観光名所として照明も適所に配し、足元の不安もなく、何を臆することもなく通れてしまうが、当時はこの間歩をはじめ500を超える坑道での労働環境が劣悪だったことは想像に難くない。多くの犠牲の上で繁栄をもたらした遺跡なのだ。その意味でこの道は畏れるべきものであって、時代を遡り思いを馳せる道である。ただ物見遊山に傍観すべき所ではない、との思いだ。ちなみに大森バス停近くの五百羅漢は、石見銀山で働いていて亡くなった多くの坑夫たちの供養所としての役割も担っているという。う〜んなるほどここでは真剣学習まなこ的検分の方が優ったと言えるが、少しばかりは往時に思いを馳せ学習しないと、世界文化遺産に対して失礼というものだろう。

さて帰りは銀山川を挟んで対岸の遊歩道を再び森林浴ウォーキングに切り替え、ゆるゆると下った。その途中、道標に導かれて200bほど支谷へ分け入った清水谷製錬所跡を訪れたが、とっくの昔に建物は朽ち果て、雑草に覆われた巨大な石垣の段だけが残り、うらびれた感じがしないでもない。しかし周りの空気は穏やかで何故か癒されるような不思議な空間だったのだ。後刻、明治時代 (銀山としては閉山間際ではあった) の写真を見ると幾重にも木造家屋が連なり、人の営みが見える生産現場が映し出されており、今は大役を務め上げ、余生に身を託した安らぎの空間として捉えても不思議ではなかろう。一方で古戦場とは違えも、視覚的には「つわものどもが夢の跡」の雰囲気も味わえて、一様ではない歴史の重みに少しだけ触れることができたものと思っている。その意味で往復400bの労を惜しまなかったことが、旅に深みや味わいを幾分なりとももたらしてくれたのだから、やっぱり旅は歩け歩けだ。で今度は町並み地区(大森地区)へと移ろう。やっぱり歩け歩けだ。

   
 趣のある商家の連なりを歩く二態                 

でこっちは銀山の繁栄とともに財を成した商家の連なりや権勢を誇った代官所跡、そして武家屋敷に多くの社寺が混在する歴史的景観保全地区の散策だが、その一軒一軒が歴史を感じさせ、趣き深い通りになっている。しかし銀山地区同様に初めてパンフレットを眺め感心するのみでは、ただただ町並みを見遣るだけで終わってしまうのが道理であって、まぁこれもいたしかたなかろう。しかしカミさんは森林浴コースよりも、この町並み散策の方が断然お気に入りと見た。後刻、「何が良かった?」と問えば、「そうね、群言堂本店を訪れ、その非日常なる雰囲気を味わい、瀟洒、流麗な趣に触れたことに尽きるよ」との弁に力がこもっていた。が、筆者を含め世のオト−サン方にとって「何だ、群言堂とは?」は素朴な疑問であろうよ。

う〜ん、そもそも群言堂」とは中国の言葉で、集まった人達がそれぞれに発言し、その中でよい方向性が生まれるという意味らしいが、どんなときでも自然体で生きようとする人たちのための生活を、物づくりを通して提案している(店が)群言堂なんだって。キーワードは「平成の民芸活動」或いは「復古創新」という分かったような分からんようなフレーズで、おばさんたちのロハス心(ちょっと違うか)をくすぐるのだろう。そしてその本店で発祥の地がここ石見銀山大森地区に構えていたのだ。世のおばさんたちの一部はこの本店を詣でるために、この地を訪れるらしいから、同伴者(筆者のこと)としても無視する訳にはいかないのだ。

さて急遽予約した宿は銀山から約40分ほど、思惑どおりの三瓶温泉、国民宿舎さんべ荘である。で日没前に宿から東へ走路を辿った。今日は淡々と360`余りハンドルを握ってきたが、それでも慣れぬ長距離運転に多少のストレスは残った。ならば荷をほどいた後、我儘をとおして食事時刻を少し下げ、高原ランのためいくばくかの時間を確保し、野に繰り出したという訳だ。

1.5`ほどゆるやかに下る道すがら、今が盛りとレンゲツツジの群落がところどころ現われ、我が目を引いた。そう言えば三瓶山を擁する大田市の市花はレンゲツツジだったか。なるほどよく手入れされた花壇は地域の思い入れなしでは適わぬこと。そんな思いがじわじわと伝わってきて、ファンランへの追い風となったのは間違いなかろう。

 

下りきった集落から今度は北へじわじわと上りが始まり、それも上るにつれ勾配が増してくるので、まさに牛歩の如きのランに苦笑いするのみである。それでも2`ほど詰めると平坦になり、広大な東ノ原の四辻に出た。あたり一帯は牧場が広がり、牧草の草いきれと、かすかに漂う牛糞の匂いが混ざった涼風が、初夏のアルプの趣きを醸し出し、すこぶる心地よいのだ。こんなラン冥利に尽きるフィールドに出くわしたのも、唐突旅のちょっとした偶然によるものであって、それゆえ印象深く刻まれるのは言わずもがなでしょう。

さて翌8日、未踏の三瓶山登山のチャンス到来だ。昨夕走った東ノ原の四辻を左へとり、登山口まで車ならわずか5分。宿から近いし、何と言ってもここは麓から観光リフトで女三瓶山の登山口(とはいえ八合目付近まで運んでくれる)まで運んでくれるので、楽チン登山が可能なのだ。もちろん登山のアプローチと捉えて正当化しようなど思うべくもないが、何せカミさん同伴の登山では必要十分条件と申し開きをしたい。で10分ほど揺られるとリフト終点。標高832bからの登山開始は何となく後ろめたい気持ちがしないでもないが、先ずはテレビ中継アンテナが立ち並ぶ女三瓶山を目指した。

その途中、南西の方角には指呼の距離に孫三瓶山がこんもりと可愛い姿を見せ心安らぐし、南から東にかけて遠望すると、名も無き中国山地の山々が脈々と連なり、雲海を従えて緑紺のシルエットが鮮明だ。そんな景色を背後に感じながら火山石を敷き詰めたジグザグ道を辿ると、20分弱でほどなくの山頂。すると直線距離では1`余りしかなかろうが、いきなり前方視界に重厚な男三瓶の鈍頂が現れて、ちょっとした感動ものだった。起伏のある尾根筋の先に隆々たる骨格で横たわる山容は、まさに三瓶山群の盟主に相応しく登高意欲を湧かせるに充分だ。しかし課題はここまでは付いてきたカミさんへの対応だ。「えっ、あそこまでほんとに行くの!?」は想定した疑問符。すかさず「まぁそんなにきつい登りもないし、4050分もあれば楽勝さ」と返し、平易さを強調しつつ行動を促したが、一方で躊躇する間を与えずにずんずんと進むのも肝要である。

   
   男三瓶山の頂にて二態。右写真の背後は石見銀山周辺の山嶺か            下りも観光リフトのお世話になる

で少しばかりのアップダウンを繰り返しつつ、兜山までは左手に室の内と呼ばれる火口池を見下ろしながら快調な尾根歩きだ。そしてこれを過ぎると多少登りもきつくなり、砂状化した火山灰を踏みしめたり、ユートピアと呼ばれるピークを過ぎたあたりからは両側はけっこう切れ落ちたりと、変化に富んだ縦走路となったが、特に難しい箇所はなかった(ちょっとした岩稜に出くわすと嬌声を発するカミさんには気を遣いつつも)。そして岩石と木の根などがミックスした直登気味の犬戻しを登りきると、風景は一変してのびやかな草地が目の前に広がり、山頂台地に達したのが分かった。意外にあっけない印象と同時に想像していた以上に広い頂稜からは360度の眺望を欲しいままにしたが、中でも東北東90`の位置に、累々と連なる山並みから頭ひとつ抜け出た伯耆大山の山塊を見出せたのは望外の喜びだったと思う。よく晴れて澄み切った日には見ることができるとガイドブックはふれているが、裏読みすれば見えるのは稀有と言っているも同然だからだ。はるか遠景の果ての小さな山嶺だが、うんうん、なるほど頂はひときわ高く、孤高を保っているぞ。さすが山陰地方の一人横綱たる貫禄がうかがえたが、足元の山々も公平に視界に納めなければなるまい。先ずは室の内の火口を隔てた南に子三瓶、孫三瓶が仲良く連なり、東南角の女三瓶ともども三瓶ファミリーの全容が容易に確認できるし、西方20`には石見銀山を擁する仙ノ山や要害山、矢滝城山など500600b級の山々が丘陵地帯から抜け出てちょっとした山嶺を形造っているが、これも昨日石見銀山を訪れたからこそ興味を持ち、気付いたと言えなくもない。

さて下山路も往路を引き返し、観光リフトのお世話になったが、カミさんともども変化に富んだ三瓶山の主稜線を縦走でき、念願の登頂を果たせたのだから、唐突かつ行き当たりばったりの山旅も悪くはなかった。ならばこれに味を占めて、次なる目標はとなると東の大関格、氷ノ山が浮上してくるが、カミさん対策上、この山とセットで耐えうる文化遺産のたぐいを探すことも肝要であろう。その意味で唐突行き当たりばったり旅の限界を感じはじめていることも事実だが、まぁ大上段に構えることではないわね。

(行程)

5/7門司駅847⇒(車)⇒中国道・吉和SA1050 1102⇒(車)⇒千代田JC1130⇒(車)⇒浜田道経由・サンピコ江津道の駅1230 1308⇒(車)⇒石見銀山・世界遺産センター1340 1400⇒(バス)⇒大森1406 15→(銀山地区〜町並み地区周遊)→大森代官所跡1627⇒(バス)⇒世界遺産センター1636 50⇒(車)⇒三瓶温泉・さんべ荘1730   三瓶温泉入湯(さんべ荘)

5/8 宿815⇒東ノ原リフト乗り場(標高570m) 820 24⇒(観光リフト)⇒リフト終点(標高832m) 833 35→女三瓶山(957m) 852 56→兜山(981m) 907 08→男三瓶山(1126m) 945 1001→兜山1030 32→女三瓶山1044 48→リフト終点1102 04⇒(観光リフト)⇒東ノ原リフト乗り場1115 24⇒(車)⇒川本道の駅1200 18⇒(車)⇒瑞穂I.C1241⇒(車)⇒千代田JC1300⇒(車)⇒門司1535        総走行距離660`                                   (平成22年57〜8日)

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