久々の釜山一泊、温泉&グルメ&トレッキング欲張りツアーの巻  栗秋和彦

仲秋の候、一泊でカミさんと韓国・釜山を旅した。一週間前に急遽思い立ったこの“海外旅行”、幸いにも今年は一度も台風に見舞われず、我が商売にとっては悦ばしいかぎり。しかも長月に入っても天気図にはその卵も見受けられなかった。ならばこの隙にと、12〜14日に二泊三日の旅を計画し、中日に釜山アルプスの金井山(クムジョンサン1) 縦走と下山後の東莱(ドンネ)温泉を組み入れて、長年の懸案事項を果たそうと目論んだのであります。

 ところがこれを見計らったように南方海上に突然台風13号が発生。動きは遅いものの勢力がみるみる強くなっては、精神衛生上どうも落ち着かず熟慮の末、前日に一旦、旅程をキャンセルしたのだった(まったくもって憎い台風だぃ!)。しかし速度はめっぽう遅く、仮に九州を直撃しても連休中はどう見ても影響あるまいと踏んだ。で結果的には未練がましく一泊二日へ仕立て直して再度申し込み、一日早い帰国としたのだ。(おっと小心者と言うなかれ。もしもの有事に備えあれ!職務に忠実?なだけなのだ)

 ならば7時間程度はかかる金井山塊の最高峰・姑堂峰(コダンボン802m)登山と北門〜東門〜南門まで城壁に沿った主稜線縦走は諦めざるをえず(※2)、計画はトーンダウン。つまりは温泉とグルメ三昧に的を絞って12日昼便で渡航と相成ったが、2年ぶりに訪れた釜山の街並みは高層ビルが更に増え、渋滞は恒常化して久しく、韓国経済は不振の度合いを強めつつも表面上の喧噪は相変わらずといったところか。その意味では九州随一の元気都市・福岡もこの地に比べればまこと静かなもので、この対比が毎回のことながら非日常を増幅させるのだ。

 閑話休題、先ずは繁華街・西面(ソミョン)の宿へ直行して荷をほどき、後は翌13日午後2時までのフリータイムへと突入、いざ行かん!である。して何処へと意気込むことはなかった。日没までの3〜4時間、地下鉄で温泉場(オンチョンジャン)駅まで繰り出し、ゆったりと温泉に浸ろうと目論んだだけ。釜山来訪6回目にして初見参のがそれだが、海外での記念すべき入湯第一号がこの湯になったのは確率的にはもっともなこと。むしろ過去にもこの街界隈を行ったり来たりした筆者にとって、ようやくの第一号と言うべきかもしれない。しかしいざ門をたたいてみて、言葉が通じないことによる難儀さや入湯スタイルの違いによる戸惑いは、一筋縄にはいかず異国の文化を肌で感じるいい機会だったと反芻している。


 と言うのも不安ながら入館後、それぞれの更衣室へ分かれた。先ずは男女共用の休憩室でカミさんと落ち合うこととしたが、服を脱いだ後で慌てた。いわゆるこの種施設備え付けの専用着が見当たらないのだ。係員に聞こうにも言葉が通ぜず、お互い首をすくめるだけ。バスタオル的なものはあるが(普通のタオルとバスタオルの中間ぐらいの大きさ)、これだけを前にかざして休憩室に行ける筈もない。どうやって行くんだい?と悶々とした時は過ぎる。仕方なく休憩室行きは諦めて(待っているだろうなぁ)、広大な円形浴場へ一歩を印したが、この国の入浴シーンは全くの手ぶらで闊歩するスッポンポンが正統スタイルであることを改めて思い知ったのだ。老いも若きも、モノの大小は問わず、美形醜形?何でもござれ。恥も外聞もなく、見事なまでの威風堂々ぶりは、まさに文化の違いとしか言いようがなく、この環境下にあっては我が同胞?をさらけ出すことに多少の戸惑いはあっても、いたく気にする必要もなかった。うんうん、これは子供のころ、近くの小川で全裸で興じた勝手気ままな水遊びにも似たシチュエーションであって、大浴槽から薬湯、塩湯と渡り歩くうちに、幼年時の遊び心が蘇ったのだった。

 おっと悠長に時を浪費してはならなかった。この間ものの10分程度だったと思うが、待ちつづけている(筈の)カミさんの怒気?迫る表情がちらついて離れなかったのは言わずもがな。あたふたと上がって、再度広い更衣室全体を点検したところ、有った!ありましたね、我がロッカーとは最遠のところ、階下の休憩室へとつづく階段近くの棚に、専用着は積まれていたのだ。つまりは10数分後に待ちくたびれたカミさんとの邂逅は、弁解から始めなければならなかったということ、嗚呼。もちろんこの休憩室、ただの広間ではなく、壁際には専用着を着たまま入る混浴サウナ「チムジルバン」なるものが三部屋あり、80度、56度、マイナス2度の部屋と、交互に入っては熱したり冷やしたりとまっこと忙しく(でもないか)、新陳代謝促進効果は絶大と見た。余談だがこのサウナ、若いカップルもけっこう多かったが、高温多湿の熱帯と寒々とした寒帯を行き来しているばっかりでは、愛だ、恋だを語る余裕はないと思ったのでありますな。そんなこんなで海外での入湯第一号、東莱温泉は多分にミステリアスで、かつ異文化に満ちたスポットだったと言いたかったのであります。


 でそろそろと西面(ソミョン)に戻ると夕暮迫り、喉は渇き腹も減った。ならば宿近くの韓定食店を訪れて居座ったが、実は2年前、カミさんが友人と旅した際、訪れたところだったので、うろうろと軒先で吟味選定する必要もなく、すんなりと事は運んだ。すなわち注文も前回どおり、韓定食コース(2万ウォン)二人前とハイトビール(後に韓国焼酎ジンロに及んだが)だったが、先ずは前菜?の水キムチにサラダ系?キムチの数々がビールとの相性よろしく、グビグビと進みますわな(風呂上りだからどんなツマミでもビールは美味しい)。

 更に刺身や焼き物、チヂミ風お好み焼きに寿司もどきエトセトラと後から後から出てきては、まさに飽食・酩酊の徒になるのに時間はかからなかった。でも待てよ!飽食=グルメではなかった筈。そもそも筆者に「味覚、視覚はどうなんだぃ?」とか「五感を働かせたかぃ?」なんて聞かれても困りまするな。強いて言えば、ここかしこにコチュジャンの風味漂う一品が数多く食卓を賑わす、これが韓定食の味覚・視覚を合わせた先入観になりますまいか。と呻吟するうちに時は経てバタンキューと相成った次第。先ずは初日、温泉とグルメの一端を紹介して、20時過ぎには前後不覚に陥った模様なり。


 翌13日、睡眠十分、蒼空快晴の黎明を迎えて気分は上々。行程上、昼過ぎには宿に戻っておかなくてはならぬが、それでも5時間程度は自由の身だ。ならば金井山塊全山縦走は適わずとも、南端山麓の金剛(クムガン)公園からロープウェイで稜線まで上がれば、(カミさんの足でも)主稜線上の南門までは往復40分、東門まで縦走しても2時間はかかるまい。後はタクシーを拾って最寄の地下鉄駅まで下れば、昼飯を食ってもお釣がこよう。つまり決断の可否はひとえにカミさんにかかっていた。

 そこで朝食は彼女のリクエストに応じて、これまた宿の近くの朝粥専門店へ行き、さりげなくトレッキングの一部を披露して同意を得たが、もちろんカミさんの推薦店であるこの店の名物、あわび粥定食(1万ウォン)の美味・秀逸さに同調姿勢を貫いたのは言うまでない。

 でタクシーならアッという間に金剛公園着。山麓駅まで少し歩き、始発便に乗り込めば8分間の空中散歩で標高540mの山上駅へ。まったくもってのラクチン登山だったが、山肌全体が鬱蒼とした松林に覆われ、その隙間に露岩が点在するといったあんばいは確かに異郷の山だ。振り返ればまったく隙間のないエネルギッシュな市街地が眼下に広がり、東莱や西面の高層ビル群が天空を突き上げて競うさまは、九州ではなかなか見ることのできない大陸的豪放さと猥雑さを併せ持つこの街の特徴がよく分かるのだ。

    
       金剛公園入口にて        ロープウェイからの二題(中:東莱の街並み 右:山上駅を目指して 松林と露岩が印象的)

 さて涼風吹き渡る金井山塊の南端、山上の一角から、この旅のメインテーマと(急遽、今朝)位置付けたトレッキング開始だ。コースは松林の中、露岩を避けながらのくねくね道を登り小高い丘を越えると、ほどなく十字路に到達。第2望楼を経て直接、東門へとつづくルートと、南門へと左折するルートが交差する地点でちょっと迷った。もちろん南門を目指すのに標識のハングル判読を訝った訳だが、心配は無用だった。よく見ると小さくだが、「South Gate」と英語標記も併記されていて、異邦人にはたったこれだけの追記がありがたく、心強い。

 余談だが、数年前まではハングル文字のみだった釜山の街角の案内標記も、最近は英語併記が目立つようになった。これも観光立市?を目指す釜山市の変化の表れと見たが、そろそろ日本語標記を加えても感情論は起こるまい。現に地下鉄やKTX(韓国新幹線)の車内では日本語放送も取り入れているし、実感として街角や地下鉄乗降時などで戸惑っていると、市民は一様に親切心溢れる振る舞いで応えてくれるのだから。

    
        南門に佇む              東門への途中、金井山・姑堂峰?を垣間見る   爽やかな松林のトレッキングコース

おっと本題に戻ろう。ズンズンと樹齢100年を超えていそうな松林を分け、よく整備された歩道を辿れば、たやすく南門へと導かれるが、この門の薀蓄(うんちく)は省こう(パンフレットの受け売りになるは必定)。後は城壁に沿った小道を3.2k先の東門まで、てくてくハイクと思っていたら、これが時々車も通る立派な林道(らしき)ウォークだ。「城壁はどこだぃ?」などと呟きつつ、あたりを見渡すも、それらしきものはないし、南門〜東門間のルートは稜線上だと思い込んでいたので、東側(東莱の街並)の眺望を期待していたのだが、森の中をゆるゆると下る林道を辿るだけで、いわゆる゛縦走゛感覚にはほど遠かった。しかも東莱市街と金井山塊のへそにあたる中央盆地・山城村(ゴンヘマウル)を結ぶ立派な車道(山城峠)に出くわしては、主稜線縦走のイメージとは大きく違い、多少の疑心暗鬼は消えなかった。しかしこれを渡り、丘を登り切ると、山稜上のトレイルへと変わり、城壁も現れてきて、思い描いていた稜線漫歩に近づきつつあった。そしてほどなくカミさんと約束した今回の一応の目的地である東門に到着。

 しかし本来、城壁に沿って下界を眺めながら、稜線漫歩が楽しめるのはこの先の第3望楼〜第4望楼〜北門間の筈。せめてその情景を、あわよくば最高峰の姑堂峰をも遠望できるビューポイントまで足を伸ばせないか、再びカミさんへの説得工作が急務であった。とちょうどそこへ日本語が堪能なお兄さん率いる家族連れが現れ、写真を撮って貰ったことが、更に足を伸ばしたキッカケになったのだから、偶然の出会いは侮れない。

 つまり筆者は得意の?日本語で金井山のビューポイントを尋ねたり、地元博多のこと、お互いの仕事など、お互いの関心事をお兄さんと交わしながら歩を進める。するとカミさんはカタコトの韓国語を試すために話に加わるわね。更にお兄さんと前後して歩いていた小学生の女の子(彼の姪)が、変なイルボンのおばさんが自国の言葉をしゃべっていることに興味を示し、話の輪に加わる。とそんなこんなで歩きながら日韓二ヶ国語が飛び交うことになり、必然的にカミさんもその家族に連れ添って北門方面へゆるゆるながらも踏み出して行った、という訳である。シメシメ...半ば作戦は成功せりなのだ。


 それでも途中、何度か会話が途切れると、「そろそろ引き返そうよ!」が常套句となっては、すぐ先にビューポイントが現れるのを信じて、なだめすかし作戦を継続するしかなかったのだ。この間コースはゆるやかな稜線上とはいえ、相変わらず松や雑木が混在した森の中の一級遊歩道の趣であって、眺望はない。いきおい道端のノコンギクやハギ、ワレモコウなど秋の草花に関心を引かせては、登路の難儀さを紛らす手法も取りながら距離を稼いだのだ。

 さぁそして東門からだらだら登ることおよそ1.6kほどで森が開け、露岩と草地の丘に到達。数組のグループがすでに陣取っており、金井山北方全域を見渡す絶好のビューポイントに踊り出たのだった。目の前には露岩が点在する草原状の稜線が北方の高みへ至り、小ピークから延びる顕著な稜線上には城壁が連なって第3望楼へ至り、更にアップダウンを繰り返して奥の岩峰へとつづく景はミニ万里の長城”の趣十分である

 そしてその城壁・山稜の奥に頭を少し覗かせているのが、この山塊の最高峰・姑堂峰(コダンボン)だとくだんのお兄さんが教えてくれたが、この位置からは最高峰に相応しい圧倒的高度を誇るでもなし、ちょこんと遠慮がちに覗かせていると言ったあんばいで、期待していただけにいくばくかのトーンダウンは否めなかった。

 とそれはともかくこの山塊の象徴的な景であることに違いはなく、登高意欲をそがれる訳ではなかったし、そもそも500〜600mの稜線の背後に802mの最高峰が顔を出しているだけなので、屹立したイメージを抱く方が無理と言うものだろう。むしろこの点景の秀逸さは松林や草原上に点在する花崗岩と連なった城壁の組み合せによるものであって、なるほどその意味では日本の山とは趣を異にして余りあるのだ。

 一方でカミさんの安堵した表情も見逃せない。「しっかり最高峰も城壁も見渡せたし、よくここまで来たよ!」と「もう登らなくていいよね、ヤレヤレ!」が重ね合わさった安堵感なのは言わずもがなであろうが、何はともあれ、なだめすかし作戦が功を奏した末の秀景だったので、もう何も望むことはなかった。(ウソだぃ!)

    
   ミニ万里の長城の景。中央奥が最高峰の姑堂峰     

 とマァ慌しくも充実した釜山一泊の旅も、そろそろお開きとしたいが、当然次回は残った金井山のハイライト部分(東門〜北門〜姑堂峰)の踏破は外せない。特に最高峰・姑堂峰から東莱、洛東川(ラクトンガン)東西両側の眺望と、南へ延びる主稜線上の城壁を眼下に収めずして金井山トレッキングは語れないし、澄み切った秋空の下、できれば紅葉の時期に登頂のチャンスを伺っている。もっとも手軽な海外旅行とはいえ、今やいっぱしの韓国通となったカミさんのサポート(渡航手続きや通訳)抜きには難儀だし、彼女にも頂を踏ませねばとの思いも強い(その気にさせるのが第一関門だが...)。そしてさらには釜山近郊の嶺南アルプス(※3)や慶尚南道の盟主・智異山(チリサン)にも、と淡い計画も温めているが、ちょっと、やっぱり当分の間、通訳嬢?のご機嫌を損ねてはなるまいね。

(※1)釜山市界隈で最もメジャーな山。市北部、地下鉄1号線が地上に上がる東莱(ドンネ)駅から梵魚寺(ポモサ)駅に至る西側一帯の山域を指し、釜山市民が週末になれば家族で訪れるトレッキングのメッカでもある。この山には韓国最大の城壁が築かれており、金井山と言うより、金井山城(クムジョンサンソン)として広く紹介されている。この山城、建立時期は明らかでないが、城郭や門の模様から見て新羅時代に外敵から守るために、初めて作られたと見られている。現在残っている山城は「文禄慶長の役」で多くの被害を受けた後に、避難と抗戦を目的に、再度建て始められ、朝鮮時代に完成したと言われている。その後、旧日本軍により破壊されてしまったものの、1972年に東門と南門、1973年に西門、1986年に北門を復元し、現在も復元作業が続けられている。
(※2)二日目、宿に14時までには戻っておかなければならず、カミさんと一緒では時間切れで諦めざるをえなかった。しかし単独行なら梵魚寺の登山口から北門経由で最高峰・姑堂峰を往復し、北門〜東門〜南門と主稜線を縦走。金剛公園へ下山して約15k、早駆走なら4時間もかかるまい。ゆえに早朝出立なら十分可能だったが、「留守番しといて」なんて言える雰囲気じゃなかった!
(※3)おゆぴにすとHPの「お便り欄」参照 07年5月2日〜6日まで加藤会長率いる日本山岳会東九州支部隊一行が、嶺南アルプスの6山に3日間かけて登ってきた。06年の9月に韓国山岳会ウルサン支部の人達が九重に訪ねてきたお返しの山行で、4日間日韓交流ができ、初めての韓国の山を楽しんできた。〜後略〜
(金井山トレッキング コースタイム)
9/13 西面(宿)8:06⇒(タクシー)⇒金剛公園正門8:22→公園内山麓駅8:30 50⇒(ロープウェイ)⇒山上駅8:58→南門9:17 21→東門9:58 10:03→展望ポイント10:32 44→東門11:08→山城村11:20⇒(タクシー)⇒地下鉄東莱駅東口 東莱ハルメパジョン(昼食会場)11:45  歩行距離 約8k
(平成20年9月12〜13日)

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