おゆぴにすと三銃士、大雨のち快晴の津和野に出没!の巻    
                                          栗秋和彦

 門司をベースにおゆぴにすと三人衆で長門、石見の山をやろうということになった。とは言っても既に出立して本州へ渡った時点でも目的の山は定まらず、候補として十種ケ峰(989m)や青野山(908m)、或いは薊(アザミ)ケ岳(1004m)など国境の山々の名前が上がったものの、取り敢えず国道9号を徳佐、津和野方面へ目指し、後は成り行きにまかせようとの思い。つまりは行き当たりバッタリの山旅が始まったのだ。

 で先ずは高曇りながらも暖かな午後、山口市内の遊興的スポットをひととおり巡った後は、高瀬兄の推奨する奥湯田温泉に浸ってから津和野入りをしようと目論んだ。聞きなれない温泉地だが、市の東端、国道9号を外れ荒谷ダム方面へ2Kほど入った丘陵地帯に建つ立派な建物、山口ふれあい館がそれ。して時は暮れなずむ午後5時33分に門をたたいた。ところが営業は午後6時まででセーフだったが、入場は5時半までの規則とある。まぁしかしこちとらは豊後の国からわざわざ来て頼み込んでるんだぃ、何とかならないのか!と掛け合ってみたが、フロントの古色蒼然とした規則一辺倒頑迷おじさんは、にわかに表情をこわばらせて「前例を作ったらキリがないからダメダメ!」とにべも無い。規則を言われれば抗し難いが、閉館までに出れば可としても、なんらおじさんの負担にはならないし、こんな融通が旅人をして「おいでませ山口」は人情味あふれて良かった、と次に繋がる好印象になる筈である。その意味で公共施設の限界なのか、或いは受付のおじさんが負うべきものかは分からぬが、規則遵守と引き換えに山口の「もてなし度」をえらく下げてしまったと見るのは筆者一人、いや我々三人だけではなかろう、と思うのだ。

 さてそうは言っても憤ってばかりいては旅の本質を見逃しかねない。温泉一つ入れなかったぐらいで動ずることなく、先ずは津和野界隈で今宵のねぐらを探すことが肝要であった。ならば先ほどのうっぷん話などに花を咲かせながら漆黒の国道9号を東進して行ったのだ。ところが徳佐を過ぎたあたりからフロントガラスをポツンポツンと濡らすイヤな落下物が。「おいおい、今晩予報は晴れとは言わずもせいぜい曇りだったよな」「なぁに、気まぐれな通り雨だよ!」とこの時点ではまだ先々を楽観視していたのは確かだ。お互い、何食わぬ顔での呟きでやり過ごしたつもりだった。しかししかし津和野の町が近づくにつれ、その頻度は確実に増し、山深い国境トンネルを抜けると、そこはワイパー全開の世界と化して、天幕露営旅行者には無情のシチュエーションが待っていたのだ。「あぁこんな筈ではなかったぞ!」「雨男は誰ぞな?」などと口走っている場合ではなかったが、劇的天候変化に我が繊細憂い心は大きく乱れたのであります。

 で漆黒の天空から間断なく降り注ぐ冷雨を浴びつつ、閑散とした津和野の町並みを巡った。つまりは駅の待合室やバスの停留所小屋、公園の東屋、神社の境内、果ては津和野川に架かる橋の下も選択肢に入れてのねぐら探しだったが、望みは適わず。思い切って森鴎外の旧宅の軒先は借りられんじゃろか?などと苦しまぎれの発言が出たところで、振り出しの津和野・道の駅なごみの里の駐車場に舞い戻ったのだった。

 「あぁ、しからばねぐらは車の中じゃわ!」との挟間長老の一言で、事態の深刻さが現実のものとなったが、その実、「やっと落ち着けるぞ」と不思議な安堵感も見え隠れしたようにも思う。胸中は複雑だが、腹も減っては現実的妥協の途を取るしかあるまい、との結論だったのだ。

 そうと決まれば荷物は極力、前席に追い遣り後部シートと荷台をフルフラットとして、急場の宴会場をこしらえるのが急務だ。どうにか三人が座れるスペースを確保し、窮屈ながらも雨音を伴に非日常の極みの宴会は、想像以上に愉しく、時の過ぎ行くのも速かったような気がする。まぁしかし問題はこの後、難民キャンプと見まごうこの車内でどうやって大人三人が寝るのか、長い夜になりそうな気配はすこぶる濃厚であったぞ。
            
 翌11日、未明まで屋根を叩き続けた雨も、黎明とともに上がり、確実に天気は快方へと向かった。自由に外へ出れることの有難さと窮屈さからの解放は、たとえ寝ぼけまなこであっても胸躍り心和ませるに充分だ。ならば昨夜、煮炊きできなかったうっぷんを晴らすべく、屋外でのキムチ鍋朝食小宴会を張り、気勢を上げたのだ。つまり昨夜の「こんな雨じゃ、山なんか登れねーよな!」が一転、ガスの切れ間から陽も拝みつつとなれば「今日は十種ケ峰を皮切りにこの辺りの山は総なめだぜ!」と三者揃い踏みの転向はトーゼンのこと。まぁしかし第三者が見るにカラ元気とも受け取りかねない雰囲気だったろうが、ホモサピエンス・ヒト科の本性は周りの環境に左右され易いんです、きっと。

     
         朝食小宴会はバーベキューガーデンを拝借           なごみの里から仰ぎ見る青野山

 そこで先ずは長門富士の異名を持つ十種ケ峰を目指して、萩へ繋がる通称、つわぶき街道を北上した。するとすぐ左手にひときわ高く、うっすらと冠雪した彼の山の稜線が垣間見え、大いに登高意欲をかきたててくれたのだ。しかし登路は国境を長門の国へ回り込み、国道315号へ渡った後、十種ケ峰スキー場の案内板に導かれて間道を北面から攻めるしか予備知識はなく、忠実に駆け上って行ったんであります。すると積雪0のうらびれたスキー場をくねくねと横断しつつ、あっと言う間に高度を稼ぎ頂稜の端部に位置する登山口に到達。この高度になると周りもうっすらと冠雪。ここから眺める山頂部はより雪深くは見えるものの、丘の如く至近距離で横たわっているだけ。「それもその筈ここは既に標高820m!」とはGPSモバイルを扱う挟間長老の弁であったが、時間にして20分ほど、標高差170mの緩やかな尾根を詰めるだけの楽チン登山にしかならなかった。

            
                     山頂ど真ん中には周りの山名の入った方角板がある

 それでも20〜30cmの積雪を踏み分けて辿り着いた草原状の山頂からは360度の大パノラマが広がり、長門、石見の山々を欲しいままに眺められたが、いかんせん疎遠の地ゆえ、識別できたのは東南角にこんもりとお椀を伏せたように佇む青野山ぐらいか。となるとあの山の北麓が昨夜彷徨した津和野の町で、難民キャンプ?はあの山カゲあたりか、などと思い巡らすのがせいぜいで、ちょっと淋しかったなぁ。

  国道9号、徳佐を過ぎた辺りからのりりしき十種ケ峰

 さて十種ケ峰からひとっ飛び、ところ変わって津和野の山間地は笹山集落(標高450m)に出没した理由は青野山登山だ。この集落、ポツンポツンと数軒点在するだけののどかな山里の趣だが、その外れが登山口で道路脇の小ぶりな鳥居が目印だ。でこの山は先達者たちの記録(ホームページ閲覧)によれば、登山口から100m毎に距離表示があり1300m、所要50〜60分で標高908mの山頂に至るとある。よって標高差458mを1.3kで登ることになり、「100m進むごとに35mづつ高度を稼ぐのか、ふむふむ分かり易いな」とここまでは単純計算の数字を思い浮かべるだけである。しかしよくよく反芻して見るとこの数字、短いながらも登山道の斜度としてはけっこうキツイぞ、と思い出るし、実際に登り始めると急斜面が延々とつづき、身をもってその難儀さが分かったのだ。

 
 一方で先頭を行く高瀬兄は持ち前の馬力を発揮し、「クリさん、山頂までは30分で登るぜよ!」と豪語するほどズンズンと突き進むし、背後からは血気盛んな長老殿がビデオカメラを操りながら追い立てるわで、若輩者の筆者は必死に食らい付くだけで精一杯だったのだ。そしてうっすらと冠雪した山頂には40分ちょうどで到達。斜面が緩やかになって気が安らいだのは最後の50mほどしかなく、それほど滑りやすく一気に登り詰めた登路だったが、下部の200mほどが杉の植林地だった他は、カエデ、コナラ、アセビ、クリなどの自然林に囲まれて、この山の自然力は評価に値しよう。まぁしかし団塊世代の申し子である二人のパワーには恐れ入ったなぁ。苦しまぎれに言ってしまえば、この世代おだてるとすぐ図に乗ってくるので、口には出さずじまいだったが、フーフー辛かったぜ。

                
                 青野山の登路、短いながらもただひたすら登るのみ              


             
                         山頂でひとやすみ

 でお決まりの山頂描写は?となると、特筆すべきものは何もなかった。と言うのもほぼ全方位で自然林が視界を遮り、眺望はままならず。ならば時は昼どき、せめて山頂での昼食小宴ぐらいは楽しもうよ、と考えるわね。しかし煮炊きの適わなかった昨夜は、この日の行動食をつまみに車内宴会と化したので、この場で頬張るべき兵糧が全くなかったのだ。となると今回食当を仰せつかった筆者に対して、この超効率的食料購入実態の隘路を指摘されるやも知れず、思わず「低山彷徨に行動食などいるものか!」と予防線を張ったりもしたが、おじさんたちもそこまで思い至らなかったのか、話題にならずじまい。密かに安堵しつつも、本論に戻るとこの青野山、登るより周りから眺める方が数段優っていると断言しますね。

 そんなこんなで、結果的には二つのピークハントで登山を終え、残った時間は腹ごしらえを兼ねて津和野観光へ転じたが、団塊二人に攻め立てられた筆者にとっても若干の物足りなさは否めなかった。もちろん「この辺りの山は総なめだぜ!」と出発前の大言壮語は棚に上げても、その歴史の重さや頂からの眺望の良さで知られる津和野城址(348m)はこのチャンスに踏んでおきたかったのが偽らざるところである。と言うのも津和野盆地を挟んで青野山と対峙するこの山城(城址)は、町から直に標高差170mで見上げることができ、まったく近いし、津和野の町並みや青野山の格好の展望台として広く紹介されており、我がミーハー心を揺さぶるのだ。加えて午後からは雲ひとつない快晴にも恵まれ、山城からのクリアな眺めは想像に難くない。しかし一方でこのうららかな陽光は町中をそぞろ歩くにも格好の条件たりうる訳で、結果として易きに流れたのもいたしかたなかろう、思っている。

 中でもガブリエル高瀬が強く推奨するキリシタン殉教の地・乙女峠の重厚な雰囲気は静かな津和野の町にあっても、一種独特な霊験に満ち溢れていたね。山間の清閑な地、よく掃き清められた聖堂と周りの庭園、シスターの物腰柔らかな応対と、ひととき心洗われ居心地のよさが脳裏に残ったが、江戸末期から明治の初期にかけて長崎から流刑され、弾圧の末、殉教した信徒たちの重い歴史は、物見遊山な視点では決してうかがい知れない雰囲気に包まれていたように思う。その意味で同じ推奨事でも奥湯田温泉のうっぷん話とは対極をなし、ガブリエル氏のヒトミ輝く解説にも魅せられたことを吐露しておかなければなるまい。一方で長老殿のご意向を窺えば、「うんうん、この狭隘なる谷間から見る青野山のオッパイのようなこんもり度は麗しいのぉ」とか「おぉ、ここはまるで臼杵の白馬渓みたいじゃ。箱庭の美じゃな」などと、写実的かつローカルな話題でヒトミを輝かせていたが、なるほどそれはそれで仰せのとおりでしたぞ。

 さて旅の締めは山里のいで湯に浸ろう。もちろん一宿一飯?の世話になった道の駅なごみの里に併設の「あさぎりの湯」に仁義を切っての入湯だったが、泉質そのものは無味無臭透明な放射能泉、いわゆるラドン泉というやつで この種の例に漏れず鉱泉(泉温17.1℃)を加熱して循環する。ならば温泉としての魅力はまったく乏しいが、清潔で広々とした浴室や、余分な塀を排し開放感溢れる露天風呂は浸ったまま青野山の全景が眺められるという趣向がウリだ。つまり加熱、循環の湯では、マイナスイメージしか残らない。そこで、立地条件のよさと施設の充実度で何とかバランスを取っているのではないか、とお世話になりながらも、うがった見方しかできないのはおゆぴにすと″としての性″ゆえ、地元の皆さんにはご容赦願いたい。

(コースタイム)
2/10 自宅(門司)15:00⇒車(関門国道T〜下関 I.C〜山口I.C経由)⇒山口市内16:30(ザビエル記念聖堂〜亀山公園〜瑠璃光寺〜奥湯田温泉〜買出し)18:10⇒車⇒津和野・道の駅なごみの里19:30(野営場所を求めて津和野市街を車で探索するも適わず)20:30  なごみの里駐車場にて車中宴会&泊
2/11 なごみの里9:05⇒車⇒十種ケ峰林道終点登山口9:30 40→十種ケ峰10:02 10→(熊野権現社経由)→登山口10:26 34⇒車(徳佐〜国道9号経由)⇒青野山笹山登山口11:21 29→青野山12:09 23→登山口12:54 57⇒車⇒津和野・乙女峠マリア聖堂駐車場13:05(乙女峠マリア聖堂〜津和野駅〜昼食〜安野光雅美術館等を巡る)15:45⇒道の駅なごみの里(津和野温泉)15:50 16:24⇒車(山口市内うろうろ〜山口I.C〜門司 I.C〜都市高速・大里I.C経由)⇒自宅19:08
(同行者)狭間、高瀬                     (平成19年2月10〜11日)
       

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