初秋、久しぶりの邂逅、唐突な奥白根山(日光白根山)
               その行状記
       栗秋和彦

○きっかけはひょんなことから
 転勤で大分へ戻ってから島外への出張は殆どなくなってしまった。支社組織の一員としてはいたしかたなくそれを懐かしむものではないが、出張にかこつけて各地に散らばった同期の連中と連絡を取り合い、近況報告会と称しての酒宴ができなくなったことは痛手である。とりわけ花の都?東京方面は知己も多く、(出張で)足繁く通ったし、いろんな意味で知的好奇心を満たしてくれるところは外にはないので、なおさらであった。(もちろん大都会の人の洪水の中で日常を過ごすことは耐えられぬ。田舎をベースにたまの上京という塩梅がベストである)

 とそこへ会社の水泳部幹事から一本の電話があった。「JRグループ水泳大会が千葉であります。是非選手で出て貰えませんか。土曜にありますから週末は東京でフリーですよ」と。実力で声がかかることなんてなかろうし、曲がりなりにもボクは水泳部の副部長なのでそのあたりからの誘いであることは明白であろう。つまり気楽に東京旅行ができる訳で、特に後段の部分に大いに引かれたのは言うまでもない。早速「OK」の返事を返すとともに、真っ先に取った行動は同期で中央鉄道学園山岳部OBの長谷島、筒井両君の身柄を拘束することにあった。久しぶりに中央の山に登ろうとの企てであって、この千載一遇のチャンスを逃す訳にはいかない、と強い信念でここまでは素早かったが、さてどこに行くかとなると、何にも考えていなかった。まぁ、後は地元の長谷島に任せるしかなかろう。ボクは素直に従うだけである。

○長谷島号、初秋の日光を駆ける
 8日、日曜日早朝 昨夜の祝宴(大会打ち上げ)の余韻覚めやらぬまま宿を出る。水面(みなも)から高みへとキッチリ気持ちを切り替えることが、今週末の非日常を増幅させるポイントでもある。さて長谷島、筒井とはJR大宮駅西口で合流。気のおけない山仲間との久しぶりの邂逅。それぞれに知命(50才)を迎えた訳だが、現役当時の面影をお互いに探っては確認するしぐさに時の移ろいを垣間見る思いがする。またそれ以上に各々の胸の内はまだまだ発展途上の現役だと主張したいに違いない。まぁ、彼等を見るかぎり不惑から知命へと齢を重ねてきたある種の「諦観」などみじんもなく、おもんばかることはなかろう。

 とそれはさておき、ここからは北上すべく長谷島号(車)で東北自動車道に乗ったが、まだ目的地が定まらぬ身では落ち着かないし、それ以上にせわしげに窓をたたく雨に気分はなかなか乗ってこないのだ。つまるところこの空模様では近隣のいで湯でお茶を濁すことになるのか?と半ば諦めかけてのドライブだったが、北上するにつれて次第に雨も上がり宇都宮では薄日も差してきたのだ。う〜ん、天は我らに見方したもうた。ならば長谷島の薦めもあり、日光山系の盟主・奥白根山へ取ろう。何せこの山は日本100名山の一つ、群馬・栃木県境に位置し日光火山群の最高峰はもとより上信越国境以北でも最高を誇る2578mの標高にも引かれたのだ。しかし一方で、ボク自身この辺りの山々は全くの地理不案内である。加えて2500mを越える高峰にこの時刻から日帰りで果たして登れるやろうか?などと不安を感じたのも偽らざるところであった。と、そんな心中を知ってか知らずか、中禅寺湖から戦場ケ原、眼前に聳える男体山、奥に控える太郎山など雄大な奥日光の説明に余念がないのはガイド・長谷島。しかし目指す奥白根山はどこかいな?と質しても、西の山塊を指して「あの辺じゃろ(※1)」と宣うだけで、どうも心もとない。「本当にメジャーなのか、奥白根は?!」と独り反芻しつつ、車は国境の金精峠を越えたのだ。下野(しもつけ)の国(栃木県)を代表する日光山群の盟主をわざわざ上野(かみつけ)の国(群馬県)から攻めようと言うのだから、門外漢にはまぎらわしい。

○菅沼からのアプローチ点描
 さて、なぜ群馬は片品村菅沼からの登路となったかについては、少し煩悶した。見栄を張って充実感を求めればアプローチの長い湯元温泉〜白根沢コースや金精峠〜金精山を経て山頂を目指すことになるが、東京からの日帰り登山ではちと時間的に苦しい。ならば一番短時間に登れるルート(※2)はとなるとこの菅沼登山口であって、もちろんガイド長谷島の仰せもある。距離にして4.5k、標高差840m、2時間50分(標準的コースタイム)と額面通りで山頂に立てるなら軽山行の趣、まさに九重登山の感覚であろう。

 先ずは林道を経て草原状の台地から樹林帯に分け入り、尾根に取り付くと急坂となる。植生はブナやトウヒ、コメツガなどなど。森は深く視界もまったく利かないが、そこそこ明るく適当に緩やかな登路も出てくるので、けっこうリズムよく登れる。一方、日頃の運動不足一番手は筒井君だろうから隊列中央に位置する彼の動きも気になるところだが、そこは昔取ったキネヅカか、付かず離れずの間隔を保とうと努力の跡が窺えるのだ。そしてトリを務める長谷島リーダーはいたって寡黙、もとより無駄口はたたかぬ性格ゆえ当然のふるまいではあるわな。それでも1時間も登ってくると、登路は随分と緩やかになり、森も明るく尾根道を実感させる地形となる。そしてほどなく木道が現れると弥陀ケ池近しだ。さすがに青空こそ望めなかったが、空模様を見るかぎり当面雨の心配はいらぬように思えるし、順調に池畔に達したこともあって皆一様に表情は明るかった。

            
                弥陀ヶ池から奥白根本峰を仰ぐ(頂稜部はガスの中)

○弥陀ケ池の印象、幻灯のごとき頂
 森が急に開けて出くわしたところが弥陀ケ池だ。周囲2〜300mぐらい、静寂に包まれてはいるが底は浅いので、思い描いていた「山上の神秘的な湖」といったイメージとはかなり違い、ひっそりとした水たまりといった感じ。しかし登山者にとっては深い森から開放されたロケーションと相俟って一本立てるに格好の地であり、頂への登路をシュミレートするに相応しい位置でもあるのだ。しかし正面に見える筈の奥白根山はスッポリとガスの中で頂上部は想像するしかない。であれば頂での自慢?の眺望は期待出来ないし、楽しみの半分は削がれたようなものだが、ここまで来てパスする道理もあるまいと休憩もそこそこに山頂目指して出立とした。

 さて池を離れると、すぐにダケカンバ林の急登となり、喘ぎ喘ぎの体。おまけに小雨もパラついてきたので、うっとおしいが雨具を着ての登山だ。しかし雨はひとときで気に病む必要はなかったが、代わってガスのおでましと、せわしげに天候は変わり我々を飽きさせることはない。一方登るにつれ植生も確実に変化し、今度は小ぶりのシャクナゲ(ガイド本によればハクサンシャクナゲらしい)の群落が出迎えてくれる。浅学の至りだが、シャクナゲの類いは九州が本場で、奥日光のしかも2300mを超える高山で自生しているとは思ってもいなかったので、このときはちょっとした驚きを隠せなかったのだ。まぁそれはさておきシーズン中はさぞかし見事な花を付けるにちがいなかろう。そしてこの群落が事実上の森林限界であって、これを抜けると途端にゴツゴツとした溶岩ばかりの急登となり、いよいよ頂稜部が近いことを物語っていた。となるとはやる気持ちは一層高なり、ガスはますます濃くといった塩梅となったが、このようなアンバランスの上で成り立つ登山は我々の人生にも当てはまる訳で、いちいち気にしていたら前には進めない。もちろん登山も人生も途上のガスは晴れて欲しいことに異存はないのだが....。

            
                        弥陀ヶ池畔にて

 でガスの中の山頂一帯はまるで幻灯のように掴みどころのない、一種異様な世界であった。ものの本によれば「山頂は爆裂火口の集合体だ!」と、すざまじき有り様を形容していたが、いくつものゴツゴツとした岩峰群が屹立していることは何となく分かった。ただその全容が見えないので何とも面はゆいし、それよりも日光連山はもちろん、遠くに武尊(ほたか)山、至仏(しぶつ)山、燧ガ岳、平ガ岳、会津駒ガ岳など、上州・会津・越後・足尾の山々を欲しいままに見渡せる筈の眺望(長谷島 談)が削がれてしまったのは、予想されたもののまことに残念であった。しかし本州の高峰を踏むのはは7年前の霞ケ岳〜蝶ケ岳以来である。日頃は低山しか、それもごくたまにしか登っていない我が身にとって登頂の事実は重く、充実感はひとしおであった。先ずはボクのペースに惑わされず、或いは懐古調のよもやま話などに付き合ってくれたパートナーの両君には感謝するのみである。

            
                         奥白根山の頂

○雨も下山路は楽しく
 ガスは頂稜部を含む100〜200mの位置で滞留しているかのごとく、復路くだんのシャクナゲ群生地を抜けると曇天に変わった。せめて頂上もこれくらいなら少しは展望も開けたのに!と悔やんでもしかたないが、往生際の悪い己はやはり悔しい。悔しいと腹が減る。そこで再びの弥陀ケ池では大休止とし、山上のラーメン雑談会とした。青春の多感な時期から途中何回かの邂逅はあっても、激動の四半世紀を生き抜いてきたそれぞれの人生はお互いに話題に欠くことはない。記憶の糸を辿りつつ懐かしみ、現今のしがらみを自嘲しだしたら、立派な中高年エイジ真っ只中を証明したようなもので、時の経るのも速く最後は再び降り出した雨に促されるように下山の途についた。未踏の高峰を唐突に訪れ、その頂を踏む。深く緑々の森に洗われて心和む。そしてこれらを媒体として各々のアイディンティティを確認するかのような語らい。この三つのバランス配分の妙を楽しむがための格好のフィールドが奥白根山だったと下山途上でやっと気がつく始末。「フフフ...。」そう考えれば雨もまた愉しである。

             
                  菅沼(すげぬま)の登山口にて(下山後)

 さて下山後の一点は菅沼登山口から上州・沼田方面へ15qほど下った白根温泉とした。用意周到に定めた訳ではなく、菅沼の茶屋の女将に「白根温泉の加羅倉館(からくらかん)はいいよぉ!」と言われて決めただけで予備知識も何にもない。そしてそこは近年稀に見るシンプルな湯屋であった。と言うのも、だだっ広い脱衣所から透明の開き戸を開ければ、長方形の湯屋の2/3はこれまた長方形の浴槽。流し場は白いタイル、壁は淡い水色の色調で統一されていて、まっことシンプルさを競うならベストな造りであって、まさにその意味では「いいよぉ!」なのだ。加えて温泉は透明の単純泉と泉質まで地味そのものだったが、源泉62℃は日光火山群の一角に位置するだけあってなかなかあっぱれであった。 

(※1)「奥日光に遊ぶ人はすぐ前にある男体山や太郎山に眼を奪われて、奥白根山に注目する人は極めて少ない。中禅寺湖から戦場ケ原の一端に立つと、原を隔てて左手に連なる前山の上に奥白根山の尖端がわずかに見えるが、進むにしたがって姿を消し湯元では全く見えない。だから日光白根山と言っても誰の眼にも親しい山ではない」と深田久弥は日本100名山・奥白根山の項でいみじくも述べている。むべなるかなである。

(※2)機械力に頼れば、1998年末に開通した丸沼スキー場のゴンドラを利用するのが最短コースで労せずして2000m余りまで運んでくれる。

(コースタイム)

上野6:09⇒宇都宮線⇒大宮(長谷島、筒井と合流)6:35 45⇒車⇒中禅寺湖9:05 10⇒車⇒日光湯元温泉9:22 30⇒車⇒菅沼(登山口)9:45 51→弥陀ケ池 11:08 12→日光白根山 12:03 20→弥陀ケ池 12:53(昼食)13:43→菅沼(登山口)14:42 15:05⇒車⇒白根温泉 15:25 16:10⇒車(渋沢駅で筒井下車)⇒さいたま市与野、長谷島邸 19:30                                                          (平成14年9月8日)

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