主な山といで湯 記録  1985.8〜1986.3 

8.10〜11 ファミリーキャンプINひぜん湯
 今年も高瀬、挾間、栗秋ファミリー総勢13名で九重へ。くじゅうヒュッテ主人の伊東安氏の紹介で、ひぜん湯のキャンプ場に落ち着く。昨年の吉部とまた趣が異なり、特に温泉にはいつでも入れて好評であった。例によって屋外での焼き肉パーティに始まり、花火大会を経て子供たちの寝静まるのを待って、筋湯の露天まで足を伸ばす。翌朝、挾間は持参の自転車でひぜん湯〜長者原〜牧ノ戸峠〜瀬の本〜筋湯〜ひぜん湯と一周27kの山岳サイクリングをこなし、高瀬は朝風呂や周辺のジョギングに汗を流し、すこぶる健康的なひとときを過ごした。これに栗秋が加わって余勢をかって未登の崩平山を午前中にやろうと、家族を留守番役にして出掛た。しかし不覚にも登路が分からず、退散の一幕もあり。
 午後は久住南登山口へベースを移し、来る25日の瀬の本高原マラソンに備えて、南登山口〜瀬の本間、約10kの試走を行い、帰途は長湯温泉・国民宿舎直入荘の風呂に浸り帰還となった。本来、家族サービスのためのファミリーキャンプも旦那たちの遊びの裏方ばかりを務めさせられて、と云う“おゆぴにすと”の妻たちの声を、如何にうまくかわすかが今後の課題として残った。
参加者 高瀬・挾間・栗秋各ファミリー総勢13名

8.24〜25 加藤数功遺稿集上梓記念パーティ atひごたい荘&瀬の本マラソン激走!
 父・数功氏の遺稿集「九重山」を自費出版した加藤を囲んで、その上梓記念パーティを九重・ひごたい山荘を占拠して盛大に開催。まず宴の前に挾間、栗秋は明日のレースのトレーニングとして吉部から長者原まで約5kの最後の調整を行う。そしてそのまま加藤とともに牧の戸温泉・くじゅうヒュッテまで足を伸ばし入湯。その頃高瀬は一人で筌ノ口温泉界隈にてオーバーペース気味の秘密練習をやり、明日を待たずに疲労困憊の体。それでもひごたい山荘の夜は例によって放歌喧噪の翌日わたりとなったのは当然でしょう。
 翌25日は早々と筌ノ口温泉にて身を清め、いざ瀬の本高原へ。加藤父娘は真っすぐ帰分し、高瀬、挾間、栗秋ファミリーは応援団を従えての瀬の本マラソン出場なのです。午前10時ちょうど20kの部が409人のランナーによりスタート。アップダウンはあるものの、前半は下り気味のこのコースであれば、復路はトーゼン地獄の道程なり。スタートして1時間39分後、おゆぴにすとチームで先ず最初に帰ってきたのは挾間。約1分遅れで肉薄した栗秋を振り切り、膝の痛みに泣いた今春の仏の里国東マラソンの雪辱を果たした。またいつも笑顔を絶やさないレースを心掛ける高瀬も、今回はやや青ざめた表情で1時間58分余りのゴールインであった。どうもその原因は前日のオーバーペーストレーニングにありそう、と言ったら話は出来過ぎであろうか。とまれ、レース終了後、合流した荒金も含めて帰路は筋湯のうたせが定番。心地よい汗を流し、完走した充実感を土産に帰分。
参加者 高瀬・挾間・栗秋各ファミリー、加藤父娘、荒金

9.1 猪群山から真玉温泉
 JAC東九州支部の山湯行として実施。案内役は県北の山々をテリトリーとする挾間としたが、傍からみるとちょっと心配か?
参加者 加藤、姫野、荒金、挾間

9.14〜16 連休は糸の切れた凧のように九重・雲仙・天草と遊びまくるの巻
 14日夜、“おゆぴにすと”第3号発刊を記念して牧ノ戸温泉・くじゅうヒュッテにて宴会を盛大に開催。加藤、挾間、高瀬、栗秋、宮崎、荒金、平野(アドバンス大分特派)、平治らに主人の伊東氏も加えてヒュッテの夜は不夜城と化す。で宴会本番の食卓に上がった九重ならではの美味珍味の数々は....、ささなば、鮒の煮付け、岳梅、ワラビ、ゼンマイ、ウド、高菜、シイタケ飯などなど。一方、飲み物も豊富でビールに始まり、黒糖焼酎、六調子、はたまた方向違いではあるが、ジュースも含めて、喉は「ゴックン」、お腹は「ダブダブ」、目は「うつろ」と三拍子揃ったところで、ようやく午前2時。お開きの時刻と相成った。
 翌15日は朝食前に高瀬、挾間の二人組みは黒岩山でご来光を拝み、他はヒュッテの朝風呂に浸りつつ、三俣山に当たる燭光を仰ぐ。そして本日の行動は三々五々なり。加藤父子、宮崎、荒金は長者原で藤原一族と合流し中岳へ。挾間、平野はそれぞれ家路へ。そして高瀬、栗秋は雲仙・天草へ山といで湯を求めて旅立ったのです。本文参照。
参加者 加藤父息子、挾間、高瀬、栗秋、宮崎、荒金、平野

9.22 佐賀関半島をグルっと一周サイクリングの巻
 天草トライアスロン完走(上位入賞?)を目指してのトレーニング物語だが、もちろんいで湯入湯も目的の一つなり。大野川河口にかかる臨海有料橋を自転車のスタート&ゴール地点として臨海道路を東進し、坂の市細から国道197に入り、海岸線を眺めながら佐賀関〜佐志生までまっしぐら。黒島を目前にした佐志生海岸で高瀬は一人悠々遊泳と洒落込む。再びバイクに跨がり熊崎へ出て、半島横断ルートを標高400mの御所峠を目指す。途中、藤河内にある六ケ迫温泉・しらさぎ荘にて汗を流すのは“おゆぴにすと”の務め。で、峠まで長い上りの喘ぎも別府湾を臨みながらの豪快なダウンヒルですべて帳消しなり。グルッと一周、60km、2時間20分のサイクリング入湯ツアーでした。
参加者 高瀬、栗秋

9.29 佐賀関半島をグルっと一周サイクリングの巻その2
 先週の快走に味をしめた高瀬、栗秋は再び同じルートを激走しようと、挾間が操る伴走車を従えてトレーニングに励んだ。今回は佐賀関南岸の白木浜で約1kのスイム練習(三人とも)を行い、天草での本番に自信(?)を深めた。
参加者 挾間、高瀬、栗秋

10.12〜13 JTS天草出場と海のいで湯ツアー
 “おゆぴにすと”三銃士の日ごろの練習の成果をメジャーな大会で発揮しようと、12日午前4時20分大分を出発。一路、天草を目指す。加藤会長も一緒である。途中、三角半島の金桁温泉で朝湯につかる。これも“おゆぴにすと”の必修メニュー。「山のいで湯行脚」で美坂氏はこの湯のことを「素朴な田園の湯、風呂場は茶色に染まった古いタイル貼りで共同湯を兼ねる。宿は細長い木造二階建、長い縁側の雨戸、一・二枚を閉めたり、開けたり....」とことのほかお気に入りのようだが、現在では改装されて立派な旅館に生まれ変わって、ちょっと残念。昔の素朴さは薄れけり。湯は含炭酸鉄泉18度を加熱。 
 さぁ、いよいよ天草・本渡市へ。市内に入るとやたらロードレーサーに乗った若者が目につく。少しずつ気分が高揚してくる。受付を済ませて宿を決め(ムフフフ...我々はいつもテントや山小屋泊まりではないのだ)、ランコースの試走とバイクコースのおさらい、並びに概要を知らない挾間のために、車で通詞島まで往復40kの下見を行う。でコース全般にわたり試走者が目立ち、それも皆いかにも精悍そうないで立ちである。あぁ、明日のレースの完走(勢いがだんだんトーンダウンしてくるのは否めない)を祈念するのみか?
 翌13日、降ったり止んだりのあいにくの天気もスイムスタートの本渡海水浴場へ着くころには穏やかな初秋の日和に。スイムコースは浜から一直線に沖へブイが連なり、適当な間隔に船を配しているので一目瞭然。それにしても沖合750mがブイの先端であろうが、はるか彼方の観である。で大観衆を背に、上空にはヘリが舞い、船上からはテレビカメラが回る臨場感はすごい。そして戦慄にも似たキンチョーをもって午前9時半、336人が一斉にスタートと相成った。“おゆぴにすと”チームの三人は各々のスピードで、適当に海水も飲み、誰とは云わないが時折ブイにもつかまりながら、宮古島の海を想いつつ、また沖の波の高さには恐怖に苛まれながらも無事、天草海から生還を果たした。さて、着替えの時間ももどかしく次のバイクへ。天草島の天気は変わりやすく、途中から雷雨になるも、公道を完全に交通規制してのレースだから走りやすいし気分は最高、交差点で徐行する必要もないし沿道の声援も心強い。40k目一杯の走り、まさにトライスロンの真っ只中の実感であろう。で、最後のラン10kはさすがにしんどい。特に殉教公園の上りは何だ!急斜面を喘ぎ喘ぎ、まさに登山の如く。あぁこれもトライアスロン。そして感動のゴールを描写してみよう。先ず栗秋は宗猛ばりの表情で息も絶え絶え(2時間46分46秒、総合98位)。つづいて挾間も形相を変えて(3時間11分03秒、239位)、そして高瀬はニコニコしながら本大会女子出場者中美人No.1と云われる峯尾悦子女史(日本人女史3位)と同時にゴールイン(3時間14分58秒、253位)。ゴールの際、手を握っていたかどうかは群衆にまぎれて不明であった。
 帰途、天草上島東北端の松島温泉・ホテル天松にてそれぞれのレースを振り返り、完走の実感をかみしめながら汗を流す。黙々とドライバー兼カメラマンそしてマネージメントに精を出した加藤に感謝!大分着午後8時。こうして40時間に及んだ“おゆぴにすと”遠征は成功裡に終わったが、身内の練習会で目覚めたこの趣味への方向性が、決定付けられたのは間違いなかろう。その意味ではまことエポックメーキングな大会であったと思う。
参加者 加藤、挾間、高瀬、栗秋

10.19〜20 今西錦司先生と共に脊梁の山々に
 本文(今西錦司先生と脊梁の山旅  加藤英彦)参照
参加者 加藤、他大勢

10.27 大船山へ
 大船林道経由で大船山へ登る
参加者 加藤、外数名 

11.3 津江コルムの山旅
 文化の日の晴天率は体育の日と並んで非常に高く、それゆえ晴天の確率からすると特異日と言える。ならばやんごとなき世俗事でもなければ、アウトドアへの誘いは断ちがたく、話はすんなりとまとまる。つまり早朝5時20分、快晴の津江山系への旅立ちである。途中、天ケ瀬温泉の駅前露天に浸り、目指すは怪峰・ハ方ケ岳(1052m)である。日田から鯛生金山を経て登山口の山の神へ。登路は谷あり、尾根あり、そして岩峰群を眺めながら変化に富み、楽しいコースである。かなりのハイピッチで山頂まで1時間余。頂からの眺望はすばらしく、阿蘇、九重、雲仙、そして手近には津江の山々と大パノラマを欲しいままにできる。
 帰路は駈け下って30分余りで再びの山の神。さて次なるピークは来た道を引き返し、宿ケ峰峠から30分余りで登れる三国山(994m)をやり、まるで都会の喧噪をそのまま持ち込んだように賑わう鯛生金山で昼食をとる。ここは日田の三春原(うらせばる)から杉木立の山間ルートを縫って造られた、開通間もない 「奥日田スーパー林道」の終点でもあるのだ。迷わずこの林道に入り、釈迦岳(1231m、徒歩5分)に寄る(登る)。
 さぁて、日没までにはまだ時間がある。それでは日田の名峰・五条殿山(834m)へ案内しよう、と栗秋。高瀬、挾間にはピンとこない山名だろうが、「大分100山の一つだよ」と言った途端、すぐ乗り気になってきた。現金なものである。くだんの林道を前津江村田代で降り、高瀬川沿いに日田市へ下ってほどなくの地点から再び山手へ入り、高度を稼ぐと五条殿の開拓集落にたどり着く。ここから歩程30分でせせこましくも不動尊が祀られた五条殿の頂に飛び出す。ふもとの村では防火の神として崇め祀られ、ちょっとは有名なのである。下山後は日田のトライアスリート、橋爪、永瀬らと合流して小宴会。酔い醒ましに再び天ケ瀬温泉に浸り、大分着は翌4日の丑三つ時でした。
参加者 挾間、高瀬、栗秋

11.4 坊ケつるへ
 大船林道経由で晩秋の坊ケつるへハイキング。
参加者 加藤、荒川夫妻

11.16 傾山
 ・・・・・・(編集部註:少しは内容を書いて下され!)
参加者 加藤 

11.17 臼杵石仏マラソンと今年の泳ぎ納め会
 天草以来、1ケ月ぶりのレース。そぅ、マイナーで有名な(?)臼杵石仏マラソンにおゆぴにすとチーム4名が出場。コースは臼杵市役所前をスタート。上浦小学校前を折り返す10kである。この大会がマイナーたる由縁は、
 1.出場者数が少ない(10kの部は全部で200名足らずのエントリー)。
 2.開会式から閉会式まで進行にまとまりがない。
 3.観客が圧倒的に少ない。また沿道の市民の関心・反応がイマイチ。
 4.テレビカメラが一台もきていない!            等々があげられようか。
 そしてそれはともかく、各の力量に応じて完走はトーゼン果たした訳だが、結果は挾間が37分46秒でチーム内ではダントツの1位。以下、栗秋40分09秒。高瀬43分41秒。伊藤52分15秒の順。ファミリー応援団ともども臼杵城址公園で昼食を取り、佐志生海岸へ移動。ちょっと風は冷たいが、今年の泳ぎ納めを海への感謝を込めて数分間敢行(ブルブル)!そしてこの後は六ケ迫温泉・しらさぎ荘で暖まったことは言うまでもない。
参加者 高瀬、挾間、栗秋、伊藤各ファミリー総勢16名

12.29〜30 第4回山のいで湯愛好会ファミリー忘年会 IN鉄輪
 恒例のファミリー忘年会も今年で4回目を数えた。これもそれなりに活動してきた歴史の産物であろうが、場所を2年ぶりに鉄輪温泉・楽々園と決め、華々しく開催!という筋書きであったが、挾間家は父の病床看病に、吉賀家は仕事多忙、伊藤家はかってかかったことがないのに何故か風邪、そして加藤、高瀬、栗秋ファミリーもその一部に風邪引きが出て、オールキャストの参集にはならなかった。総勢10名のちょっと淋しい忘年会とあって酒量も酩酊度も喧噪度もこころなしか低かったように思えた。
参加者 加藤家(3名)、高瀬家(2名)、栗秋家(3名)、自見睦、荒金

12.31〜(S61)1.1 今年も年越しは山のいで湯の原点、九重・法華院温泉へ!
 昨年にひきつづき今年も年越しは九重へ。大船林道経由で法華院温泉は馬酔木小屋に泊まって、ひたすら飲み明かして新年を迎えようという魂胆なり。で大晦日の坊ケツル界隈から眺める風景は稜線に少し雪が認められるだけで、雪山のイメージにはほど遠い。が、日が落ちるとさすがに寒さは一級品となった。夕餉の小屋内で偶然にも、いにしえの山の会の友・首藤女史に会い話が弾み、酒量も増えた。翌元旦は曇天の中、真っすぐ下山。帰路は筌の口温泉で昭和61年最初の湯をつかい、今年も有意義ないで湯に巡り会えますように!との祈念は忘れませんぞ。
参加者 加藤父息子、高瀬、栗秋外2名

1.2 佐賀の名山「天山」と古湯、熊の川温泉を巡る
 南朝の忠臣・阿蘇惟直の碑を訪ねての山旅。本文(肥前の名山「天山」と古湯、熊の川温泉を訪ねて 高瀬正人)参照
参加者 挾間、高瀬

1.5 障子岳 
 JAC東九州支部山行としての登山。特に記載なし。
参加者 加藤、外

1.11 黒川温泉へ
 ・・・・・・(編集部註:少しは内容を書いて下され!)
参加者 加藤、荒川夫妻

2.9 祖母山へ、追悼山行の巻
 1月13日に逝去した挾間の父・金男氏は少年時代、五ケ所から祖母山へ足跡を印したと言う。未知の世界に興味を抱くことを常とする少年期に父から聞かされて以来、このルートへの興味は彼の脳裏から離れたことはなかった。当然追悼の意味で五ケ所から祖母登山を実現させるべく、機会を模索していたところ栗秋の同行を得て、早々と今回の山行となった。9日未明に大分発。竹田から祖母山系を回り込むように県道を熊本県へ抜け、更に宮崎県に入ってすぐ宮崎県側からの祖母山登山の玄関口となる五ケ所に到着。ここから林道を3kあまり、岳と言う集落まではスリップしながらも何とか車は入るが、先は完全に雪道となり、計画よりかなり手前で車を降りるハメになってしまう。更に林道を4kほど詰め、北谷登山口着。目指す祖母山の沢筋から稜線にかけては真っ白で久しぶりの雪山に胸踊る。途中、千間平から国観峠にかけて積雪は30a程度。クマザサが雪の重みで倒れ、歩きにくいことこのうえもなし。それでも快晴の山頂には11時過ぎ到着。岳集落から3時間20分余の所要であった。下山後、ウェストン碑があり、祖母・阿蘇・九重の眺望がすばらしい三秀台に立ち寄る。ここからの祖母山は特異な岩峰を頂に持つ筒ケ岳や威風堂々とした山容が祖母山に優るとも劣らない親父岳を従えて、指呼の距離に望まれる。96年前の晩秋にこの地から同景を仰ぎ見たウェストンの喝采が聞こえてくるような気がしたのだ。帰途、期待はしなくとも竹田の十角温泉に寄ってみたが、やっぱり留守か、応答なし。長湯温泉へ転じ、国民宿舎・直入荘の湯でやっと汗を流した。
参加者 挾間、栗秋

2.11 ひょうたん温泉のうたせでは膝は治らない?!の巻
 高瀬は昨年の暮れ、ランニング中に痛めた膝の状態が思わしくなく、いよいよシーズン(トライアスロン)を迎えるにあたり若干焦りを感じはじめた。何とかよくなる方法はないものだろうか。このままでは俺のランナーとしての命は終わりだ!(大袈裟な)
 と、その時あの有名な「筋湯のうたせは筋によく効くホントの話(おゆぴにすと創刊号に掲載)」の著者、栗秋を思い出し教えを乞うた。で「ただひたすら打たせなさい。信ずる者こそ救われる!」ということで鉄輪のひょうたん温泉のうたせへ馳せ参じ試みたが、結果は芳しくない。高瀬の苦悩はまだまだつづく。(筋湯までの道程をケチって別府で済ませようと考えた魂胆が悪かったに違いなかろう....影の声)
参加者 高瀬、栗秋各ファミリー

2.11 高崎山より挾間町に湧く海老毛温泉へ
 アドバンス大分の原稿取材のための山湯行
参加者 加藤

2.16 別府アルプス縦走が伽藍、雛戸山登山に変わった理由は?の巻
 計画は非常に魅力あふれるものだった。霧氷きらめく鶴見山から雪煙舞う内山を経て、早春の陽光きらめく伽藍岳へ。帰路、塚原温泉の湯に身を任せ、名物の猪鍋をつついて酒を酌み交わす。このシナリオのライターKとこの計画に飛びついた者4名、計5名で先ず堀田の荒金邸に終結。ここから見上げる鶴見連山は雪雲に覆われ雪深く寒そう。帰路の交通の便を考えて、塚原に車を一台置きに行こう、と言うことになり全員で先ずは十文字原経由で塚原へ。このとき凍てついた山嶺を間近に見て、「こりゃあ、難儀やなぁ」との意識が刷り込まれた“おゆぴにすと”たちには、既にこの時塚原温泉の猪鍋しか頭にはなかったのだ。そして塚原高原の雪道をスリップしながら上るにつれ、この考えは決定的になった。
 「ここをベースに伽藍岳へ登って塚原温泉でのんびりしようや」と重鎮・加藤の発声にみんな無言の了解である。膝くらいまでの新雪を分けて小1時間で伽藍岳の頂へ。1045mの山頂から見る塚原高原の雪景色はポエムなり。で西方へ目をやると立石山(1059m)の手前に小さなピークがあり、地図から判断すると雛戸山(ひなどさん 831m)らしい。みんなまったく知らない山だ。下の雛戸集落から簡単に登れそうだからやろう、と声が上がり半ば強制的に主旨了解と相成った。思い立った時、登らなければ永久に忘れてしまいそうな山だからである。で塚原温泉はどうなったか、というと離れの湯小屋しかやっておらず、しかも湯量は少なさそうだし、寒々とした旅館を前にして猪鍋の期待もしぼむ一方である。「ままよ、一気に雛戸山だぜ!」となった次第。それから更に1時間後、直登ルートでかなりアルバイトを強いられた、かの山の頂は何の変哲もないところ。周りは茫漠たる雪原のみであった。で逃げた猪鍋を思いつつも腹を空かせて湯布院へ駈け下り、亀の井別荘の湯で暖まり、玉の湯で昼食小宴会にありついたのは午後2時半を過ぎていた。しかし“おゆぴにすと”たるものこれしきでは終わらず、山越えで別府へ戻るや鉄輪の神丘温泉・泥の湯に入湯。ワイルドさでは負けてはいないが、ちと仕上げの湯としては馴染まなかったか?。
参加者 加藤、挾間、栗秋、荒金外1名

3.2 県南の山巡り
 陣ケ峰、仙崎山、尺間山へJAC東九州支部の山行
参加者 加藤、大平、荒金

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