主な山といで湯  1984.7〜12  ―― 記録 ――
7.21〜22 「おゆぴにすと」創刊号発刊記念集会の巻
 我が会の機関誌「おゆぴにすと」創刊号の発刊を記念して、庄内町・阿蘇野の白水温泉黒岳荘にて盛大に挙行した! 例によっての宴となったが、加藤と吉賀はファミリーでの参加だったので、夏休みでも黒岳荘は比較的静寂な宿ながらも、この一角は騒々しくなる。翌22日は加藤一族、挾間、栗秋で庄内町の盟主・花牟礼山(1170m)へ。放牧場を突っ切り、概ね草原状の斜面を詰める登山となった。で、このピークには思いもかけず四等三角点があり、今西錦司翁の域に近づいた(?)加藤は大喜び。帰途は吉部経由で由布院温泉は岳本共同湯に入湯。
参加者 加藤&吉賀ファミリー、挾間、高瀬、栗秋 

7.28 卑弥呼の里の伝説の山・竜王山と周辺の湯、更にへびの湯へ
 地元、挾間の案内で久しぶりに県北の湯を巡る。宇佐温泉は新興の温泉。JR宇佐駅近くのR10沿いにある割烹「みずほ」がそれ。店の本意は宴会の客寄せかも知れぬが、きれいな浴室、湯浴みだけの我々に対してもマァマァの対応。よし、及第点としよう。さて次なる院内温泉は老人憩の湯として、宇佐郡院内町上余に今年4月4日にオープンしたばかりの新興の湯である。町外の者はまだあまり知らないだろうね。で安心院温泉にも浸りここで挾間親子と別れる。帰路の道程を眺めると、東椎屋の滝にも寄らなければなるまい。そして圧巻は別府に転じての秘湯中の秘湯、内山渓谷の森の真っ只中、天然露天の「へびの湯」へ。沢のへりに2〜3人入れる程度の湯壷があり、上流の湯の噴出点からナメを伝わってこの浴槽(?)に流れ込む仕組み。40℃の単純泉が心地よい。貴重な一点を稼いで何か人生の大きな得をしたみたい。
本文参照。別府・内山渓谷のへびの湯詳報は「別府のとっておきの秘湯二選」参照
参加者 加藤、挾間&壮史(息子)、栗秋&純子(娘)

8.4〜5 ファミリーキャンプIN吉部
 挾間、高瀬、栗秋各ファミリー総勢13名で九重・吉部のバンガローにてキャンプ。ひとしきり子供たちの喧噪が続いた後、寝静まるのを待って、親たちは夜の湯巡り。先ずは筋湯の露天風呂へ。誰も先客がいなかったので奥方たちのたっての希望で混浴となる。そして更には筌の口温泉まで闇にまぎれて遠征し、翌未明の帰還となつた模様。5日は大岳温泉・三光苑の露天風呂へ。ここは昨年のアドバンス大分10月号に我々メンバーの入浴シーングラビアでデビューを飾った懐かしいところである。で、ここの温泉プールが子供たちの目的なり。帰途、由布院温泉・亀の井別荘の湯で総仕上げ。家族サービスの務めも大いに果たしたものとお父さんたちは思っているぞ。  
参加者 挾間、高瀬、栗秋各ファミリー

8.11〜12 再び九重は吉部へ
 吉部の草原でキャンプ。加藤一族は久住山登山を終え、夜はキャンプファイヤーの後、筌の口温泉入湯。翌12日、栗秋父娘は串野温泉経由で日田へ。加藤一族は帰分。そして高瀬は独り満願寺温泉へブラリと遠出。満願寺のひなびた温泉旅館の夜は素敵だったそうな。
参加者 加藤&平治(息子)、功輔(甥)、高瀬、栗秋&純子(娘)

8.17〜18 山荘建設を熱っぽく語った吉部の夜
 久々に帰郷した関東浦安支部の松田ファミリーを迎え、三たび吉部へ。山荘建設を具体化すべく素案を練った後、深夜加藤兄弟と合流し筌の口温泉へ。翌日は加藤兄弟、高瀬、松田ファミリーは大船林道経由で法華院温泉入湯。
参加者 松田、加藤、加藤兄、高瀬各ファミリー、挾間、

9.1〜2 法華院温泉にて初秋探訪の宴開催!
 会社の同僚との登山会。長者原からすがもり越経由で法華院は馬酔木小屋泊。露天風呂にてススキを眺めながらの缶ビールが宴の序盤戦。もちろん小屋内での本戦は大いに盛り上がったが、これは言わずもがな。翌2日は烈風の中、大船山登山。下山ルートもすがもり越を採り、すがもりの湯(硫黄の湯)に寄ったが、突如、頑丈な木枠で造った浴槽がゴーロ状の河原にポツンと置かれていた、と云うよりもドーンと出現していたのだ。そして20mぐらい上流からゴムホースが引かれ、適温の湯で満たすしくみとなっている。実はこの浴槽はすがもり小屋の主人が手間暇かけて設けたものらしい。当然、湯船造りのスコップ持参入湯スタイルは解消し、便利になった反面、その分ナチュラル度合いが減ったことも事実。何となく複雑な心境を吐露してしまおう。帰途、由布院温泉・岳本露天にもしっかりと入った。
参加者 栗秋、伊藤、他2名

9.1〜2 雨にたたられた、つくば臨時支部開設山湯行
 9月〜11月初旬までの2ケ月間長期研修のため、つくば学園都市の住人となった挾間と、この5月より大宮支部を開設した鈴木の両名で奥多摩の名山(日本百名山の一つ)雲取山2018mに登頂した後、三条の湯に浸る。初秋の東京都最高峰は終日雨。濡れた身体に硫化水素泉が心地よい。東京近郊にこれほどの深山とひなびた山の湯があることは驚くばかり。
参加者 挾間、鈴木

9.8〜9 再び雨の秩父山行
 前回同様、関東両支部合同で両神山を目指すも大雨のため登高を断念し、秩父七湯の一つである鳩の湯に入湯。
参加者 挾間、鈴木

10.13〜14 あこがれの蓬峠から谷川温泉
 かねてより一度は行ってみたかった蓬峠に記念すべき足跡を残した後、谷川温泉入湯。(本文「谷川岳行」参照)
参加者 挾間、鈴木

11.1〜2 八ヶ岳連峰と周辺のいで湯行脚
 2ケ月間のつくば臨時支部活動の最後のまとめとして、新雪の赤岳から阿弥陀岳を縦走し、赤岳鉱泉へ。赤岳鉱泉は凍結のため11月以後は沸かさないとのこと。落胆の中、暗く長い北沢の夜道を下り、蓼科温泉郷へ。翌日、一面の銀世界の中、北八ツの主、蓼科山に足跡を残した後、八ヶ岳鉱泉で北関東2ケ月間の垢を洗い落とし皆の待つ大分へ。
参加者 挾間、鈴木

11.10〜11 筑豊の盟主・福智山と周辺の湯を巡る
 高瀬の故郷の山であり、T子を思いたらしめた山(おゆぴにすと創刊号「私の故郷の山・福智山」高瀬記参照)、福智山は筑豊の盟主だけあって、それはそれは筑豊盆地の展望がすばらしい(高瀬談)そうな。しかし11日未明からの雨で、鷹取山〜福智山の全行程にわたり難儀な雨中行進と自慢の眺望はガスでさっぱりのシチュエーション。ただピークを踏んだだけの印象は拭いきれない。ただ雨中にあっても、中腹の紅葉のしどけなさは何か胸打つものがあったね。さて帰途は直方市の西方18kにある脇田温泉と飯塚市郊外の伊川温泉に入湯。そして3ケ所目にと嘉穂郡庄内町の庄内温泉・筑豊ハイツを訪れるも、ここのマネージャーであり高瀬の同級生でもあるおじさんが宣うには「ここは温泉じゃないよ。ただの水を沸かしているのさ」。交通公社のガイドブックにはちゃんと温泉として載っているが、宿の責任者が云うのだから間違いないだろうよ。
参加者 挾間、高瀬、栗秋

11.10〜11 今西錦司氏を迎えて三角点寵愛の旅
 今西氏を迎えて日本山岳会東九州支部の有力メンバーで彼のお供山行となる。現代版水戸黄門の助さん格さん役である。先ずは中判田の本宮山、つづいて三重町の佩楯山、更に南進し宮崎、熊本両県にまたがる霧立越山地へ。波帰の里で一泊し、翌11日は雨の中、向坂山(1684m)の頂を踏む。帰路は阿蘇へ出て、やまなみハイウェーに乗り九重の筌の口温泉でやっと温泉にありつけた。(本文「今西錦司先生との山行」参照)
参加者 加藤、姫野、荒金、その他

11.18 塚原温泉の野天風呂はどこだ!の巻
 「おゆぴにすと」第2号のグラビアを飾るべく、伝え聞いた塚原温泉の天然野天風呂を撮ろうと、高瀬カメラマン、荒金モデル、栗秋見物人の役割分担で出かけるも、あいにくの小雨と濃い霧で写真は諦め、取り敢えず伽藍岳に登った。3人とも意外に初めての頂だったが、登路ともども視界0とあっては、感慨もいまひとつ。一方、野天風呂の撮影は無理にしても入湯は是非貫徹だ!などと、塚原温泉旅館の裏手、硫黄の噴出地点一帯を意気込んで探すも彷徨うばかりでとうとう発見できずじまい。仕方なく先客も誰もいなくて閑散とした共同湯に入ったが、今秋の小雨で湯量が少なく女湯の方は水であった。帰途、由布院温泉・岳本露天にも浸ったが、こちらは老若男女がいっぱいの混浴で高瀬大いにヨロコブ。
参加者 高瀬父娘(菜美子)、栗秋、荒金

11.22〜23 山のいで湯愛好会第3回定期総会 IN ロッジ・滝谷
 奥別府ニュータウンにある大平会員の別荘、ロッジ・滝谷にて開催。今回は急遽、日取りが決まったため、出席者が少なかった。「おゆぴにすと」第2号以降について編集方針の検討がなされ、印刷、製本もグレードアップすること。今後も会費は取らないが、会報発行時に実費に見合った金額を会員から徴収することが合意された。もちろん一泊の行程なので後に控えた宴会の方がどうしても盛大になるわな。奥別府温泉・松の湯入湯。翌23日、加藤一族、荒金組は11月末で廃止となる宮原線に乗りに行った。
参加者 加藤父&息子(平治)、自見睦、高瀬、挾間、吉賀、栗秋、伊藤、荒金 

11.24〜25 津江山系彷徨の巻
 津江山系の鋭鋒・渡神岳の登頂を主目的に先ず24日夕刻、日田郡前津江村の石建峠にたどり着く。細い林道だが、全て舗装道路とはちょっとビックリ。峠のすぐ近く、杉林の中にテントを張る。三週つづいて週末は天候悪しで、外は小雨だが杉の葉の床はクッションよく快適である。小宴会の後、ぐっすりと寝入る。まさにこのクッション性は大地に抱かれている、と言った心地であろう。翌25日、渡神岳(1150m)へは峠から明瞭な登路があり、総じて急峻だが約30分で山頂である。雨こそ上がったものの、楽しみにしていた眺望はガスでサッパリ。往路を引き返し、今度は釈迦岳へ転進する。一旦、前津江の本村まで下り、今度は福岡県境方面への林道に入る。釈迦岳山頂(東峰)にはマイクロウェーブの中継塔が建ち、これの保守用のために車道が延びているので、車を降りてわずか5分で山頂(西峰)と相成る。あぁしかしここもガスで視界不良。雨に逢わないだけ良しとしなければなるまい。して下山後の一点はこの山系からは一番近く荒金、長谷島には未入湯の杖立温泉とした。温泉街の中ほどにある質素な共同湯で冷えた身体を暖め、日田経由で帰分。
参加者 栗秋、荒金、長谷島(会友)

12.8 仏の里のいで湯を求めて
 トライアスロンレース(来春、当会主催で開催予定)出場を目指し、L.S.D.(覚醒剤ではない。Low Speed Distanceの略)トレーニングの一環としてポタリングで宇佐まで流して来た栗秋と、その誘惑に負けた挾間の両名は長洲温泉・潮の湯(重曹泉)に先ず入湯し、次なる国東半島は国見町の櫛来温泉へ。沸かし湯(鉱泉)なので1時間ほど待ち時間あり、その間を利用して半島中央の古い歴史をもつ赤根温泉(硫化水素泉)へ。夕映えの千燈岳が印象的。再び櫛来温泉へ戻り、強食塩の冷泉と沸かし湯に交互に入る。土曜の午後半日で貴重な3点(栗秋は赤根温泉2度目)を稼ぐ。次回、ポタリングがてら千燈岳に登ることをお互いに約して半島を後にした。 
参加者 挾間、栗秋
                              (以上 文責:栗秋、挾間 )

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