主な山といで湯 記録(1982.3〜1984.6)
 会の創立以来、まる2年、大分県のみならず広く九州一円にわたり山といで湯を求めての意欲的な旅が続けられた。今回の創刊号発刊にあたり、これまでの主要な湯行、山行の記録を以下のとおりクロニクル風にまとめてみた。尚、これらの湯行、山行は複数以上の会員によるいわゆる定例湯(山)行であり、この外にも宇佐支部をはじめとして各支部による地の利を生かした個人湯(山)行の数も多く会員の足跡は着実な前進を続け、山のいで湯に関する蓄積も多い。これらを含め後日何らかの形で集大成したい。(文責:栗秋和彦)

’82(S57年) 3.20〜22 祖母山と九重のいで湯
 祖母の頂を踏み、筋湯、河原温泉、串野温泉、壁湯、塚原温泉を巡る。会創立への機運が盛り上がり、今後の方向づけをしたエポックメイキングな山湯行であった。
参加者 高瀬、栗秋、美女二人、その他大勢

5.1〜3 山のいで湯愛好会創立湯行〜九重の湯を巡る〜の巻
 長湯温泉、黒川温泉、涌蓋温泉、一目山〜涌蓋山縦走、更に筌の口温泉、ひぜん湯、白水温泉と久住から飯田高原に点在する山といで湯を拾いながら、娘二人も拾う。直ちに長崎支部を開設する。
参加者 加藤、挾間、高瀬、栗秋、松尾、浜野

.12〜13 九重山開きと会の湯開き
 壁湯、串野温泉、湯坪温泉、筌の口温泉を巡り、吉部草原でキャンプ。夜半からの雨にたたられるも翌日はしっかりと坊ケツルまでハイキング。ついでに法華院温泉は観音堂の湯に浸り、下山後は筋湯も稼ぐ。長崎支部も同行。
参加者 加藤、高瀬、栗秋、宮崎、松尾、浜野

7.4 根子岳と南阿蘇温泉郷
 日の尾峠から根子岳西峰をやり、地獄温泉、垂玉温泉、栃木温泉と南阿蘇の温泉郷は素朴で山のいで湯らしい雰囲気を持つ地域。根子岳での爽快な汗を、点在する温泉が爽快な活力源に変えてくれる。仕上げは南小国の満願寺温泉に浸り、久住高原のあでやかな夕暮れが印象的であった。
参加者 高瀬、栗秋、鈴木

9.15 一日8ケ所入湯のみの巻
 野矢温泉、桐木温泉、はげの湯、岳の湯、満願寺温泉、小田温泉、田ノ原温泉、長湯を稼ぐ。入湯のみを意識して行動。特筆すべきは桐木温泉。宝泉寺と川底地区の中間にある小集落の共同湯で、数件の管理からなる湯小屋は4段式の浴槽に熱い単純泉がなみなみと注がれている。加藤隊長の粘り強い要望工作が実り、入湯可となる。まっこと仙境のごとく素朴で怪しげな湯であった。
参加者 加藤、栗秋、鈴木

10.2〜3 志高湖観月会
 志高湖キャンプ場での観月会は大雨。翌日は快晴。由布院温泉で身を清め、颯爽と倉喜山へアタックしたものの、ヤブコギにヘトヘト。堀田の濃厚な硫黄泉でサッパリ。
参加者 加藤、高瀬、栗秋、吉賀、挾間(観月会のみ)

11.6〜7 山のいで湯愛好会第1回定期総会

 奥別府ニュータウンのロッジ・滝谷にて開催。湯行報告並びに向こう一年間の通常計画案策定が主な内容。で湯の方は鉄輪温泉よりタンクローリーで配送・給湯され、雑木林の中に点在する共同湯がまぶいのである。今回はみはらしの湯、松の湯に入湯。
参加者 加藤、大平、高瀬、栗秋、鈴木、安倍

11.20〜21 長崎支部を迎えて久住〜阿蘇晩秋の湯旅
 久住山南登山口山小屋泊。長崎支部とともに宴をはる。未明に七里田温泉、翌、黒川温泉、垂玉温泉、栃木温泉を巡る。黒川温泉・新明館の露天風呂は紅葉と落葉の世界が秀逸。垂玉温泉の露天も周囲の景観のダイナミックさに於いて最高ではないか。もちろん鮮やかなモミジの林から滝を眺めながらの湯浴みは俗世間をしばし忘れさせてくれるのだ。
参加者 加藤、高瀬、挾間、栗秋、松尾、浜野

12.29〜30 第1回山のいで湯愛好会ファミリー忘年会の巻
 鉄輪温泉・かねこ荘にて総勢21名の大宴会。週末には留守がちである会員諸氏の奥方や子供たちへのサービス会と言ったところか。これで次回以降の山湯行が容易になったかどうかは不明である。
参加者 加藤&塩月&挾間&高瀬&栗秋各ファミリー、自見まこと

’83(S58年) 1.9 新春の日だまり湯行
 長者原から雨ガ池経由で法華院温泉を目指す。下山後、牧ノ戸温泉、筌の口温泉、由布院温泉を稼ぐ。日陰には雪が残るものの、穏やかな陽気に恵まれた法華院ではただひたすらノンビリ湯浴みするのみ。本文参照。   
参加者 栗秋、鈴木

2.11 混浴の深耶馬・早梅温泉
 日頃、疎遠になりがちな県北に焦点を当てる。深耶馬温泉、鴫良温泉、安心院温泉に遊び、帰途亀川温泉と浜脇温泉を稼ぎ仕上げとする。注目すべきは深耶馬温泉のひとつ、早梅温泉共同湯であろう。鬱蒼とした杉林の中、頑丈だが粗末な湯小屋。素朴な山の湯の感。混浴の浴室には一組の夫婦が静かに湯浴み中ではないか。情けをかけ次回に回す。本文参照。
参加者 加藤、栗秋

3.6 組長に仁義を切った生竜温泉
 九重町中村の青野山登山後、壁湯、生竜温泉、湯沢温泉、由布院温泉に浸る。青野山は登路が分からず娘を背負っての登山は予想外に苦労した。次の生竜温泉は宝泉寺の隣。集落の中の静かな共同湯である。村の組長に申し出て入湯の許可を得る。湯沢への途中地蔵原高原は野焼きの真っ最中なり。高原の遅い春がこれから始まるのだ。長者原と吉部の中間に位置する湯沢温泉は湯沢山の直下、一軒家(個人の家)に湧く。知る人ぞ知る秘湯なのだ。本文参照。
参加者 加藤、栗秋&純子(娘)、鈴木

4.3 別府のひなびた湯を求めて
 鉄輪温泉、明礬温泉、亀川温泉、観海寺温泉を稼ぐ。すっかり春めいた一日。先ずは鉄輪温泉の照湯へ行こう。ここは照湯集落の共同湯。原則として住民以外入湯禁止なので仁義を切る。ここは温泉地名を鉄輪温泉に組み入れるのか、独立して照湯と呼ぶのか現時点では不明。整理上、取り敢えず鉄輪温泉とする。観海寺温泉の白湯も一般にはあまり知られていないだろう。観海寺の温泉街から南の山へ急坂を登り詰めた最奥の地が白湯旅館である。近代的ビルが建ち並ぶ温泉街を眼下に見下ろす静かな山のいで湯である。。
参加者 加藤、高瀬、栗秋&純子(娘)

4.16〜17 九重・すがもり小屋へ、すがもり会と硫黄の湯
 九重すがもり小屋にて開かれた、すがもり会なるものに出席し、硫黄山直下の硫黄の湯に発掘入湯。硫黄山直下の沢が温泉となって流れ、スコップで浴槽造りから始めなければならないハイグレードな湯である。更に小松地獄(九大山の家)と大岳温泉(旅館)は真っ昼間ながら管理人が不在で入盗(湯)のスリリングさをたっぷりと味わう。帰途、由布院温泉、観海寺温泉も勢い余って稼ぐ。
参加者 加藤、高瀬、栗秋、大平

5.21〜22 九重・すがもり小屋へ、すがもり会にまたまた出
 九重すがもり小屋にて大宴会の後、ねぐらを求めて三俣山山頂へ。頂の窪地でツエルトにくるまっておやすみ。翌朝、加藤と挾間は硫黄の湯に浸った模様。
参加者 加藤、挾間、栗秋、伊藤、その他大勢

6.5 九重のミヤマキリシマ観賞と別府・堀田の梅狩り祭
 九重は中岳登山。中腹のミヤマキリシマが美しい。帰途、硫黄の湯、筋湯、筌の口温泉を、巡り別府・堀田の荒金宅へ。ここが梅狩り祭の会場である。たっぷりと収穫を楽しんだ後は荒金の紹介で念願の堀田・滝の湯に浸る。朝見川の上流、山の中の清閑な地。蒸気の噴出音と滝の瀬音のみの世界。硫化水素泉の露天。緑に囲まれた桃源郷である。
参加者 高瀬、栗秋、(加藤、大平、荒金は梅狩りから参加)

6.11〜12 九重・吉部キャンプと山のいで湯黄金ルート探訪
 吉部草原にてキャンプを張り筌の口温泉で身を清めて九重山開きに備えるも、未明からの雨で湯行に変更。黒川温泉、山川温泉、奴留湯、涌蓋温泉と山のいで湯黄金ルートの極めつけスポットを巡る。
参加者 加藤、塩月、高瀬、栗秋、宮崎、荒金、古後

6.26 念願の湯山温泉入湯(盗)の巻
 速見郡山香町向野の地蔵温泉に入湯後、安心院経由で別府・湯山集落へ。西温泉組合12軒が管理する共同湯(上ん湯)を覗く。入口には鍵がかかっているが、侵入ルートを発見して入湯(盗)となる。少々熱めの硫化水素泉、浴槽の底は板張り。入湯(盗)の身とてゆっくりする間もなく出ると、すぐに地元のおじいさんが入浴にやってきた。間一髪セーフである。管理組合の皆さんゴメンナサイ。しかし趣のあるハイグレードな山里の湯であったね。 
本文「別府のとっておきの秘湯二選」参照。
参加者 高瀬ファミリー、栗秋父娘

7.31 九重・硫黄の湯へ撮影行
 「アドバンス大分」誌のグラビア掲載のための撮影行として硫黄の湯を目指したが、プロのカメラマンの納得のいく天候とはならず、入湯のみとなる。帰途、寒の地獄、筌の口温泉、野矢温泉、庄内温泉を稼ぐ。
参加者 加藤、栗秋、宮崎、伊藤

8.16〜17 別府・鶴の湯で送別の宴の巻
 塩月氏の静岡転勤に伴い、別府は鶴見霊園奥に湧く鶴の湯野天風呂にて盛大に送別会を挙行。鶴の湯は扇山北麓にある山の中の野天風呂。5〜6月の田の代(しろ)を造るころ自然と湧きはじめ、秋口に涸れるという不思議な湯なのである。別名、田代の湯、或いは大蛇(おろち)の湯とも言う。東京より里帰りの松田も飛び入り参加。この席で静岡支部開設。
参加者 加藤、塩月、松田、挾間、高瀬、栗秋、宮崎、鈴木 

9.11 九重山麓撮影行
 再び「アドバンス大分」誌のグラビア撮影行である。山腹から上はガスがかかり、急遽山麓の大岳温泉は三光園の露天風呂での撮影となる。円型の露天の横には20m弱の温泉プールがあり、ここでボクは全裸のバタフライを披露した。「何かこぅ、丸いお尻が浮いたり沈んだり、妙なもんじゃねぇ」とは平野カメラマンの弁。湯に和むより泳ぎ疲れの感有り。他に筋湯、湯沢温泉、小野屋温泉に入湯。
参加者 加藤、挾間、栗秋、宮崎、伊藤

9.23 由布岳と由布院温泉
 終日高曇りの登山日和。合野越にて全員集合し各々のピッチに合わせて登る。親よりも子供たちの方が元気だったなぁ。帰途、由布院温泉・亀の井別荘に入湯。
参加者 加藤&立川ファミリー、栗秋父娘

9.25 再び九重は硫黄の湯へ撮影行
 三度目の正直の撮影行である。今回は以前2回よりも天気はいい。カメラマンの平野憲ちゃんもすっかりホームグランドといった感じ。モデルは若返りを図り、子供3人にその父兄となった。標高1500mの寂寥の地の手造り温泉のこととて、おそらく純子(3才)は最年少入湯記録を塗り替えたに違いない。
参加者 加藤、栗秋父娘、その他3人

11.2〜3 晩秋の赤川温泉と小国のひなびた湯
 久住山南登山口山小屋に一泊し、翌朝赤川温泉、赤川荘を訪れる。ここは以前、数回足を運ぶも条件が合わず未入湯の湯。大分で残された最後の秘湯のひとつなのである。宿の主人を強引に説得して許しを得る。源泉25℃の屋敷の裏の露天に入るのだ。この季節、泉温はちょっと低いが乳白色の石膏硫化水素泉に身を委ね、紅葉と飛雄の滝を眺めながらの絶景の湯であった。更に黒川温泉から山に入ったところに噴出する雀の地獄も貴重な一点である。ブクブクと吹き出す泥冷泉を絞りかけ入湯方でクリアするワイルドさが良い。そして小国の高原の一角にある寺尾野温泉・共同湯がまたまたすばらしい。きれいな湯がこんこんと湧き、山のいで湯とはかくありなんと言わしめる環境、風情がこの湯にはあった。帰途、壁湯にも寄る。
参加者 挾間、高瀬、栗秋

11.12〜13 山のいで湯愛好会第2回定期総会
 奥別府ニュータウンにあるロッジ・滝谷を舞台に開催。長崎支部を迎え活動報告及び運営計画について議論がかわされた。研究報告として高瀬による「何故、今、山のいで湯か」があった。近くの松の湯入湯。翌日は由布院温泉、篠原温泉、海老毛温泉を巡る。
参加者 加藤、姫野、高瀬、栗秋、吉賀、宮崎、伊藤夫妻、大平、荒金、松尾、渡辺、菅、他1名

12.29〜30 第2回山のいで湯愛好会ファミリー忘年会の巻
 今回は鉄輪温泉・楽々園で盛大に挙行。この宿のよさは露天の混浴にあり。会の趣旨と年令を考えると、おばさんたちは羞恥心を捨てようではないか、と加藤の呼びかけに応じたかどうかは不明。
参加者 加藤&高瀬&栗秋&吉賀各ファミリー、鈴木、自見まこと計16名

’84(S59年) 1.2 新年最初の湯は別府で
 別府・明礬温泉の別府保養ランドの泥湯に浸り、一年の計を立てる。が、この時栗秋家の世帯主と配偶者は風邪を引いており、湯治で風邪は治るものと信じていた模様?    
参加者 加藤&栗秋各ファミリー

1.14〜16 九重から奥別府まで湯浴み行脚の巻
 挾間、栗秋で長者原から雨ケ池経由で平治岳へ登り、馬酔木小屋泊。ちょっと温めの露天風呂も冬に浸ってこそ感慨あり。翌15日、久住別れから牧の戸峠へ下り、長者原温泉で暖まる。季節外れの雨に濡れた身体に心地よい。さて一路、奥別府ニュータウンを目指す。ロッジ・滝谷ですがもり会があり、これに出席のためである。途中、塚原高原の高天原温泉に浸り、奥別府ニュータウンに辿り着いた頃から風雪となる。2日後の50年ぶりの大雪の前兆であった。ニュータウン内に点在する湯小屋の一つ、松の湯入湯。鉄輪温泉からタンクローリーで定期的にもってくる一風変わった湯なのだが、コストのかかっている湯でもあるのだ。
参加者 加藤、挾間、高瀬、栗秋、宮崎、大平、荒金、その他大勢

1.22 大分近郊の未踏(湯)の湯
 久大線向之原駅付近の同尻温泉、観音温泉は、美坂氏の「続・山のいで湯行脚」を見るまで知らなかった。同尻温泉は向之原駅の南側、大分川を挟んで対岸の同尻地区にある個人(坂本毎氏)所有の湯。丁重に断って入湯となる。重炭酸土類食塩泉がちょっと温めだが、まさに穴場の湯であろう。さて次なる観音温泉は向之原駅からR210へ出る途中、挾間川の橋下にあり湯小屋はさびれて現在は使われていない。その傍らの露天(溜め桝のようなもの)に泉温35℃ぐらいの湯がビニール管から溢れ出て、流れ去っていく。古びた柄杓が置いてあり、これを使って浴びろ、ということらしい(と勝手に判断して)が、この季節、しかもまだ先日の大雪でいたるところ残雪が残っているシチュエーションでは気乗りがせず、あっさりとパス。暖かくなったら、浴びせかけ入浴法でこのワイルドな一点を稼ごうぞ。
参加者 加藤、栗秋&純子(娘)

3.31〜4.1 残雪の三俣山彷徨の巻
 3/31、会員の鈴木隆君の結婚披露宴に出席。午後3時にお開きになると、すばやく着替えて九重へ。1.2月の大雪の影響でこの地でも、この時期としては稀なる残雪に心踊る。大船林道経由で法華院温泉馬酔木小屋泊。披露宴の余韻覚めやらぬまま、酒の肴は新郎新婦のいで立ち、ふるまい、言動を話題にすれば充分事足りた。翌4/1はすがもり越経由で残雪豊富な三俣山へ。そしてそのまま縦断して雨ケ池へ道なき道を駆け下った。残雪に滑り、薮漕ぎに労力を使う。帰途は筌の口温泉入湯。
参加者 加藤、高瀬、挾間、栗秋、荒金

4.14〜15 九重・すがもり小屋へ、すがもり会に出席だい
 加藤とすがもり小屋で合流した後、加藤は法華院温泉へ湯浴みに。栗秋親子は久住登山。そして 高瀬は夜合流した。宴会付きであり、娘(栗秋純子)は屋根裏ベッドに大はしゃぎ。トーゼン小屋泊。翌15日、栗秋親子は牧の戸温泉・九重観光ホテルに入湯。浴室は南面が大きな一枚ガラスとなつており、三俣山の全容が窓いっぱいに迫る。なかなかの景観に娘ともども御満悦なり。
参加者 加藤、高瀬、栗秋&純子(娘)、その他大勢

4.22 別府、堀田温泉・蔵人の湯
 高崎山・別院ゲレンデで岩登りに興じた後、堀田温泉へ。荒金の紹介で堀田集落最奥の共同湯・蔵人の湯に浸る。熱い硫化水素泉がなみなみと。4件の管理となる素朴な湯の味わいは格別。人生の幸せはこんなときに感じるもの。
参加者 高瀬、栗秋

4.27〜30 霧島周辺のいで湯行脚
 山のいで湯愛好会第1次春合宿と銘打って霧島(韓国岳〜高千穂の峰縦走)と周辺の湯を貪欲に稼ごうと企画するも、メンバーは減り2人に。更に天候不順で山は登れず、急遽いで湯のみのツアーに変身した次第。えびの高原温泉、林田温泉、湯の谷温泉、関平温泉、手洗温泉、野々湯温泉、栗野岳温泉(以上28日入湯)、吉田温泉、京町温泉、鶴丸温泉、湯之尾温泉、永池温泉、岩戸温泉、加久藤温泉、白鳥温泉、湯之野温泉、新湯温泉(以上29日入湯)、霧島神宮温泉、極楽温泉、湯之元温泉、蓮太郎温泉、阿母ケ平温泉(以上30日入湯)。この三日間で入った湯はしめて22ケ所となった。あ〜ぁ、疲れた。本文「霧島山麓22ケ所のいで湯行脚の巻」参照。
参加者 挾間、栗秋

5.5〜6 鹿嵐、千代丸、酒呑童子を巡る旅の巻

 第2次春合宿として先ずは鹿嵐山からスタート。西谷温泉、守実温泉を経て日田にて栗秋と合流。そのまま大行司温泉、千代丸温泉、小石原民陶祭を眺めて、夜明温泉入湯後、日田・栗秋宅泊。翌6日は津江山系の酒呑童子山をやり、並行して山菜狩りに興じる。帰途、奴留湯にも浸る。片手にウド、もう一方にワラビ、ゼンマイ、タラの芽を抱え、G.Wの総仕上げは由布院温泉の湯の岳庵の露天でござぃ。 
参加者 加藤、挾間、高瀬、栗秋

5.12〜13 鈴木隆・由美子夫妻を見送る宴 IN 久住
 久住山南登山口の山小屋で転勤する鈴木夫妻をダシに盛大に宴を挙行! 何か慶事がなければと、会長の画策で鈴木を正会員に格上げした。これで3年に及ぶ奴隷生活にピリオドを打つことになったが、誰とは云わないが「昔、山の会の奴隷は厳しかったぞ。そぅオレたちゃぁドレイのまんまだったよなぁ!」と極めて現実的な意見が飛び交った模様。東京支部開設を決定。
参加者 加藤親子、挾間、高瀬父娘、栗秋父娘、吉賀、宮崎、鈴木夫妻

6.9〜10 九重・ひごたい山荘で山開きを祝う宴
 アドバンス大分7月号のグラビアを飾るべく撮影地となった赤川温泉へ。加藤、伊藤はモデルとして直行。そのまま吉部のひごたい山荘に終結。翌10日は筌の口温泉経由で別府・堀田の荒金邸にて梅狩り祭に興じた。
参加者 加藤ファミリー、挾間、高瀬、栗秋父娘、伊藤夫妻、荒金

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