秋の石鎚山系を縦横無尽に遊び尽くす!の巻 その2 栗秋和彦

   朝陽に映える伊予富士

瓶ヶ森〜伊予富士〜桑瀬峠、雲上の稜線漫歩
 ったく!まいった。夜中の2時半だぜ、ことの起こりは。そぅ我がテント場(瓶ケ森駐車場)に突如侵入してきては、ディーゼル音を撒き散らしはじめたのは。熟睡中の正寿だけはこの騒音にビクともしなかったが、年配者はそうはいかぬ。なにより複数のグループがテントを張ったり、車中でまどろんでいるこの場所、この時刻に、いっこうにエンジンを切る気配がないのだ。そこで普段でも丑三時(うしみつどき)には目が覚めるという、短眠早起きおじさんを自認する挾間は、トイレを兼ねてご忠申に行ったまではよかった。しかし何ともやりきれない表情で帰ってきたのだ。

 「あのぅ、すみませんが、エンジン止めて貰えませんか。周りはみんな寝てるんですよ」との問に「ここは駐車場だろ!キャンプ場じゃないんだろ」と車内の灯りをたよりにテントを張りながら敵は答えたという。さすがに「用意が済めば切るよ」と付け加えたそうだが、(エンジンを切って)室内灯を点けたぐらいでバッテリーが上がることはなかろうし、止められない理由が見当たらないのだ。もちろん少々の理由有りでも止めるべきたとは思うのだが....。聞けば子連れのオトーサンだそうで、ヤクザ屋さんとか茶髪・ピアス暴走族風の輩とは風体を異にする。つまり普通の民と見て差し支えなかろう。ならばいっそうマナーを守れぬ風潮が、広く世間一般に蔓延している証左でもあり、「何か悲しいね、次に言うべき言葉を失ったよ」と述懐する挾間の気持ちはよく分かる。むしろそういう体験をして育った子供が可哀想だよなぁ、と逆におもんばかってしまうのだ。 そしてこの後、20分ほど「カラン、カラン」とディーゼル車特有のカン高いエンジン音が、標高1700mの静寂の世界を破りつづけたのだ。悶々!

 まるで「今日の日本の閉塞感を象徴するようなやり場のない鬱積(うっせき)音!」と表現するには大袈裟過ぎようか? しかし社会生活を営む上でのベースが公共道徳心であれば、この国の先々に憂いは晴れない。嗚呼!そして浅い眠り。

 さてそれでも日の出前にはおじさん二人は起床して16km先の寒風山トンネル入口まで車を走らせた。本日の行程では瓶ケ森から東へ桑瀬峠まで縦走して下った予定地がこのトンネルであり、よってこの地にMTBを置くためである。理由は二つ。瓶ケ森駐車場に置き去りにした車を回収するためと、例えにわか仕立てであってもMTBフリークとしては瓶ケ森林道の東側起点となる寒風山トンネル(標高1100m)から西日本最高所の林道(最高点1720m)を詰め、足跡を残すためである。それにしてもMTBをデポしてキャンプサイトへ帰る復路、きつい勾配が延々とつづく様は、面河から土小屋までのルートより確実にハードである。加えて縦走後のヒルクライムだもの、「攻める!」などとはおこがましく、せめてヨレヨレの上りにならないよう祈るのみである。

 一方、この道すがら日の出の瞬間や燭光に照らされて山肌に映える紅葉シーンを撮ろうとかなりの数のアマチュアカメラマンが方々で陣取っている。それほどこの黎明のひととき天候は申し分なかったが、瓶ケ森山頂へ縦走開始する時刻になると、にわかにガスが湧き立ち折角の眺望が台なしになってしまう。しかし谷筋は陽が当たっており、尾根筋にだけガスがかかっているようなのだ。まぁ今日もアップダウンを繰り返しながらの長丁場だもの、そのうちきっと晴れてくるさ、と念じつつの出だしであった。

 しかしクマザサの絨毯に白骨木の景観はかえってガスの方が幻想的ではないかと思えなくもない、とは視界30mの瓶ケ森山頂(1896m)での負惜しみであったか。そして滞在2分で西黒森山へは200mの登下降である。クマザサのジグザグ道は下るにつれガスは晴れ、コル(吉野川源流の石碑有り)から再びの上りではまたガスの中へといった塩梅なのだ。ここでも登路のそちこちでドウダンツツジやイロハモミジ等の朱紅が迎えてくれるが、心なしかくすんでいる。紅葉の彩りは青空の下でこそ映えるという当たり前のことを改めて思い知らされるのだ。そして西黒森の頂(1861m)は縦走路から分かれ、猛烈な急斜面の直登5分で足元に。ここでも乳白色の世界に閉じ込められたままで、記念写真と行動食を少し頬張っただけでそそくさと退散だ。


                   
                             瓶ヶ森山頂にて

 更に行き行きて重ねて行き行く。西黒森山から東黒森山までは直線距離でおよそ4kmだが、上り下りを繰り返しながらも確実に高度は下がり、ガスも切れて視界は良好となる。とは言っても晴れ間は望めず、曇天の稜線漫歩となったが、ジネンゴの頭(1706m)へ至る縦走路はクマザザの海原を突っ切るもので、快適そのもの。クマザサの原は石鎚山系の原風景であって、これに身を投じると、まさに石鎚を体感できると言っても過言ではなかろう。

 しかし昨日の筒上、手箱の山嶺と異なり、この縦走路からはあちこちで車道(瓶ケ森林道)が見え隠れして、或いは各々のピークを繋ぐコルに降り立つとまさに真横に舗装道路が現れるといった始末。どうも1800〜1700mの雲表の稜線を歩いているという気になれないのだ。そもそもの建設目的は知らないが、繁雑に行き交う車を間近に見るにつけ、便利さを享受するがための功罪は大きく、類い稀なる高峰が連なる石鎚連山を喧噪の山にしてしまった事実は重い、と考えてしまうのだ。もちろんこの林道があってこそ、今回のようにMTBを駆って機動力溢れる山行が可能となる訳で、「ハムレットの心境たるや!」などとちょっと背反矛盾の迷路に嵌まってしまいそうな気がしないでもない。

 で東黒森山(1735m)を過ぎ、伊予富士(1756m)が迫ってくると、眼下を平行して走っていた瓶ケ森林道ともお別れだ。このあたりから林道は東南へ派生する尾根に沿って大きく迂回し、一気に高度を下げて寒風山トンネルへ至るからで、と言うことはこれまでの各ピークへはこの林道の最寄り地点から登山口(と言うのかしらん)が拓かれていて、けっこうな数のハイカーが尾根道を右往左往していた。特に東黒森や伊予富士に至っては林道から近く比較的緩やかな登りのコースなのでなおさら。

 子連れ、犬連れ、団体物見遊山諸公など多岐にわたり賑やかであったが、秋の行楽シーズンにドライブ目的で来てみたら、「みんな登っているので私たちも登ろうよぅ!」と言った人達がけっこう多いのではなかろうか。しかしそれも伊予富士までであって、桑瀬峠へと下る縦走路に一歩足を踏み入れると、登山者はほとんどいなくなり、紅葉に彩られた静かな山歩きが楽しめるのだ。そしてこの静けさこそ石鎚本来の山の深さを物語るものであり、林道もロープウェイもなかったいにしえの時代、石鎚から笹ケ峰へと至る長大な縦走路を切り開いた先蹤者たちの息遣いが聞こえてきそうな雰囲気があった。まぁ、しかしこれは感性の問題だから、挾間兄や正寿青年に求めてみても無理というものだろう。

                

 おっと現実的には全行程にわたり急ぎ足での道中であって、終盤、桑瀬峠からトンネルまでの下りではとうとう小走りになってしまう(大人気ない?)。結果、標準的コースタイムの2/3程度で踏破したことになり、寒風山トンネル入口で季節営業していた茶屋でのうどんと一杯のビールは心地よい疲労に誘われ、ことのほか美味であったをことを付け加えておこう。

         
○寒風山トンネル起点から瓶ケ森林道最高点へ、MTBでのハードクライムを描写
 さていよいよMTBによる車回収作戦の開始である。距離にして16.7km、標高差620mはなかなか手強いが、時刻はまだ午後1時を回ったばかりなので、時間的に余裕は大あり、気負うような出立ではなかった。もちろん車を回収するだけなら、青年(正寿)だけ派遣して、おじさんたちはもっと茶屋に居座って杯を重ねることもできた訳だが、それでは趣意が薄れてしまう。いやもっと真摯に捉えれば、この山行のバックボーンが欠けてしまうことになろう。その意味ではこの坂の難儀さを知った上ても、もっともこだわるべき対象であったと言えるのだ。うんうん。

 で最初の2kmほどは勾配も緩く、或いは少し下ったりもして快調な出足であったが、狭い上にカーブの連続と行楽帰りの対向車が多く気は抜けない。そしていよいよ急勾配の端緒に着き、我が愛機と瓶ケ森林道とのお手合わせが始まった。なるほどきつい。石鎚スカイラインの上りではフロントギヤをインナーにすることはなかったが、この坂ではあっさりと落としてリズムを崩さないように務めたので、いきおい巡航速度もガクンと落ちた。体感的には歩くようなスピードといってもいいくらいにだ。となれば後続の正寿(ロードレーサー)は漕ぎにくそうである。ロードレーサーは変速ギヤ数が少ないので、MTBのように軽いギヤでクルクルとは回せないし、急な上りでもある程度のスピードは維持せねばならぬ。つまりギヤ比の面だけなら負荷が大きいのだ。

まぁそれは車体の軽さで相殺する理屈だが、一定以上の脚力があれば、ヒルクライムはロードレーサーが有利なのは世の常識なのだ。そこでボクは自己弁護しつつ 「青年、先に行って車を回収しなさい。出会ったところで順次拾ってくれればいいから」と、後方へ遠ざかりつつあった挾間も視野に入れて、正寿に声をかけ促したのだが、彼は一瞬表情が輝き「えっ、先に行っていいの」と一声発しただけで、あっという間に グイグイと力強いペダリングで視界から遠ざかってしまったのだ。「おい、ちょっとは遠慮しながら行ってくれよ。出だしはユルユルとあまり力の差を見せないようにな!」と言いたいくらいあっけないシーンであったが、よほど我慢していたのが窺われたのだ。うん、やっぱり若いし馬力はある。だてにアラスカの山で冬籠もりしたり、リヤカーを引いて1400kmも歩いた(※3)訳ではないのだと思った次第。余談だけど....。しかしまぁ本音の部分では「早く車を取ってきてよね」が偽らざるところなり。煩悶しつつ一人旅の始まりであった。


 一方、客観的情勢といえば、うねうねと曲がりくねった上りが延々とつづき、おまけに怪しかった空模様は泣き出してしまいポツポツと雨が降ってきたのだ。遅いながらもパワー全開で上っている最中なので、半袖の身とて寒くはなかったが、やがて本降りとなってしまっては、濡れネズミと化してうっとおしいことこのうえもなし。慌てて雨具を付けて黙々とルーチンワークに励んだが、すれ違うドライバーの視線は「よくもまぁ物好きに、雨の中をご苦労なこった」はまだいい方で、「カーブを曲がったら急に自転車がヨロヨロと上ってくるとは危ないぜ!」といった鋭い視線を感じるのは、うがち過ぎか。まぁしかしどう転んでも車以外走ることはないと思い込んでいる彼らには邪魔者としか映らないのではないか、と被害者意識を持ってしまうのもこの天候のせいであろうぞ。

 しかし止まない雨はない。早く止むにこしたことはなしで、伊予富士の縁に近付くころには雨も止み、薄日も差してきたのだ。ちょうど頂稜部に差しかかったこともあり、勾配はぐっと弛み俄然スピードも出てきて、ボクは風になったのだ。そして青空も現れ雲間からの斜光がまぶしい。いままでのうっぷんを晴らすがごとくボクは攻めた。正寿との差を少しでも縮めようと立ち漕ぎもなんのそのである。いや正確には瓶ケ森直下、この林道の最高点1720mまでは何としても到達したかったのだ。でなければこのヒルクライムの意義が失せてしまうではないか(登りはじめ、正寿を見送った際の弱気発言はあっさりと撤回しています。念のため)と、鼻息はトーゼン荒くなるわね。

 まるでこの雄大なシチュエーションはツール・ド・フランスはアルプス越え、ラルブ・ディエーズ峠を彷彿とさせるし、ボクはR.アームストロングになりきっていた。視線は前方一点を見つめ、最高点近く、吉野川源流石碑ポイントなんぞ風塵のごとく後に見遣り、まさに瓶ケ森直下の最高点に到達せんとするところで、ボクは対向車のクラクションで我に返ったのだ。「うぐぐ..正寿、早かったのぉ!」と一応表情は弛んだものの、唐突にリタイアを宣告されたようなもので、複雑な心境は否めない。ここまで来たからにはゴール(瓶ケ森駐車場)まで到達したかったのが本音であったが、それは欲というものだろう。

 さて下山はのんびり車上の人だ。今や完全に晴れわたった雲上の景色をかみしめながら、ゆるゆると車で下るのも悪くはない。まぁこれもそれなりに充実したヒルクライムの裏返しと言えなくもないか。おっと、途中で挾間も拾い、にわかに車内は賑やかになったが、もちろん「途中、トンネルで雨宿りしていたんだ。よく降ったなぁ」とか「雨具を着るのにモタついてね!」などと言い訳の一部始終が喧騒の基になったことは容易に想像できようぞ。⇒ つづく (photo by W.Hasama)

(※3)栗秋正寿著 「アラスカ垂直と水平の旅」 山と渓谷社刊 参照

(コースタイム)
10/13 瓶ケ森P⇔車⇔寒風山トンネルP(5:32〜6:47まで瓶ケ森P⇒寒風山PへMTB搬送)瓶ケ森P8:21→男山8:41 45→瓶ケ森8:54 56→コル(吉野川源流の碑)9:10 15→西黒森山9:39 46→東黒森山登山口10:45 57→東黒森山11:14 24→伊予富士11:46 53→桑瀬峠12:35→寒風山トンネルP12:54 13:25→(車回収のため、瓶ケ森林道ヒルクライム by MTB 16.2q 標高差620m)→瓶ケ森P手前林道最高点15:04 10⇒(車)⇒寒風山トンネルP16:00(泊) 歩行距離12q

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