主な山といで湯・・・記録・・・2009.12009.12(未定稿)

11日(木) 恒例の初日の出を彦岳山頂にて拝む

  7時24分豊後水道上空の雲間から拝む

(参加者)加藤他

 

110日(土) 新雪の英彦山へ会社の安全祈願登山挙行!

  会社の登山会で安全祈願登山と銘打って、英彦山に登ることになった。例年この時期は積雪が期待できるが、今年は未明からの降雪で白一色の世界と化し、宿から四駆でやっとスロープカーの花駅へ。除雪したばかりの始発便に乗り込んで奉幣殿までは一番乗り。踏み跡のない無垢な境内は霊験新かさにおいて際立っていた。もちろん上宮へと続く石段にも新雪は粛々と降り積もり、これまた無垢な世界へと誘うかの如し。アプローチには多少手こずったものの、これこそ千載一遇の登山日和と思えば、ご利益は約束されたようなもの(と勝手に解釈しています)。こいつは春から縁起がいいわぃ!とほくそ笑んだのでありまする。(本文参照)

(コースタイム)

英彦山温泉・しゃくなげ荘820⇒(車)⇒スロープカー花駅835 50⇒(スロープカー)⇒奉幣殿858 910→一ノ岳展望所924 35→英彦山(中岳)1035 1142→奉幣殿1235 40⇒(スロープカー)⇒花駅1247 1300⇒(車)⇒英彦山温泉・しゃくなげ荘1310  英彦山温泉・しゃくなげ荘入湯

(参加者)栗秋、伊藤他 会社の職場代表者12

 

26日(金) 早春の釜山、亀峰山(クボンサン)ハイク   

昨秋、釜山北部の金井山(クムジュンサン)塊をほぼ踏破して韓国の山へ第一歩を印した。この金井山塊は最高峰でも800m余り、さして急峻でもなく、いやむしろ殆どがなだらかな稜線を物見遊山な面持ちで歩いただけであったが、山腹は松林が権勢を誇り、稜線上には花崗岩の岩峰が点在する景は、九州の山ではなかなか見かけず、加えて全体的に緑が少ないさまは、乾燥したユーラシア大陸から地続きということを思い起こさせるに充分だった。その意味で隣国にあっても大きく趣の異なる彼の地の山を歩いたことは新鮮な経験だったし、釜山近郊の他の山々も興味の対象として食指が動いてきた。で第二弾は釜山界隈の登山に精通しているY田さんの助言を得て、市街地にもっも近く釜山港から直接見上げる亀峰山と定めたのだ。(本文参照)

   
頂には木製の展望台が設えられていた           亀峰山々頂の碑     ジャガルチ・国際市場方面とその向こうは影島

(コースタイム)

釜山観光ホテル14:00⇒(タクシー)⇒中央公園(亀峰山登山口)1415 20→亀峰山14:55 15:10→将軍庵(チャングンアム)15:32 37→金水寺(クムスーサ) 15:47 52→釜山駅16:15 30⇒(地下鉄)⇒南浦洞16:35→釜山観光ホテル16:45 

(参加者)栗秋、悦子()  

 

411〜12日(土〜日)  くじゅう倶楽部にておゆぴにすとHP開設7周年の宴

趣旨は、このところ編集アップの作業を滞りがちな挾間編集長に喝を入れるのが主目的らしいと、松田方面からの噂が飛びかった模様。すると(挾間は)生来の生真面目さで「日頃の罪滅ぼしをせねばならん」と考えたらしい。自前の宴では最重要任務の食材調達係を、本来慰労されるべき編集長自らが務めたのだ。ところが酒宴に入ると、主力メンバーの大半が退職・年金生活に入ってきているこのところ、話題はに至らず、はたまた「退職後をどう生きる?すなわち退職後、登山のある人生の完結のし方」がメインテーマになるはずと思いきや、年金健康介護=もちろん自身のこれからのこともあるが、白寿に届こうかという親の介護=老老介護などなどおゆぴにすと精鋭の山小屋での話題も、随分と所帯じみた感ありとなった。アラ還世代でさえここでは駆け出しなのだから、仕方あるまいか。

で、山には最近一番縁がなさそうながら、裏山の桜の花園開園に向けストイックに取り組むニワピニスト・吉賀の体脂肪率10%以下の肉体を、露天でまじまじと見せつけられ、体力造り=肉体改造に一念発起という刺激を受けたのも編集長であった模様。星生温泉・くじゅう倶楽部露天入湯

   
                                            

 (参加者)
加藤、塩月、松田、吉賀、挾間、栗秋  

418() 大パノラマ万年山周遊と下山途中の大失態!

一年ぶりにカミさんの実家を訪れた。さりとてなにもすることがない。ならば背後に控える万年山(1140m)へ登ろうと急遽企てた。下界は新緑まっ盛り、気温は夏日に近く汗ばむ陽気だが、1100m余りの稜線ではまだ冬枯れの趣が残っていよう。そして何よりも春は曙、宝泉寺峡谷を挟んで、ゆるゆると萌え始めた九重の山々を指呼の距離にまじまじと見てみたいとの思惑が優った。おっとしかし登山とは言っても標高940mの吉武台牧場まで車が使えるので、標高差200m、距離にして1.8kの山頂まで楽チン登山なのである。

で山頂までは計算どおり。速歩または小走りで一汗かいて頂稜に躍り出ると九重の重厚な山々が大迫力で迎えてくれた。ただ稜線上は芽吹きの時期にはまだ早く、一面の草原はセピア色一色の世界であったが、これは織り込み済みだし、陽はまだ高いので西端の鼻ぐり岩まで往復6kの稜線漫歩と決め込んだ。てな訳で全行程10k弱、1時間50分余りの心地よいトレッキングで汗を流して意気揚々と引き上げたまではよかった。しかししかし事件は予期せず突然だからこそリアリティに富むものなんですね。吉武台牧場を後に林道を車で下ること2.3分、妙見社の水場まであとわずかな地点、ちょうど西の稜線上から西日が差し込み逆光まぶしく、殆ど視界が効かなくなった瞬間、左前輪付近で「ガツン!」との大音響とともに衝撃が走ったのだ。すぐさまタイヤはバースト状態と思しき感で急停車してみると、路肩に落ちていた200sはありそうな岩石と衝撃した模様。タイヤは破れ散りホイールはひしゃ曲がって万事休す。救援手配と相成り、結果としてさんざんな万年山周遊だったか、嗚呼。

   
南麓には平家の落人伝説の山浦集落がひっそりと   山頂から九重の山並みをバックに      嗚呼、無残!

(コースタイム)

玖珠(妻の実家)15:26(車)⇒吉武台牧場15:41 44→ 山小屋前16:00→万年山16:09→鼻ぐり岩16:35 38→万年山17:10 16→山小屋前17:21→吉武台牧場17:35 41(車、事故!大失態、嗚呼)⇒玖珠19:00 それでも下山後、暗闇にまぎれて椿温泉にはしっかりと浸った。

(参加者)栗秋 

 

4月19日() 木山内岳登山〜登路一部崩落のお知らせ〜

登山口の観音滝遊歩道から木山内岳を目指したが、架かっていた橋の一部が崩落して通行不可となっていた。登山口に「地すべりのため通行できません。佐伯市」との立て札有り。そこから約100m先、2つめの橋が中央部分から完全に崩落して右下の藤河内渓谷に落下しており、警告どうり行けない状態になっていた。 

よくみるとそのスラブ状の一枚岩の200mくらいの上部にあったと思われる大岩がなんらかの力で崩落し、まともに架かっていた橋に直撃して橋の部分が7−8mにわたって崩壊しその残骸が右下20mくらいの渓谷に落ちたままになっていた。地元の話だと昨年の10月に崩落した模様。以前は宇目町の管轄だったので対応も早かったが現在は合併で佐伯市の管轄になっているので対応が遅いのだろうと嘆いていたが、こんなところにも合併の弊害がでていたのだった。観音滝→木山内岳に登られる方は注意するべし。もちろん迂回して山頂を極めたのは言うまでもなし。

   

(参加者)加藤、塩月他4名 

 

4月25日() 霧雨の中、崩平山〜猟師岳を巡る

ひこさんクラブのメンバー、Nさんの大分100山完登の見届け人として99番目の崩平山と100山目の猟師岳に登り、その役目をまっとうした模様。

(参加者)加藤、塩月他5名 

 

5月1〜5日(金〜火) 韓国、蔚山の近郊の嶺南アルプスへ 交流登山               

 5年前から続いている韓国山岳会蔚山支部と日本山岳会東九州支部との交流の行事が、今年は韓国・嶺南アルプスで行われ、1日の朝、9名で大分を発ち博多経由ー釜山経由で、蔚山入り。宿舎は雲門山自然休養林のなかの錬修館。夜はそこから40分かけて蔚山の街へ。スーパーにて3日間の食料を買出し7時から蔚山支部との歓迎パーテーにて40名ほどの人たちと交流。中にはずっとこの交流会に参加した顔があり久しぶりの再会を楽しん一時となった。9時終宴。宿舎にもどる。

 

2日 朝食後自家用車7台に分乗して登山口へ。8時35分登山開始 まず目指すは天皇山(チョハンサン)1189m。現地では獅子峰(サザボン)11時57分山頂着登頂セレモニーの終わるころからガスっていた天候の中から少し降ってきた。20分下ったとこ、鞍部のビニールを張った小屋にて昼食。つぎにめざす載薬山(チェヤクサン)に向かうころ本降りとなり雨具をつけて登り始めるも長くは降られずにその(スミボン)とよばれている山頂(1119m)についた14時17分ころにはほとんど雨もやんだ。そこから一端登ったルートに合流したがすぐに右の岩稜まじりの尾根ルートにて下山。途中、祖母の大障子岩クラスの岩場を右にまいて一ヶ所ロープを張った岩場を下りあと登山口にむかって下った。16時23分下山。宿舎に戻りシャワーをあびその夜も新しく加わったメンバーを含めて大いに盛り上がった宴となった。

 

3日 同じく朝食後 自家用車で登山口の石骨寺へ。8時35分発。丁度、神原から祖母山のルートと似たルートをとる。途中渓谷とわかれるところでつめたい谷の水を飲む。そこからが岩まじりの急登がつずく。だんだんと登りすず竹があらわれると11時「上雲庵」と書いたお寺の別院につく。韓国にはこんな山深いところに修験宿がみられる。ソーラーパネルがありすこしの広場には野菜が植えられ石の間から湧き水があった。ここからスズタケの中少し登るとおおきなケルンがあり左からの尾根ルートと合流し最後の登りで雲門山(1188m)山頂へ。韓国の山の山頂には必ずといっていいくらい大きな石柱があり山の名前と標高が表、裏には作成者の名が彫ってある。ヘリであげたのだという。昨日よりはよい展望を楽しむ。一昨年登った加智山が左手にみえ正面には昨日登った天皇山がきれかかった雲の間からみえる。昼食後 西稜ルートを下る。さすがガイドの地図にはのっていないルートだ。一般的でないルートなのだ。つぎつぎとロープを張った岩場があらわれそのたびにストックが邪魔になり大変なルートであったがまたたのしくもあったルートであった。最後大きな岩場が自然の岩屋みたいになった大きな空間のできたとこに出くわす。かなり広い空間となっていた。そこから20分くらい下ったとこで朝登ったルートに出てそこから50分で登山口の石骨寺に折りつく。(1520分)けっこうきつい一週コースではあったが面白い登りがいのある山であった。

 

4日 慶州南山の世界遺産に登録された景勝の山 金鳥山(468m)にゆっくりと登り下山途中で昼食ー下山後3日間の山登りを楽しんだお礼をのべお互いに万歳をして分かれる。慶州国立博物館をゆっくりと見学して2台の車で高速道路を釜山へ、釜山のホテルまで送ってもらいありがとうの握手でわかれる。

5日 釜山ー博多ー大分着19時30分。無事帰着。

来年は蔚山の仲間が訪日の番だ。霧島の韓国岳を案内する約束で分かれた。」

   

  

(参加者)加藤他8名

   

53031(土〜日)  酩酊・不覚のち快哉! 花の九重へ一泊大名旅行の巻  

会社の山仲間、鶴田、松木両兄と酒の席で花の九重を愛でようということになったが、松木はスケジュールがブッキングして早々と離脱。代理・代役としてコック長・竹下君を起用して、宿と食材選定にとりかかったが、そこにタイミングよく鶴田兄の元同僚、丸山氏から声がかかった。つまりは宝泉寺温泉郷は串梶集落にほど近い、万葉の杜にある彼の別荘への誘いとあって、まさに渡りに船。ならば前夜は豪華宴会をこなし、翌朝、花の九重を彷徨することに。(本文参照)

   
 飯田高原のど真ん中、別荘の湯に浸る          扇ケ鼻への途中                星生山の頂にて

(コースタイム)

5/30門司12:45⇒(車、九州道〜大分道経由 宇美高速バス停で鶴田拾う)⇒宝泉寺・万葉の杜15:15 45⇒(車)⇒馬子草温泉奥の別荘地16:25(別荘の温泉入湯) 18:00⇒(車)⇒宝泉寺・万葉の杜18:30 (万葉の杜温泉入湯及び大宴会)

5/31宝泉寺・万葉の杜8:45⇒(車)⇒牧ノ戸峠 9:20 33→(沓掛山付近で渋滞)→扇ケ鼻分岐 10:39→扇ケ鼻 10:52 11:00→星生山11:34 12:19→沓掛山13:09 12→牧ノ戸峠13:21 35⇒(車)⇒宝泉寺・万葉の杜14:15 (万葉の杜温泉入湯及び中宴会)16:00⇒(車、大分道〜九州道経由 宇美高速バス停で鶴田下車)⇒門司18:30

(参加者)栗秋他、会社の仲間5

 

6月7日() 我が裏山にして門司アルプスの雄・戸の上山へ宴会登山の巻

  会社の山仲間で門司の住人、金子兄から唐突に門司アルプスを縦走しようと声がかかった。長崎へ単身赴任ながら週末帰省予定の竹下君にも既に同意を得ており、筆者の送別登山会を企画したとのこと。4月に転籍をして2ケ月余り、新しい会社では苦労も多かろう?とおもんばかってのお誘いらしいが、送別登山と銘打てば宴会付き登山を連想してしまう。ならば縦走(戸の上山〜足立山)はちと骨が折れるので、戸の上山に登って、帰路コース随一の展望地・大台ケ原にてうつつを抜かすのが身の丈にあっているのでは、と提案したのだった。(本文参照)

   
 戸の上山頂にて地元の子供会の面々と           大台ケ原にてくうろぐの図二題

(コースタイム) 自宅(門司・上馬寄)10:15→大台ケ原10:57→戸の上山 11:15 25→大台ケ原11:34 (野天大宴会) 14:10→自宅14:50

(参加者)栗秋他、会社の同好会二人 

 

8月2日() 九重、星生山で転落事故発生

2009.8.2  19:17 狭間会員よりおゆぴにすと全員宛メール 緊急のお知らせ
「挾間です。加藤さんが本日九重山星生山星生崎付近の岩尾根から硫黄山側に転落、滑落し顔面に重傷を負い、県立病院に大分県救難ヘリで搬送されました。現在、検査と手術を終え、容態は安定、生死に別条なく、CTで脳の異常はないということです。
 
本日10時50分〜11時ころ、加藤さんらこの夏に剣岳に登る予定の人を含めひこさんクラブのメンバー6名(加藤、中島、下川夫妻、塩月、久保)に私の計7名で星生山尾根を久住分かれ方面に登山中(岩に慣れる訓練のため通常の登山道を外れた岩尾根を登っていた)、5番手を歩いて(よじて)いた加藤さんがバランスをくずして硫黄山側の斜面に転落。最初の5〜6メートルは岩場の急斜面でありここで額、顔面を強打、失神状態のまま草つきの急斜面転がるように滑落、テラス状のところで身体が停止。仲間が駆けつける間、最初の2〜3分(数10秒かもしれない)は微動だにせず意識がない状態。その後仲間が現場に到着する前に意識を取り戻し独力で立ち上がろうとして再び斜面を1メートルほど転落したところで完全に身体が停止。額、左目の上下、鼻などに大きな外傷と出血。
 
すぐさま、塩月、久保は応急処置、挾間は手持ちのシュラフカバーや防寒着を出したあとその他の人もドコモとAUのケイタイで119番に連絡のため散らばる。AUは通じなかったが、幸いドコモが狭いエリアではあるが竹田、玖珠署に通じ、場所、状況、天候状態などを報告。脳内出血のおそれがあることから、ヘリでの緊急搬送を要請したが、九重山はガスに覆われていることから当初出動不可との判断、竹田と玖珠署から救助隊が直ちに出発したとの報を11時過ぎに受ける。
 
加藤さんは意識を取り戻したあと意識混濁が続き、何故自分がこの場所に居るのか分からない状態ながらも、状況を塩月、久保が説明すると「ヘリは不要」「自力下山可能」「九重で死ねるか」「俺としたことが不覚」などと話す。しかし、塩月、久保が状況説明を何度しても、その直後に「ここはどこ」「なぜ自分はここに居るのか」を繰り返すあたり、頭部を相当強打しているものと考えられた。
 
私はドコモの携帯(下川氏のもの)が通じるスポットで連絡係。とりあえず今何をなすべきかと頭を巡らせながらひたすらガスの晴れるのを待つ。ガスが、少なくとも星生尾根の転落地点の周囲だけ晴れ視界が拡がっており、この間何度かヘリ出動を再要請。ヘリ11時半〜40分近くになってヘリ出動の可能性が出たとの報。12時前になって星生山山頂の硫黄山側の尾根上に爆音とともにガスの間からヘリが姿を現す。搭乗員は5名、そのうち二人が下降し応急処置ほかの手当を施し加藤さんを収容、もう一人の隊員がヘリの中に消える前に我々に敬礼、大分方面に飛び立って行った。その間到着から飛び立つまで20分くらいであったろうか。まるでテレビの場面のようであった。
 
我々は加藤さんの吹っ飛んだ眼鏡を探したり、後片付けをしたりしたのち、加藤さんのザックを皆で交代に担いで往路を下山。15時過ぎに搬送された県立病院に到着。加藤さんは手術中。精密検査で異常なく、顔面の外傷の縫合などの手術のようで、鼻骨骨折の手術は3日後に行うととのこと。術後は一般病棟に移され、我々も面会。『九重の神様が命をくれたのかなあ』と皆に力強い握手。それにしても、ヘリ搬送時に比べ顔の腫れ上がりと内出血などでひどい顔になっていたけど時間が経てば治ることでしょう。剣は無理でしょうね。私も過去に何度か落ちましたが、血を見たのは初めて。やっぱちょっとビビりました。以上、ご報告まで。」

 (参加者)加藤、塩月、挾間他

 

89() 盛夏、宝満山 遊興・汗だく・美食紀行の巻       

 顧客先の元締め・T田氏から宝満山登山のお誘いがかかった。特名随意契約で仕事をいただいている身ゆえ、その維持・更新に労力を取られない分、無理難題?にも対応するのも務めの一つ。例え先約があってもムゲに断れないし、むしろ潔く従わざるを得ないのが我がギョーカイの掟であろう と日曜日をアテにしていた、カミさんに対して憂いを滲ませつつ、大義名分を申し述べ、足取り軽く勇躍勇んでの出立であった。   (本文参照)

   
かっての同僚 I 君たちとペースを合わす   山頂にて勢揃い            山頂小屋にて小宴会

(コースタイム)

 JR都府楼南駅917→(コミュニティバス)→竈門神社1000 12百段ガンギ1123→中宮跡1136→宝満山1151 1223→山頂山小屋1234 (山頂宴会) 1325→竈門神社1435 1512都久志の湯・入湯1520 1622竈門神社バス停1630 37→(コミュニティバス)→JR都府楼南駅1720

(参加者) 栗秋他、会社の同好会の面々

 

9月27日(日)  星生山へ事故検証登山

8月2日星生山での事故から‘生還’した加藤会長の全快・登山現場復帰・事故検証登山が、ひこさんクラブ、十二期会、それにおゆぴにすとなどの山仲間二十数名が参加して行われた。

経過は別途報告されてますので省略。

写真は左から珍しく参加の高瀬、星生山の縦走、完全復調の加藤

   

(参加者) 加藤、塩月、挾間、高瀬、他

 

10912日(金〜月)  おゆぴにすと三銃士+α 錦秋の加賀白山&荒島岳を登る   

おゆぴにすと三銃士も二人は還暦を過ぎ一人は目前と、まさにアラカン世代に突入したものの、「あぁ徳本峠」以来、三人揃っては本州の高山を舞台にした活躍話から遠ざかって久しい。そこで14年ぶりの本州決戦場として加賀白山と荒島岳に照準を定め、1000円高速のメリットを最大限生かし深夜の高速道をひた走った。もちろんこの山域ならセットで永平寺も加えなければ片手落ちというものだろう。(本文参照)

(コースタイム)

10/9〜10 大分(高瀬)1230⇒(車)⇒門司1540(栗秋合流)1620⇒⇒大阪・高槻高速バス停2245(挟間合流)⇒(車)⇒JR福井駅125 30(鈴木合流)⇒(車)⇒勝原スキー場(荒島岳登山口)236(仮眠)643→リフト終点721 30→しゃくなげ平901→荒島岳952 1021→しゃくなげ平1101 07→リフト終点1207→勝原スキー場1240  1310⇒(車・大野市〜勝山市経由)⇒白峰温泉1430

        白峰温泉・総湯入湯 民宿山和荘泊

1011   宿 (白峰温泉) 450⇒(車)⇒市ノ瀬510 40⇒(シャトルバス)⇒別当出合555 600→中飯場636→甚之助避難小屋742 57→黒ボコ岩849 51→室堂916 24→白山 (御前峰)1002 14→室堂1039 1102→黒ボコ岩1124 27→殿ケ池避難小屋1156 1206→別当坂分岐1253 1300→別当出合1339 1350⇒(シャトルバス)⇒市ノ瀬1403 30⇒(車・白峰温泉〜勝山市経由)⇒永平寺1550 1615⇒(車)⇒勝山市・横倉鉱泉1650 横倉鉱泉入湯 (鈴木はJR福井駅経由で帰京) 横倉鉱泉旅館泊

1012   宿 (横倉鉱泉)430⇒(車)⇒福井北I.C 510⇒(車・門司で栗秋下車)⇒大分1630

(参加者) 挟間、高瀬、鈴木、栗秋

 

10月31日〜11月1日(土〜日) 快晴・錦秋の霧島縦走〜四度目にして念願適うの巻

 昨秋、会社の山岳部の面々と3度目(※1)の正直で韓国岳〜獅子戸岳〜新燃岳〜中岳の霧島主稜縦走を目論んだものの、またもや雨にたたられ、えびの高原池めぐりコースの散策でお茶を濁した。前日小雨の中、高千穂峰に登ったのがせめてもの慰みだったが、25年越しの宿題は未だ果たせず、大仰に言えば悶々とした一年だったような気がする。

 そしてほぼ一年振りに会社の山岳部メンバー松木君と再チャレンジとなったが、週間天気予報では週末の二日間とも雲が多く、すっきりしない空模様を伝えていたのだ。ならばせめて雨が降らなきゃ儲けもんだ、と多少のトーンダウンは否めなかったが、近づくにつれ初日は快晴へと(日曜は逆に曇りから雨へ)予報は大きく変わりつつあったのだ。むろんこんな変化は望むところで、なるべく福岡を早立ちして、登山口を午前中に出立すれば、明るいうちに高千穂河原へ辿り着ける筈。土曜(初日)の好天に賭けて、一気に高千穂河原まで踏破できれば念願成就だし、二日目の雨はいた仕方あるまい、と腹をくくった。

 

 そして当日、えびの高原まで上り詰めると快晴の下、硫黄山や韓国岳が眼前に広がり、登高意欲をかき立てるに充分だ。

   
韓国岳五合目からえびの高原を臨む      新燃岳の火口にたたずむ     中岳から高千穂河原への下りで高千穂峰を仰ぐ

で今宵の宿(えびの高原温泉ホテル)に車を置き、10時前にスタート。県道を横断してアカマツ林を進み、硫黄山への遊歩道へと取る。もうここいらあたりで既に登山客の行列だ。硫黄山との鞍部の潅木帯を抜けると、ゴロ石の急坂となるが、幼稚園児か小学校低学年の児童多数を交えた親子登山グループ真っ只中へと入り込むが、気を遣いつつリズムを保ち登ることが肝要であろう。三合目を過ぎると序々に展望が得られるようになり、五合目あたりから振り返ると硫黄山の噴煙が真近に見え、眼下にたおやかなえびの高原が広がる。このあたりは広い斜面を自由にどこでも歩けるので展望と相俟って開放的だが、この自由度が後刻の小学生の遭難事件の遠因になったろうことは想像に難くない。

さて25年来の念願の縦走は果たせたが、同じ山でほぼ同じ時間を共有した、児童の遭難事故に接するとヨロコビ半分。いやもしろ無事でありさえすれば、我々の縦走なんぞ成就しなくても構わなかったのに、と思い心は沈んだ(※2)

(※1)84年、89年、そして昨年と過去三回とも雨に降られて縦走を断念した。

(※2)翌日、大浪池登山コースから少し外れた沢で発見されたが、道に迷い転落したらしく、既に死亡していた。

(コースタイム)

1031 南福岡駅640⇒(松木車)⇒えびの高原(えびの高原温泉ホテル)930 51→韓国岳1059 1111→獅子戸岳手前の展望地1212(昼食)51→獅子戸岳1256 58→新燃岳1331 35→中岳1354 56→高千穂河原1441 55⇒(タクシー)⇒えびの高原1520 えびの高原温泉入湯  えびの高原温泉ホテル泊

111 えびの高原(宿)940⇒(松木車)⇒南福岡駅1248 

(参加者)栗秋、他会社の同好会1名

 

11月8日() 佐賀、九千部山登山

佐賀での会議と絡ませ脊振山地の九千部山を目指した。登山道が九州自然歩道に指定されていることもあり、冬枯れの山道一人ぼっちの散策は、なかなか風情があったね。来春3月中旬頃(この時期は仕事が一番暇になりそう)、機会をみて単独で基山から浮岳方面まで数日かけて歩きとおしてみたいと、計画中だが、その偵察を兼ねてのこと。もちろん同行を拒むものでもない。

一方で体調はと言えば軽い腰痛と長年の付き合いとなっており、なかなか治らない。誰か治す良い方法をご教示あれ。重荷の時は苦にならないが、軽装・軽荷だとかえって腰痛を苦痛に感じます。そんなとき、ストック2本のノルディクスタイルだと腰の調子が良いので、最近は冬枯れの山道散策にはストック2本は欠かせない。

  

(参加者)挾間

 

1121()  JR山岳部例会 冬枯れの井原山〜雷山縦走   

会社の山岳部例会に参加して、背振山地の井原山〜雷山を縦走した。福岡に移り住んで18年余りも経つのに、背振山地に足を踏み入れるのは初めてだったので、ようやくの感ひとしおなのだ。しかし低温がつづくこの時期、曇天と相俟って落ち葉を踏み締め、しみじみとして寒々そして静かな稜線歩きを堪能した。

集合場所の古場岳山荘から渓流の里入口(井原山登山口)までは車道を歩き、更に急なコンクリート道を辿るが、一帯は別荘分譲地となっている。しかしその殆どはバブル全盛時の建物に違いなかろう。古びて手入れが滞っているようで、それゆえ侘しさを感じるのは筆者だけではなかろう。

 

そしてコンクリート道も途切れると、登山道に繋がっていて、すぐに杉林の急坂だ。稜線に出るとクマザザにブナなどの自然林が点在し、井原山までは明るく比較的見通しが効くところだ。広い井原山山頂は四方を遮るものがないため、雄大な展望を楽しむことができる。つまりは東に背振山や金山、その北東側に油山が隆起し、福岡市街と博多湾が霞むといったあんばい。一方、西側は指呼の距離に堂々とした雷山が控え、その向こうに羽金山、浮岳といった背振山地の主稜線上の顕著なピークが望見されるが、もちろんこの山域は全くの門外漢の筆者ゆえ、会長のI氏から教えて貰った山々をオーム返しに記しただけではありまするな。

   
  井原山は初登頂だよ!           次は雷山の頂          古場岳山荘にて勢揃い

 さて井原山〜雷山といえば4月のミツバツツジ、7月のオオキツネノカミソリがつとに有名だが、急崖に深い渓谷、標高差があり変化に富んだ福岡県側からのイメージでこの登山を捉えると大きく違った。今回の佐賀県側からの登路は杉林から雑木林に植生が変ると、すぐススキや低木の原野に出て、そこは既に稜線と言ったあんばい。つまりあっけないアプローチで、冬枯れのこの時期とも重なり、淡々と頂を踏み、歓声を上げるでもなく、粛々と下山した、と言うのが偽らざるところか。

 

 おっとしかし井原山から雷山へはブナやリョウブの林間を抜ける趣ある縦走路が印象に残った。両ピーク以外はあまり眺望に恵まれぬが、この風情ある縦走路のおかげで冬枯れの山歩きも乙なものだと思い至ったのだから。

(コースタイム)古場岳山荘8:38→古場岳井原山登山口8:46→稜線(鉄塔)9:07→井原山9:30 44944mピーク10:16→雷山10:49 11:03→古場分岐11:07→布巻林道出合11:31→古場岳山荘11:42

(参加者) 栗秋他、会社の山岳部の面々

 

11月28日() 横岳

ひこさんクラブのメンバー、Sさんの大分100山完登の見届け人として平家山、カルト山塊に属する横岳に登り、その役目をまっとうした模様。星生温泉・くじゅうヒュッテ入湯

(参加者) 加藤、塩月他11名

 

11月29日(日) 天狗ヶ城〜中岳〜池の小屋を巡り奇遇の星生山で今度は人助け

前日のくじゅうヒュッテをベースに大曲からすがもり越〜天狗ヶ城〜中岳〜池の小屋〜星生山を経て、午後2時ごろ霧で視界の不良の中、星生新道を下山中に山頂より20分位おりたところで立ち止まっていた夫婦に遭遇。聞けば道迷いで現在地がわからずに警察に救助を依頼したという。そこで現在地を説明し私達と一緒に下りればよいと教えた。2人は「それはありがたい、助すかりました」といい着信履歴にのっこていた警察に連絡し「詳しいひとにであったのでその人について下山する」と伝える。30分位一緒に下りていたら下から救助の警察官4人(玖珠警察署)が登ってきて合流。そこから大曲まで一緒に下山した。

簡単の事情聴取で1件落着した次第だが、星生山は8月2日、筆者の一瞬のミスで負傷し多くの人たちにご心配ご迷惑をかけた山だ。登ってきた警官の1人が、迷った2人に「この星生山は岩場もあり落ちる人もたまにいる、危険なとこもありますよ」と説明したのには参った。まさかその「落ちたのは私です」と言うわけもいかず、、面映ゆい一瞬であった。しかし今回そのお返しということか、道迷いの2人を助けることができたのは、まさに奇遇としかいいようがない。

(参加者) 加藤、塩月他5名

 

121920日(土〜日) アラ還おじさん二人、行く年を厳寒の坊ケ鶴で考えるの巻  

くじゅう坊ケ鶴で忘年雪中キャンプをやろうと挟間兄から提案を受けた。凍てつく山上台地で寒さと不便さを甘受しながらも、外気と布一枚隔てただけの空間(テント)で一晩過ごすことが尊いし、この週末は大分道も終日通行止めになるほどの寒波到来とあっては、アプローチから厳冬の趣を味わうことができよう。ならば吉部からの雪中行軍と坊ケ鶴の雪上露営は保証されたようなもの。まさに忘年雪中キャンプに相応しいシチュエーションを一人占め(二人だった)しながら、九重の山懐に抱かれた我が身を思い浮かべれば、自ずと笑みがこぼれること必定だった。(本文参照)

   
 坊ケ鶴の北端に上がると三俣山が迫る    外気はマイナス10℃まで下がった   下湯平共同温泉・幸せの湯にまどろむ

(コースタイム)

12/19 大分(松ケ丘)1230⇒(車・湯平温泉経由)⇒吉部登山口1355 1407→暮雨の滝分岐1510→林道合流点1539→坊ケ鶴1605

12/20 坊ケ鶴928→林道合流点951→(大船林道経由)→吉部登山口1100 1110⇒(車・やまなみ道経由 由布院温泉・川西共同湯&下湯平温泉・幸せの湯入湯⇒大分1415

(参加者)挟間、栗秋

 

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