主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・1994.8 〜 1995.12(未定稿)

8.8 九重・黒岩山、親子三代人助けに巧ならんの巻

(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(長男)、章一郎(実父)

8.21 MTBで小文字山登山

 午後3時半、自宅からMTBで小倉北区の足立山森林公園へ行く。ここには足立山中腹の西側斜面を南北に縦断する、アップダウンのきつい延長5k程の周回道(狭いが舗装路)が走り、トレーニングには最適の地である。但し、路面は粗いのでロードレーサーには向かず、専らMTBかランニングに限られるが、物見遊山な気持ちで臨むと短いながらアゴの出るハードコースなのだ。北端のメモリアル・クロスから南の終点・安倍山公園を折り返し点として往復する。そして途中から突き上げるような林道に分け入り、登山道に変わる小文字山直下でMTBを捨て、歩程10分で山頂である。頂に立つと残暑厳しき中にも、吹き抜ける涼風は秋近しを感じさせ、西日に染まった黄銅色の市街とまるで大河のような関門海峡を大パノラマで見下ろすと、遠くいにしえの漢の史家・司馬遷が黄河を見据えた(?)シュチエーションを想像させ、悠久の時の流れを感じさせるんですね、ホント。帰宅5時半、身近で短時間ながら質の高いトレーニングが出来たぞ。

参加者 栗秋

9.17〜18 初秋の清栄山に柴田芳夫さんを偲ぶの巻

 会友の柴田芳夫さんが阿蘇は東外輪の清栄山々頂で急逝して、早一年となる。そこで誘い合って、一周忌の追悼登山をやろうということになった。そして言い出しっぺの挾間はこの付録に、持論の南外輪早駆け走を提案してきたのだ。ムムッ、受けて立たねばならぬか、と諦めの境地はもちろん栗秋。秋風がそよぐ清栄山々頂で厳かに執り行った、プライベート・セレモニーと対比して、アクティブな南外輪早駆け走の顛末は如何に?(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 加藤、挾間、高瀬、栗秋

10.7〜9 石鎚、秋紀行 石鎚〜堂ケ森縦走

 今年2月に大雪に阻まれ敗退した挾間・矢野両名に誘われ、無雪期の面河渓谷から石鎚本峰をトレースすることになった。この時期山頂付近では艶やかな紅葉が楽しめるのだ。そしてもう一つの目的は、石鎚山脈にあって一番静かで長大な雲表を歩く石鎚〜堂ケ森への縦走である。下山は梅ケ市へとった。久しぶりに長大な縦走の醍醐味を味わった山行であった。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 挾間、栗秋、矢野(会友)

10.16 手軽で急峻な門司アルプスの主峰・足立山へ

 足立山森林公園の南のへり、妙見神社に車を置き砲台山〜足立山〜小文字山を巡った。主峰・足立山からの眺望は、霞みがかかりイマイチであったが、門司アルプスの最高峰を初めて踏んだ悦子、寿彦の表情は充実感に溢れていた模様。そして帰路、足立山から小文字山への縦走は確実に高度を下げていくが、幾重にも現れる小ピークの上り下りは結構手強い。案の定、日頃の運動不足のツケが回った悦子ママは根を上げつつ、遅れがち。息子との体力勝負では全くかなわぬことを思い知らされた山行であったに違いない。

参加者 栗秋、悦子(妻)、寿彦(長男)

(コースタイム)自宅10:15→車→(途中、足立山森林公園の東端、メモリアルクロスでMTBを降ろす)→妙見神社(登山口)10:35 40→砲台山11:20 33→足立山12:05 35→小文字山13:25 30→メモリアルクロス13:52 55→MTBを駆る→妙見神社14:00→車→自宅14:15

11.6 戸上山 早朝登山

 岳友で埼玉・大宮日赤病院の内科医、長谷島が長崎での学会出席の途上、家族を引き連れてやって来た。彼の結婚式に出席して以来だから6年ぶりか。我が社宅での狭いながらも、喧(かまび)すしい清貧宴会も明けて早朝、他は未だ寝床夢食む中、二人で門司の盟主・戸上山へ登った。まさに朝飯前の往復1時間半のライトエクササイズであった。

参加者 栗秋、長谷島(会友)

山といで湯クロニクル(1995年)

’95(H7年) 1.1〜2 白銀の九重・坊ケツルキャンプで‘95年の“山のいで湯”は始まったの巻 

 巷はお屠蘇気分に溢るるも、“おゆぴにすと”たるもの、これにキッチリと背を向け清貧の山旅に出るのだ・(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(息子)、矢野(会友)

2.16〜18 父と子の伯耆大山スキー行状記

 「お父、オレをスキーに連れてって・クラスのもんも何人か行きよるぞ」と息子の戯れ言に、シチュエーションは全く違うが昔懐かしの映画、知世ちゃん(原田知世)の“私をスキーに連れてって”を思い出してしまったね。そしてひょんなことから、戯れ言が現実の話に。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(息子)

3.19 英彦山温泉にファミリーで浸る

 日田からの帰り、山国町〜野峠経由で新興の英彦山温泉・しゃくなげ荘へ。昨年10/31のオープンとのこと。英彦山駅へ通じる山間の下りカーブを、幾度となく曲がると、急に車が溢れているエリアがそれ。平屋建の瀟洒な建物で添田町が故郷創成資金を使って“建立”したらしい。湯屋は一段低いところに越屋根を持ち、すぐそれと分かるが、アルミ葺きのような白いモダンな造りである。日曜日とあってとにかく人が多い。駐車場も一杯だが、こんなときスモールカーは得だね。巡回中(かどうかは知らんが、空きスペースを物色していた)のパトカーを差し置いて、ちゃっかりと端切れスペースに留めることができるのだから。

 さてその温泉の成分は?となると「ナトリウム炭酸水素塩泉、40.6℃を地下1500mから湧出する」とある。少し茶色がかって、嘗めてみるとかすかに塩味が感じられる。いわゆる成分表には“無味無臭”と記されているが、これは素人の感覚であろうぞ。大人一人400円で屋内と露天の入浴が楽しめ、アスレチックジムやら座敷での休憩・食事ができる。人さえ多くなければ、環境、泉質、設備とも申し分なし。

参加者 栗秋ファミリー

3.26 チャレンジ20K、皿倉〜福智山縦走の巻

 「延び延びとなっている福智〜皿倉早駆け走の早期実現を・」と語気荒く迫る挾間のこだわり顔を思い浮かべながらの煩悶(?)の日々。そこへ北九州市報の『チャレンジ20K、皿倉〜福智山縦走』の案内記事が目に止まった。近未来の早駆け走の前段で是非縦走してルートの確認をしておかねばならぬと思っていたこともあり、躊躇なく参加することにした。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、金子(会友)

4.9 鶴見岳、一気登山は田植えの如きドロンコ競争であったぞな!の巻

 挾間の誘いで初めてこのレースに出るも、未明からの雨、しかも雨脚は強くなるばかりで意気消沈の栗秋。しかし他の連中はおかまいなしの風体である。こうなったら山頂目指して走る(?)しかないね。サポーターに高瀬、荒金を加え久しぶりに“おゆぴにすと”の面々が集まった。レース後の堀田・夢幻の里の湯と、打ち上げに利用した南立石小学校の見事な散り際の桜は白眉であったねぇ。これはどんな料亭もかなわぬぞよ。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 挾間、高瀬、吉賀、栗秋、荒金、岡&三浦(会友)

4.29 雨の貫山彷徨の記           

 先月、皿倉〜福智山縦走に味をしめた(?)会社の同僚・K氏は次の山行をおねだりして小うるさい。が北九州での貴重なパートナーを放っておく訳にもいかず、平尾台の北外れにどっしりと聳える貫(ぬき)山をやることにした。北九州のめぼしい山々で唯一未踏の山でもあり、いずれ登らなければと思っていたからである。そして1/25000の地図を見入ると、貫山々麓には林道が幾重にも張りめぐらされているではないか。K氏は自転車も好きな性なのでアプローチはMTBで攻め、峠(かどうかは分からないが...)から登山スタイルでやろうというエキサイティングなプランで話はまとまり、Xデーを『みどりの日』とした。

 がしかし、楽しみは無情の雨に流されてしまう。(個人的には、よんどころない飲み事にはまり込み未明までの深酒におかされてしまい、とてもMTB+登山の肉体労働はもたないので、恵みの雨とも思えたのだが.....) どうしたものか、と思案の間もなく約束の時刻9時キッカリにK氏は几帳面に現れる。我が社の列車ダイヤよりも正確無比なところが、いかにも彼らしい。とりあえず車で林道をつめて貫山の麓で雨に打たれるのも一興であろうぞ、との彼の主張に従い体調は最悪なれど、とにかく門司を後にする。目指すはJR志井駅から県道沿いに少し南下した母原(もはら)集落。ここはうねうねと高度を稼ぎながら、貫山の北麓をかすめ、水晶山のへりを朽網へと下るMTBにとっては第一級の母原林道の起点なのだ。(但し、天気が良くて体調万全ならばとの注釈がつく)

 一段と雨脚が強くなる中、母原集落の家並みが途切れたところから、意外にも舗装された立派な林道に分け入った。しかし高度は稼ぎつつも、2〜3k行ったところで頼みの舗装も切れ、迷わずここに車を置き支度を整える。とは言っても、自分自身はここらあたりを少し歩き、お茶を濁そうとの目論みであったが、K氏はと言えばしっとりと濡れた山の緑もいいものだと、この空を見てノーテンキにはしゃぎまわる様には何を言えようぞ。半ば諦めつつ、気持ちを切り替え歩き始めたが、だんだんまつわりつく執拗な雨はやっぱり風情どころではない。そして未だに胸ムカムカ、頭ユーウツの状態では貫山の頂を踏もうなんぞは、考えもしていなかったが、K氏の足取りはズンズンと着実に貫山を目指していたのだ。もちろんこの雨では登山者や山菜取りのハイカーすら人っ子ひとり会わずじまい。これは言わずもがな。更にズンズン林道を突き進む。くねくねと曲がり曲がって峠を越え、下りになってもズンズン進む。そしてようやくの登山口からは、しばらく鬱蒼とした杉の植林帯を進み、やがて地図どおりの急傾斜に差し掛かったが、ズルズルと滑り四つん這いの両手ドロンコ。傘がわずらわしいのだ。ほどなく、不規則な石段が現れ、こじんまりとした貫権現上宮に辿りつく。ここから山頂まではわずかだが、茶褐色の滑りやすい土道には往生したねぇ。ほうほうの体で極めた山頂は、ガスと雨で眺望は全くきかず、ただ頂を踏んだだけという事実が残った。下りは平尾台方面(南面)へ取ったが、こちらは傾斜も緩やか。15分ほどで立派に舗装された井手浦林道の支線に出て、びっくり。MTBで山頂を攻めるには、この井手浦林道からのアプローチがいいに決まっているぞ。お互いにうなづきながら、ザァザァ降りの林道を黙々と歩いた。みどりの日、緑々の青葉が目にしみた一日であったが、雨粒が目にしみたことも付け加えなければなるまい。

参加者 栗秋、金子(会友)

(コースタイム)

門司(自宅)9:40→車→母原林道中段(舗装切れ地点)10:30 35→貫山登山口11:21→貫山12:05 15→井手浦林道出合い12:30→(井手浦林道〜母原林道経由)→母原林道中段(舗装切れ地点)13:25 35→車→(小倉南区北方の『福来の湯』経由)→門司15:10

5.4〜5 G.Wは山菜狩りと山のいで湯にうつつを抜かしたぞの巻   

 恒例となった父子参加のツール・ド・国東80k山岳コースの完走を果たし、玖珠、日田の山々で旬の山菜狩りを楽しみ、周辺のいで湯を巡った。なお、山菜狩りには地元の地理に詳しい、玖珠の睦男父ならびに日田の章一郎父に登場願った。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(息子)、章一郎(実父・会友)、睦男(義父)      

6.10 山口の最高峰・寂地(じゃくち)山から安芸冠(かんむり)山、たおやかな初夏の山旅の巻

 九州の岳人には知られざる、西中国山地の峰々を今ここに“おゆぴにすと”誌に初めて紹介。みずみずしいブナの森のワンデリングを、今ここに伝えよう。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(息子) 

6.17 MTBで登る長門の名峰・一位ガ岳の巻

 美しい尖峰で知られる一位ガ岳に、おなじみ会社の同僚・K氏と山旅を企てた。アプローチはMTBで頂上近くまで攻め、そして“登山”はアゴの出た頂直下の登りがえらく堪えたが、涼風吹き抜ける山頂にたたずむに何の不足があろうか。もちろん下山後の一点は長門の名湯・俵山温泉で決まり。川の湯・共同湯にゆったりと身を投じ、しみじみと山のいで湯の風情を味わった。MTBの走行距離は約40k、ほどよいエクササイズに身も心も充分リフレッシュできた山旅であった。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、金子(会友)

8.7 親子三代、夏休み山のいで湯行脚

 先日、高瀬がふと宣った「山のいで湯はやっぱり小国の山川温泉だな。あの素朴な共同湯の造りと雰囲気が忘れられない」が妙に心に残った。栗秋にとっては12年ぶり。親父と息子はもちろん初めての湯である。共同湯の開き戸を開けると、硫化水素泉の匂いと共にかすかに記憶が戻ってくる。他に玖珠町川底に昨秋オープンした鶴川温泉にも寄る。こちらの方は居合わせた話し好きな村の古老とよもやま話に花が咲いた。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(息子)、章一郎(実父・会友)

8.13 玖珠・伐株山へランニング登山の巻

 前日から玖珠泊。早朝ふと思い立って伐株山へランニング登山を試みることにした。過去、頂には数多く立っているが、麓から自分の足で登ったためしがない。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋

9.15 再びの長門・一位ガ岳と周辺の湯

 先の6月、MTBによる“一位ガ岳と俵山温泉の旅”でパスをした一の俣温泉が気になってしかたない。そこで今回は奥方を連れて『一の俣温泉+一位ガ岳+俵山温泉』の二湯一山を目指すこととした。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、悦子(妻)

9.17 門司・矢筈山へランニング登山

 一週間後に皿倉山駆け登り大会を控え(結果的には台風14号襲来で呼び出しがかかり、出場は果たせなかった。新聞報道によると780名もの応募があったが、雨と風の中、それでも物好き連中が450名も集まり開催されたという)、細々と平地ばかりを走り、お茶を濁してばかりではあまりにも芸がないというもの。低山でも一度はランニングらしきことをしておいて本番に臨んだ方が、精神衛生上よかろう、と身近な矢筈山(266m“おゆぴにすと”第6号P70参照)ランニング登山を敢行した。

参加者 栗秋

9.30 栗秋のランニングフィールド、霊鷲山へ客人・挾間を案内の巻

 楽しみにしていた『初秋の九重、ヴァリエーションルート(公式行事)』と銘打った“稲星山ダイレクト・ルンゼ”アタック(挾間の発案なる第三−四半期の山湯行行事の一つ)が、高瀬のキャンセルで中止となった。これを伝える挾間の電話の声が、申し訳なさそうな響きで弱々しい。そして意外にナイーブな彼のこととて栗秋のことをおもんばかってか、代わりに長州の山あたりではどうかなと代案を提示する心遣いがうれしい。もちろんOKサインを送ったのは、言うまでもない。

 で、前日土曜日(9/30)午後3時40分、来門。下関・霊鷲山ランニング登山(往復13km)と関門橋直下、門司港・和布刈会館の湯へ案内した。“おゆぴにすと”第7号第一回編集会議を小宴会の果てに密かに催す。

参加者 挾間、栗秋

10.14〜15 九重、硫黄山噴火に伴う学術調査班一行が泥酔した真実の訳は?の巻

 メドレーで綴る青春グラフィティ。“清貧キャンプの筈がリゾート三昧に激変した訳”  “酩酊しその訳”  “真夜中の出来事”  “明けて山野は喧噪・厳戒のるつぼと化し、大野川源流探索もままならず”  “長湯榎田共同湯での快哉”(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 挾間、高瀬、栗秋

10.22 万年山登山と快晴の下での地鷄鍋小宴会の行方は?の巻

 父はかねてから万年山温泉・美人の湯に一度は浸ってみたいと宣ってきた。もちろんセットであるべき万年山登山の方は、自分の体力と相談して諦めているのか話題には上らない。そこで、『天領祭り』の誘いを受けて21日帰省したものの、中秋ともなれば気候さわやかで、山といで湯には最適のシーズンを黙って見逃す訳にはいくまいと、翌22日のスケジュールを『万年山登山と美人の湯』ツアーと銘打ち提案したところ、好奇心旺盛を旨とする性格ゆえ、即座に「O.K」のサインが返ってきたが、「登れるかねぇ」と不安をついた一言が胸中を語っていた。これは予期するところであって、すかさず「親父の牽引役に、寿彦を連れて来とるんばい」で一件落着と相成ったのである。そして大パノラマを借景に青空の下で『地鷄鍋』でもつつこう、であらば玖珠の睦男父も誘って賑やかに行こう、そして下バネ直下の断崖から湧き出る霊験新たかな妙見堂の水場に立ち寄り小宴会用の水を確保して、とシナリオどおりに山頂まではスムーズに事は運んだ。

 ところがである。意気揚々と快調に下山の途につき、吉武台牧場で見はるかす豊後の山々を眺めつつ『地鷄鍋』をつつくシーンをイメージしてみると、どうも調達道具一式の中に携帯用コンロ(プロパンガス)を積み込んだことが、記憶にないのである。悪い予感はしたものの表情には出さず、さりげなく「親父、コンロはちゃんと積んだろうねぇ?」と聞いてみると、途端に彼の顔が曇ったね。予感は的中したのである。「おぉゴッド、何てこったぁ」 かくして雲上の地鷄鍋パーティは、連綿と(?)積み上げたボクのシナリオをあざ笑うように、いとも簡単に根幹の部分で崩れ去ったのである。 で結局、空腹のままでは“美人の湯”に浸る気にもなれず、そのまま一気に駆け下り玖珠の義父の家に上がり込むことになった。趣は異なるが、インドア地鷄鍋小宴会を催したことは言うまでもない。親父の“美人の湯”初見参は次回にまわったが、天ケ瀬温泉・天竜荘前露天はいつもながら、肩肘張らず湯ったりとくつろげる山峡のいで湯であった。

(コースタイム)

日田8:55→車→玖珠9:35 45→車→(途中、妙見堂にて水汲み休憩)→吉武台牧場駐車場(登山口)10:10 18→万年山11:10 47→吉武台牧場駐車場12:25 30→車→玖珠12:47 (地鷄鍋小宴会) 14:30→車→(天ケ瀬温泉・天竜荘前露天入湯)→日田15:40

参加者 栗秋、寿彦(息子)、章一郎(実父・会友)、睦男(義父)

11.2〜5 新雪の北ア・徳本峠〜霞沢岳〜蝶ケ岳、眼前に広がる槍・穂高の大パノラマに青春の血沸き、肉踊るの巻

 構想7年目にしてようやく『あぁ、徳本峠(“おゆぴにすと”第5号・高瀬記に詳しい)』が完結した。一つの大きな目標を遂げて、帰門後数日間は放心状態が続いた。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 挾間、高瀬、栗秋、 鈴木

11.23 長門・大河内温泉は田舎のわりには多かったぞ!の巻

 奥方の陶芸仲間からの口コミで長門の国は豊浦の大河内温泉が『ひなびた所でいいらしい』との情報を得た。早速、ねだられての大河内詣である。時あたかも時々小雨の降る肌寒い日和とあって、しっとりと温まる山里のいで湯に期待してハンドルを握った。もちろん子供たちはそれぞれの世俗事を“口実”にやんわりと同行拒否を表明して、いつもの二人旅である。

参加者 栗秋、悦子(妻)

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