1975年5月8日(木曜日)午前11時26分。
大分市府内町、大分銀行裏にある産婦人科で俺は生まれた。
身長49cm、体重3300g。長男である。
この日の大分市は曇っていた。
太平洋戦争が終結して30年、大分市は路面電車廃止から3年。
サンハウスがメジャーデビュー、キャロル解散。
そんな年だった。
姓名判断で「尚史(たかし)」と名づけられた。
「吉田」という名字には8画、5画の漢字がいいんだそうだ。
それ以前に母は妊娠している。
流産だった。小指の先ほどしかなかったそうだ。
その次にできたのが俺だ。
その俺も流産になりそうだった。
そこで、母は薬をのみ、俺は「一命をとりとめた」そうだ。
ちなみに弟もそうだったらしい。
もし、その流産した子が生まれていたら俺はこの世に存在しないし、
母が薬を飲まなくてもやはり俺は存在していないのだ。
1週間後、大分市上野町、上野丘中学校裏の当時の吉田家へ。
国鉄日豊本線がアパートから見えた。
俺は電車をよく見ていたそうだ。
今でも電車は好きだ。
「比較的おとなしい子」だったらしい。
車に乗ればすぐ眠っていたとか。
今でも車を運転したり、また、乗るのも好きだ。
(運転が下手なことはとりあえず置いといて…)