藤沼恵メモリアルコンサート

〜 没後30年記念 〜


1999年12月19日(土) 大分県立総合文化センター 音の泉ホール
 その71年の生涯を、この大分の地に音楽を根付かせるために全てを捧げられた故藤沼恵先生が1969年11月24日に大分市の旧県立病院で亡くなってちょうど30年にあたり、先生にゆかりの関係者の手で記念のコンサートが開かれました。会場の大分市高砂町「音の泉ホール」では、定員700人に838人の入場で、3重の立見の列が出るほどで、立ったままのお客には申し訳ないけど嬉しい悲鳴という感じでした。

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1999年12月19日(日) 13:30開場  14:00開演
大分市 大分県立総合文化センター音の泉ホール 入場料2000円


 上の写真が本番ステージの写真です。前の2〜3列が記念合唱団メンバー、後側に大分中央合唱団からの協力メンバーや、賛助出演のウィステリアコール・メンバーが並んでいます。当日のカウントで133人いたはずなんだけど、写真には128人しか写っていませんね。どこかで計算が違っているみたい。なお、前列上手(画面右)端にいるのが私、第2列下手(画面左)端にいるのがうちの奥さんです。こういう位置関係は、不思議と高校の時から変わっていない・・・・・。

故 藤沼恵 先生

故 藤沼恵先生のプロフィル

 藤沼恵先生は1898年8月姫路市生まれ。1935年当時の大分県立一高女に赴任し、戦後も共学となった大分上野丘高校のほか大分舞鶴高、県立芸短大などの教壇に立った。退職後は自宅でピアノ、声楽のレッスンのほか合唱団の指導、さらに教会のオルガニストを務め敬虔なクリスチャンとしての人生を送っていたが1967年病に倒れ、1969年(昭和44年)11月24日に71歳で永眠された。

故 藤沼恵先生の功績

 先生は、県内の秋の主要な文化行事となった県芸術祭にも尽力し、第1回芸術祭では開幕行事として県内外の音楽家を動員して「森の歌」公演を実現した。このほか昭和33年には県の音楽関係者として初めて大分合同新聞社の文化賞を受賞している。またNHK大分の合唱団を造ったほか、昭和25年には第一高女の卒業生中心の合唱団(現大分市民合唱団ウイステリアコール)を結成し、和気あいあいの中にもレベルの高い混声合唱団として県内の合唱活動を盛り上げた。


滝廉太郎銅像除幕式で「荒城の月」を歌う大分上野丘高音楽部と指揮をする先生

故 藤沼恵先生の教えを受け継ぐもの

 声楽家の藤沼(旧姓石井)昭彦氏は高校の時にその素質を見いだされ東京芸大に進学してオラトリオ歌手の第一人者となり、のち藤沼家の養子となった。またピアニストの辛島輝治氏も先生にその天分を見いだされた。このほか声楽家の立木稠子氏や県立芸短大特任教授で声楽家の宮本修氏など、藤沼先生によって音楽の道に進んだ門下生は幅広い。今回はこれらの人々が力を合わせてのコンサートを実現したもの。

故藤沼恵没後30年記念コンサートの概要

1 題 名:藤沼恵メモリアルコンサート  〜没後30年記念〜
2 日 時:本年12月19日(日) 午後2時開演
3 場 所:大分市高砂町 大分県立総合文化センター・音の泉ホール
4 入場料:2000円
5 出 演:ピアノ独奏  辛島輝治    テノール独唱 藤沼昭彦
      ソプラノ独唱 園田みどり   ソプラノ独唱 立木稠子
      バリトン独唱 宮本修
       合唱 大分市民合唱団ウイステリアコール 指揮:飯倉貞子
       合唱 藤沼恵記念合唱団 指揮:飯倉貞子
6 主 催:藤沼恵没後30年記念演奏会実行委員会 (会長 廣瀬幸平)
7 連絡先:事務局  挾間文男 友田哲郎

藤沼恵記念合唱団のステージ内容

曲目:1 ベートーベン 「自然における神の栄光」
    2 シューマン 「流浪の民」
    3 ヘンデル 「メサイアからハレルヤ」

    さようならみなさま (全員で)
注・記念合唱団は直接ご縁のある個人参加メンバーと大分中央合唱団からの協力メンバー、それとウイステリアコールの賛助出演で構成。合計140人。


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