故 藤沼恵 先生
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故 藤沼恵先生のプロフィル
藤沼恵先生は1898年8月姫路市生まれ。1935年当時の大分県立一高女に赴任し、戦後も共学となった大分上野丘高校のほか大分舞鶴高、県立芸短大などの教壇に立った。退職後は自宅でピアノ、声楽のレッスンのほか合唱団の指導、さらに教会のオルガニストを務め敬虔なクリスチャンとしての人生を送っていたが1967年病に倒れ、1969年(昭和44年)11月24日に71歳で永眠された。 |
故 藤沼恵先生の功績
先生は、県内の秋の主要な文化行事となった県芸術祭にも尽力し、第1回芸術祭では開幕行事として県内外の音楽家を動員して「森の歌」公演を実現した。このほか昭和33年には県の音楽関係者として初めて大分合同新聞社の文化賞を受賞している。またNHK大分の合唱団を造ったほか、昭和25年には第一高女の卒業生中心の合唱団(現大分市民合唱団ウイステリアコール)を結成し、和気あいあいの中にもレベルの高い混声合唱団として県内の合唱活動を盛り上げた。

滝廉太郎銅像除幕式で「荒城の月」を歌う大分上野丘高音楽部と指揮をする先生
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故 藤沼恵先生の教えを受け継ぐもの
声楽家の藤沼(旧姓石井)昭彦氏は高校の時にその素質を見いだされ東京芸大に進学してオラトリオ歌手の第一人者となり、のち藤沼家の養子となった。またピアニストの辛島輝治氏も先生にその天分を見いだされた。このほか声楽家の立木稠子氏や県立芸短大特任教授で声楽家の宮本修氏など、藤沼先生によって音楽の道に進んだ門下生は幅広い。今回はこれらの人々が力を合わせてのコンサートを実現したもの。
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