誕生日の赤


 エニエスロビーに居たときは、当たり前の様にみんなでその誕生日を祝った。
 毎年ルッチは、仕方がないと苦笑しつつも祝われてくれる。けれどそのとき、私を時折意味あり気に盗み見てくることがあり、意味をなんとなく想像しつつも、私はずっとそ知らぬふりをしていた。

 時は移り変わり、現在ルッチたちと過ごしている場所は夜のある島・ウォーターセブン。
 祝えなかった年もあることだしと、ガレーラの皆と盛大に祝おうかと二、三ヶ月前から様子を窺っては見るものの、毎年の様にこちらを盗み見ていたルッチの視線が、以前よりあからさまに濃くなっていることに気がついた。
 エニエスロビーでは見せない視線の濃さは、まさしく『ルッチと私が以前から知り合い』と言うウォーターセブンでの設定にかこつけて、私がルッチの意図に気づいていることを知り、その上でねだっているようなものだった。
「とどのつまり、皆で祝うのとは別に個人的にも祝えと言いたいわけね?」
「そこまでは言ってはいませんが?」
 屁理屈を言いながらもルッチ自身、否定をしない。
 ルッチの部屋で向かい合ってお茶なんかしちゃって、涼しい顔をしてブラックコーヒーを口にするルッチを見るが、ルッチは動揺する素振りも見せない。ウォーターセブンに来てから、だいぶ図々しくなってしまったみたいだ。
 こちらもお茶で口の中を湿らすが、ため息をこぼしてしまう。
「誰に影響されたのかしらね」
「……」
 その言葉に視線だけを向けてくるルッチ、分かっていながら私は天井を仰ぎ見る。
 図々しいというより、自分の気持ちに正直になったと喜ぶべきだと思う。エニエスロビーにいたときは、ルッチなりにCP9として常に背筋を伸ばしていたのだから。たまに目の前で無防備になってくれるときもあったが、こんな風に日常的な場面で我が侭を示してくることは少なかった。
「姉さん」
 声に視線だけを向けると、コーヒーカップをテーブルに置いたルッチが、なにやら心配そうに眉をしかめてこちらを見つめていた。
 ……我が侭を言うのはいいけれど、すぐに私を心配してしまうのがルッチの可愛くもかわいそうな所だ。最後まで我が侭を言い続けられるカクと違うところで、そして悲しくも兄気質となってしまったルッチの可愛い所だ。
「なぁに、ルッチ」


 微笑みとともに向けられる言葉は、初めて会ったときから変わることがない。
「ルッチ」
「なぁに、ルッチ」
「どうしたの、ルッチ」
「ありがとう、ルッチ」
 耳がくすぐったいと感じ、胸があたたかいと同時に引き攣るような痛みをもたらすの言葉や表情。空気さえもこちらを包み込んで癒してくれるような気がするが、実際はルッチを追い詰める柔らかい真綿でしかない。
 は毎年毎年、ルッチの誕生日を祝うと言って微笑みながら他の三人と誕生日唄を合唱し、主役のルッチにケーキのロウソクを吹き消してと、幼い子供の様に囁いて目を輝かす。
 誕生日恒例の行事は、他の誰のときも同じように繰り返される。スパンダムのときは、二人きりで祝っていると知ったときのショックはルッチにとって生涯忘れられないものだが、とにかくルッチたち子供組み四人にはいつも誕生日パーティーが開かれていた。
 ルッチだけがにとって特別なわけではない。スパンダムの誕生日をとスパンダムの二人きりで祝うのは、ルッチたちがスパンダムのことを快く思っていないことを察知した、なりの心遣いだというのも分かっている。
 けれどルッチにとっては、に二人きりで祝福されたいと思ってしまう日でもある。どうしても、毎年その願いが生まれては存在を主張する。叶ったことなどないのに。
「ルーッチ?」
 返事をしないルッチを不審に思ったが、体を少々前のめりにして近づけてルッチの意識を確かめる。
 ルッチはすぐにへと意識を戻したが、なんの気まぐれかそれを表に出そうとしなかった。
「ルッチ?」
 不思議そうに何度も名前を呼ぶ。ルッチの部屋に二人きり。
 外は風も穏やかで日差しが緩く降り注ぎ、室内の二人に害を及ぼすものは何もない。
 いつもと誕生日唄を歌うカクも、カリファも、ブルーノもいない。自分の誕生日だからとを合意の上で独り占めする役立たずな長官も居ない。
「えーっと。……ルッチ、もしかして目を開けたまま寝ちゃったの?」
 不安そうに、けれどもルッチに意識があるなら聞こえる程度の音量で、はその唇を不器用に動かす。もごもごとまごついてしまいそうな唇は、ルッチの名前を繰り返す。
「ルッチ、ルッチ」
 不安そうに連呼される自分の名前に、ルッチは内心微笑む。今のは、どこをどう考えてもルッチのことしか考えていないだろう。それが、なんとも子供じみているが例えようもないほど嬉しい。
 自分はまだまだ子供なのだと苦笑するが、思わず実際に表情を変えてしまい、に意識があることを悟られてしまう。
 身を乗り出して片手をルッチの額に触れさせようとしていたが、あからさまに安堵の息を吐く。その頬が緩んでいく。
「あ、気がついた? 話してる最中に寝ちゃったら駄目よ」
 の一喜一憂を支配できた喜びに胸が圧迫されていくが、ルッチはなんでもないような顔でに頷いて見せた。
「最初から意識はありました。姉さんに仕返しをしただけです」
「仕返し? 私、なにかルッチに悪いことした?」
「意地悪を」
 すまし顔でルッチが言葉を返すと、は楽しそうに微笑んで見せる。小さく笑い声を漏らし、ルッチの頬を撫でてくる。
 近づいた顔の距離分の鼓動を、ルッチは無表情の下に覆い隠す。息が顔に触れ、笑い声が耳の奥まで染み込んでいく。独特の甘い香りが、ルッチの神経を蕩かした。性的な意味合いを持って触れられているわけでもないのに。
 ルッチの背筋が、に伝わらない程度に震える。思わず吐き出した息がに触れ、の微笑みの無邪気さをより一層深めさせた。 「意地悪? 私が貴方に?」
 分からないと口では言いながら、は小さな声で笑い続ける。ルッチの顎を片手で持ち上げ、もう片方の手でルッチの頬を撫で続ける。
 甘い香りと柔らかい指の感触、少し顎を傾ければ唇の触れる距離。
 ルッチは目眩を覚えながら理性を保とうと、必死で目をこじ開けてを見上げた。
 笑うの目が、ルッチだけを見つめていた。
 口紅を塗っていない赤い唇が、まるで色を零すように揺れる。
「こんなに甘やかしてるのに、失礼なルッチ」
 赤い唇が視界の中でぼやけ、甘い香りがより一層強くなる。
 なにがなんだか分からないと混乱しだしたルッチの思考が、現状を理解するより早く甘い匂いは離れていった。
 もう一度視界の中に戻ってきた唇は、微笑みとともに無邪気なの瞳を映す。
「ハッピーバースデイ、ルッチ」
 その唇の赤さがルッチの唇に火をつけてしまったように、ルッチは自分からその唇に引き寄せられていった。
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