どちらが勝者か、なにが勝利か


「姉さん?」
 ルッチがの部屋に行くと、しばらく任務に向かう予定のなかったはずのの姿が見えず、ルッチはゆるりと部屋へと視線を這わせていった。特に異常も見られない室内に、どこかにうろついているのかなと見当をつけると、静かに部屋を後にする。
 話をしていた情報が掴めたと、一番に知らせて喜ばせたかったのに。
 ルッチは出直すかと諦めて来た道を戻っていると、ふと廊下の端から聞こえた声に耳を澄ませた。
「やだ、それじゃ任務失敗じゃない」
 聞き間違えることなどないの声に、ルッチは嬉々として一歩そちらへ足を進めた。が、次の瞬間すぐさま顔をしかめる。
「失敗してねぇよ。だからこうやって、また話せてるんだろう?」
「あなた自身は失敗してないからでしょ?」
 任務に出ているはずのジャブラが、もう帰ってきていたのか。
 ルッチは話の内容から、またヘマをしたのだと言う事をすぐに理解したが、は笑って会話を続ける。失敗など、この場において最も無様なことだというのに。
 失敗しても生きて帰って欲しいのだと、ルッチたちに言うの心情を思えば、ジャブラだろうが生きて帰れば嬉しいのだろう。それがまた腹立たしい。
「もう報告は済んだの?」
「ああ、ついさっき。これから食事でもしようかと思うんだが、どうだ?」
「いいわね。喜んで」
 そこまで会話が進むと、堪らずルッチは気配を露にする。こちらに気づいた二対の目が、ルッチの姿を捉えた。各々の反応はあからさまに分かれ、は満面の笑みで、ジャブラは鼻で馬鹿にするような憎たらしい笑みでルッチを見た。
「ルッチ、どうしたの?」
 気づいていないのか流しているだけなのか、は笑顔でルッチに歩み寄ってくる。ジャブラはルッチの睨みなどどこ吹く風で肩をすくめ、自分の優位を疑っていない素振りだった。ますます腹立たしくなってくるルッチに、は声をかける。
「ルッチ?」
「この前話していた情報が手に入ったので、姉さんに知らせようと思ったんです。情報は新鮮なうちに話したいので、今からいいですか?」
 今すぐジャブラから引き離そうと、ルッチが笑顔で見る。は情報が手に入ったと聴いた瞬間、花が咲くように顔をほころばした。本当? と嬉しそうに目を輝かせてくる表情に、ルッチは喜びと同時にジャブラへの優越感を得た。
「ええ、詳しい情報は部屋に置いてきましたが、簡単なものならここに」
「わ、見せて見せて!」
 ねだられるままに持っていた書類を数枚渡すと、は浮かれたように文章に目を落とす。大急ぎで文字をなぞっているだろうその目は、忙しなく動き出した。
 ルッチがそんなの様子を微笑ましく見つめると、ふと険のある視線が刺さってきた。誰だと改めて認識するまでもなく、視線を上げればジャブラがルッチを睨んでいた。先に誘ったのは自分だと言いたいのだろうと思うと、ルッチは面白くてならない。後から関係に割り込んできたくせにと、ルッチこそ鼻で笑ってやりたかった。
 ジャブラの頬が引きつったように小刻みに動き、その口が何事か動こうとした次の瞬間、ルッチの視界はの笑顔で満たされる。
「ルッチすごい! こんな短時間で、ここまで情報集めてすごい!」
 目いっぱいの興奮を押さえつけ損ねたような迫力は、ルッチの動きをしばし止めてしまう。そのままいつものように頭を撫でられ、流れるようにの胸に抱きしめられた。
「ありがとう、ありがとうルッチ!」
「……いえ、簡単な仕事でしたよ」
「うん、ルッチすごいね」
 ルッチが子供扱いされることを嫌っていることなど、覚えてないようなの感謝の表し方であろうとも、今のルッチにとってはただただ嬉しいものだった。普段も照れ隠しと年齢差に焦れているだけで嬉しいのだが、今回はまた違う。その二つの感情を押しつぶしてなお、嬉しいのだ。
「ジャブラ、ごめんなさい」
 が顔を上げると同時にルッチもジャブラを見る。苦虫を噛み潰してしまったような表情が、しっかりとルッチを見つめていた。ルッチは二重にジャブラに衝撃を与えられたと、ジャブラに向かって笑ってやった。ジャブラの顔が、更に歪む。
 歯軋りの音すら聞こえてくるジャブラに、は表情を一気に落ち込ませる。ごめんなさいと殊勝に頭を下げ、ルッチから体を離した。
「ジャブラ、今一緒にって言ったばかりなのに、反故にしてごめんなさい。明日、食事は私が奢るから」
 の言葉にジャブラは数瞬迷うような素振りを見せたが、すぐに苦くだが笑みを浮かべての肩に手を置いた。
「しょーがねぇな、楽しみにしてた情報なんだな?」
「うん、そうなの。こんなに早く手に入るとは思わなかったくらい」
「ならしょうがねぇよ、ルッチに譲ってやるさ」
「ありがとう、ジャブラ」
 がジャブラからほんの少し視線を外した隙を狙って、ジャブラとルッチの視線が交差する。ルッチが現れる前とは明らかに違う力関係に、ルッチは笑いが止まらない。ジャブラの視線もまたルッチを射抜きそうに鋭いものとなり、どちらが勝者かは明白だった。
「ジャブラは、明日のいつなら食事できそう?」
 胸元から手帳を取り出したは、ページをめくりながらジャブラを見上げる。すぐにジャブラは笑みを浮かべなおし、ルッチとの視線のやり取りなどなかった風で首を捻る。
「朝は寝ときてぇんだが、会議入ってんだよな」
「起こしついでの朝食がいい?」
「そうだな。そうするか」
 不本意ながら目の前の会話に口を挟めないルッチは、気を取り直して笑っているジャブラが、やはり憎々しい。ジャブラに衝撃を与えられたのは確かだし、現在の勝者はルッチだ。はルッチを優先し、ジャブラとは明日に繰り越したのだ。
 なのに会話のないように納得が行かず、ルッチは二人が見えぬように横を向き、ほんの少しの間だけ眉をしかめた。はルッチを選んだのだ。例え、今現在手帳にジャブラの名前と時間を書き込んでいようとも、だ。
 は笑顔で手帳を閉じると、覗き込んできたジャブラを押しのけながら、また明日と顔を見合わせる。ジャブラもおう、だとか言いながら手を挙げて、ルッチが歩いてきた方向へと足を向けた。
「さ、ルッチ。お願いしていいかしら」
「ええ、姉さん。その為に来たんですから」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 二人で笑みを浮かべて歩き出し、会話をしながらルッチの部屋に向かっているというのに、を独占している喜びとはまた別のところで、ルッチは納得していない自分を認識していた。
 勝ったのはルッチではない。手にした情報こそが、この場合の勝者だったのだ。
「ルッチ、情報収集も一流だったら、他のサイファーポールいらなくならない?」
「己の腕を磨くのは当たり前のことです」
「さすが」
 例え笑顔で収集の腕を褒められても、ルッチは胸の奥、苛立つ気持ちを消すことが出来なかった。


「……くそっ」
 ジャブラは自室にて酒を飲みながら、今回の任務の結果をテーブルへと放り投げる。提出した報告書の写しと、それに付随する任務先での新聞が三部。相変わらず高い頻度で殺す人数を多くしてしまう自分のチームに、ジャブラは苛立ちとともに足を揺らす。貧乏揺すりだと指摘されて以来抑えてはいるが、こうも精神的ストレスが掛かっては抑えきれるものではない。
「ルッチの野郎が」
 目的人物の殺害はこなしているので、任務は成功と言えば成功なのだ。多すぎるその人数に、上司の小言が増えるくらいのストレスだ。フクロウが情報を漏らさなければ、体力的にもここまでストレスが掛かる任務ではなかったが、これもまた一晩眠れば回復するだろう。
 ジャブラは酒を注ぎ足し一気に煽ると、そのまま空になったグラスを力強くテーブルへと叩きつけた。
 夜だというのに明るいままの室内は、苛立った神経を煽っていけない。散歩にでも出るかと頭を掻き、ジャブラはふらつく足取りをそのままに、廊下へと足を踏み出した。
「散歩か」
 聞こえた声に踏み出した足を下げ、室内へと上半身を避難させる。次の瞬間切られた空間の切れ目を見て、ジャブラは下げた上半身の反動を使って、廊下へと身を躍らせた。廊下の壁を蹴ると、声の主へと同じ技を返してやる。が、それはジャブラと同じように簡単に避けられ、二人の距離を開くだけだった。
「なんだお前、不意打ちかよ」
 茶化したジャブラの言葉に、襲撃者は焦りもせずに唇だけで笑う。被った帽子で目元を隠すが、その愉悦は目が見えなくとも滾っているのが痛いほどジャブラに伝わってきた。
「違うさ」
 その一言に、ジャブラは酒臭い息を吐いて笑った。
「はっ! 不意打ちじゃなきゃなんなんだよ! クソガキがッ!」
 明らかな挑発にも襲撃者は乗らず、楽しそうに唇の端をまた吊り上げた。
「違うさ」
 目の前から姿を消した襲撃者に、ジャブラは反射的に目の前で腕を交差する。次の瞬間腕に叩きつけられた衝撃に、ジャブラもようやく唇の端を上げた。腕の向こうで狂気に煌いているその目を見て、その若さを笑った。
 襲撃者は、悦を含んだ舌なめずりで告げる。
「闇討ちだ」
 叩きつけられてくる足技に、ジャブラは大声で笑い飛ばしながら空気を踏んだ。追ってくるその身のこなしから、数時間前の余裕のある笑みは見えない。ジャブラは大いに笑った。
「ルッチ、てめぇなに苛ついてんだよ!」
「お前が消えれば納まる」
「優等生はこれだから困るぜ!」
 普段は規則だのなんだのと遵守するくせにと、ジャブラはおかしくてたまらなかった。ルッチの苛立ちが手に取るように分かり、勝者のはずだったルッチの方が今や胸中を嵐としている。混沌としたその思考は、結論として苛立たせた男の抹殺といったところか。
「ハッ! だからお前はガキなんだよッ!」
 ジャブラの放った拳に、ルッチは舌打ちしながら笑みを見せる。殺す愉悦を浮かべたその顔を見て、ジャブラはゾクゾク体を震わせた。ルッチの殺る気を前にして、楽しいものになりそうな予感に身震いをした。
「野良犬に言われたくないな」
 自分がどんな顔をしているか、確実に自覚しているだろうルッチは攻撃の手を緩めず、廊下の花瓶は砕かれ絵画は砕け散り、応戦するジャブラの攻撃で飾ってあった廊下の防具や武具なども、見事にあちこちへこませながら廊下に散らばった。
 いくつか駆けてくる足音に二人とも気づきながら、ルッチは攻撃を止めずにジャブラはその顔をしかめた。
「てめぇ、このクソネコがッ!」
 ジャブラが実の力を露にし、ルッチも数秒の差もなく実の力を露にした。廊下中に広がった大きな影に、物音に駆けつけてきた海兵たちが悲鳴を上げる。
「お前は前々から気に入らなかったんだ! 今日も後から割り込んできてくれてよぉ!」
「お前よりおれ達の方が先の関係だ。割り込んできたのはお前だろう、クソ犬が」
「ルッチ! てめぇはぶっ殺す!」
「望むところだ」
 海兵の悲鳴など聞こえていない二人は、その牙と爪を持ってお互いの体の急所を狙い始め、更なる騒音と破壊を繰り広げだす。次々と聞きとがめた人々が駆けつけ、その場の惨状に蒼白となった。
「ルッチさん! ジャブラさん! やめてください!」
「このままじゃ、この建物が崩れます!」
 悲鳴は繰り返されるが、血の滾った獣二人には聞こえないばかりか、さらに神経を煽る結果となった。
 だがしかし、ふいにルッチはジャブラから距離をとると実の力を押さえ込み、何事もなかったかのようにジャブラを見た。そして不思議がるジャブラと安堵の笑みを浮かべる海兵をその場に置き、何事もなかったかのようにその場を後にする。足音一つも立てずに消えていくその背中を、ジャブラは興奮冷めやらぬ目で見送っていた。
「ちょっと、何の騒ぎ?」
 駆けつけてきた人間の中から顔を出し、はその惨状に顔をしかめた。
「うわっ、何があったのこれ!? ……ジャブラ、ねぇ、これ、どうしたのよ……」
 絶句しているだろうその呼びかけに、ジャブラはルッチにしてやられたことにようやく気づく。駆けてくる足音に気づいたルッチは、見咎められる前に消えたのだ。ジャブラにその場の処理を押し付けて。
「ねぇ、ジャブラ。任務そんなにつらかった?」
 見当違いの気遣いを見せてくるの声に、ジャブラは振り返る気力もなく膝をついた。
「くそっ、あのクソガキが」
 その言葉を耳にしたは、不思議そうに首をかしげた。
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