貴方は平等すぎていけない。おれは子供過ぎていけない


「るっち、ぶるーのをしらんか」
 幼児がそこに居た。極々自然にルッチのズボンを掴み、そしてこちらを見上げてくる幼児。名前はカクといい、四角い長っ鼻が特徴的な丸い目の男児。
 ルッチはカクを無言で抱き上げ、いつものように目線を合わせる。そうしているのを見よう見まねで覚えて、最近ではすっかり板についてしまった。
「ブルーノを探してるのか」
「そうじゃ、がさがしておるんじゃ」
 幼児の癖にじじくさい喋り方だと思うが、ルッチは特に気にしていない。そうか、と返してカクを抱き上げたまま歩き出す。高い視点にはしゃぐカクは、少しして気がついた。
「どこにむかっとるかの」
「ブルーノは図書館にいる。そこまでだ」
をよばんといかん」
「途中で拾って行くさ」
「なら、いいわい」
 偉そうな喋り方だとは思うが、はカクの喋り方が好きだと言う。カクの個性だと言い、ルッチの喋り方も好きなのとこっそりと教えてくれた。あの時は照れたなとルッチは思い出して、唇の端をほんのり上げる。
はなかにわで、わしをまっとるんじゃ」
 ルッチの様子に気づかないカクは、中庭付近に来ると声を上げた。ルッチはその声に従って中庭方面へと足を進める。中庭を見渡せる場所まで来ると、ルッチが気づくと同時にカクも気がついた。木陰でねっころがっているに、カクがより早く声をかけた。
! ぶるーのはとしょかん、じゃと!」
 その声に目が覚めたのか、単に瞼を下ろしていただけなのか、はすぐに上半身を起こした。そして、カクとルッチを見つけて笑みを浮かべる。身軽な動作で起き上がり、さくさくと芝生を踏んで歩が進められる。柔らかい笑みが、二人に近づいてくる。
「カク、ルッチ」
 柔らかい笑みにルッチの胸は高鳴った。けれど同時に、自分の名前が先に呼ばれなかったことに、軽い嫉妬を覚えた。カクがお願いをされていたわけで、ルッチが来るとはも思ってなかったのだ。だから、カクが先に呼ばれるのは当たり前なのだ。
 そう自分に言い聞かそうとするが、一度覚えた嫉妬はすぐには消えてくれなかった。
「カク、ブルーノの居場所見つけてくれてありがとう。早かったのね」
「るっちがの、ぶるーののいばしょを、おしえてくれたんじゃ」
「あら、だから戻ってくるのが早かったのね。ルッチにもお礼言わなきゃ」
 カクは腕を広げたの胸にさっさと飛び込んでいって、にこにこと会話を進めてしまう。はルッチへとカクを抱っこしたまま向き直り、柔らかい笑顔のままで言う。
「ありがとう、ルッチ」
「いや、たまたま知っていただけですよ」
 少し冷たい口調で突っぱねてしまった後、ルッチは内心舌打ちをした。突き放すつもりなどなく、いつものように返すつもりだったのだ。初恋を自覚してからの自分は、口調一つすら満足に操れないのかとルッチは悔しかった。自分がどこを切っても未熟で嫌だった。
 は目を見開いた後、少し悲しそうに礼を言い重ねた。けれどカクは目をまんまるとしたままルッチを見つめ、に下ろしてくれるよう頼む。それはすぐに叶い、カクは視線をそらしてしまったルッチのズボンをもう一度掴んだ。
「るっち」
「……なんだ」
 少し低めの声で応じれば、にっこりと満面の笑みを浮かべたカクが耳を貸してくれんかの、と可愛らしくお願いしてくる。
は、もういちど、きのところにもどるんじゃぞ」
「仰せのままに、カク様」
「うむ」
 そこだけ日常が流れているかのように、ジョークで包んだ会話がつむがれる。大仰な身振りで答えた後、は少しだけルッチを見て元いた場所へと駆けていった。今度は足音などしなかった。
「よし、これでいいわい」
「なにがしたい」
 耳をふさいで明後日の方向を向いて目を瞑り、座っているを確認したカクが、るっち、みみをかすんじゃとズボンを強く引っ張った。ルッチはそんな行動に出る幼児に嫉妬した自分を、軽く哀れんで醜いとさえ思った。
 言われるままにしゃがみ込むと、カクはもう一度を見て、辺りを確認してから手筒を作りながら耳に囁いた。
はの、さいしょ、るっちをしらないかときいてきたんじゃ。けど、わしはるっちがどこにおるかしらんで、もるっちがやすみかどうか、しらんかったんじゃ」
 思わぬ言葉が吹き込まれ、ルッチの眉が寄る。その間も、カクは一生懸命ルッチの耳に言葉を続ける。小さなもみじが、ルッチの耳たぶを軽く圧迫していた。
「だからの、きょうやすみとわかっとる、ぶるーのをさがそうということになったんじゃ。はてつやというのをしたあとで、たいそうつかれておったから、わしがかわりにさがしてたんじゃ。ほんとうは、るっちがおればはやかったんじゃぞ?」
 どこか説教をするような口調で軽くたしなめられ、カクはルッチの前に回ると楽しそうににんまりと笑みを浮かべる。何か悪戯でも企んでいるようなその顔は、なんだか可愛らしいものだなとルッチは思った。
 自分を最初に思い浮かべて、そして探そうとしていたのだと分かったため、それを教えてくれたカクに好感を抱いただけかもしれないが、現金な感情だとしてもルッチにはカクが可愛らしいものに見えた。
 年上のお兄さんに嫉妬されていた幼児は、胸を張ってルッチを見上げる。
「わしはぶるーののところに、さきにいっておるから、となかなおりするんじゃぞ」
 そして走り出そうとするが、思い出したようにもう一度カクはルッチを見た。
「るっち、ぶるーののばしょ、おしえてくれてありがとうの」
 幼児らしい笑みを浮かべると、カクはそのまま図書館のほうへと走っていった。いやに甲高いと感じるそれをしばし見送った後、ルッチはのいる木陰まで歩いていく。
 完全に耳をふさいでいるのか、それでも気配は分かるだろうは両手で耳を押さえたまま、ルッチなの? と振り返りながら小さな声を上げる。
「おれです」
 そして躊躇った後、思い切って両手に触れると、リボンが解かれるようにの手が耳から離れていき、その両目は立っているルッチを見上げた。
 安心したような笑みが、その顔に広がっていく。
「ほんとにルッチだ」
 けれど辺りを見回してカクの姿がないと、あれ、と不思議そうな顔で疑問を口にしようとする。けれどルッチが先に口を開いた。
 触れていた手は離れ、握り締めていればよかったなと思いながら。
「カクに、さんと仲直りしろと言われました。さっきはすみませんでした」
「え? あ、ああ! そんなの気にしなくてもいいのに」
 小さい子は敏感すぎて困るねと、の苦笑いにルッチも苦笑した。まったくだ、カクに真面目な説教を受けるとは思ってもみなかった。
 けれど苦笑いを浮かべていたは、ルッチも座りなよといって手を握ってきた。ルッチは体を硬直させかけたが、なんとか精神力で堪えての目の前に腰を下ろす。嬉しそうに笑う顔が近くに見えて、ルッチの胸はまた高鳴った。
 幼児にも心配をかけてしまうほど、恐ろしく未熟な嫉妬だとは分かっていた。けれど今この時間、は自分だけを見て微笑んでいる。それが何より嬉しいと感じていて、そしてから弟としか見てもらえていない事実に歯噛みする。
「本当はね、ルッチを探してたの。偶然だけど嬉しい」
 だから、深い意味もなく言われる言葉にもひどく動揺をする。自分は男として見てもらうには、まだまだなのだと知ってはいても、やはりどこかで期待をしてしまう。
 ルッチは覚えた知識を総動員して、先ほどのような失敗はすまいと精神を無理矢理にでも落ち着かせた。落ち着いたと思い込ませて、笑みを浮かべた。
「おれを? なんの用事を言いつけるつもりですか」
「ひどいなぁ、そんなんじゃありません。えーっと、どこに置いたかな」
 は片手でルッチの手を掴んだまま、木の反対側の根っこのほうへと体をよじって、なにやら物をまさぐった。そして目当てのものを見つけたのか、これこれと言いながらルッチへと向きなおる。
 その手には、何の変哲もないタッパーがひとつ。
「毒見ですか」
「差し入れです」
 自然な動作で離された手を、自分の元にルッチは引き寄せながら開けられていくタッパーの中を、好奇心で覗き込む。どこにでもあるようなブラウニーが、いい匂いをさせて鎮座していた。
「へぇ」
「おいしそうでしょ? カクにも手伝ってもらって、一緒に作ったんだよ。確か前、ルッチに食べてもらうって約束してたよね?」
「ええ」
「だからね、ルッチ探してたの」
 照れたように肩をすくめるを見て、ルッチの頬も緩む。そうか、そんな前の約束も覚えてくれてたんだと素直に喜んだ。温かい匂いに、作り立てだとわかってなおさら喜びは増した。
「じゃあ、ひとついただきます」
「どうぞどうぞ。おしぼりはこちらになります」
「ありがとうございます」
 お絞りをもらって手を拭いて、そしてブラウニーを手にとったところで浮かれたルッチも気がついた。けれど今度は嫉妬しないようにと気をつけながら、口を開いた。
「ブルーノ、探してたんですよね」
 その言葉に動きが止まる。そしてルッチが見つめると視線をそらそうとするが、しばらくの沈黙の後、あきらめたように呟いた。
「……だって、わざわざ忙しかったりしたら、申し訳ないじゃない」
 自分を気遣っての考えだとわかって、ルッチはほっとする。けれどたとえ忙しかったとしても、それくらいじゃ早々揺らがない自分を知っているので、ルッチは呆れたように言い返してやった。
「おれはさんと違うので、ちょっとやそっと忙しいくらいじゃ、なんの差し障りもないですよ」
「うーわー、嫌味だねぇ。どうせ私は凡人ですよ」
 軽く唇を尖らせていじけだしたに、ルッチは溜飲を下げる。それぐらいで自分は、の優先度を下げるつもりなどない。任務などなら別だが、自分は好きな人を大切にする男なのだ、それくらい分かってほしいと思う。
 言えないところが自分の悪いところだと自覚しながら、ルッチはブラウニーにかぶりついた。甘くて柔らかくて、とても美味しかった。
「美味しいですよ、さん」
「ほんと? よかった、それ二回目に作った奴なの。成功したのが出来てよかった」
「失敗したんですか」
「失敗は成功の母。回数こなせば十八番にだってなります」
 からかうつもりが痛くもなんともないという顔で言い返されてしまい、じゃあ絶対得意なお菓子に入れてくださいよとルッチは言い返してしまった。そして売り言葉に買い言葉で、も胸を張っていってしまう。
「上等じゃないですか、入れましょう入れましょう? しばらくブラウニーにうずもれる夢でも見ればいいのよ。毎日毎日差し入れしてやるわ」
「ええ、食べられるブラウニーばかりだと期待してますよ」
「その言葉、後悔しなさい!」
「そっくりそのまま返しますよ」
 いつの間にかけんか腰になってしまい、は全部食べやがれとタッパーを差し出し、ルッチはブルーノやカクにもあげるんでしょうとそれをさらりと流してしまう。けれどタッパーはきっちりと受け取り、悔しそうに唸るの手もついでにとって、自分の立ち上がりついでにも立たせてしまう。
「ほら、いくんでしょう」
「いきますとも!」
 そして、仲直りしたんだが悪化したんだか分からない状態のまま図書館へと行き、その二人の空気にカクはまた不思議そうな顔を浮かべた。
「ぶるーの。ふたりはなかなおり、できたとおもうか」
「ケンカするほど仲が良いって奴だな。突っ込むと巻き込まれるぞ」
「おとなはむずかしいの」
 結局はいつの間にか笑い出してしまった二人に、カクは呆れたようにため息を吐き出した。
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