お綺麗でお遊び的に鍛錬するその先の、可能性の話

「主管、本気ですか」
「ああ、本気だ。なんだ、不満か」
「そんなことはないですが」
 ジャブラは言葉を濁すが、推し進める気でいるスパンダムはあえて追求せずに書類をまとめる。背後に立っていた部下に回す分の書類と分けてを渡すと、椅子に座りなおしてジャブラを見る。
「ならいいじゃねぇか。の顔は知ってるだろう、もう何年もここにいるんだ」
「……」
「話は以上だ。悪ぃな、任務帰りに呼んでよ」
 顔をしかめるジャブラを見もせず、スパンダムは手を振ってさっさと出ろと指示する。ジャブラはそれに逆らおうとはしないが、しかめられた表情は変わらずスパンダムの執務室を後にした。
がCP9候補だと?」
 閉められた扉に向かい、ジャブラは怪訝そうに問いかける。確か数年前からエニエス・ロビーでその姿を見かけだしたは、スパンダムに拾われた女のはずだ。CP9になるために集められたガキたちと、同じように教育を受けているとも聞いていた。その内の何人か、将来CP9としての有力候補であるガキ共とつるんでいるのも有名な話だが、特出したところのない女だとしても有名だ。
 それがなぜだ、なぜそんな話になる?
 スパンダムがを可愛がっているのは知っているし、二人が恋人同士には到底見えないのも有名だが、ならばなぜ危険極まりないCP9にさせたがるのかが分からない。それも本人の希望だからだと言っていたが、普通は止めるような話ではないか?
 ジャブラは鼻を鳴らして扉から視線を外すと、自室に向かって歩き出す。
 スパンダムの言葉どおり、任務から帰ってきたばかりの身体は疲れをためていて、到底信じられない話も相まって、さっさとシャワーでも浴びて寝たいと欠伸混じりに歩を進めた。

「ほら、もう寝る時間よ。部屋に戻りましょう」
「わしはまだだいじょうぶじゃぞ」
「でももう寝るの。……ほら、カリファが来た」
「姉さん、カク。もう時間よ」
 賑やかな声に廊下から外へ視線を向けると、寄り添う幼児と女、そして少女が駆け寄る光景が目に入った。まだ幼いながら頭角を現しているカクに、CP9とまでは行かないが任務を数回こなしているカリファ。そして先ほどまで話に出ていたの姿に、ジャブラの足が止まる。
 視線の先は中庭で、そこは彼らをよく見る場所だった。
 木の下でスカートを広げて座り込むに、その膝の上で寝転ぶ幼児であるカク。そしてそこに駆け寄り時間を告げに来たのであろう、微笑を絶やさないカリファ。不夜島の光を緩やかに受けた中庭。
 まるで当たり前のように広がる穏やかな光景に、ジャブラの口がぼんやりと開く。
 先ほどまで人殺しの事後報告をしていた自分と、なんて隔たりのある光景だと思う同時に、ジャブラにとっては現実感の伴わない光景だ。
「ほらほら、カリファもこう言ってるし戻りましょう。きちんと寝ないと、明日の鍛錬でへばっちゃうよ」
「わしはへいきじゃぞ! かりふぁ、まだいいじゃろう?」
「可愛らしく首をかしげても駄目よ。姉さんはともかく、カクは小さいんだから」
「わしはもうしがんもらんきゃくもできるぞ、ねえさんより、ずっとずっとおとなじゃ!」
 遠目でも、カクの台詞にが困ったように苦笑するのが見て取れた。穏やかにゆるやかに、けれど揺るがない事実である台詞に、返す言葉もないのだろう。ジャブラはあきれ返るカリファの表情を見ながら、窓枠に肘をつき階下である中庭を本格的に見る体勢に入った。
 は見詰め合うカクとカリファの間に手を伸ばすと、二人の視線を自分に引き寄せてから微笑む。
「カク、私が貴方より弱いなんて誰でも知ってるわ。私たちが言ってるのは、貴方の年齢。身体的年齢のことを言っているのよ。分かってるくせに、わがまま言わないの」
 カクの鼻をちょんと突付き、瞬きをするその丸い目には笑い、カリファを見上げてカクの両脇に手を差し入れ猫の子でも渡すように差し出した。
 カクは暴れもせずにとカリファの名前を呼び、何をされるのだと言いながらカリファに抱きかかえられていった。
「カリファ、寝かしてきてくれる?」
「分かったわ、姉さん。今日は私が連れてくわ。さ、カクは歯を磨いてお風呂に入りましょう」
 二人がカクを挟んでの会話にようやく正気づいたのか、カクが見事に暴れだす。手も足も振り回し、嫌だ嫌だと身体をそらして首をそらして空へと口を開き、叫び上げる。
 ジャブラからすればカクの顔がよく見えて良いのだが、うるさいのは敵わない。多少覚めてきたとは言え眠気のこもる身体に、幼児の金切り声はきつかった。カクはまだ起きているだとか、もっと遊ぶだとか元気の良い事を羅列していくが、ジャブラにとっては運悪く視線が合ってしまい、その金切り声は終わりを迎える。
「あら、観念したの?」
 抱えていたカリファが意外そうに呟くが、カクはジャブラから視線をそらさない。ジャブラもなんとなく視線をそらすことが出来ず、そのカク特有の丸くまつげのはっきりした目を見つめ返した。
 そうすれば自然とカリファもも上を見上げ、ジャブラがいることに気づく。
「あ」
 カリファの上げた小さな驚愕の声にジャブラは顔をしかめたが、カクはそれを合図の様にジャブラから視線を外しカリファを見た。それに気づいたは、今のうちに連れて行こうかとカリファに話しかけ、カリファもカクの様子に気づいて一言二言と話すと、ジャブラに頭を下げて屋内へと駆けて行った。
 それを目で見送ったは、立ち上がると改めてジャブラを見上げた。何の含みもない視線は、今までと同じように頭を下げてジャブラの視界から消えようとする。
 何の変哲もない女。幼少時から鍛え上げられた才能と実績があるわけでもなく、スパンダムが一言CP9と言っただけの女。先ほどまでまるで本当の家族の様にガキ共に笑いかけ、その場に存在していた女。
「おい」
 今まで係わり合いを持とうとも思わなかった。だが、スパンダムの言葉どおりことが進むなら、係わり合いを持たないわけには行かなくなる。まだまだ先の話だろうが、可能性はゼロではない。
 ジャブラの声にの足が止まる。見上げられた視線は、ジャブラの意図を察しかねているようで不思議そうに瞬いていた。ジャブラはその様子を見て、窓枠に足を掛ける。
「あぶなっ」
 窓から飛び出したジャブラの身体は空を舞い、が制止の声を言い切るより早く足の裏で地面を捉える。目の前に降ってきた存在に、は先ほどまでジャブラのいた窓枠を見上げ、そして目の前に着地ししゃがみ込んでいるジャブラを交互に見つめた。
「月歩、ですか」
 躊躇いがちに呟かれた言葉に、ジャブラは立ち上がりの顔を見つめる。やはり近くでも見ても特に美人と言うほどでもなく、かと言って不細工と言うわけでもない女でしかないなと考えていた。普段交流のないジャブラが降ってきたにもかかわらず、警戒よりも戸惑っていることからも、反射神経が鈍そうに見えた。
 の戸惑う視線はジャブラの表情を見て、違ったかなと自信なさ気に言葉を漏らす。
「いや、月歩だ。お前はもう覚えたのか?」
「まだです。剃は出来るようになったんですが、こう、先入観で頭が固くて成功しないんです。だから先に殺す術を覚えるようにと、基礎鍛錬の授業とともに指銃の授業を多く教えていただいてます」
「ふうん」
 微笑みと共に当たり前の様につむがれた言葉に、ジャブラは違和感も露に生返事をする。
 先ほどまでガキ共に向けていた笑みと、全く同じものを浮かべる。血生臭い単語を当たり前の様に口にすることは、まったく持ってこの場所では珍しくないものだが、先ほどまでの穏やかな光景を見ているジャブラにとってはおかしなものだった。深く関わっていないから知らないだけかもしれないが、この目の前の女が人を殺している光景など、想像できない。
 そんな見た目だからこそ、暗躍するにふさわしいと言えるのだろうと承知しているが、六式全部どころか未だ覚えていないことのほうが多い女を、どうしてこの段階でCP9候補とスパンダムが呼ぶのかが分からなかった。
 微笑むは、ジャブラの顔を見ると改めて頭を下げる。
「申し遅れました、です。今はスパンダム主管の下についております」
 穏やかな声は一転背筋を伸ばした凛々しいものになり、堅苦しくジャブラを見上げてきた。目は先ほどの戸惑いを払拭し、自分の身分をただただ名乗る。ジャブラは一拍間を置くと、ああ、知ってると返した。
「さっき聞いたぜ、お前CP9候補なんだってな。さっきのガキ達と一緒に」
「はい、その為に鍛錬を積ませていただいてます」
 スパンダムの気まぐれで告げられたと思っていた。なのに目の前のは嬉しそうに肯定し、ジャブラの予想を見事に裏切ってくれる。
「……本気か」
「はい」
 一点の曇りも怯えもない返答に、ジャブラは後頭部を掻く。ぼりぼりと音を立てながらを見て、大人が子供にそうするような呆れと諭しを含んだ話をする。
「お前な、CP9がなんだか分かって言ってるんだろうな。ジャブラさんだとか丁寧な言葉使う女が、簡単になれるような仕事じゃねぇぞ」
「はい、理解しています。政府直属の暗躍機関で合法的に人殺しを認可された、一般的に言えば人殺し集団ですよね」
 躊躇いのないその言葉にジャブラの動きが止まり、ゆっくりと眉が寄せられた。
 はまた穏やかで優しい笑みを浮かべ、ジャブラを見ているようで見ていないような、はっきりとは分からない柔らかさで持ってそこに立っていた。
「私はそのCP9になるために、人殺しの術を覚えています。分かって鍛錬を積んでます」
 切りそろえられた爪を持つその指が、ジャブラにそっと向けられる。肌と同じ色のテープがいくつも巻かれ、所々黒ずんだ血が滲んだそれは、日頃の鍛錬の証ともいえるだろう。それが実っているかどうかはこの先の話だが、ジャブラは訳もなく苛立った。
 歯を食いしばりその手を掴んで握りこむと、骨の軋む鈍い音が響いた。
「ッツ!」
「イテェか」
 標準的な女の手。ジャブラの片手にやすやすと収まり、その指もジャブラより細く弱々しく、このまま力を入れれば確実に砕けるだろう脆さ。なのに人殺しになるんだと言う、自ら進んで血の海を作るのだと言う。望むと望まぬと関わらず、そうして強くならなければ生きていけなかったジャブラの前で、他の生き方もあるだろう人間の能天気な発言だと、ジャブラは自分の怒りを露にした。
「イテェか、どのくらいイテェんだ。泣くほどか、死ぬほどか、腰が抜けるほどか」
 徐々に手を吊り上げ力を増していくジャブラに対し、は堪えるように唇を噛んで瞼を伏せる。ジャブラの問いかけにも返事をせず、むしろ返事が出来ないほど弱いのかとジャブラを落胆させ怒りを増幅させた。
 赤く白く青くどす黒く色を変えていくの手に、ジャブラは砕けない程度に折れない程度まで握り締める力を加え続ける。
「この程度で音を上げるお綺麗なこと言うお前が、CP9になれるわきゃねえだろうがッ!」
 その言葉に瞼を開けたとジャブラの目が合ったと思った瞬間、ジャブラは自分の手の中からの手が消えていることに気づく。そして空気が歪み背後から聞こえてきた荒い呼吸音に、剃でその場を即座に離れた。
 自分の元いた場所を見たジャブラは、呼吸音の持ち主がだと言うことに気づくと、連鎖的にも剃を使ったのだということを理解した。ゆれるスカートに荒い息で自分の手を抱きこむその姿は、手負いの獣と言うより哀れな小動物のようだったが、その目が闘争心も露にジャブラを睨みつけていることに、背筋をほんの少しだけ何かが駆けていく。
「へえ、なんだよお前。そんな顔もできるんじゃねぇか」
「顔?」
 言われた言葉に反応したは、素直に自分の頬に触れる。そして分からないといった怪訝そうにしかめた顔でジャブラを見ると、どこがですかと憤慨したように地面を踏む。
 子供っぽいしぐさに、ようやくジャブラは声を出して笑った。
「……ジャブラ、さん?」
 ジャブラの変化に順応できないは、気でも違ったかのように笑うジャブラの顔を首を傾げて見つめる。
 ジャブラもジャブラで笑いを収めると、その場に腰を下ろして胡坐を組み、怪訝そうなままのを見上げた。
「いや、お前そうかあれか。本気でCP9目指してんだな?」
 今更何をとが気色ばむが、いや怒るなお前とジャブラが手を振るとまた怪訝そうに今度は困ったように眉を上げる。座り込んで見上げてくるジャブラに、距離を置いたままも遠慮がちにその場に腰を下ろす。
 それを見ていたジャブラは、実はよと先ほどまでとは違った軽い口調で口を開いた。
「スパンダム主管に、お前がCP9候補だって聞いてな」
「あの馬鹿」
 即座に呟かれた一言に、ジャブラはスパンダムからの言葉がの本意ではなかったことを知る。丸くなったの目が、徐々に怒りに目の色を燃やし細められていく様子を、ジャブラは意外に思いながら観察した。口元は少しばかり面白がってつり上がったが、片手で額を押さえたの目には入っていない。
「なんだ、違ったのかよ」
「いいえ、目指していることは本当。でもこんなひよっこがCP9を目指すなんてこと、現役の先輩に言われてるだなんて普通は夢にも思わないわよ。もう最悪、私が怒られるのも当たり前じゃない。私も馬鹿だけどスパンダム、本当に馬鹿だ」
 ジャブラに握りこまれて鬱血した手を、はジャブラが握りこんでいたときのような音を立てて握り締める。眉はつり上がっていき頬を引きつり、顔色は今や怒りの赤と言うより怒りの白。逆に冷静にでもなったのか、目は先ほどとは違い据わった細さになっていた。伝わってくる怒気に、ジャブラの背筋を寒気が走る。
「私のこと、丁寧な言葉遣いだとか、お綺麗なって言いましたよね」
「あ、お、おう」
「正式な場以外、砕けた口調のほうがCP9としては良いのね。参考にさせてもらうわ」
 立ち上がったは、何を企んでいるのか楽しそうに笑い声を漏らすと握りこんでいた両手を振り、軽く身体をほぐしに掛かる。スカートが揺れながらも怒気の収まらない姿に、ジャブラは声を喉奥に何度も引っ掛けた。
「お前、なに、なにしに行くんだ?」
「スパンダムのところよ。先輩を見習って、分かってない人間にしっかりお願いしてくるの」
「お願いって」
 ジャブラは自分のした事を反芻した。に質問し、手を握り締めて痛めつけ、そして座り込んで。
 スパンダムの哀れな姿を想像したジャブラは、思わず立ち上がっての肩を掴んだ。
「弱いったって主管だぞ! お前、他の奴らに」
「ぶちのめすの」
 肩を掴んで振り向かせると同時に、の瞳孔の開いた目がジャブラを見上げた。ビリビリ肌を刺すような怒気に、ジャブラは止められない事実を認識し、自分の中のの情報を改めた。どこが特出するところのない女だ。
「……お前、男らしいな」
「男を磨いてくるわ」
「しばらく執務室で公務だとよ」
「ありがとう」
 ごきごきと手首を回しながら、はその場で一気に加速する。興が乗っているのか怒りがそれをさせるのか、剃での加速にすぐにその姿は目の前から消えうせ、ジャブラはその場に寝転んだ。
 深いため息がジャブラの腹の底から立ち上り、体中から力が抜けていった。
「なんだよ、お綺麗なだけの女じゃねぇじゃねぇかよ」
 あー、くそっ!
 ジャブラは寝転んだまま芝生の草を乱暴に引っこ抜き、あちこちに散らす。シャワーを浴びようとしていたことすら忘れ、明るいために夜だということも失念し、一声大きな唸り声を上げた。
「もったいねぇじゃねぇかよ! くそっ!」
 あんな面白い女だったのなら、もっと早くから声かけりゃよかった。ジャブラは自分の漏らした言葉に、スパンダムがの希望を話していたときの顔を思い浮かべる。当たり前の様にジャブラに言っていたその顔からは、やはり自身の希望を拠り所とした面白さを知っていたのだ。
「あー、もったいねぇ。あれで本当にCP9になるほど力磨いたら、もっと面白い事になりそうじゃねぇかよ」
 それまでに死ぬかもしれないし、ジャブラよりは強くならないだろうとは思うが、面白いおもちゃが同じ敷地内にいたことに気づくか気づかないかは、ジャブラにとって大きな違いだ。
「明日から鍛錬の成果見てやるか、暇ならな」
 が六式を使って人を殺すその場面が、どれだけ力強く美しくなるのかを想像しながら、ジャブラは改めて息を吐く。
「楽しみだな」
 子供よりも固い頭と身体をほぐす難しさを知っていながら、ジャブラは楽しみの増えたことを喜んだ。


「なに睨んでんだ」
「別に」
 だがその日以来、を見かける度に話しかけるようになったジャブラは、ルッチが故意に睨みを利かせてくるようになり、面白くないことも増えている事実にしばらくの間気づくことが出来なかった。
「よう、
「おはよう、ジャブラ」
 食事をする際に顔を合わすだけで、ルッチは鋭くジャブラを睨みつけるが、ジャブラは中々その因果関係に気づくことが出来なかった。
「……だからお前、何が言いてぇんだ」
「なんでもない」
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