携帯10題


着信音ひとつに()// 架空請求()// 距離を実感する()// ストラップ// 「待ち受けはきみの写真です」// 焦らさないで、待ってるから// あのひとと同じ機種に変更// 学割// ノイズに邪魔される// ほんとは直接きみに会いたい//


[着信音ひとつに:スパンダム]

 電伝虫のなる音に、スパンダムは気だるげに受話器をとった。本日の受話器は珍しくきちんと納まっており、電伝虫の音も絶好調だ。
「おれだ」
『あ、スパンダム。よかったー、今は仕事大丈夫?』
「あ、え、お、か!」
『そうだよ。……なに、私以外の誰かの電話でも待ってたの? ふぅーん』
「違っ、え、違うぞ! お前からのを待ってたんだ!」
 スパンダムの言葉に、からの返事はない。しばしの沈黙が流れ、スパンダムの額から汗が顎へと流れていく。
『……ありがと』
 照れたような声音に、スパンダムの表情が溶けた練り飴のように一瞬にして変わってしまう。鼻の下が伸び、ファンクフリードはそんなスパンダムから視線を離し、部下たちの抱えるりんごをもすもすと食す。
「で、どうしたんだよ。おれの声が聞きたかったのか?」
 浮かれて軽口を叩くスパンダムに、部下たちとファンクフリードは一斉に耳を押さえる。スパンダムの軽口は今に始まったことではないが、毎度に怒られているのも確かなのだ。
 けれどいっこうに怒声は響かず、浮かれていたスパンダムも不思議そうに名前を呼ぶ。
?」
『…………………実は、そうなの』
 消え入りそうな告白に、スパンダムは鼻血を噴いた。






[着信音ひとつに:ルッチ]

 ルッチはひとつの電話を待っていた。本日未明にかかると宣言されていたそれを、今か今かとソファーに正座をして待っていた。
 鳴り出す電伝虫。それが二つ目の音を出す前に、受話器を即座に耳につける。
「姉さん?」
『わ、早ーい。……ええと、です。ルッチ、だよね?』
 引き気味なその声に、ルッチは浮かれている内心を気づかれぬように低く相槌を打つ。ほっと安心したような音が聞こえ、ルッチの頬も緩む。
 この時間を楽しみに、手紙を空けてからの時間を過ごしてきたと言っても過言ではなかった。ルッチは電話向こうで笑っているだろうを思い浮かべる。
「で、今日はなんの用ですか?」
『堅苦しい言い方はやめて、ルッチは相変わらず真面目なんだから』
「性分なんですよ。始まったばかりの任務のストレスです」
『うそ、そっちで楽しんでるんじゃない? 可愛い子とか、いないの?』
 無邪気な質問に、さすがのルッチも言葉に詰まった。
 この姉もどきは、あんなにアピールしていたルッチの苦労をいとも容易く無にしてくれる。やはりはっきりと告白すべきかと、任務終了後の計画に思いをはせる。
『ルッチ? もしもーし』
「聞こえてますよ。姉さんが相変わらずで、本当に嬉しいです」
『……嫌味にしか聞こえなんだけど、気のせいだよね?』
 ルッチはそこで少し思案する。ふむ、と声に出したかもしれない。がなになにと電話向こうで慌てた声を上げた。
「……姉さんからの電話、すごく楽しみにしてたんですよ」
『え、ほんと? 嬉しいなぁ、じゃあまた近いうちに電話してもいい? ルッチの声を聞かないと落ち着かないの』
 決心に気づかぬ言葉たちに、ルッチは握りこぶしを作ることで耐えた。伊達に片想い暦が長いわけではない。この姉もどきの心無い無邪気な台詞で、今まで何度期待させられ傷つけられてきたか、ルッチははっきりと覚えていた。だからこそ、握りこぶしで己自身に期待するなと言い聞かせる。
 性質の悪いことに、はルッチを本当の弟のように愛しているのだから。
 けれどルッチは恋愛感情としてを見ているわけで、本来の弟が言うような台詞は思い浮かばない。
「…………おれから、掛けてもいいですか」
『当たり前じゃない! それだったら、いつでも受けられるように携帯電伝虫付けておこうか。番号は覚えてるかな?』
 貴女の番号を、ひとつとして忘れたことがあったか。
 今度は下唇を噛んで耐えた。
 それでもその耳は、の声を余すことなく聞いていた。






[着信音ひとつに:青キジ]

 普段は電伝虫のでの字も知らないかのように、そこから逃げている青キジの傍で、彼専用の電伝虫が大声で鳴り出した。そのタイミングの良さに辺りを見回して逃げようとするが、誰が設定したのか大音量の呼び出し音は鳴り止まず、とうとう廊下にいた海兵から「大将、電伝虫鳴ってますよ!」と悲鳴を上げられてしまうほど。
 青キジは諦めて受話器を取った。
「もしもし」
『あ、青キジさんのお部屋ですか? 私、スパンダムの元にいると』
「あららら、ちゃんじゃないの。今日はどうしたのさ、珍しく電話なんかしちゃって。おれに急用でも出来たのかい」
 思わぬ相手に青キジが喜色満面に返すと、電話向こうのは小さく控えめに、けれどしっかりと吹き出した。
『大将、私はいつも電話してますよ。大将が捕まらないだけです』
「あらら、そりゃ失礼したな」
『で、用件なんですけど』
 そこで会話が切れる。青キジはの言葉を待つ。は言葉を発しない。
 うっかり睡魔がやってきそうになったところで、青キジはもう一度問いかける。
「用事はなんだ?」
『あ、えー……っと』
 電話向こうではどこか照れたようにもごもごと言い募る。けれどそれはどれも文章になっていなくて、青キジは解読してみようとするがいっこうに意味はつかめなかった。
 それでもうん、よし、と決心でもしたかのような意味のある音が、ようやく青キジの耳に届く。
『大将』
「んー?」
『この前の自然公園のお礼に、なにかさせてください』
「今夜ど」
『真面目に』
「あー」
 これも結構真面目な希望なんだがなと、言うと怒られるので青キジは口にしなかった。は怒ると言うよりか照れるのであまり怖くないが、要注意なのは下の子供たちだ。
 デートに誘っても断られ、まぁ嫌いじゃないからと弟妹たち込みで誘って、ようやく了承してもらえた自然公園への遠出。子供たちは遊ばせておいて、さてもようやく得た機会を有効活用しようかと思いきや。
 は常に子供たちの中心に位置しており、ちょっとやそっとじゃその輪から引っ張り出せないときた。口説くどころじゃねぇな、これと言うのが青キジの正直な気持ちだった。
 その後は持ち前の性格で子供たちと戯れ、その際に子供たちの保護者同士として接近は出来た。帰る頃になると、たまの休みに子供と遠出をした夫婦のように疲れ切ったのは、嬉しいんだか悲しいんだか微妙なところだった。
「じゃあ、明日にでもデートな」
『へ? え、ちょっと大将! デートって私仕事が』
「ないのは知ってるんだけどな。白切るか?」
『……日帰りですよ?』
「チッ。……もちろんだ」
『え、今なんか聞こえたんですけど? 大将?』
 とりあえずは、まぁ難攻不落の堀の一つでも埋めにかかるとしますか。











[着信音ひとつに:フランキー]

『あ、もしもしフランキーさんのお宅ですか? です。えーっと、お忙しいならいいんですが、食事でもどうかと思いまして電話させていただきました。今夜を含めて三日ほど空いていますので、よろしければ、折り返し連絡ください。……待ってます』
 ガチャッ、ップーップー。
『もしもし、すみません、もう一度です。さっき留守電に入れましたけど、もし誰かフランキーさん以外の方がこれを聞いていたら、私の伝言は消去して置いてください。すみませんが、お願いします』
 ガチャッ、ップーップー。
『……………………………………フラムくんの馬鹿』
 ガチャッ! ップーップーップー。
 フランキーは、入っていた全ての伝言を聞き終えると深く深く息を吐き出した。そばで聞いていたスクエアシスターズは、それを見て忙しなく視線をあちらこちらに投げかける。ザンバイたちは、しっかりとそっぽ向き済みである。
「あ、アニキ! 急いでフォローしに言ったほうがいいわいな!」
「そうだわいな! このままじゃ、さんが口利いてくれなくなっちゃうわいな!」
「そうだわいな! そうだわいな!」
 実は初めてではない事態に、このままではフランキーは暴れは寄り付かなくなることを実体験済みのフランキー一家。最初の伝言は昨日の昼。最後の伝言はつい先ほど。
 今ならまだ間に合うと、シスターズ二人掛かりでフランキーを煽るが、本人はそれどころでなくソファーでうなだれている。
 原因は至極簡単。
 昨日の昼にが伝言を入れた直後、例によって例のごとく仕事に精を出したフランキー一家棟梁の、仕事後の酔いに任せた一言が原因なのだ。
「本気じゃねぇって、のやつも分かってるだろうに、なんでまた、こんな……」
 髪をばっさり垂らしてうなだれながらも、文句を言うのを忘れないフランキーに、スクエアシスターズが今度はため息を吐いた。
「アニキ、潔く謝ったほうがいいわいな」
「女心は今頃ぼろぼろだわいな」
「今度こそ別れるって言われちゃうかもしれないわいな」
「そうだわいな! すぐに謝ったほうがいいわいな!」
 フランキーはその声援に二人を見ると、しょぼくれたまま電伝虫の受話器を手に取った。掛ける先は、の家の電伝虫。
「あ、おれだ。……フラムだけど。ごめん、昨日言ってたことは本気じゃねぇから。ほんと、傷つけるような事言っちまって悪かった。バカバーグたちがおれより仲良くしてるの見んの、すんげぇ嫌だって思ったら、口から出ちまってた。これだからお前にガキだって言われんのかな。いや、それは今はいいんだけど。……今日も明日もおれは夜空けとくから、許してもらえるなら、連絡ください。ごめんなさい」
 留守電だったのだろう伝言を言い終わると、フランキーは脱力するようにソファーへと沈み込んだ。シスターズは慌てて飲み物を注いだり、団扇でフランキーを扇いだりし始める。そして無理矢理に作ったにこやかな笑顔でフランキーに話しかける。
「アニキ、お疲れ様だわいな!」
「きっとさんも許してくれるわいな!」
「あんな尻軽女いらねぇとか、おれは若い女のほうが好きだとか、アイスバーグや船大工に媚売っていやらしいとか言ったこと、全部全部許してくれるわいな!」
 フランキーはシスターズを見つめると、大きな声でもう一度深く息を吐き出した。悪意の無い純然たる好意に基づいたトドメの刃が、フランキーの胸に風穴を開けていた。
「おれ、なんでまたあんな事言ったんだろうなー」
 そして電伝虫が鳴き声を上げる。
「もしもし!」
『……フラムくんですか』











[架空請求:スパンダム] ちょっとシリアス

「で、これはどういうことだ」
「知らない、これなに?」
「白を切るって言うんだな、あ?」
「……知らないって言ってるじゃない」
 二人の間にあるのは、一枚の何の変哲もない紙。
 だが、スパンダムの神経に触れる内容が書かれていた。
「知らないなら、なんでお前の名前が書かれてるんだよ! あぁ?」
「世間一般的に流行ってる架空請求だっての! 書かれてるわよ、私の名前くらい! なんですか、私がすっぱだかのお姉ちゃんと睦みあったとかいいたいんですか。すっぱだかのお兄ちゃんとどうこうしたって言いたいんですか!」
 紙の内容は、極々一般的な架空請求のひとつだった。
 だが、どこで調べたのか少し前にが任務として向かった島の名前から発行され、実在するそちら系のお店からの請求となってあったのだ。スパンダムはに真実を聞く前に一通り調べており、実際がその店に出入りしていたという情報まで掴んであった。
「こんなあからさまな架空請求、スパンダムが信じるとは思わなかったわ! 私って信頼されてないのね、最低!」
 スパンダムが情報を掴んだと知らないは、感情のまま激昂していた。スパンダムの血圧もどんどん上昇していく。握り締められたスパンダムの拳が震えだし、それに気づいたは口の端を上げる。
「なに、殴るの? ……本当に信用がないのね、私」
 スパンダムは拳を震えさせているだけで、殴りはしない。けれどスパンダムにとって今のは「事実をつかまれてるとも知らず、いけしゃあしゃあと嘘をつく女」にしか見えなかった。スパンダムからに向かった、何か大切なものが踏み潰され蔑ろにされている気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
 けれど、の態度は変わらない。
、お前、これ以上嘘をつくなら出て行け」
「……え?」
 俯き加減に告げられた言葉は、の耳に届いた。けれど、意味が分からない。
 は困惑と冗談ではないかと言う笑みと、そしてスパンダムをどこか心配する気持ちの混じった複雑な表情で、机を見つめるスパンダムを見た。
「スパンダム、どういうこと?」
「おれの執務室から、エニエス・ロビーから、CP9から出て行けと言っている」
「冗談や勘違いにしても言いすぎよ。この請求は」
「いいから出て行けって言ってんだよ!」
 言い募ろうとしたを遮り、スパンダムは吼えた。そのいつになく真剣な、ねめつける様な刺すような視線にの動きも止まる。
 一度、スパンダムに何か言おうと唇を動かすが、それもすぐに止み、ため息を一つついた。スパンダムの机の上にある請求書へと視線を動かし、スパンダムを見る。
「さよならってこと?」
「ああ」
 お互い静かな声だった。はもう一度ため息をつき、前髪をかき上げて笑う。あっけないものねとその唇が動くと、背筋を正してスパンダムを見据えた。
「今までお世話になりました、長官」
 スパンダムはそれに応えず視線をそらし、椅子を回して背後へと向きを変える。それには唇を噛むが、堪えるように言葉を続けた。
「今まで。……この十数年間、楽しかったわ、ありがとう」
 そしてきびすを返すと扉へ向かい、音もなく部屋の外へと出て行った。廊下を歩く気配も何も感じないままスパンダムの執務室は静かになり、スパンダムは静かに泣いた。女のことで泣くなんて、と自分を嘲笑いながら涙を流した。呆気ないものだった。それこそスパンダムの台詞だった、信頼されていなかったのはこっちだ。
 どんな店に行ったっていい。どんな店から請求が来たって構わない。ただ、せめてスパンダムには嘘をついて欲しくなかった。何年傍にいたと思ってるんだ、そのくらいで揺らぐ関係など築いていなかったはずなのだ。
 けれど呆気なくその関係は終わりとなり、はこの世界から消えていく。良くてどこぞの島への監禁、悪くて死が待っているだろう。それを知らない女じゃない、ここまで政府の中枢を担っておきながら、のうのうと外の世界で生きられるなどとは思っていないだろう。
「言い訳すりゃ、よかったのによ……」
 スパンダムが遮っても遮っても、自分の主張をすればよかったんだ。
 我侭で身勝手な言い分と知っているが、スパンダムはそう思わずにはいられなかった。自分で死刑宣告にも近いことを言い渡したはずなのに、こうまでも胸が痛むなんて。
「……終わりは、あっけねぇなぁ」
 ひとつの紙が二人の関係に終止符を打ち、一人の人間の命を奪う。なんて呆気ないんだと、スパンダムはまた涙を流した。

 数日後、紙に書かれていた島の店に呼び出されたスパンダムは、その呼び出し人が自分より上の地位の人間だということで渋々赴いたが、そこで散々っぱら土下座することになる。
「本当に悪かった! すまん、許してくれ!」
「……私、架空請求って言ったわよね」
「言った! お前に非はない! おれが悪かった!」
 真実とは時に残酷なものだ。店に出入りをしていたという事実は、スパンダムより上の人間に秘密裏に依頼された任務をこなすため、必要にかられて潜入しなければならなかったのであり、それの誤解を面白がってスパンダムを呼び寄せた青キジから知らされると、その店の衣装に身を包んだの前で、スパンダムは謝るしか出来なくなっていた。
 椅子に腰掛けているの足先が、目にも毒なほど赤いヒールに包まれてゆれる。それすら目に入れられぬほどの土下座をするスパンダム見て、は大きなため息をついた。
「土下座って許さないとこっちが悪い奴みたいになるから、嫌いなんだけど」
「悪かった!」
 言われるが早いか飛び起きたスパンダムは、今度は立ち上がりの目を見て頭を下げた。どちらにせよ変わらぬ状況に、が脱力して後ろを振り返ると、ボディーガードよろしく立っていた青キジがからからと軽快に笑い声を上げる。
「いいじゃねぇの、許しても許さなくても。このままいけば、お前おれの部下に確定だし」
「大将の部下もスパンダムの部下も、あんまり変わりませんって」
「大将の部下になってんのか!」
 初めて知った事柄にスパンダムが勢い良く顔を上げると、青キジはおおよと気のない返事で笑う。その目はスリットが深く、体の線もあちこち浮き出た、けれど袖も裾も長く清楚を目指しているのか淫靡をを目指しているのか分からない衣装の、うんざりした表情のへと向けられていた。
「そうでもしないと死んじゃうじゃない」
 当たり前のようには返し、セクハラといえるレベルで体を覗き込んでくる青キジの視線を、顔面平手パンチで遮った。青キジも慣れたもので避けるが、今度はの足が伸びて足の甲を力いっぱい踏まれてしまう。
 静かな攻防と初めて知った事柄にスパンダムが呆然としていると、は気を取り直してスパンダムに向き直った。
「で、スパンダムはどうしたいわけ? 私を殺したい? 部下に戻したい? 私が許したらそこで終わり? どうしたいの?」
 矢継ぎ早に聞かれてしまい、スパンダムの口は意味のない音ばかりを吐き出していく。え、あ、う、あ。頭の足りない男とは思われたくはないのに、久々に聞いたの声と、はじめて見るそういう装いと、青キジとの親しげなやり取りでスパンダムの頭は混乱を整理し切れなかった。
「スパンダム?」
 の心配そうな表情、そんな顔をさせたかったわけじゃなかった。青キジの面白そうににやついた表情、見世物じゃないと叫びたかった。
 けれど一番叫びたいのは、伝えたいのは。
 スパンダムの意識がそのことに気づくと、そのまま口から飛び出していた。
「お前を、愛してるんだ!」
 スパンダムが叫んだ瞬間に全ての音が消し飛び、スパンダムの目には驚きに目を見開くしか映らなくなった。
 の表情は驚きから戸惑いへと移行し、そらされた視線の先が誰かを見上げるが、またすぐにスパンダムへと視線が戻る。段々とその頬が赤みを増していくと、唇が震え視線をそらしながら罵倒してきた。
「ば、ば、ばかじゃないの。そんなこと、聞いてない……」
 そのまま爪を着飾った両手で顔を隠すと、まいったと呟いては動かなくなった。
 どこからか頭を掻くような音が響き、青キジのため息がもれる。
「あー……おれはお邪魔っすね」
 そのまま大きな体が部屋から出て行くと、二人きりになる。スパンダムはおそるおそるに歩み寄り、跪いての膝に手を置き、その顔を見上げた。
、愛してんだ。帰ってきてくれよ、話を最後まで聞かなかったおれが悪かった」
 なぁ、
 しばらくその格好でスパンダムがを見上げていると、細々とした声が聞こえてくる。
「……傷ついたんだからね」
「ああ」
「スパンダムは、私を理解してくれると思ってたのに」
「ああ」
「理解してなくても、話し合えば分かってくれると思ってたのよ」
「信用してくれてたんだな」
「そうよ。なのに、ものすごく傷ついたんだから」
「今度は気をつけるから、顔、見せてくれよ」
「やだ」
 静かに言葉を重ねあい、スパンダムはそれなのに顔を見せてくれないの様子に苦笑する。そうさせてしまったのが自分だと分かっている分、切なかったが、今の言葉がスパンダムに甘えていると分からないほど、愚鈍ではなかった。
「見てぇんだ、お前の顔」
 言って顔を覆っている手に触れると、優しく優しく顔から離していく。
 何もかも真っ赤に染まったその顔に、喜びと安堵と笑いがこみ上げてきて、スパンダムは思わず吹き出してしまった。途端に睨んでくる赤く染まった目が、また涙を盛り上げる。
「な、な、なに笑ってるの!」
「いや、悪ぃ。そういうつもりじゃ」
「もーやだ! やっぱり帰らない!」
 駄々をこねて騒ぎ出すだが、スパンダムの静かな目を見ると言葉を小さくして言った。
「怒ってるんですよ」
「そりゃ当然だ」
 スパンダムに引き寄せられて額を合わせるが、スパンダムの顔に巻かれたベルトが痛くて邪魔くさい。お互い同じことを思っていたようで、目が合うと笑ってしまう。
「帰ってこいよ」
「自分で追い出したくせに」
「今度からお前の話、最後まで聞くから」
「絶対よ?」
 目を見詰め合って、笑って。
 そしてほんの少しだけ、二人の時間を楽しんだ。
















[距離を実感する:アイスバーグ] 悲恋系

 ああ、神様許してください。

 一言呟いてから、それを海へと投げ捨てた。ぽちゃん、とそれはどこか間抜けな音を立てて海に飛び込み、大きな水疱を出すでもなく静かに静かに沈んでいった。まるで人魚姫が捨てた短刀のようだなんてメルヘンなことを思いながら、私は振り返りもせずにその場を後にした。私が捨てたのは、王子の命を奪う短刀ではない。王子を愛する心だ。

 捨てることなど、万に一つもありえないと思っていた。

、ほら、お前に似合いそうだろ」
 嬉しそうに探し当てたとか何とか言いながら、目の前に放物線を描いて投げられた小さな箱。そこから連想しない女はいないんじゃないかと思う。もしかして、と期待しながら箱を開けた。あの瞬間。
 期待通りのものが箱に鎮座していて、それを贈られる理由のいくつかを瞬時に考えた。
「お前、前から欲しがってただろう」
 それだけなのだろうか。期待に胸は膨らみ、今にも破裂せんばかりに高鳴った。アイスバーグの決定的な一言を待って、私は彼を見つめてた。
 照れくさそうに頬をかく仕種に、胸をときめかせたものだ。この人の全てが自分のものになるなら、きっとなんだってやるとさえ思った。夕日があの人の背後から滲み、逆光はアイスバーグの表情を隠す。
 ああ、勿体ないと彼の頬に触れた。
「お? ……ンマー、これはな」
 私の手を気にしながらも、欲しかった言葉を言ってくれるアイスバーグ。
 私は幸せになれるのだ、なるのだ、彼を幸せにするのだと夢見るように頷いた。

「さようなら、アイスバーグ」
 もう一度海に沈んだ指輪に黙祷をささげる。さようなら、さようならアイスバーグ。愛の証の素敵な指輪。二人の指を飾っていた、大切な大切な指輪。
「姉さん、いいんですか」
「ええ。さぁ、最後の作戦会議をしましょう」
 ずっと私の姿を見つめていたルッチに、笑みを浮かべる。
 ええ、ええ、私は大丈夫。いいの、あの指輪は捨てたの。海に沈めたの。彼から貰った婚約指輪は海の藻屑となったのよ。お互い出会った時には想像もしなかった、互いの指にはまった指輪。幸せの切符、これからもっともっと努力していこうという証だった。

「姉さん」
「なぁに、ルッチ」
 向けられた視線に苦笑する。歩み寄って手を伸ばして、そしてルッチの頬に触れた。
 生きているあたたかい体、血の巡っているよりも若い人間。
 ふと、の口元が緩む。困惑顔のルッチに向けて、目を細めた。
「私、貴方を守りたいと思ったわ」
 何のことだと目で問われても、は笑って答えない。
 ただただ、同じ言葉を繰り返す。
「カクもカリファもブルーノも守りたいわ」
 ただ、それだけが願い。
 伴侶よりも家族を選んだの。たったそれだけのことなのよ。
 ルッチを置いて歩き出し、は笑ったまま涙を流す。
「さぁさ、早くしなきゃ。皆待ちくたびれてるわ。ロビンさんもいるんでしょ?」
 の耳の奥で声が蘇る。瞼の裏で彼の姿が蘇る。指輪を受け取ったそのときから、より一層頑張るのだと幸せなのだと微笑んでいた彼の姿が蘇る。
、トムさんに報告できたらいいのになぁ」
 エニエス・ロビーに行ったら、まだ生きてるかもしれないわ。
 堪らずが呟いた一言に、アイスバーグは夢見るような目で微笑んだ。ああ、もしかしたらそうかもな。殺されてないかもなぁと、ありえないことを囁いているかのように、ぼんやりと呟いていた、あの一言。
 は過去に縋りつく瞼を押し開け、瞬きと共に涙を打ち捨てる。
 振り返り、ついてきているルッチに笑いかけた。
「急ぎましょう」
 さようなら、アイスバーグ。
 彼の左手には、まだ片割れが光っていようとも。
 元々あったその距離は、今や隠しようもなく遠かった。



















 以下、随時更新。




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