番外:この想いは、恋じゃない。恋であるはずがない。恋であってはならない。
『お前が好きだ、と、ルッチが言ってるぞ』
ぱちりと瞬きをしたの目の前で、長身の男の肩に座っている鳩が喋る。
それが腹話術で、実際は鳩を肩に乗せている男の言葉なのだと理解していながら、は呆然とその玄人裸足な腹話術に感心していた。
「……は?」
そしてその言葉の意味が脳内に到達した数十秒後、微動だにせず目の前にいる男と鳩に向かって、間抜けで少々聞く人間にとって不快な疑問の音を上げた。
ウォーターセブンの市街地、その昼時にあたる定食屋はそこそこ繁盛しており、客もまずまずの入りと言う込み具合。それぞれ笑い声や喋り声で意識しなければ隣の席の会話など聞こえないが、真面目な話をするにはいささか不適当な騒がしさが充満する店内。
その二人用のテーブルにいるルッチととハットリは、五分ほど微動だにせず見つめ合っていた。
「……」
『……』
正確に言えば、ハットリはルッチに付き合ってやっているだけなのだが、一応外聞的にはハットリが喋っている風を装っているため、腹話術だと街中にばれていてもハットリはきちんと任務を遂行する。
実際の本人であるルッチが動く気配はなく、言葉を告げられたも驚きのため微動だにしない。
ルッチも自分の唐突さを理解していた。そして、と同様に、自分の行動に心底驚いていた。
なぜ、目の前の平凡で変な女に告白などしたのか。
ルッチとしても分からなかった。
たった今まで、告白をする数秒前までなんの意識もしない仕事関係の友人でしかなかったに、なぜこうもあっさり子供染みた語彙でもって告白をしてしまったのか。
いつものように仕事をこなし、とも仕事上の会話や、友人としての世間話程度言葉を交わしたのみ。別段普段と変わったことなどなく、ルッチの心臓も良く言うときめきやら早くなる鼓動などを覚えていない。完全に平常心で向かい合っていた友人に対して、性別を感じることも意識することもほとんどなかった。
ルッチは変わらぬ表情の下で、めまぐるしく自分の行動の原因を解明しようとする。
目の前のはいまだ固まったまま動かない。
『……』
ルッチは改めて、口をあけ目を見開き眉を歪ませて、がっつりと日替わり定食後のデザートである、がっつり生クリームの盛られたチョコパフェを食べようとしているを見る。むしろ、食後に拳五つ分程のデカさのデザートまで手をつけるのがありえないと思いながら、よくよくを観察する。
化粧っ気のない目元口元顔全体。これは女なのだろうかと疑問に思うが、化粧をしている時間が有れば仕事を覚えようとするその姿勢は認めないでもない。実際、の指にはペンダコが出来ていたり、インクが付着してしみこんでいたりと、女の指ではないがしっかり仕事をしている手になっている。爪も短く切りそろえられていて、ささくれも見え隠れ。今度良いハンドクリームでも教えてやろう。認めないでもない。
そしてよくよく顔を見れば、こめかみの辺りの髪が少し色が変わっている。インクのついた手のまま触ったのだろう。黒や青、そして橙色のインクが薄っすらと付着していた。そう言えばは帽子を被らず髪を縛るだけで、頭を守るものは何もつけていなかったなと、ルッチは自分の記憶を掘り起こした。
次はその服装。飾りっ気のない汚れても良さそうな安い半袖Tシャツは、指や顔以上にインクや木屑や仕事用品に塗れていて、簡単に手で払っただけでは落ちない現場くささを醸し出している。女ではないが、誇りを持って同僚と言えるのではないかと思う。伊達にルッチはを友人と認めていない。
ルッチは自分の顎を手の平の上に置き、立てた肘でテーブルをこつりと鳴らした。
びくりと身じろいだが、スプーンをパフェの上に落とす。
ぺちゃりと情けない音が響くが、は微動だにせずルッチを凝視したままだ。少し面白い表情に見えてきたため、ルッチは一時視線をそらす。笑わぬように堪え、ハットリが少しばかり非難の視線を向けてくる事も無視した。
ああ、なんとなく分かった。
ルッチは自分の唐突な行動理由の原因を理解して、静かに視線をに戻す。
の瞬きをして困惑の色もあらわなその表情は、微かな怯えさえ見せている。
仕事を覚えたてだった数ヶ月前、同じような顔色と表情で唇を噛み、仕事の不手際を報告してきた姿を思い起こさせた。
『』
本来の声とは別物なルッチの声が、普段よりもずっと穏やかにその名前を呼ぶ。
の表情から怯えは消え、純粋な疑問の色だけが残る。小首を傾げて、ルッチの次の言葉を静かに待っていた。
ルッチの手がの頬へと伸びる。よりも早めに仕事を完了させた無骨な手は、と違って清潔でインクの染み一つない。なんの憂いも心配もなく、の頬を指の腹で撫でた。
「る、っち?」
『ルッチへの返事は?』
かすれ声で囁かれた自分の名を聞かなかった振りをして、ルッチはの頬を撫でる。今度はその手の平で、包み込むように、慈しみ逃がさぬように。
優しく細められていく自分の目の動きにも気づかぬ振りで、ルッチは本来とは違った声でその名前を呼んだ。
『』
視界の真ん中で、の表情がきょとんととぼけたものになる。
何を言われているのか、あからさまに理解していないその様子にルッチは微笑ましくなる。
急速に広がっていく恋慕の情が、なにもかもを愛しく感じさせていく。指先からも、愛情が伝わるようにと祈りすら捧げてしまいそうになる。
『ルッチはが好きだ』
とぼけたの表情が、勢い良く真っ赤に炎上する。
ようやくルッチの言葉の意味を理解したのか、慌てたように手から逃れようと体を動かしだすが、体技を主とするCP9の反射神経がを逃がさない。もう片方の手で、もう片側のの頬も包み込み、ルッチの両手はの頬を軽く押さえ込んでいた。
真っ赤な顔のまま、言葉もなく目を泳がせるに、ルッチは微かに笑みを浮かべる。
本来なら無表情な男を演じ続ける予定だったのだが、こればかりは無理だと浮かぶ微笑が抑えきれなかった。
の反応に、自分の気持ちが拒否されていないことは明白で、それはルッチを浮かれさせるには十分な理由。
『、ルッチの恋人になるか?』
改めて言葉にしなおせば、逃げることすら出来ないの目は潤み今にも泣き出しそうで、けれどもゆっくりとその首を縦に振った。
ルッチはそのまま互いの額をあわせ、間にあるテーブルや食事の残骸など気も止めずに安堵のため息を吐き出す。
『ルッチが嬉しい、ありがとうだとよ』
口悪くハットリに代弁させる振りをする。
小さく笑ったの目は伏せられていたが、瞼の下から覗いた目は潤みながらも十分に歓喜の感情をたたえていて、震える唇はようやく言葉を吐き出した。
「わたし、も、……ルッチがすきだよ」
堪えきれずに額に落とした接吻は、いつの間にか固唾を呑んで見守っていた客達の、盛大なる祝福の歓声を爆発させた。
「ちょ、なに見てんの! ちょ、プライベート!!」
「定食屋でおっぱじめるそっちが悪い!」
「おめでとうございます! ルッチ職長!」
「てめーら! ルッチ職長とがくっついたぞー!!」
「めでてぇー!! 誰かアイスバーグさんに伝えろ!」
「ルッチ職長、恋人なんて作らないでー!」
一気に騒がしくなった定食屋の中で、もルッチも揉みくちゃにされながらも祝福されながらも、ルッチは自分の感情のまま動いた結果へと思考を走らせた。
本来ならば、あってはいけない出来事。
本当の意味で恋人を作ることなど、後々どんな弊害が出るか分からない。
しかも、はアイスバーグに近しい人物。娘や家族といっても差しさわりがないほど、アイスバーグの近くにいる人間。
それを利用するのだと言ったなら、仲間達は納得するだろうが、自分の心情としては利用しきれるだろうか。
この想いは、恋じゃない。恋であるはずがない。恋であってはならない。
無意識に自分自身を戒めていたその言葉達が、今はむなしく散っていく。
唐突に気づいてしまった自分の恋情に、今更歯止めなどかけられるはずもない。
「ルッチ! この馬鹿たち止めてよ!!」
笑いながらも絶叫するに、ルッチは数秒前まで考えていたことすら霧散させてしまう。
軽く頷いて立ち上がると、ルッチはハットリと共に騒ぐ住人達を見た。ウォーターセブンの、ルッチを職長と慕う住人達を。