10:あなたを想う

 シャルナークとは問題なく目的のマンションに到着したが、いつの間にか眠っていたを振り返ったシャルナークは、しばしだらしなく笑みを浮かべてを見つめていた。
 当たり前のように寝息を立てて、シャルナークは何も言っていないのにシートベルトをきちんと締めている彼女は、外から見えないと分かっていても世間で言うルールを守っていて。……普段だったら腹を立てたり、鼻で笑うような行為なはずなのに、シャルナークはそこからの気遣いが見えた気がして、より一層嬉しさに頬を緩ませた。
 運転してる人間が減点されるのは、この世界もの世界も一緒だが、安全面でシートベルトを締めただけとしても、嬉しい。
 いつまででも見つめていたいが、シャルナークはこの彼女を囲っておく部屋を綺麗にするという仕事がある。フィンクスだけに任しておけるはずもなく、自分のほうが女心を知っていると自負している。実際、振られるフィンクスを笑ったのは、一度や二度じゃない。
 が眠っているのを再度確認して、それが深いものだと確信すると、シャルナークは車を降りて車体に寄りかかりながら、あれやこれや調達のための連絡を始めた。フィンクスもあれこれ運び入れているだろうが、女と生活するという行為に関して、不慣れなのは分かっていた。シャルナークとしては、一時しのぎとして買ってきた服だけでは、を飾り立てるには不十分だし、がねだって来ないのも予想できていた。彼女は遠慮から、得意でない料理をしようと言い出すだろうし、女性だから最低限の化粧品も欲しいだろうし、使うなら肌に合うものが一番だろう。どこかの化粧品会社が、『うらおもて』の女性キャラが使っている化粧品という体で、いくつかシリーズを発売しているはずだが、実際の彼女の肌に合うかは分からない。
 マンションの一室という箱に収めるには、少々窮屈なほどあれこれ手配をするシャルナークの後ろで、いまだ夢の中なの寝言が聞こえてくる。
 仕事の夢だろうか、泣きそうな声で謝っているその様子に笑いを噛み締める。
「シャル、てめぇなに休憩してんだよ」
 諸々の連絡が終わったと顔を上げれば、目の前に不機嫌そうなフィンクスが仁王立ちしていた。気づいていたが、さも今気づいたような顔で適当にシャルナークが謝罪すると、フィンクスが腹立たしそうに顔をしかめる。
「今度はお前が荷物運べよ。ベッドやらは入れたから、俺が運ぶからな」
「え、なにそれずるくない?」
「何時間と二人きりで車に居たんだ? 行きもお前が抱き上げただろうが」
「別にいいじゃん」
 口を尖らすシャルナークに構わず、フィンクスは静かにドアを開けてを抱え上げた。シートベルトを締めている光景に、一瞬フィンクスの表情も緩むが、それはそれでとっとと車からを連れ出してしまう。
 シャルナークは後ろで文句を言い続けているが、フィンクスは気にも留めず早足でマンションの数階分も飛び越して、開けっ放しの扉から室内へ悠々と足を進めた。
 のプライバシーも考慮し、個人の部屋が各ひとつとリビングダイニング。風呂とトイレはひとつずつ。標準といえば標準の間取りだが、シャルナークが選んだのでマンション全体のセキュリティは高いし、住人も少ない。ましてや、『うらおもて』の話を外でするような子供もおらず、隣近所を気にするような人間も少ない地域。急ごしらえではあるが、なかなか良い場所を選んだのではないかと、フィンクスでも思う。
 の部屋として一番明るい部屋を選び、そこにベッドを運んで布団も整えた。色合いは適当に青系統を盗ってきたが、シャルナークに『盗って来た』とばれたらうるさいだろうから、黙っていようとを寝かせながらフィンクスは頷いた。
 上着を脱がせて、靴を脱がせて。
 そこまでしておいて、さすがにストッキングやら脱いだほうが良いだろうが……、脱がすのをためらうものは、一旦足に触りつつも自重する。少し足を撫でてしまったのはご愛嬌と許して欲しいなどと、心の中でに謝罪するが、はいまだ夢の中。脱がすときに少し唸っていたが、フィンクスが動きを止めればまた眠りの中へと戻っていった。
 デート帰りにうっかり眠った恋人のようだ、とかなんとか、またフィンクスがだらしない顔をしたのもご愛嬌。
 とりあえず、親切なんだかセクハラなんだかを働いたあと。音もなく荷物を運び入れているシャルナークに睨まれながら、お互いに良いところ取りやがってと口喧嘩をしながら運び込んだ荷物や、新たに届いた荷物を整えながら甲斐甲斐しくの為に働いた。お互い、絶対普通の女相手にはこんなことはしないと思いながらも、目が覚めたときのの反応を思い浮かべ、やる気を起こしながら住み心地の良い仮部屋を作り上げていった。


「……おはようございます」
 目が覚めたがリビングを覗くと、そこには数時間前まで空だったとは思えない『模範的な一般家庭』の様相を見せる光景が広がっていた。ソファにテーブルにテレビにオーディオ機器類、適当な雑誌が転がっていて男二人が酒を飲んでつまみを口にして。リビングの奥に見えるキッチンには適当な袋からりんごやらの果実が覗いていて、何か作ったのか使いかけの食パンの残りや、卵のパックやらナイフなどが転がっているのが見える。
 が寝ぼけたまま瞼を擦って二人に歩み寄れば、今気づいたとばかりに二人がを振り返り、あふれんばかりの慈愛溢れる微笑を浮かべた。思わずの足も止まるほど、男二人の幸せそうな笑み。
「おはよう、よく眠れた? ベッドは体に合った?」
「勝手に服脱がせて悪かったな。寝にきぃよりは良いかと思ってよ」
「起きたばかりだから水でも飲む?」
「それとも腹に何か入れるか?」
 なにもかも包み込むような慈愛と、優しさしか感じられない言葉と態度には最初に何を言えばいいか悩んで、そっと首を傾げる。
 数秒言葉を探しただったが、とにかく二人の気遣いがありがたいのは確かだったので、頬を緩めて照れ臭さを隠し切れずに笑った。
「……ありがとうございます、じゃあ、その、まずはお水が欲しいです」
「ん、わかった」
「こっち座れよ」
 数秒とはいえ首をかしげ、じっと見つめられたことに内心鼻の下を伸ばしていた男二人は、完璧な笑みでに対応していた。

 旅団特有の、某コインで勝敗を決してソファーに腰掛けていたフィンクスはを呼び寄せると自分の隣に招く。
 そのままと会話をして、戻ってきたシャルナークがやんわりフィンクスに噛み付いて、フィンクスが鼻で笑って険悪な雰囲気になって、それをがびくびくしながら宥めて。
 その後はりんごを食べてみたり、いつの間に買ったのかケーキを食べてみたり。
 知らない人間が見たら、穏やかな光景が繰り広げられていた。
 フィンクスの腕はソファーの背もたれに乗せられていたが、何度もの肩を抱こうとしては察知したシャルナークに牽制され、シャルナークもテーブル越しに身を乗り出してに触れようとするたびフィンクスに牽制されていた。
 なんとなく不穏な空気がなくなってないことに気づいているも、原因が分からなければ対処の仕様がない。その上、もしうっかり万が一億が一、男二人が本当に漫画の世界の人物本人だとしたら、ここまで親切にされておいて、でもうっかり不機嫌スイッチを自分が踏み抜いたら……などと想像して強く出られない。それに、自分を見る男たちの目が優しすぎて、
 優しすぎて、心の底からのリラックスは出来ないまでも安心感は覚えてしまう。
 彼らは自分に対して飽きてしまって、そのときは気まぐれに殺されてしまうかもしれない。使い捨ての念能力練習台にされるかもしれない。
 頭の数割がそのような恐怖と予想を叫ぶが、触れ合うほどの位置に居て危機感を覚えられない。
「お腹いっぱいです」
 りんご数切れ、ケーキは3切れも進められて思わず自分のお腹を擦る。デザートバイキングやケーキバイキング以外で、デザートでお腹がいっぱいだなんて久しぶりだ何だとつぶやけば、シャルナークとフィンクスの目が輝いた気がした。
「普段はどんな食生活してんの?」
「健康的なのか?」
「んー……、そうですね。主に母親のおかげでお恥ずかしい限りですが」
「作ってもらってんだ」
「贅沢だな」
「実家に居たらそうなりますよー……。お腹いっぱい」
 男二人がからかうような、でも嬉しそうに見つめてくるから。声音も優しすぎたから。
 はほんの少し勇気をだして、隣に座るフィンクスに体を傾け頭を寄せてみた。幻影旅団の二人かもしれないと怖がりながら、どこか気分は高揚していたのだろう大胆さで。バクバクと心臓を鳴らしながらも、見た目はなんでもないように振舞って。
「……」
 フィンクスの動きが止まる。シャルナークの目が瞬時に細まる。
 二人の雰囲気が変わったのに気づいてしまったは、即座に視線を下に向けて離れようと腹に力を入れたが、左肩に回った手がそれを許さなかった。
「いいから。腹いっぱいなんだろ」
「……ありがとうございます」
「いいって。……シャル、うらやましいだろー」
「しね。氏ねじゃなくて死ね」
 優しくて、でもどこか慣れてないような口ぶりのフィンクスに促されて、はそのまま体の力を抜く。男の人の肩に寄りかかるのは、父親や親類の男性以外にしたことがなかったは、下げた顔を上げられない。自分からしておいてと内心ののしりたくなるが、フィンクスの肩は思った以上に頼りがいがあった。
 その後聞こえてきたシャルナークノ底冷えするような声は、いくらでも分かる。機嫌が悪くなっており、ターゲットはフィンクス。原因はがフィンクスの肩に寄りかかったことであり、フィンクスが肩を抱き寄せたことの二点。
 思った以上に気にしてもらえて、フィンクスが軽口を叩く余裕もみせてくれる。二人はとてもを気にしてくれているのがありありとわかり、いつも自分を気にしてくれていた人たちを脳裏に描いた。
 お母さん、お父さん、悟に哲司くんに優太くんに小鳥ちゃん。蛍子姉さんに努兄さん、芽衣子さんに忠孝さん。
 おじいちゃんやおばあちゃんたち。諸々親族、友人の皆。
 いつも家族や悟たちを優先してしまう所為で、友人たちとは短い時間に濃い内容という付き合いだが、今現在の状況知れば一部は羨み一部は絶叫することだろう。
 ふっとが遠い目をする。「なんであんたが異世界トリップ!?」「お前悟くんたちはじめ、ショタコンだろうが旅団大体年上だろう!?」「クロロ様クロロ様クロロさま恨めしい恨めしい」などと、個性豊かにあれこれ言われるのは必至。さらには「パクノダのおっぱい揉んでこい」「それいい! ではぜひマチちゃんのヌードを写真に撮って帰るように」「クロロ様の団長姿と青年姿の両方の写真とビデオを要求したいと思うのそれくらい当然だよね友達だよね」ああうん想像するだけで濃い。さらには「ゴン様!」「ゴン様!」「ゾルディックの最後の兄弟の性別と写真、それとカルトちゃんの性別をハッキリさせるべき」「「それいいねー」」等という会話まで頭に浮かんできては片手で頭を押さえた。浮かんだというより、自分の世界から電波が飛んできたかと思うほど明瞭なそれに、常識的なの意識が拒否反応を示した。
 思わず寄りかかったそれに顔をうずめて、嫌々をするように顔を摺り寄せる。
「ッ!!」
「フィンクス。明日の朝日拝ませないから」
「はっ!?」
 フィンクスの息を呑む音と、シャルナークの冷たく底冷えがしつつも妬ましいという感情駄々漏れな声に、の意識もハッキリする。
 今現在、が顔を寄せていたのは……。
「い、いやぁ! フィンクスさんごめんなさいごめんなさい! 私そんな違うんです違うんです!!」
 即座にフィンクスから体を離すが、フィンクスは真っ赤になって口を金魚のようにパクパクしつつを凝視している。どうみても目は白黒と動揺を隠せずに居て、シャルナークは能面のような無表情でフィンクスを見ていたかと思えば、の視線にはにっこりと天使のように穏やかで慈悲深い笑みを向けてくる。
 思わず小さな悲鳴を上げかけたに、罪はない。が、自分の精だと自覚している分、その悲鳴はごっくんと音を立てて飲み込まれた。
ももう疲れてるみたいだし、もう寝よっか? いきなり異世界に来たり、自分の常識とは違うって言われたら疲れてフィンクスごときにでも擦り寄っちゃうことはあるよね。うん、分かってるよ」
「わ、わわわかってもらえてうれしいです……ッ!」
「じゃあ、歯を磨いて寝ようか。お風呂どうする?」
「は、入らせてもらいたいんで失礼します……ッ!!」
 にこにこ話しかけてくるシャルナークに恐怖を感じたは、フィンクスを置いて着替えを撮りに行くと即座に風呂場へと駆け込んだ。
 その後、フィンクスの悲鳴が聞こえたかと思うと、微振動だけを感じるばかりで音がほとんどしないリビングに、旅団の実力と静かに怒っているシャルナークの怒りの深さを見せ付けられたような気がして、長湯してしまうだった。
 ……ここぞとばかりに、ゆだったを回収するシャルナークは笑顔に溢れていたとかいないとか……。は気絶していたフィンクスに聞かれても、遠くを見るばかりで、答えてくれなかった。
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